社外で行った講演や、冊子で発表したレポートの報告です。
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2005/12/13 「海藻資源NO.14」2005年12月号 「2005年のてんぐさ動向」
日本海藻学会、日本応用藻類学研究会発行の「海藻資源NO.14」2005年12月号に、以下のレポートを発表した。
「2005年のてんぐさ動向」 株式会社森田商店 代表取締役社長 森田庄次
今年のてんぐさ業界は史上始めての経験をするに至った。
世の中、急速に高齢化社会に向かいつつあるなか、日頃から健康維持のための情報、それを食品からアプローチしていくのがテレビはじめラジオ、新聞、雑誌の記事で多くみられる。
そんな中2005年2月16日NHK「ためしてガッテン」が口火となり6月12日の民放の寒天、トコロテンをとりあげた番組がそれを後押しして寒天の一大ブームが捲きおこった。
美容、ダイエットに加えて健康維持に最適の食材とうたえばこれはもう一般うけして当然というほかない。
その原料はとりもなおさず「てんぐさ」であり、てんぐさ業界はここに史上初めて経験する年となった。
てんぐさの取引は漁業者が採取、乾燥して各漁業組合に持ち込み、当該の漁連組織が全国のてんぐさ入札権のある業者によびかけ競争入札方式で価格が決定され商いされる。
日付順に今年の動きをおおざっぱに追ってみる。
第1回目は6月8日徳島県の入札会から始まった。今年は5月から晴天が続いて浜での採取もすすみ数量増となり価格は昨年対比やや安値の5〜10%安でスタートした。次は伊豆諸島の産地、東京都の入札が6月16日、やはり天候が幸いして昨年の12トンに対して25トンとほぼ倍の数量が出品された。問題のTV番組「あるある大辞典」は12日であったが、徐々に天草販売数量が増加し始めているもののさほどの影響はまだまだ出ていなかった。
翌週6月22日の伊豆てんぐさの入札会静岡県第1回のときには、ところてん用てんぐさの注文がひっきりなしにはいってきてその出荷に追われることとなってきた。
そのころには粉末寒天、角寒天、糸寒天と寒天と名のつくものならなんでも引く手あまたで収拾のつかない状態であり、てんぐさもところてんの売れ行きに呼応してまったく供給に応じられない状況に陥っていた。
一方、浜では天気が続き、採取量はどこも増え、続く和歌山でも昨年9トンが今年14トンと多くなったものの価格は20%ほどアップしてきた。
入札会は各地続き、7月5日には最大量の愛媛県分が154トンで開催され、ちなみに昨年は111トン、ここが今年のヤマとみて臨んだ業者も多く、結果昨年相場の10%から20%高で終了した。
しかし、これは今年のてんぐさ相場から言えば序の口であった。
ところてん需要にはてんぐさを採ったままの赤草使用はあるものの、晒工程を経た「晒てんぐさ」需要のほうが多くあり、どこの天草問屋も「晒てんぐさ」が払底状態となっていた。
浜から出品される「晒てんぐさ」があれば当然競争、高値にいってしまうのは道理である。
そこにうってつけのてんぐさの入札会、伊豆は土肥漁協小下田、八木沢の浜で晒加工した「晒てんぐさ」が出てきた。
入札結果は昨年比70%前後の高値となり、それが即、トコロテン製造業者に販売され、製品化されていく。それでも末端流通のトコロテンの棚には欠品のお詫び、完売のポスターが、又1人3個までなどと販売制限お願いが出るありようである。
こうなってくると、入札会をおこなう度に高値をつける業者が入れ替わり立ち替わり出てきて、さらに高値を追っていくことになってしまった。
2005年に採れたてんぐさは翌2006年に廻るのが通例であるが、今年の場合、すぐ消費されてなんとかトコロテンの需要に対応している状況が続く中、8月の6日長崎ではなんと昨年の250%高の銘柄も出てしまった。
その後、8月26日の高知では平均で昨年比170%高、9月5日の伊豆八木沢では晒てんぐさが昨年比250%高、9月9日の愛媛県第2回入札会では昨年比平均の180%高と続き、およそ2倍の価格が定着してしまった。
最終10月26日の静岡県伊豆でも赤草で約2倍、10月27日の東京都でも晒草が約2.5倍の価格がついた。
最終までに今年は高価格の影響で生産量は800トンまで伸びたと思われ、これは最近5年間の最高数量となる。ちなみに昨年は605トン、今年は132%の増産なった。
輸入てんぐさも、2004年2567トンを700トン上回る3200トン超となる見込みである。
一方、消費は寒天では夏場に製造する冷凍糸寒天使用もさることながら、ところてん需要は2倍以上増えたと推測される。
例年ところてん需要として天草で約1000トン、粉寒天で100〜150トン、天草換算で合計1400トンから1500トンといわれている。これが2005年の消費が2倍以上とすれば実に大変化である。大きく需給バランスが崩れてしまっている。
ところてんは例年であれば8月までの商材であったのが、通年商品としてスーパーの店頭にならび、夏以外でも売れていくのを見ると、ここに大きな変化が起きたと認めることができる。
2倍以上の2005年の消費が2006年も続くとは思えないものの、例年の150%ほどのてんぐさ消費は充分考えられる。とすると慢性的な不足状態となり、高値は続いていくと思われる。
1966年にも今年と同様なてんぐさの大暴騰が起きた。
1966年の東京都第3回平均落札価格は前年平均落札価格の2.8倍までいきはしたが、このときはその年の内に高値相場は収束していった。
当時は生産量が今と比較して非常に多く価格高は数量増で調整されたと思える。
1966年当時は国内生産量が寒天原藻生産量で6,366トン、てんぐさに限っていえば(オニクサ、ドラクサ、ヒラクサ、格外等外を除く)1966年で静岡県747トン、東京都で563トンの数字が見える。(「寒天業における経営経済学的考察」森田庄次1968年)
本年は波乱の一年であり、一部にはてんぐさの盗難事件(2005年11月1日)も静岡県仁科地区で発生する過熱ぶりである。(2005年11月8日、静岡新聞)
また、寒天の小売りも多くの場所で見られ、和歌山県は高野山のおみやげ店でも粉寒天の小袋品が販売されていて(2005年12月11日現在)、「寒天、てんぐさ」が広く認識されてきている。
てんぐさ動向を国内生産、てんぐさ入札会を中心に振り返ってみたが、この一年はてんぐさの歴史に残る大きな動きの一年であった。
さらにこれが新しいステージの幕明けともいえる年となるであろう。 |