三月 28 日づけ大阪本社版社会面のイラクでの一般家庭の
「防空壕のイメージ図
」だが、
ここに「イメージ図」という語を使うのは何か違うような気がする。
2003-04-01 (2) 02:42:51 +0900
三月 28 日づけ大阪本社版国際面の写真の説明文。
きょうの疑問:
2003-04-01 (2) 02:39:15 +0900
そのあとで知ったのだが、 赤十字のマークはスイスの国旗に基づくもので、 キリスト教との直接の結びつきはないのだそうだ。
2005-01-06 (4) 22:18:12 +0900
Siamese twins だと「シャム双生児」の意味になってしまう。
2003-04-01 (2) 02:24:40 +0900
東京の電車の中で見た四谷学院の広告。 2タイプの先生がつく、というようなフレーズがあり、 先生二人のイラストが載っていたのだが、 シャツがつながっているのでシャム双生児かと思ったのは私だけではないようだ。 google で「四谷学院 シャム双生児」を検索されたい。
そのイラストは四谷学院のページで見られる。
2003-03-31 (1) 23:50:40 +0900
「フランシーヌの場合」の替え歌「腐乱死体の場合は〜」を口ずさんでいて気づいた。
google で「フランケンシュタイン 腐乱死体」を検索したら、 子どものころ「腐乱死体」を耳で聞いて「フランケンシュタイン」 と関係あるのかと思っていた、と書いているページがあった。 なるほど。
2003-03-31 (1) 02:30:36 +0900
某大学では、学内で旧姓を使うことはできるが、 いまの姓の旧字体を新字体に改めたものを使うことはできないという。
そこでその人 --- 仮に「金澤」さんとする --- に代わって考えてみたのだが、
2003-03-30 (0) 20:13:28 +0900
デッドボールで負傷し、すぐには走れないとき、 高校野球では臨時代走が出る。 その代走は打順が一番“遠い”選手がなると聞いた。 つまり、打順を逆に見ていって、 塁に出ていない選手のうち最初に見つかった者が代走をつとめるのである。
では、もし、 次の打者もデッドボールとなってその臨時代走も必要となったとき、 先にデッドボールを受けた選手が“出られる” と言ったらその選手が代走をつとめるのだろうか?
2003-03-30 (0) 19:36:41 +0900
最近、全く無関係なところで二件見かけた。 タイトルの例はそれにならって私が作ったものだ。 この例では「銀座なら23区に決まってるから間に『**区』がはいるだろ」 とすぐわかる人が多いだろうが、 そうでない地名の場合、 地図の上でその地名を探そうとすれば混乱するだろう。
3〜5ケタの郵便番号が導入された際に都道府県名は書かなくてよくなったが、 7ケタになってさらに省略できるようになった。 その形を見て、昔のように都道府県名だけが省略されていると思うと、 「東京都銀座」のようになってしまうのではあるまいか。 「銀座」も省略可能と思われるから、違うかもしれないが。
付) 「東京・銀座」という言い方は前からあった。 丸ノ内線の「東京−銀座」ではなく、 「東京の銀座」の意味である。
2003-03-30 (0) 19:14:40 +0900
《途中下車して「御茶ノ水」「お茶の水」の書き分け調査をしてきた (2003-03-10 (1) 23:12:26 +0900)》で宿題になっていた点について、 また出張の帰りに途中下車して調べてきた。
橋の名は「お茶の水橋」だったが、 JR駅のホームの表示は「御茶ノ水橋口」である。 JRは「御茶ノ水」で統一してあるかというとそうではなく、 「お茶の水スクェア」という表記もある。
聖橋の上にあるバス停は「御茶ノ水駅東口」。 (なお、聖橋という名は湯島聖堂と(いわゆる)ニコライ堂にちなむものだそうだ。 渡った先の碑に書いてあった。)
そして、 聖橋口の改札わきにある出入口案内の地図には「御茶ノ水橋」と書かれていた。
2003-03-30 (0) 01:25:02 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-18 (4) 20:55:29 +0900
雑煮は地方・家庭によってさまざまで、きちんと定義することはむずかしい。 餅が含まれなければ雑煮とは言えまいが、 力うどんには餅がはいっている。 そして力うどんは雑煮ではあるまい。 「デンプン質のもので最多なのは餅でなければならない」 を加えればよい?
広辞苑第五版の「餅を主に仕立てた汁もの」には抵抗がある。 必ずしも餅が主ではないので。
2003-03-30 (0) 01:10:57 +0900
「ホワイト」のほうが合っているような気もするが。
ちなみに、私はこの食べ方がいちばん好き。おいしいお餅に限るけど。
2003-03-30 (0) 01:06:47 +0900
だから言うなってば。>自分
2003-03-30 (0) 00:56:40 +0900
google で検索して納得。 単なる「おばかさん」の歌だと思っていた私はおばかさん。 きょうは三月 30 日の日曜日。
2003-03-30 (0) 00:50:15 +0900
言わなきゃいいだろ>自分
2003-03-29 (6) 20:44:35 +0900
「地ビール」の前に地名をつけた商品はときどき見かける。
なお、 google で「揖保 地ビール」を検索すると 87 件見つかるが、 「疣痔」も加えると 0 件となる。
2003-03-29 (6) 20:42:11 +0900
うなぎを食べたことのない西洋人に 「eel を食べに行こう」というと気持ち悪がってしり込みするそうだが、 それはエスカルゴを食べたことのない日本人に「カタツムリを食べに行こう」 というようなものかも知れない。
2003-03-29 (6) 20:38:41 +0900
「気持ちがって」とあったのを「気持ち悪がって」と訂正した。
2005-01-06 (4) 22:14:28 +0900
たしか「サザエさん」の途中ではいるカゴメ「野菜生活」のCMは最後に 「すっごくおはよう」と言う。 ほんらい、 副詞の「すっごく」が形容しないはずの感動詞「おはよう」を「すっごく」 が形容しているので、流行語を作ろうとしているのかと思ったが、 「おはよう」の元の意味である「お早うございます」を考えれば、 「すごくお早うございます」の省略形ととらえることもできよう。 しかし、それにしてはまわりは明るく、あまり早い時間帯とは思えない。
2003-03-29 (6) 20:33:46 +0900
気がついていなかった。
2003-03-29 (6) 20:25:42 +0900
23 日放送のお花見の話で “夜明けのサクラを見に行く”とか言っていたが、 まるちゃん、おじいちゃん、それに佐々木のじいさんが 「夜明け」と言っていたのは私の目には「日の出」に見えた。 太陽が地平線から現われる瞬間として描かれていたからである。
「夜明け」も「日の出」も現代人の生活にはあまり関係ないので、 この誤解はよくある。
2003-03-29 (6) 20:21:27 +0900
物理学者の湯川秀樹博士のお名前を借りて説明すれば、 「湯川ひでき」という名前で立候補するにあたって 「湯川」には「ゆかわ」、「ひでき」には「秀樹」と振る、といった具合である。
2003-03-29 (6) 20:14:04 +0900
ちょっと前に google で検索して見つけたページに “ああ、見なけりゃよかった”というような写真が載っていたが、 きょう探したら見つからなかった。 よかった。
2003-03-29 (6) 20:01:02 +0900
NHK ラジオ「英語リスニング入門」講師の西垣知佳子先生。 単純に「西垣知佳子先生のファンです」ではミーハーなので、 先生の話し方のどこに好感が持てるのか、考えてみた。
一月 4 日放送分に、 《curl up with, は、具体的には、テキストの、 イラストを見てください。 どんな様子か、わかります》 と話されたところがあった。 (ここではカンマや読点はことばが切れたところを示している。)
用意した綿密な原稿を読んでいるような話し方だった。 「どんな様子か」と「わかります」は、 本来はひとまとまりに言ってよいところだ。 そこを“うっかり”区切ってしまったのであろう。 そのような場合、 「わかります」を「わかると思います」などと長くすれば不自然さは避けられる。 しかし、西垣先生はそうではなく、 「わかります」をぶつっと言うのである。
2003-03-29 (6) 20:00:04 +0900
日本の新聞紙上で見かける戦争反対の意見は、 アメリカ合衆国に対し「戦争反対」というのがほとんどである。 首相が米国支持を表明している日本国の新聞としては、 このような立場から発言するのは当然かもしれない。 しかし、イラク政府、イラク国民に対しては、この戦争についてどう発言するのか。 これは、もしも自分がイラク国民だとしたらどうしたらよいのか、 という問いでもある。 「あの時こうしておけば戦争は避けられた」と思うことはたくさんあるだろう。 でも、現に戦争が始まってしまった以上、この戦争をどうするのか。 ただちに投降せよ、というのも一つの選択肢だが。
この問いは、全く架空のものではない。 将来、日本国が最大の力を持った国の一つと対立し、 戦争をしかけられらどうするか。 これは考えておかなければならない問題のはずだ。
2003-03-22 (6) 10:01:42 +0900
出張に出かける直前に書き、 もう少し推敲しようと思ったのでそのままにしてあったものですが、 そのままアップロードします。
2003-03-29 (6) 20:04:34 +0900
「聖書の誤植」にも書いたが、 古い文語訳聖書(1980 年以前の版)の列王紀略下第 21 章から第 25 章では 「エルサレム」を「ヱルサレム」と書いている。 この「ヱ」は「イェ」のような音を表わすつもりだったらしいので このほうが原語に近い音なのかも知れないが、 不統一であることに間違いはない。
google で「エルサレム」「ヱルサレム」を検索してみたが、 このことを記しているページではなかった。
2003-03-21 (5) 19:25:01 +0900
そのあと預言書もぱらぱらと見てみたところ、 「ヱルサレム」ばかり目についた。 旧約では「エルサレム」のほうが例外なのかも知れない。
2003-03-22 (6) 01:42:49 +0900
十月開業の新幹線「品川駅」について聞いて、またそう思った。
2003-03-21 (5) 01:54:16 +0900
広辞苑第五版でひくと
「永遠に同一の系統がつづくこと。多く皇統についていわれた
」
とある。
世襲制をとっている場合、 今から永遠に子孫が続くことを願うのは当然だろう。 そうではなくて、 「日本が統一されてから現在までずっと同一の系統であったこと」 を言っているのだと思っていたが、単なる思い込みだったか。
2003-03-21 (5) 01:50:25 +0900
東京駅発着の列車は品川駅を通らないと誤解していた。
2003-03-21 (5) 01:35:26 +0900
「広島」は旧字体では「廣嶋」だと思ったので調べてみると google で「廣嶋」は約 2260 件、 「廣島」は約 24000 件、 「広嶋」は約 759 件、 「広島」は約 2110000 件。 「廣島」のほうが「廣嶋」より多いのはなぜだろう。 (都市名だけでなく人名も含まれていることに注意。)
「軍都・廣嶋」「平和都市・ヒロシマ」のような書き分け --- 私はあまり意味があるとは思わないのだが --- を見た記憶があるので、 この四語で検索してみたが、4 件しか見つからなかった。
2003-03-21 (5) 01:19:30 +0900
Yahoo! のトップページで「英会話を始めたいあなた」 という広告を見た。 「始めたければ勝手に話し始めればいいのでは?」と思ったら、 英会話学校の宣伝であった。 「英会話の学習を始めたいあなた」の意味らしい。
2003-03-21 (5) 01:05:06 +0900
もちろん、 「長嶋茂雄が外国人に向って『アイ・アム・ロングアイル』と言った」 という“伝説”を書いているページがないか探したのである。
《google で「長嶋 ロングアイランド」を検索したが…… (2002-09-07 (6) 22:51:14 +0900)》参照。 「アイランド」「アイル」っていま一つ“カタカナ英語” として定着していないのかも。
2003-03-21 (5) 00:46:59 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-18 (4) 20:57:30 +0900
字母の名前は本質的でないことだし、 どのつづり方を採用するかによらず慣用を重視することも考えられる。 しかし、できるならその文字の表わす音素を含むほうが覚えやすいだろう。 すると「ツェー」あたりになろうか。 ドイツ語での名称と一致するからそれほど非常識でもあるまい。
でも、これだと「新日本式はドイツ語かぶれだ」 とかいうトンチンカンな反対論も出てきそうだ。
2003-03-20 (4) 23:38:53 +0900
元号を各国で別々に決めるのはやめ、 漢字文化圏全体で共通のものとしたらどうだろうか。 それには、 ある特定の国のできごとをきっかけに改元するやり方を改めなければならない。 国際化の時代だから、 (いわゆる)西暦との換算が容易であることも求められよう。
例えば、西暦の末尾が 01 の年と 51 の年に改元し、 どの元号も 50 年まで、とするのはどうか。
次の元号は公募で決めることも考えられるし、 事前にもれて商標などに利用されるのを防ぐため各国から選ばれた識者が秘密の会議で決める、 ということも考えられる。
十干十二支を考慮すれば、60 年ごとに改元のほうが合理的か。
2003-03-20 (4) 22:59:28 +0900
「集会」の字音かなづかいはは「しふくゎい」だが、 ふだん「集会」と漢字で書きながらカナで書くなら 「しふくゎい」だと覚えろ、というのはむずかしいと思う。
それに対し、sihukwai と書くことが普及すれば見た目から覚えやすくなるような気もするのだ。 英語の不規則なつづりのようなもので。
2003-03-20 (4) 22:50:31 +0900
本文ナシ
2003-03-20 (4) 22:43:46 +0900
私はふりがなにはあまり賛成しないのだが、 どうせ振るなら、単に読みだけでなく、 音読み訓読みの別、熟字訓であるかどうか、 なども表示したらどうだろうか。
仮に音読みはカタカナで訓読みはひらがなと決めると、 「夕刊」には「ゆうカン」と振ることになる。 こうすれば「ゆう」を音読みと誤解されることが減るだろう。 「買春」は「かいシュン」となり、 「売春(バイシュン)」とは由来が異なることがはっきりする。 さらに、漢音、呉音、唐音などの書き分けも考えられる。
「公魚」を「わかさぎ」と読ませるのは熟字訓だそうだから、 普通には振らない。 普通に振ると「公」に「わか」、「魚」に「さぎ」が振られたように見えるが、 そのように覚えるといけないからである。 そうでないことは別に勉強して知っているべきだ、と言うなら、 知っているならふりがなはいらないはずだ、と反論が可能だろう。 一案に過ぎないが、 たとえばカッコつきで「(わかさぎ)」とするのはどうだろうか。
ついでに、字音かなづかいも振ってしまったらどうだろうか。 「像」には「ゾウ」と振り、さらに「ザウ」も振るのである。
2003-03-20 (4) 02:51:42 +0900
金沢駅周辺の町名は複雑なんですね、とメールをくださったかたがあった。
この地図を見ていただきたい。 駅東口と金沢都ホテル、ホテル日航金沢、金沢全日空ホテルなどの間は 駅前広場(一部は現在工事中)があるだけだが、 実はそこは複数の町にまたがっている。知らなかった。 線路に沿って南へ行くと、さらにいろいろな町が複雑にいりくんでいる。
想像だが、 以前はこのあたりは家や通りが複雑に入り乱れていて、 そこをどいてもらって駅前広場を確保したのではあるまいか。 その後、住居表示の変更があったが、ここは家がないのでその必要がなく、 昔の住居表示がそのまま残っている。---
2003-03-19 (3) 23:53:12 +0900
####### ####### ####### ####### ####### # # # # # ### # ### # ### # # # # # # # # # # #######のうちの最初の四文字。最後のはもちろん「正」そのものでよい。
2003-03-19 (3) 23:32:46 +0900
COIN of POWER があるので、 装備できないはずのクラスの者が装備していることがあるのだった。
2003-03-19 (3) 23:24:35 +0900
それとも自分でも鏡を見るまでわからないのか。
また、寝ている間、気絶している間に顔を変えられたのに気づかないことはあるのか?
2003-03-18 (2) 23:10:22 +0900
「温泉でまったりしていただきます」のような句が書かれた旅行の宣伝を見たが、 行ってみると満員で、 「どこがまったりだ」と食ってかかると 「まったりじゃありません、待ったりです」 と言われたりして。
2003-03-18 (2) 00:09:05 +0900
《途中下車して「御茶ノ水」「お茶の水」の書き分け調査をしてきた (2003-03-10 (1) 23:12:26 +0900)》に関連して。
地図と実際とは違ったんですね、とメールをくださったかたがあり、 そのことを書き忘れていたのを思い出した。 前にも書いたように、修正の跡のある表示もあった。 まだ変わりつつあるのかも知れない。
私個人も、むかし手書きでメモをとっていたころは、 こんなに細かい書き分けは気にしていなかったように思う。 いまは検索エンジンがあるし、 手元のメモ・日記も grep で検索できるので、 正確な文字で書きたくなる。 デジタル化の影響、と言えるかも知れない。
「四ッ谷」「四ツ谷」の謎も残っているのだった。
2003-03-18 (2) 00:03:00 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-18 (4) 20:59:12 +0900
今年の四月 7 日が作品中でアトム生誕の日とされているらしいが、 じゃあいまごろアトムのお母さんは大きなおなかをしているんだろうな、 と一瞬思ってしまった。
# アトムはそうやって生まれたんじゃないだろうが>自分
2003-03-17 (1) 23:54:45 +0900
…信じている人はいないだろうか?
2003-03-17 (1) 23:10:05 +0900
本文ナシ
2003-03-17 (1) 23:07:09 +0900
「こんど中学時代の同級生の結婚披露宴に招かれてるんだ」 「それはよかったな」 「スピーチ頼まれてるんで練習してるんだけど、聞いてくれる?」 「いいよ、やってみろ」 「えへん。『弔辞』」 「ばか、それは葬式のときに言うやつだろ、結婚披露宴なら『祝辞』だよ」 「いや、違うんだ、そいつの名前が『兆治』って言うんで、そいつに呼びかけてんだ」
2003-03-17 (1) 22:58:31 +0900
本文ナシ
2003-03-17 (1) 22:41:40 +0900
どうせフィクションだからいいんだけど、 「異姓の兄弟(はらから)」というセリフがあったような気がして、 じゃあ同じ姓になっていたらなんて言ったんだ? と考えて。
2003-03-17 (1) 22:38:12 +0900
15日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」。
《一方、
「悪との戦い」を確言するブッシュ大統領には宗教の影がつきまとう。
信仰心のあついクリスチャンとして知られるが、
9月11日の同時多発テロ以来、その影が濃くなった
》
《……キリスト教右派といわれる人たちの支持を得、
ホワイトハウスでは聖書研究会を開き、
演説では必ずのように神に言及する
》。
同時多発テロのあと、 イスラム教は危険な宗教だとの偏見が広まりかかったときには “一般のイスラム教徒は普通の人ばかり” といった記事が載ったように記憶しているが、 キリスト教の場合はどうなのだろう。 読者に知識があるからこれで十分、と考えているのだろうか。
2003-03-16 (0) 01:28:36 +0900
わが家の風呂は追いだきができないので、 冬には最後にはいるとあまり暖かくない。 熱いお湯を足したりもするが、 ずっとつかっていればお湯の温度は下がる一方だ。 だから早く出て身体を洗うほうが賢いのだが、 洗い場よりは湯ぶねの中のほうがまだ暖かいので、 なかなか出られない。
そんなとき、「あと30数えたら出よう」と決めることがある。 子どものころ「肩までお湯につかって30数えるまで暖まりなさい」 と言われたのと全く逆なので思わず苦笑する。
2003-03-16 (0) 01:19:00 +0900
昔、テープデッキのヘッドを消磁するための 消磁器(「消磁機」と書いたかもしれない)という機具があった。 先をヘッドに近づけてからスイッチを入れるとかなり強い磁気が発生する。 スイッチを入れたままヘッドから数十センチ離し、 それからスイッチを切れば完了である。
その消磁器を、正直者が沼に落としたらどうなるだろうか。 沼の精が現れ、 「あなたが落としたのはこの金の消磁器ですか」 「いいえ、違います」 「あなたが落としたのはこの銀の消磁器ですか」 「いいえ、違います」 「では、あなたが落としたのはこの消磁器ですね」 「はい、それです」 「あなたは正直だから……」 「いいえ、私が消磁器なんじゃなくて私が落としたのが消磁器なんです」 「だから、あなたは正直だから……」 「そうじゃなくって、……」
2003-03-15 (6) 22:47:11 +0900
2022-11-20 (0) 16:33:05 +0900
15日づけ朝日新聞大阪本社版第一面 「実名に似た仮名報道 / 少年法に抵触せず / 最高裁判決」。
二審判決は、 「実名に似た仮名を使ったことなどから、 男性と面識のある読者や地域の読者は、 犯人だと容易に推測できる」と指摘。 加害者側が推測できるような記事の掲載を禁じた少年法61条に反すると述べ、 この点だけから結論を導いていた。 第二小法廷はこれについても付言。 「男性を特定できる事項の記載はないから、 記事によって、 不特定多数の一般読者が男性が犯人だと推測できるとはいえない」 とし、記事は同条に違反しないと判断した。
本名を「仮名」として報道した場合、 この議論だとやはり違反しないことにならないだろうか。
付) 訴えが起こされたときのことは記憶にないが、 この訴えを行なうことで使われた仮名が本名に近いことを自ら明らかにしてしまう、 という面もあっただろう。
2003-03-15 (6) 22:42:50 +0900
京都の3高」
15日づけ e5 面、日野原重明氏の連載の中。 (旧制)第三高等学校のことだ。
2003-03-15 (6) 22:29:10 +0900
本文ナシ
2003-03-15 (6) 19:46:51 +0900
そもそもそういう言葉はなかったのだから。
2003-03-15 (6) 19:37:26 +0900
14日づけ大阪本社版総合面「きしむ世界」の最後のほうに
《仏独は体を張って欧州の世界観を守ろうとしている
》
とある。
これを「ドラクエの世界観」のような今風の意味に理解するのは誤解であろう。
筆者はヨーロッパ総局長の外岡秀俊氏。
2003-03-15 (6) 02:36:01 +0900
9日づけ朝日新聞大阪本社版社会面
「訪米の成果「想像以上」 / 拉致家族会帰国」に
《「どの方も親身になって考えてくれた。
アメリカでは拉致がテロと認識されている。
日本政府にも認識を聞きたい」と話した
》
とあるが、
「テロ」は英語では terror または terrorism であろう。
COD で terrorist をひくと
a person who uses or favours violent and intimidating
methods of coercing a government or community
とあるが、これにはあてはまるだろうか?
《同時多発テロ>「テロリズム」の意味がずれてきていないか? (2001-09-21 (5) 01:18:38 +0900)》参照。
2003-03-15 (6) 01:35:23 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-18 (4) 21:01:00 +0900
大学入学資格をめぐって「民族学校」 という言葉がまた新聞紙上で見られるようになったが、 定義がよくわからない。 日本の公立学校は主として日本民族の子が通い日本語で教育が行われるが、 「民族学校」に分類されるんだろうか?
2003-03-15 (6) 00:30:37 +0900
いわゆるホームページはここ。 「エミナンス」でないところが興味深い。
2003-03-15 (6) 00:20:35 +0900
先日、 下校途中の小学生が電話ボックスから出られないでいるのを救出してやった。 扉は折れて開くので、どこを押したら(あるいは引いたら) 開くかわからなくなってパニックになっていたらしい。
「寄り道しないで帰りなさい」と言っておいた。
2003-03-14 (5) 19:34:10 +0900
建物の入り口に 「ここから先は禁煙エリアなのでもしもタバコを吸いながらここに来てしまった人はタバコを消してこの灰皿に捨ててから進んでください」 という趣旨で灰皿がおかれていることがあるが、 それをそこでの喫煙が奨励されているとカン違いして喫煙する人がいると、 せっかく禁煙になっているエリアなのにそこへ出入りする際にタバコの煙を吸わされることになる。
それを防ぐにはどうしたらよいだろう?
その灰皿の置いてあるあたりでは火が燃えないように酸素を減らしておく、 なんてのはダメだよね?
2003-03-14 (5) 19:26:03 +0900
矢内原忠雄「聖書講義 VIII」には 黒崎幸吉編「旧約聖書略註 中」の中で矢内原先生が担当された 「約百記略註」が収められている。 文語訳をすべて取り込み、割注などで注を加えたものだ。 原文にはない句読点が補われているのが特徴で、読みやすさは相当に異なる。 文字の使い方や送りがなはときどき違っているようである。
「聖書講義 VII」の「イザヤ書註解」も同様である。
凡例に
「現行訳に用ひられて居る漢字の中、
目下普通に使用せられない種類のものは、
之を普通に使用せらるる文字に書き改めた。
又動詞の語尾の変化する部分は、
現行訳にては振仮名を以て表して居るけれども、
之を本文の中に入れる事とした
」とある。
2003-03-13 (4) 02:58:21 +0900
昔は花見の際に少しぐらい枝を折って持って帰ってもよかったらしい。 現在では鉄道や自動車が発達したため、 はるか遠くから花見にきている人がいる。 みんなが一本ずつ折ったとしても、あっと言う間になくなってしまうだろう。
では、自宅から歩いてきた人だけには折ることを許可したらどうだろう? うまくゆかないとは思うけど。
2003-03-13 (4) 02:54:59 +0900
前に massangeana 氏に調べてもらった結果からすると、 ある年の三月が別の年の四月にあたることもある。 だから、季節感は年によってかなり変わる、と言えるだろう。
2003-03-13 (4) 01:12:32 +0900
「シャンプーの際は頭髪だけでなく地はだもよく洗いなさい」のように、 頭髪に覆われている部分の皮膚という意味もあると思っていたが、 辞書に出ていない。
2003-03-13 (4) 00:57:36 +0900
「低高高高高低」と発音しているようだ。 私自身は「高低低低……」と発音していると思う。
2003-03-13 (4) 00:49:46 +0900
本文ナシ
2003-03-13 (4) 00:46:56 +0900
そうではなく、描かれているのは“自分”である。 そうやって描いた自画像をモデルに描いた絵が本来 「自画像」という題になるべき絵である。
「自画像」は絵のタイトルではなく、ジャンルというべきなのだろう。 「風景画」のように。
2003-03-13 (4) 00:44:20 +0900
昨日、(昼の)12 時の直前に 117 を利用する機会があった。 たいていは「午前 11 時 59 分 50 秒をお知らせします」のように言うのだが、 12 時ちょうどは「正午をお知らせします」と言っていた。 当然、0 時はどうだろうと思ったのだが、今夜は調べ忘れた。
2003-03-13 (4) 00:29:09 +0900
「午前零時ちょうどをお知らせします」だった。 (これは聞いてすぐにメモしたが、 上のはあとから思い出して書いたもの。)
2003-03-20 (4) 00:02:37 +0900
きょうまた、左手で字を書くのが上達した。 ふっと力が抜け、筆圧が弱くなったのである。 そして、右手と同じような字が書けるようになってきた。
2003-03-13 (4) 00:00:25 +0900
作品中に出てきたのは地球にきた一人と母星(?) にいる一人だけで、三つの顔を見せたのは前者のみである。 しかし、もしも
付: Google で検索してみたところ、顔の表情でジャンケンをするのを 「顔拳」としているページがあった。
2003-03-12 (3) 20:55:53 +0900
兼六園の小立野口を出たところのT字型の交差点は下のようになっている。
| | |===|B 兼 | +------ 六 | → 小立野 園 | +------ |===|A | |「===」が横断歩道である。 先日、私はA地点からB地点へ渡ろうとし、 ここに横断歩道がないことを思い出した。 少し右に行けば押しボタン式信号機のついた横断歩道があるのだが、 その信号は押してから変わるまでにずいぶん時間がかかるのだった。
体力を温存しようとしていたこともあり、 信号が青になるのを待って横断歩道を左へ渡った。 次の青で上の横断歩道を右へ渡ればいいや、と考えたのである。 左へ渡り終えて地図の上のほうへゆっくりと歩き、 上側の横断歩道のところでぼんやりとB地点を見たら、 信号はまだ青である。 そこで横断歩道を渡ったが、B地点についてもまだ信号は青だった。
ということは、A地点とB地点の間を行き来するには 一度の青でコの字型に渡ればいいのだ。 だったら、そのむね、書いておいてほしいな、という気もする。 これが可能になるのは、青の時間が十分に長いからで、 それは初めてきた人にはわからないからだ。 (私はちょくちょく通っているが、 この渡り方はしたことがなかったので、 気づいていなかった。)
2003-03-12 (3) 02:09:30 +0900
11日づけ大阪本社版社会面
「名古屋刑務所暴行死 直後に報告 / 法務省、不審さ放置」
に《「「不審な死」と把握していたことが
》とある。
2003-03-12 (3) 01:53:31 +0900
11日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「江戸400年 四話 その1」に
「江戸時代の地名を復活させようという動きも全国に広がっている。
金沢市でも主計(かずえ)町など三つの町名がよみがえり
」とある。
2003-03-12 (3) 01:50:32 +0900
11日づけ朝日新聞大阪本社版文化面、
宇野功芳氏「商業主義の極まりに抗して / クラシック音楽の衰退を憂う」。
《往年の大指揮者フルトヴェングラーは、
すでに1930年、
レコード用の傷のない無難な演奏がコンサートにも進出してきたことを警告している。
ミスを恐れず、
存分に自己を表現した演奏と、
ミスを恐れて守りに徹した演奏のどちらが面白いか、
言うまでもあるまい
》。
「コンサートでは CD とは別のスタイルでやりますよ」 とアピールしたらどうだろう。 そうすれば、それはそれで客を呼ぶのではないだろうか。 ポップスなどでは、 「ライブでなければ見られない何か」 があってそれがコンサートに客を呼んでいるはずである。
2003-03-12 (3) 01:44:18 +0900
11日づけ大阪本社版「ほがらか」面下の《「ドラえもん」25年目》。
「アニメ化のさい、藤子氏は「嫁に出した」と語ったというが、
制作スタッフが最も気をつけているのは原作の世界観を守ることだ
」。
「世界観」の本来の意味は広辞苑第五版などを参照。 それが「架空世界の設定」 ぐらいの意味に使われるようになったのは家庭用ゲーム機で RPG が普及してからだと思う。
付) タイトルに「また」と書いたが、 前のは取りのけておいたもののまだここには書いてないようだ。
2003-03-12 (3) 01:36:54 +0900
世界にはただ一つの神が存在すると考えるのが「一神教」で、 複数の神が存在するが自分たちが崇拝するのはこの神だけと考えるのが 「唯神教」、と読んだ記憶がある。
2003-03-11 (2) 23:51:32 +0900
「春分」を一年の初めとしたら科学的ではないかと考えたことがあるが、 うるう年の入れ方が規則的になるとは限らないのでうまくない。 しかし、仮にそうしたとしよう。
「春分」とはある瞬間であり、地球上全体に同時に訪れる。 たとえば、理科年表によれば 1999 年の春分は日本時間の 3 月 21 日 10 時 46 分だった。 だからその年の初めは現行の暦の 3 月 21 日 となるが、 世界中でそうなるわけではない。 アメリカ大陸では春分は(現行の暦での)その前日に属するので、 3 月 20 日が年の初めになってしまう。
しかし、それでもいいことにすれば、それでいい。 その年は「アメリカ大陸のほうが日本よりも時刻が進んでいる」 となるのである。
ここのしくみを、最初から述べれば、次のようになろう。 現在では、各地域の決めている UTC との時差は実数である。 例えば日本は「9 時間進んでいる」のように。 それを、modulo 24 時間で言うようにする。 すると、日本は「9 時間進んでいる」とも「15 時間遅れている」とも言える。 こうしておいて、 各地域はそこのローカルタイムで春分が属する日を一年の初めとするのである。 これだと、現行の「12 時間進んでいる」と「12 時間遅れている」は同じことになる。 そして、どこが一番時刻の進んだ地域であるかは毎年変わる。 日付変更線も毎年変わることになる。 平等であり、変化があっておもしろい(と思う人にはおもしろい)。
でも、これだと国内に日付変更線が通って 23 時間の時差が生じることもあるから、 ダメだ。
付) 秋分でなく春分を一年の初めとするのは南半球差別かもしれないが、 それは別の機会に論じることにしよう。
2003-03-11 (2) 19:41:00 +0900
9日づけ大阪本社版読書面「いつもそばに本が」は犬養道子氏。
大部の書物とは、 (1) ヘブライ・アラム両語の『ビブリア・ヘブライカ』(旧約聖書)。 (2) 西暦紀元前二世紀にエジプトのアレキサンドリアで、 ジェルサレムからの七十人によって訳された『七十人訳』(ギリシャ語旧約)。 (3) 一九六二年N・アラン編集版の『新約聖書』(ギリシャ語)。
((1), (2), (3) は実際は丸囲みの 1, 2, 3 である。)
まずひっかかったのが「ヘブライ・アラム両語の」である。 旧約聖書の原文はほとんどがヘブライ語で書かれており、 アラム語の部分はごくわずかだ。 それを「ヘブライ・アラム両語の」と言うと、 「ヘブライ語・アラム語対訳の」の意味にもとられかねない。 普通は「ヘブライ語の」とするところではないか。 また、ここには「原文」の語がない。
次の「七十人によって訳された」は伝説であろう。 私はそう読んだ記憶がある。 ジェルサレムはエルサレムあるいはイェルサレムのことだろうか。
次の「N・アラン編集版」は最初うっかり 「ああ、Nestle-Aland のことね」と納得してしまったが、 Aland のファーストネームが Nestle なのではない。 Aland は Kurt Aland と Barbara Aland であり、 Nestle は Eberhard Nestle と Erwin Nestle である。 それと、「編集」が正しいかどうか。 岩波版は「校訂」としている。
また、二重カギカッコ、小カッコの中にはいっているものが統一されていない。 (1) で「『ビブリア・ヘブライカ』(旧約聖書)」、 (3) で「『新約聖書』(ギリシャ語)」はおかしい。
なお、
あとのほうに
「共同現代語訳の仏語版は七二年完成〈邦語版一部は七五年、
全巻は七八年〉
」とあるのは新約だけを指しているらしい。
最初には、上に引用したように、旧約の底本もあげてあるのでまぎらわしい。
日本の新共同訳から推測すると、
七十人訳はいわゆる旧約続編の底本としてだけ使われていると思われる。
岩波版の旧約聖書はヘブライ語原文を底本とし七十人訳との違いを注にしているが、
それと比較してみると TOB はヘブライ語原文から訳しているようである。
2003-03-11 (2) 02:37:42 +0900
付)人名のつづりに間違いがあったので訂正した。
2003-03-11 (2) 19:17:48 +0900
ネットサーフィンしていて Wikipedia の「犬養毅」から 「犬養道子」に至り、聖書学を学んだ人だと知って、驚いた。 聖書は専門外でこういう書き方になったのだと思っていた。
2011-08-12 (5) 01:00:22 +0900
東京出張の帰り、 少し時間ができたので途中下車して 「おちゃのみず」の文字づかいを調べてきた。
JRの駅名はもちろん「御茶ノ水」である。 水道橋よりの出口を出たところのバス停に書いてあった案内は 「地下鉄お茶の水駅→」。 道路の向こうに見える交番には「お茶の水交番」と書いてある。 この交差点には交差点名が書いてない。 バス停は「御茶ノ水駅前」。 神田川にかかっている橋は「お茶の水橋」、 その橋を渡った先の交差点名は「お茶の水」。 右に曲がって地下鉄丸ノ内線の駅は「御茶ノ水」。 そのそばの道路標識(っていうのかな、どこそこへ行くにはこっち、みたいなの) には「J.R.御茶ノ水駅」とあったが、 「御」と「ノ」には重ね貼りした訂正のあとがあり、 「ノ」の下からは「の」らしい文字が見えていた。 戻ってJR駅の南側を通り、聖橋口へ。 地下鉄千代田線の駅は「新御茶ノ水」だった。
調べ忘れたのは、 JRのホームなどにあると思われる出口案内の「お茶の水橋口」の表記と、 地図によると聖橋の上にあるらしい「御茶ノ水駅東口」のバス停名だ。
2003-03-10 (1) 23:12:26 +0900
字句の解釈に拘泥して本質的でない議論に陥っている論争を 「神学論争」と比喩的に呼ぶことがあるが、 「宗論(しゅうろん)」とはあまり言わないのはなぜだろう。
2003-03-10 (1) 22:49:05 +0900
「物理学者」の「学者」をとって「屋」をつけるのだから、 「数学者」は「数屋」となろう。 同様にして「哲学者」は「哲屋」、「化学者」は「化屋」。
2003-03-10 (1) 22:44:00 +0900
本文ナシ
2003-03-10 (1) 22:36:33 +0900
本文ナシ
2003-03-10 (1) 22:34:42 +0900
だからどうってことはないのだが、 小さい子どもは「『おなら』が『びー』」とか言っておもしろがるかもしれない。
2003-03-10 (1) 22:32:22 +0900
6日づけ朝日新聞大阪本社版のテレビ面「BS アングル」
《TV番組で知った朗読の妙》に
「カナ交じりの文語体で書かれた原作を読んだ村上は
」とある。
筆者は山内浩司氏。
最初、 カナは混じっていて当たり前で、 混じっていなかったら漢文じゃないか、と思ったが、 実は漢字とカタカナで書かれた文語文のことなのではないか、と気づいた。 そう思って見れば題名は「戦艦大和ノ最期」だった。
2003-03-06 (4) 21:45:59 +0900
5日づけ朝日新聞大阪本社版の広告特集「専修学校特集」
にイラストレーターの カンバラ クニエ さんが出ているが、
経歴に「1987年、京都生まれ。岡山大学農学部卒業
」とある。
現在は 15 歳か 16 歳だ。
経歴のほかの部分と「談」とを合わせると、
12 歳のときのほうが大学3年生だったときよりもあとになる!
2003-03-06 (4) 21:37:59 +0900
Google で検索してみたところ、生誕年を 1978 年とするページもある。 それなら別に不思議はないが……。
2003-03-07 (5) 00:44:02 +0900
14日づけの広告に訂正(とおわび)が出ていた。
2003-03-15 (6) 02:47:52 +0900
5日づけ朝日新聞大阪本社版第一面の研究社「新英和大辞典」の広告に 《全面改訂 第6版 好評重版出来》とあった。 あの辞典はかなり重い。
重い版というのは表紙に鉛がはいっている特別の版で、 ただひいているだけで筋力がつくもの。なーんちゃって。
2003-03-06 (4) 21:30:54 +0900
《北鉄バス貼り紙の「武蔵ヶ辻 <=> 香林坊間のみの乗降に限ります」 (2002-08-23 (5) 01:07:47 +0900)》に関連して。 車内に流れる録音のアナウンスは 「武蔵ヶ辻と香林坊間で御利用の方の運賃は百円となっております」 と言っていた。 昨年九月 24 日のメモ。
「AとB間(かん)」という言い方は普通でないように思うが、どうだろうか?
2003-03-06 (4) 19:19:39 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-18 (4) 21:03:29 +0900
本文ナシ
2003-03-05 (3) 22:54:50 +0900
本文ナシ
2003-03-05 (3) 22:31:30 +0900
本文ナシ
2003-03-05 (3) 22:28:35 +0900
福袋は買わないことにしてるから私はいいけど。
2003-03-05 (3) 20:22:09 +0900
面接試験でよく聞かれる質問と、それに対する誤った解答を集めたもの。
2003-03-05 (3) 20:19:52 +0900
本文ナシ
2003-03-05 (3) 20:18:10 +0900
本文ナシ
2003-03-05 (3) 20:15:39 +0900
中秋の名月は旧暦八月 15 日と決まっているが、 新暦では 32 日の範囲を動くそうだ。 massangeana 氏が調べてくださったところによると、 旧暦のm月 1 日は新暦では約 1 か月の範囲を動く。 よって、m月d日も同じぐらいの範囲を動く。 中秋の名月は、 年によってまだ暑さが残っていたり、かなり寒くなってからだったりする。 それと同じぐらいの範囲を動いてしまうのだから、 「旧暦の季節感」というのはかなりあいまいだと思う。
2003-03-05 (3) 20:08:08 +0900
「旧暦」を、 よく理解せずに何かすばらしいものだと思い込んでいるように見える人もいる。 「旧かなづかい」についてははどうだろうか。
2003-03-03 (1) 22:10:31 +0900
本文ナシ
2003-03-03 (1) 21:27:44 +0900
佐鳴予備校「サナル春期講座」のチラシが新聞にはいってきた。
新・中1の「数学」のところに
「方程式とは、未知の数を求める計算の方法
」
とあるのを見て「ウッソー」と叫んでしまった。
(少なくともそう叫びそうになってしまった。)
方程式とは、
岩波国語辞典第三版にあるように、
「ある特定の変数の値についてだけ両辺が等しくなる等式
」
のことだろう。
「方程式そのもの」と
「方程式を解くこと、および方程式を解くことで問題を解決する手法」
とが混同されているのだ。
と思ったら、 すぐわきの小見出しには「方程式を解いてみよう」 とあるのでわからなくなってしまった。 全文を引用したほうがいいだろうからそうする。
●方程式を
解いてみよう方程式とは、未知の数を求める計算の方法。
中1から始まる方程式の解き方にまずは
慣れてみよう。●方程式を
作ってみよう題意に則した未知の数を求めるのが、本
来の方程式の意味。文章題から方程式
を解くまでの道筋をたどってみよう。
ほかの科目も見てみると、英語には
「英語圏への扉を開け!
」とあるが、
内容は中1の1学期程度の英語なので、
英語圏の文化にふれたりするところまでゆけるとは思えない。
よくわからない。
「英語の世界への……」というぐらいのつもりだろうか。
それはともかく、いわゆるひとつの「勝利の方程式」 の心理が少しわかったような気がした。
2003-03-03 (1) 20:06:41 +0900
土曜日の夜、某国立大学近くのバス停でバスを待っていたら、 「いままでは一週間あったのに今年は6日だからきびしい」 「できている答案は採点できるけれど、 できていないのはどう点をつけたらよいものか」 「(変な答案があると)そういう言い方ができるのか調べてみたりするけどね」 などと話している人たちがいた。 その6日を、曜日を言いながら数えているのを聞いたら、 先日の国公立大学の入試の翌日から数えていた。 それらから推測して、その人たちはその国立大学の英語の試験の採点者なのでは、 と考えたのだが、それはどうでもよい。
「できている答案は採点できるが、できていない答案は採点できない」 というのは、おかしい。というか、それでは困る。 できている答案とできていない答案の区別をするのが採点だろう。 しかし、昔、予備校の模擬試験の採点をしたときのことを思い出してみたら、 それにも一理あると思い始めた。
たとえば、 「……のグラフと直線……と……(k は定数)とで囲まれる図形を x 軸の回りに回転させて得られる立体の体積を V(k) とするとき、 V(k) を k の式で表わし、その最大値を求めよ」 というような、 大学入試ではスタンダードな問題が模擬試験に出たとしよう。
予備校は、アルバイトの採点者に次のような採点基準を作って配る。 「……と……の交点の座標が求まって*点、 囲まれる図形が図示できて*点、 V(k) の式に*点、 不定積分に*点、 定積分が求まって*点、 k で微分して*点、 増減表が書けて*点、 最大値とそのときの k の値に*点」。
そして、採点してみると、 満点の答案は少なく、3〜4割ぐらいの得点のものが最も多く、 白紙もある、といったところになったように思う。 大学入試は得点の多い方から定員までとるから、 点数がばらつくほうが望ましいので、 そのように問題もできているし、採点基準もできているのであろう、と推測される。
しかし、上のような問題で、 「V(k) を k の式で表わし、その最大値を求めよ」 と言われているのに V(k) の式がかろうじて書けたところまでの答案を採点する意味があるだろうか。 確かに、 得点をばらつかせるためにはそのような答案にもそれなりの得点を与える必要があろうが……。 また、異なる解法で途中まで解いた答案を公平に比較できるものだろうか。
一方、 「〜について1600字以内で論ぜよ」という小論文について考えてみると、 600字しか書けなかったら初めから採点の対象にならないだろう。 音楽の試験で課題曲を演奏する場合には、 とにかく最後まで弾いた受験者だけが採点の対象になるだろう。 体育で*メートル泳げという試験も、泳ぎきらなければ問題外だと思われる。
すると、数学の答案でも、 とにかく最後の答えにまで到達している答案だけを採点する、 というやり方も考えられないわけではない。 少し前から、 基本的な問題しか出題しないけれどそれらができないものには入学を許可しない資格試験のような入試はできないか、 とおぼろげに考えているのだが、 それだったらそういうやり方も可能だ。 ただし、それには上のような問題ではむずかしすぎる。 例えば、関数を具体的に与えておいて、 グラフを書いて軸とグラフとで囲まれる図形の面積を求めよ、 というぐらいならいいだろう。 一応書けている答案だけを採点し、 「少々の欠点はあるが全体として合格点に達している」 と認定される答案とそうでない答案とを区別するのが採点、となるのである。
2003-03-02 (0) 01:50:39 +0900
新共同訳の「ヨハネの手紙一」「ヨハネの手紙二」「ヨハネの手紙三」の略語を 「一ペト」「二ペト」「三ペト」と間違えていたのを訂正した。
2003-03-01 (6) 19:50:35 +0900
聖書が地球外の生物にも読まれるようになると、 ソロモンの“大岡裁き”(列王記上 3.16-)には 「地球人は刀で二つに切ると死んでしまう」 と注をつける必要が生じるかもしれない。 切られると二つの個体に分裂するゼリー状の宇宙人もいるだろうから。
2003-03-01 (6) 19:43:31 +0900
入学後、日本語を聞き取る力が重要なことはいうまでもあるまい。 それよりも必要度の劣る英語のヒアリングは課しているところもあるが、 日本語のヒアリングテストをしているところは皆無ではあるまいか。
授業の際に(日本語で)話した簡単なことが伝わっていない、 という経験は最近ときどきある。
2003-02-27 (4) 23:53:56 +0900
見出しに、「文語訳(1982 年)」のような「版」を必ず入れるようにした。 そうでないと、 新しく書いたものを挿入する際に挿入すべき場所を間違える可能性がある。 現にいくつか違っていたので直しておいた。
付)最近追加した項目もあります。
2003-02-27 (4) 23:28:52 +0900
いまの季節に大学の事務室へはいってゆくと、 学生の提出したレポートが返却待ちで積まれていることがある。 「自分のを持っていってください」 と貼り紙されたカゴにはいっていたりするのである。
なにげなく見たところ、一番上のはワープロ打ちで、 「優希望」と書いてあった。 まさか学生が「『優』を希望します」と書いて出したりはしないだろうから、 名前だろうと一瞬思ったが、名前は別に書いてあった。 やはり「『優』を希望します」なのだろう。
「最近の学生はこんなことを書いてくるのか」と嘆かわしい気持ちになったが、 教師のほうで「あとはレポートを出せば『良』です。 『優』を希望する人は表紙に「優希望」と書いて出して書いてください。 そう書いてあるレポートはよく読んで成績を決めます。 『優』に値すると判定したら『優』をつけますが、 『良』のままかも知れないし、 『可』と判定されたら『可』に下がります」 などと言っているのかもしれない。 何百通ものレポートが出たら、 とても全てを精読できるものではないと思う。
そう考えたあとで、 でも「優希望」が人名だったらおもしろいだろうな、 と思っただけの話である。
注)大学の成績はよいほうから順に「優」「良」「可」「不可」 のところが多い(と思う)。
2003-02-27 (4) 20:19:28 +0900
google で「優希 望」 を検索するとかなりの数のページがひっかかるのであきらめていたが、 単純に「優希望」にしたらぐっと少なくなり、 中にこれをペンネームにしていると思われるページがみつかった。
2003-02-28 (5) 20:10:40 +0900
「思う」は普通 /omo:/ と発音されるがローマ字では omô でなく他の五段動詞に合わせて omou とつづる。 じゃあワ行の五段動詞はみんな /-o:/ と発音されるかと言うとそうではなく、 というところから考えてみた。
「乞う」などもそうか。
2003-02-24 (1) 19:36:34 +0900
《「かまの中に、たべると死ぬものがはいっています」 (1999-07-09 (5) 18:38:14 +0900)》 に書いたように、 直訳すれば「鍋に死が!」となるらしい。
鍋西さんもそこにいた預言者の一人、とでも考えてほしい。
2003-02-24 (1) 19:23:44 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-18 (4) 21:05:34 +0900
ヱレミヤ 12.5 の「歩行者」には「かちのもの」とふりがながある。 この漢語を知らない人に和語で説明しているのかもしれない。
2003-02-21 (5) 02:44:47 +0900
21.1「これ前(さき)の天と前(さき)の地とは過ぎ去り」と 21.23「都は日月(じつげつ)の照(てら)すを要せず」から、 太陽も月もないのだとカン違いしていた。 そうは書いてない。
もしも月がないとしたら 22.2 の「その實は月毎に生じ」の 「月」はどうやって決めるのだ? (もちろん、別の方法で決めてもよいのだが。)
2003-02-21 (5) 02:42:57 +0900
…するものがある。渡辺護氏のもので、カラヤンの 1985 年録音盤の CD もそうだ。 しかし、実際には合唱のテノールが歌っている。 音楽之友社のスコアによれば、初版では独唱が歌うことになっていたらしい。
Sanctus のところには
「カラヤンはアレグロ・ペザンテ以下の独唱部を合唱で歌わせている
」
と説明が加えてあるのに。
2003-02-21 (5) 01:47:51 +0900
年輩の人はフタの裏についたものから食べ始めることが多いというので。
2003-02-20 (4) 21:08:21 +0900
どっちが長いほうを取っても願いごとはかなわなかったことになるわけだ。
おばあちゃんと孫とかだとこういうこともあるのでは。
2003-02-20 (4) 21:06:52 +0900
《BIGLOBE にホームページ開設を申請した際のカン違いによる騒ぎについて (1999-08-04 (3) 18:36:00 +0900)》の中で、 「該当」を「概当」と間違っていた。 メールで指摘してくださったかたがあり、訂正した。
当時どうやって日本語入力をしていたのか、もう思い出せない。
少しあとの
《いままで私はどのようなやり方でホームページを作成してきたか
(1999-08-26 (4) 02:41:00 +0900)》に
「長い原稿は 98 上で Vz + 自家製 FEP で書くが、
短いものだと Win95 や WinNT の「メモ帳」で済ませてしまうこともある
」
とあるので、ここは自家製 FEP を使って T コードで入力したのだろうか。
「概」は T コードにあるが「該」はない。
もしも T コードで入力したのだとしたら、
私が文字を間違えて記憶していた、ということになろう。
2003-02-20 (4) 00:49:35 +0900
上のリンク(二箇所)はいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-18 (4) 21:08:20 +0900
ふりがなは「いころし」だが、 引照つきはここもふりがななしである。
2003-02-19 (3) 01:57:02 +0900
訓読みで問題になるのは送りがなである。 最初に訓読みが考え出されたときには、 かなはまだなかっただろうから、送りがなはなかったと思う。 江戸時代や戦前のものを読むと、送りがながいまより少ない。 戦後、送りがなは多くなったが、最近また少し減ったように感じる。 要するに、送りがなにはいろいろなやり方があって、 “これぞ決定版”というのはむずかしい、ということだろう。
では、思い切って、訓読みのときは全部送りがなにしてしまう、 としたらどうだろうか。 「美しい」ではなく「美うつくしい」と書くのである。 最初は変に感じるが、慣れれば問題ないはずだ。 ふりがなが不要になる、というメリット(?)もある。
ただし、この字を音読みしてはいけない、という記号が必要になるかもしれない。
2003-02-19 (3) 01:50:08 +0900
18日づけ朝日新聞大阪本社版文化面「eメール時評」
は神戸女学院大教授の内田樹氏「漢文消えて失うものは」。
私大入試の「国語」から漢文が消えつつあり、
センター入試からもそのうち消えるだろう。
負担軽減もいいけれど、その代わり失われるものが大きいのでは、
という趣旨だが、
その失われるものの例としてあがっているのは落語に
「李下(りか)に冠を正さず、
瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず
」
といった句のもじりが出てきてもわからなくなってしまうだろう、
ということだった。
それだけだったら、漢文を教えなくても教えることは可能である。 上に書いたとおりに書いてみせて、それを教えればいいのである。 そうすれば、やや古風な言い方ではあるが、 日本語の知識だけで理解させることができる。 漢文はいらないのである。
「漢文を学ぶ」が何を意味するかは人によって違う、ということだろう。 私の考えでは、それは 「古典の原文に直接あたった」 という経験である。 だから、 「瓜田不納履、李下不正冠」という文字列にふれさせなければ意味がないと思う。
2003-02-19 (3) 01:36:55 +0900
18日づけ朝日新聞大阪本社版総合面「時時刻刻」に構造改革特区の件が出ている。
表の一番上にあがっているのは「サマータイム特区」だ。
提案主体は札幌商工会議所、
内容は「4〜9月の間、
2時間時計を早めるサマータイムを導入し、
経済活性化を図る
」となっている。
しかし、一部の地域だけでやって効果があるだろうか。 テレビ番組、とくに野球のナイター中継は早くならないわけだし、 法律の整備、特区内と外とを結ぶ交通機関のダイヤの問題など、 めんどうなことばかりだ。 時計は早めず、「いつもより2時間、早寝早起きしましょう」 のほうがいいのではないだろうか。
付)2時間早めるのは英語では「double summer time」と言うようである。
2003-02-19 (3) 01:07:53 +0900
18日づけ朝日新聞大阪本社版の「ひと人生」あるいは「惜別」 の欄に多田智満子さんというかたが出ている。名前は「ちまこ」と読むそうだ。 初めて見聞きする名前だ。
2003-02-19 (3) 01:01:07 +0900