すのものの「いろいろ」(その113)

ビニールのソファーにゴールドスタイン「古典力学」を置いたら張りついた

吉岡書店から出ている翻訳。 ほんの二三日のあいだ置いておいたら、箱のカバーがはりついた。 職場での話。

2005-01-11 (2) 00:38:00 +0900

南半球の上弦・下弦が北半球と反対側になっているサイトを発見!

http://www.wunderground.com/US/IN/Bloomington.html と、そこから「あがってさがった」ところにあった http://www.wunderground.com/global/stations/94868.html とで月相を比べると、 前者では First Quarter で月の右側が、Last Quarter で左側が光っているのに対し、 後者 (Melbourne) では逆になっている。

しかし、元になっている月の写真は同一のままなので、 北半球と南半球とで違う側が光っているような誤解も生じかねない。 これは単なる手抜きか。

付) そのページは、(Internet Explorer では) 「ツール」「インターネットオプション」「言語」 で言語を変えるとデフォルトで表示される言語が変わる。 インターネットでは世界中の人が同じものを見ている、 と思うと大間違いのことがあるわけだ。

2005-01-11 (2) 00:32:36 +0900

回文>「株式数、薄き渋か」(かぶしきすううすきしぶか)

意味はよくわからない。 少し前の殴り書きのメモに「株式数」とだけあったので、 回文を思いついたのだったかな、と。

2005-01-10 (1) 23:08:59 +0900

回文>「いさ、イチゴ小さい」(いさいちごちいさい)

「いさ」は感動詞。

2005-01-10 (1) 23:04:51 +0900

回文>「煮込みうどん、どう、皇子に?」(にこみうどんどうみこに)

本文ナシ

2005-01-10 (1) 22:26:55 +0900

回文>「廃線制覇」(はいせんせいは)

「廃線」は、「敗戦」「配線」「廃船」などの同音の漢語で置き換え可能。

2005-01-10 (1) 21:09:04 +0900

佐鳴予備校では《他の惑星に対し傾きをもって公転》というのか……

けさの新聞に佐鳴予備校の 「3月入学生受付中」のチラシがはいってきた。 その第二面。 「映像体感型授業 See-be」というのが一つの売り物らしい。 そのうちの、冥王星について説明した画面に 《他の惑星に対し傾きをもって公転》 とあるが、これで意味がわかるだろうか。

公転面が他の惑星のそれに対し大きく傾いている、 ということを言っているのだろうが、 仮に「公転面」という言葉が教科書に載っていなくても、 必要なら使って教えるべきではなかろうか。 「公転」と「面」を合わせただけなんだから。

付:「行列式」は「行列」と「式」を合わせたものではないから注意。

付:1999 年版理科年表を見ると、「軌道傾斜」という用語がこれに当たるようである。 ネットで調べたところでは、「公転面」よりも「軌道面」のほうが一般的な用語らしい。

2005-01-10 (1) 18:49:10 +0900

冥王星を発見したトンボーは Tombaugh であって Tombeau ではなかった

しかし、tomb + augh だよなあ。 (tomb は墓、augh はリーダーズ英和辞典によれば 《驚愕・恐怖を表わす》間投詞。)

2005-01-10 (1) 18:38:28 +0900

佐鳴予備校は点の名前を斜体で表記 / センター入試は立体だけど

けさの新聞に佐鳴予備校の 「3月入学生受付中」のチラシがはいってきた。 その第二面。 「映像体感型授業 See-be」というのが一つの売り物らしいが、 そこに出ている算数あるいは数学の問題で、点の名前を斜体で表記している。 センター入試では、ホームページで確認したところ、点の名前は立体である。

手元に小学校・中学校の教科書がないので確かめられないが、 中学校までと高等学校とで規則が違うことも考えられる。 上野健爾「代数幾何入門」(岩波書店、1995 年)では斜体であった。

2005-01-10 (1) 18:31:32 +0900

佐鳴予備校は天皇制についてどう考えているのであろうか?

けさの新聞に佐鳴予備校の 「3月入学生受付中」のチラシがはいってきた。 最初の面のほぼ全体を使い、大きなイラストも入れて、 「王侯将相(しょうしょう)寧(いずく)んぞ種(しゅ)あらんや」 という句を引用・説明している。 そのイラストの中には 《一国の帝王や諸侯、 また将軍、宰相になるのは家系や血統によるものではない》 とあり、別に 《今から約二千年前に書かれたこの言葉は、現代にこそ通じる。 総理大臣や大金持ち、高名な学者すべて、先祖代々がそうであるわけではない。 家系や血統などは滅び去り、人間は平等となりチャンスが公平に与えられる》 うんぬんとあるが、天皇についてはどう考えているのであろうか。 漢和辞典によると、この「王」は帝王の意味なので、 日本で言えば天皇に当たるだろう。

別に、どう考えていても、あるいは何も考えていなくても、 いっこうに構わないのだが、 小学校高学年になっていれば「どうなんだろう?」と思うのが普通ではあるまいか。

2005-01-10 (1) 18:03:53 +0900

更新(しなかった)記録 --- きのうは風邪をひいて早寝してしまった

夜中にいったん目が覚めたらなかなか寝つけず、 それで考えついたのが前項までの回文。 ただし、最後の喜和子さんネタはいま考えた。

2005-01-10 (1) 17:52:44 +0900

回文>「小脇に喜和子」(こわきにきわこ)

本文ナシ

2005-01-10 (1) 17:27:55 +0900

回文>「恐き喜和子」(こわききわこ)

本文ナシ

2005-01-10 (1) 17:25:38 +0900

回文>「うろくず苦労」(うろくずくろう)

全体としてはよく意味のわからない回文。

2005-01-10 (1) 17:24:22 +0900

回文>「軽石 強いるか」(かるいししいるか)

無理に軽石を使わせるか、ぐらいの意味。 「軽石いるか?」(かるいしいるか)のほうが自然か。

2005-01-10 (1) 17:20:50 +0900

回文>「たかろう、路肩」(たかろうろかた)

意味不明。

2005-01-10 (1) 17:19:10 +0900

回文>「北風、仇」(きたかぜかたき)

本文ナシ

2005-01-10 (1) 17:18:24 +0900

回文>「否、小手では出てこない」(いなこてではでてこない)

本文ナシ

2005-01-10 (1) 17:16:22 +0900

回文>「クラミジア、味見楽」(くらみじああじみらく)

前半と後半で意味のつながりはありません。

2005-01-10 (1) 17:14:51 +0900

回文>「風土、湯豆腐」(ふうどゆどうふ)

本文ナシ

2005-01-10 (1) 17:11:23 +0900

回文>「寒稽古、恋喧嘩」(かんげいここいげんか)

「恋喧嘩」という言葉があるかどうかは知らないが、 恋をめぐってするケンカの意味。

2005-01-10 (1) 17:09:53 +0900

回文>「寄席に老舗よ」(よせにしにせよ)

本文ナシ

2005-01-10 (1) 17:08:53 +0900

回文>「留守。右近、潜行する」(るすうこんせんこうする)

右近はスパイのコードネームか何かだと考えてほしい。

2005-01-10 (1) 17:06:29 +0900

回文>「生えず、こずえは」(はえずこずえは)

こずえは人名。親知らずなどが生えてこない、というのであろう。

2005-01-10 (1) 17:05:48 +0900

回文>「考える人と蛭江眼科」(かんがえるひととひるえがんか)

蛭江は姓のつもり。蛭江眼科は(たぶん)架空の眼科医。

2005-01-10 (1) 17:03:25 +0900

回文>「亡き明菜」(なきあきな)・「亡き翁」(なきおきな)

似たのをすでに書いているけど、ま、いいか。

「なき浮き名」(なきうきな)というのも考えられる。

2005-01-10 (1) 16:58:41 +0900

回文>「金細工師、虫食い慙愧」(きんざいくしむしくいざんき)

本文ナシ

付) すでにお気づきのこととは思うが、 前項と本項は「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が念頭にある。

2005-01-10 (1) 16:50:48 +0900

回文>「靴下屋 早田氏着く」(くつしたやはやたしつく)

早田は姓。

「靴屋 着く」(くつやつく)という短いバージョンも可。

2005-01-10 (1) 16:48:48 +0900

回文>「郡山市・島谷理緒子」(こおりやまししまやりおこ)

島谷理緒子はたぶん架空の人名。

ところで、郡山市役所の書類記入例にこの名前が書いてあったら、気がつくかな。 ふりがな欄で気がつくか。

2005-01-10 (1) 16:45:10 +0900

回文>「ウド・九月・哲学堂」(うどくがつてつがくどう)

哲学堂公園は東京都中野区に実在する公園。

2005-01-10 (1) 16:43:08 +0900

回文(冗談)名前>「かたつむり睦孝」(かたつむりむつたか)

八犬伝の犬飼現八は犬飼現八信道が正式な名前である。 その現八信道にあたる部分、かも。

2005-01-10 (1) 16:40:52 +0900

回文>「石、骨か……。お金ほしい」(いしほねかおかねほしい)

金目のものかと思ったら石や骨だった。ああ、お金がほしい、という意味。

2005-01-10 (1) 16:38:48 +0900

回文>「風邪ひいた / 退避 是か」(かぜひいたたいひぜか)

後半は、退避は是か、と問うているのである。

2005-01-10 (1) 16:37:03 +0900

回文>「二絵馬主が死ぬ前に」(にえまぬしがしぬまえに)

「絵馬主」という言葉があるかどうかは知らないが、 ここでは絵馬を奉納した人、といった意味である。 そういう人が二人いて、その人たちが死ぬ前に、の意。

2005-01-10 (1) 16:34:51 +0900

ローマ字回文>Nobiru nuribon(伸びる塗り盆)

「塗り盆」ということばが実際にあるかどうかは知らないが、 塗りの盆の意味で使っている。 それの需要が伸びているのである。

2005-01-10 (1) 16:31:52 +0900

回文>「腕切るや / やる気ないか」(かいなきるややるきないか)

前半と後半の意味のつながりが不明。

2005-01-10 (1) 16:30:13 +0900

ローマ字回文>Nori, iron(ノリ、異論)

ノリの愛称で呼ばれる誰かが異論を唱えた、と。

2005-01-10 (1) 16:28:50 +0900

回文>「創世記、伊勢、うそ」(そうせいきいせうそ)

全体としての意味はほとんどわからない。 創世記と伊勢物語を読むのが宿題ですって? うそ! という意味かも。

2005-01-10 (1) 16:26:12 +0900

回文>「グロなアナログ」

本文ナシ

2005-01-10 (1) 16:23:59 +0900

回文>「走らず、エズラ氏は」(はしらずえずらしは)

旧約聖書「エズラ記」に由来。

2005-01-10 (1) 16:21:41 +0900

回文>「闇へ、ネヘミヤ」(やみへねへみや)

旧約聖書「ネヘミヤ記」に由来。

2005-01-10 (1) 16:20:40 +0900

回文>「すでに鬼です」(すでにおにです)

「お母さんは怒ると鬼になるんだね」と言われた子がこう答える。

2005-01-10 (1) 16:19:01 +0900

回文>「下着 脱ぎたし」(したぎぬぎたし)

夕立にあってびっしょり濡れてしまったので。

2005-01-10 (1) 16:18:05 +0900

回文>「初売り『どん』もんどり打つは」(はつうりどんもんどりうつは)

初売りでどんが鳴ったので驚いてもんどりを打ったのは、という意味。 なお、「出るわ出るわ」というときの wa は現代かなづかいでは「わ」であり、 「は」ではない。

2005-01-10 (1) 16:12:23 +0900

ローマ字回文>Neru uren(ネル、売れん)

ネルが売れなくて困っている。

2005-01-10 (1) 16:11:11 +0900

ローマ字回文>Nara naran(奈良ならん)

奈良であろう、の意。

2005-01-10 (1) 16:07:19 +0900

回文>「原罪懺悔」(げんざいざんげ)

「津氏、現在、懺悔室」(つしげんざいざんげしつ)のほうがより長い。

2005-01-10 (1) 16:04:55 +0900

回文>「防音応募」「忘恩王母」(ぼうおんおうぼ)

防音工事のモニター募集に応募した、というのが一つめ。 二つめは恩を忘れたような行動をとる王の母、という意味。

2005-01-10 (1) 16:02:28 +0900

回文>「好き合う空き巣」(すきあうあきす)

ここでは「空き巣」は「空き巣狙い」の意。

2005-01-10 (1) 16:00:48 +0900

回文>「しない。悔いなし」(しないくいなし)

本文ナシ

2005-01-10 (1) 15:59:02 +0900

回文>「伊那市森川、わかりもしない」(いなしもりかわわかりもしない)

森川は姓という設定。

2005-01-10 (1) 15:57:09 +0900

回文>「問題階段も」「問題会談も」(もんだいかいだんも)

問題になった階段、あるいは会談も、の意。

2005-01-10 (1) 15:49:49 +0900

回文>「飯茂電子、死んでもいい」(いいもでんししんでもいい)

飯茂電子は飯○茂氏が創設したおそらく架空の電子関連会社。

(飯○茂氏に特定のモデルはありません。)

2005-01-10 (1) 15:47:05 +0900

回文>「伊谷氏は死に体」(いたにしはしにたい)

「問谷氏は死にたいと」(といたにしはしにたいと)というのもあるか。 でも「問谷」をトイタニとは読まない気がする。

2005-01-10 (1) 15:45:20 +0900

回文>「うそ! 里緒菜、治りそう?」(うそりおななおりそう)

あしたからみんなで旅行というところへ、里緒菜から体調が悪いとの連絡がはいった。

「うそ! 里緒奈いなおりそう」(うそりおないなおりそう)でもいいのだが。

(「里緒菜」「里緒奈」と、漢字はわざと変えてある。 この名前の女優さんが実在するが、 どちらかからどちらかに改名したんだそうだ。 わざわざ電話代つかってネットに接続して確かめてしまった。 回文の内容はもちろんフィクションである。)

2005-01-10 (1) 15:26:10 +0900

回文>「馬子舞う」(うまこまう)

本文ナシ

2005-01-10 (1) 15:24:58 +0900

回文>「移旋完成」(いせんかんせい)

前に似たのを書いてるけど、いいか。

2005-01-10 (1) 15:21:58 +0900

回文>「う、ノン、官能」(うのんかんのう)

かなり苦しいな。

2005-01-10 (1) 15:20:25 +0900

回文>「抱き合うも もう秋だ」(だきあうももうあきだ)

秋は飽きとの掛詞。かもね。

2005-01-10 (1) 15:03:35 +0900

きょうの補筆箇所

2005-01-09 (0) 03:16:22 +0900

朝日新聞>近くにある二つの「と、」の意味が違うのでわかりにくい例

8日づけ朝日新聞大阪本社版国際面「世界発 2005」はコロンビアから。 「カーネーション栽培 避難民も担い手に」「農園成功 対日輸出も増」。

《……さんは「労働集約産業だけに、 従業員を大切にしないと、 高品質が保てないと、 どの農園もわかっている》とあるが、 この二つの「と、」は非常に近くにありながら意味が違う。 そのせいで、すぐには全体の意味がとれなかった。 私が句読点をつけ直してみるなら 『労働集約産業だけに、 従業員を大切にしないと高品質が保てない、 とどの農園もわかっている』。 あるいは、これは翻訳なのだろうから、ことばを変えて、

ボゴタ=和泉聡」と署名あり。

2005-01-09 (0) 03:01:52 +0900

外国人の言葉の中のカタカナ日本語はそのまま使われていることを意味する

8日づけ朝日新聞大阪本社版国際面「世界発 2005」はコロンビアから。 「カーネーション栽培 避難民も担い手に」「農園成功 対日輸出も増」。

そこに《農園や仲介業者の担当者らの口からは 「ハハノヒ」「オボン」といった言葉がよく飛び出す。 常に日本を意識しているからだ》とある。 後半の解釈が当たっているかどうかは別として、 ここで「母の日」「お盆」でなくカタカナが使われているのは、 おそらく、 現地の言語の中にこの単語がそのまま使われていることを意味していると思われる。

現状ではこれでいいんだけど、 たとえばローマ字で日本語を書くとしたらどうなるか。そのときは 「『母の日』『お盆』といったことばが日本語のまま飛び出す」 などとすればいいだろう。 外国語に訳すときも同様。

いや、外国語とはどういうものかよくわかっていない人には誤解を招くかも。

2005-01-09 (0) 02:59:52 +0900

回文>「いつ暑い?」(いつあつい)

答え:夏。

2005-01-09 (0) 02:49:47 +0900

回文>「『寒い』は忌むさ」(さむいはいむさ)

「寒い」と口に出さないようにしよう、と決意。

2005-01-09 (0) 02:47:56 +0900

朝日新聞>また「べーカー米駐日大使」という誤字 --- 「べ」がひらがな

8日づけ大阪本社版総合面「インド洋津波援助」「陸・海自に派遣命令」 『「本来任務化」弾み狙う』に。

2005-01-09 (0) 00:32:33 +0900

ヴォータンはワルキューレの岩に人が近づくたびに制止しなくていいのか?

「ジークフリート」第三幕では、 「ワルキューレ」第三幕でブリュンヒルデに約束したとおり、 炎に近づこうとするジークフリートを槍で威嚇する。 その槍をジークフリートは砕いて進むわけだが、 「神々のたそがれ」 第一幕でグンターに変装したジークフリートがやってきたときは、 ヴォータンはそこにいもしない。 あれでいいのか? ブリュンヒルデが目覚めるまで、という約束だったのか?

2005-01-08 (6) 23:59:27 +0900

「母さんの歌」(母さんは夜なべをして手袋あんでくれた)は 1961 年の歌?

園部三郎編集・解説「日本唱歌集」(中央公論社、1970 年)ではそうなっている。 もっとずっと古い歌かと思っていた。 (この話、以前書いたような気がしたが書いてなかったようなので。)

2005-01-08 (6) 23:49:44 +0900

算数・数学の学習指導要領では「〜進数」でなく「〜進法」かと思ったら

文部科学省の出版物案内のページ。 ここから学習指導要領のページへ行ける。 小学校の算数に「十進位取り記数法」とあり、 高等学校の「情報」には「2進数表現」とあるので、 やはり「〜進数」は情報科学の周辺で最近できたことばでは、と思ったのだが、 平成元年版の中学の数学には「2進数」とある。

急いで見たので見落としがあるかも。

2005-01-08 (6) 23:28:59 +0900

山階鳥類研究所の「リンクについて」はどちらからどちらへのリンクか不明

いわゆるリンク条件がついているので直接はリンクせず、 Yahoo の検索結果からたどっていただくことにして、 そこの「リンク」とあるページの下方の「リンクについて」。 どちらからどちらへリンクするのかがよくわからない書き方だ。

2005-01-08 (6) 23:24:14 +0900

「北区立」と「帰宅率」はどちらも「きたくりつ」で同音だ

本文ナシ

2005-01-08 (6) 23:20:42 +0900

「郷富佐子」を google で検索すると「卒業生名簿」が見つかるけど本人かな

朝日新聞社の郷富佐子記者と同姓同名である。 そのページの内容について書きかけたが、 もしも別人だった場合、 単なる一個人のプライバシーにふれることになるかもしれないのでやめておく。

2005-01-08 (6) 23:13:12 +0900

回文>「ヨウ素はそうよ」(ようそはそうよ)

本文ナシ

2005-01-08 (6) 22:26:40 +0900

回文>「代田橋の柴田・井田」(だいたばしのしばたいだ)

代田橋は地名・駅名。後半は姓である。

2005-01-08 (6) 22:20:42 +0900

回文>「『用意』と言うよ」「容易と言うよ」(よういというよ)

前者は、徒競走のやり方を先生が説明しているところ。

2005-01-08 (6) 22:18:16 +0900

回文>「弁護士ごんべ」(べんごしごんべ)

「ごんべさんの赤ちゃんが風邪ひいた」のごんべさんは実は弁護士だった。

2005-01-08 (6) 22:16:25 +0900

タイトル行を 「回文>「弁護士こんべ」(べんごしごんべ)」 と誤っていたので訂正した。

2006-03-29 (3) 02:43:44 +0900

回文>「内蔵助は消すの楽」(くらのすけはけすのらく)

吉良の刺客がこうつぶやいたりして。

2005-01-08 (6) 22:10:59 +0900

回文>「旅の扉・ラビとのび太」(たびのとびららびとのびた)

旅の扉は初期の「ドラゴンクエスト」に出てきたもの。 ひとことで言えばテレポーターである。 のび太は「ドラえもん」のあののび太。

2005-01-08 (6) 22:05:40 +0900

旧カナ回文>「平右衛門も『絵』言へ」(へいゑもんもゑいへ)

本文ナシ

2005-01-08 (6) 22:02:49 +0900

回文>「健作産気」(けんさくさんけ)

健作のとこの女房が産気づいた、というメモ。

2005-01-08 (6) 22:00:35 +0900

回文>「内科と腕」(ないかとかいな)

本文ナシ

2005-01-08 (6) 21:59:36 +0900

回文>「外科とトカゲ」(げかととかげ)

本文ナシ

2005-01-08 (6) 21:59:12 +0900

回文>「簡単短歌」(かんたんたんか)

本文ナシ

2005-01-08 (6) 21:58:14 +0900

回文>「ついたちタイツ」

毎月ついたちだけに履くタイツ。

2005-01-08 (6) 21:57:01 +0900

回文>「酸素は損さ」(さんそはそんさ)

本文ナシ

2005-01-08 (6) 21:55:42 +0900

回文>「窒素はそっち」(ちっそはそっち)

本文ナシ

2005-01-08 (6) 21:55:18 +0900

回文>「『交わりたい』書いたり輪島」(まじわりたいかいたりわじま)

「交際したい」と輪島氏が書いたのである。

2005-01-08 (6) 21:49:14 +0900

回文>「里子のことさ」(さとこのことさ)

本文ナシ

2005-01-08 (6) 21:48:12 +0900

回文>「雨読 牧童」(うどくぼくどう)

雨が降ったので牧童が本を読んでいる。

2005-01-08 (6) 21:45:35 +0900

回文氏名>「木下篠樹」(きのしたしのき)

本文ナシ

2005-01-08 (6) 21:44:11 +0900

回文>「鉄鎖あさって」(てっさあさって)

鉄鎖の納期はあさって、とか。

2005-01-08 (6) 21:43:06 +0900

古川晴風「ギリシャ語辞典」(大学書林)の広告に「古代ギリシャ語」とある

きょうの朝日新聞大阪本社版第一面下の広告に 《わが国最初の本格的希和辞典(古代ギリシャ語)》とある。 「古代〜」じゃなくて「古典〜」だと思っていたが。

2005-01-08 (6) 21:29:09 +0900

朝日新聞>郷富佐子記者の写した写真は高い位置からのものが多い?

年末年始の新聞で名前を見かけないなと思っていたら、 5日づけ大阪本社版国際面「我らの聖地」の第四回目。 インドのゴア州からだ。 「若者踊らす神秘の音」『「トランス音楽」発祥』「ヒッピー文化、世代超え」 などの見出しがついている。

そこに「海辺のディスコで踊る若者たち。(中略)郷写す」 という写真が載っているのだが、 写っている人たちの背たけと同じぐらいかそれより高い位置から撮られているようだ。

Google で「郷写す」を検索し、 見つかったページの写真を見ると、どれも、 高い位置から写したように見える。 《朝日新聞>郷富佐子記者の写真が出ている》 に書いた2003年10月12日づけの写真では中学校を取材しているが、 まだ小学生のようなおもかげを残す少年とそれほど背たけが変わらないところから、 日本人女性の平均か、やや小さめであっても、 背の高いほうではないと思っていた。ちょっと意外。

2005-01-08 (6) 19:31:45 +0900

1958 年 1 月 1 日づけ「サザエさん」の「陛下もおまごさまの」って誰?

けさの朝日新聞大阪本社版 be の e4 面「サザエさんをさがして」は「皇室」。 1958 年 1 月 1 日づけのマンガで、 家族でハネつきをしている波平が 「いまごろは陛下もおまごさまのおあいてだろう」 と言っているのは具体的に誰かを念頭においているのだろうか?

2005-01-08 (6) 18:14:21 +0900

宮内庁のページで「天皇陛下」だけ「学習院大学教育ご終了」なのはなぜ?

けさの朝日新聞大阪本社版 be の e4 面「サザエさんをさがして」は「皇室」。 そこに「大学を出た皇太子さまの」とあったので、 宮内庁のページを見てみた。

「天皇及び皇族のご略歴等」で「天皇皇后両陛下」を見ると、 「天皇陛下」は「学習院大学教育ご終了」となっている。 「皇后陛下」は「聖心女子大学文学部外国語外国文学科ご卒業」。 ほかの皇族もすべて「卒業」である。

2005-01-08 (6) 18:10:44 +0900

朝日新聞>「be」を一文字にしたフォントもあるんだ

きょうづけの大阪本社版 be の b7 面、「bから」。編集後記にあたるものである。 そこに、「be」を一文字分に詰め込んだ文字が二回出てくることに気がついた。

英語の話の中で「be動詞」と書きたいとき、これを使ってもいいのかな?

2005-01-08 (6) 18:04:32 +0900

「早稲田のW、中央のC、明治のM」は英語じゃなくてローマ字でしょ?

けさの朝日新聞大阪本社版 b2 面「読み・解く スポーツ」は 「箱根に見る大学の盛衰」。筆者はジャーナリストの生島淳氏である。

内容は、1月2、3日に行われる箱根駅伝が大学の宣伝になっている、 というもの。出願時期直前だから効果大なのである。

ユニホームを見ても新興校には特徴がある。 昭和、平成に創設された学校のユニホームには必ずと言っていいほど漢字で学校名が入っている。 これは画面に映ったときにすぐに認識してもらうためだ。 反対に戦前から箱根駅伝に参加している伝統校は英語の頭文字を入れている。 早稲田のW、中央のC、明治のM。 伝統校は受験生を集めるのにさほど苦労はいらないからである。

早稲田が Waseda University, 明治大学が Meiji University であることは知っていたが、 中央大学がもしかして Central ... だったりしないかと思って調べてみた。 やっぱり Chuo University だった。 (上智が Sophia であるように、英語名をもつ大学も存在ので。)

(ついでに。「昭和時代」だが戦前の創設、という大学はないんだろうか。)

2005-01-08 (6) 18:01:03 +0900

認知科学の学会とかに認知症に関する質問が行ったりしていないだろうか?

本文ナシ

2005-01-08 (6) 17:48:58 +0900

アルツハイマー協会のシンボルマークをダウンロードした

けさの朝日新聞大阪本社版 be の e1-e2 面はアルツハイマー病の話。 そこに 《バンクーバーのアルツハイマー協会に掲げられていたシンボルは 「忘れな草」》という説明とともに載っていたマークがすてきだったので、 インターネットで探してみた。

「"Forget me not" alzheimer」で Google のイメージ検索を行なえば何箇所かで見つかる。 一箇所は、 著作権があるといって保存を拒否したが、 Google のフレームの 「イメージを最大化」をクリックして出てきたほうを保存すれば問題ない。 ソースを見たら、右クリックに次のように反応せよと書いてあるようだった。 記事では花の上に Forget Me Not, 下に Ne m'oubliez pas と書かれているが、 反対のものも、片方だけのものもあった。

ところで、話はヘレン・ケラーから始まり、 やがて認知症へと進んでゆくのだが、 ぼんやり読んで「ヘレン・ケラーも認知症だったのか」 と誤解する人はいないだろうか。

気になるのは、 《生後19カ月で熱病にかかり視力と聴力を失う》とあって、 離れたところに《「三重苦の聖女」》とあることだ。 《電話を発明した博士は著名な聾唖教育者で》ともあるが、 《目が見えず、耳が聞こえない》ともある。 もう一つの「苦」がアルツハイマー病だったと誤解されるかもしれない。 まさかと思うが、「口がきけない」は使わないことになっている表現なんだろうか。

それと、 《庭の井戸から流れる水に手をあてて、 ものに名前があることを初めて理解した話は有名だ》 とあるのは本当だろうか。 映画「奇跡の人」では、聴力を失う前に覚えていた単語 water を思い出した、 ということになっていたと思う。

「編集委員・生井久美子」と署名あり。

2005-01-08 (6) 17:43:26 +0900

ソロモンは賢かったが DNA 鑑定は知らなかったわけだ。当たり前か。

列王紀上第3章後半。

2005-01-08 (6) 17:33:29 +0900

ソロモンの裁き>死んだ子のほうは二つに切らないのか?

列王紀上第3章後半。 生きている子を二つに切って分けよと命じるが。

2005-01-08 (6) 17:30:57 +0900

「ソロモンの大岡裁き」ってすでに自分で書いていた ^^;

地球外生物向けにはソロモンの裁きに「人間は切ると死ぬ」と注が必要かも》 に。 Google で検索して気がついた。

大岡越前のほうがソロモンよりずっと後の時代であるところがおもしろい。 いや、厳密に言えば、おもしろいとしたらそこだけがおもしろい。

2005-01-08 (6) 17:27:36 +0900

朝日新聞>「ロボット専門店」「ロボショップ」に驚く

2004年12月18日づけ大阪本社版第一面の「紙面から」に 「大阪にロボット専門店」。 これを見て、 「ここは人間の店だ。ロボットはあっちの店へ行け」 とロボットが差別されているさまを想像しないだろうか。 中の面をみると「ロボショップ 発進」という見出しがついており、 ロボットが店番をしているのか!? と驚くが、 単に人間がロボットを売っているというだけなのであった。

2005-01-08 (6) 02:23:22 +0900

陰山英男氏は「必ず、子どもの半数は平均点以下になる」と書いているが

2004年12月18日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面 「私の視点 ウイークエンド」。 広島県尾道市立土堂小学校校長、陰山英男氏が 《序列化すれば、必ず、子どもの半数は平均点以下になる》 と書いているが、 一人だけ零点、残りが満点なら平均点以下は一人だけだ。

最近は中央値の意味で平均値と言うのかも。

2005-01-08 (6) 02:09:40 +0900

美容院「サムソン&デリラ」でうっかり眠るとつるつる頭にされそうだ

サムソンが生涯にただ一度だけ髪型を変えたのが、 眠っている間にデリラに毛を剃られたときであることを思い出すと。

金沢に実在するらしい。この名前の美容院。

2005-01-08 (6) 01:55:46 +0900

梅原氏の一神教批判>「排他的」の意味 / 他

7日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面、 梅原猛氏と五百旗頭真氏の対談「戦後60年 日本・アジア・世界」。 以下に引用するのはすべて梅原氏の発言である。

北朝鮮に対しては、それは腹が立ちますよ。 しかし、東アジアの文化的共通性を確認しつつ、 韓国、中国とよく話し合って解決する方向に持っていくべきでしょう。 この地域の文化的共通性は稲作農業です。 稲作思想と呼んでもいい。 また、多神教で、自然に対してやさしい考え方を持っている。 欧州がEUをつくったように、 こうした文化的共通性は東アジア共同体をつくる素地にもなり得ます。

EUの規則(だったかな)にキリスト教に関連する文言を入れるかどうかで議論があったこと、 イスラム教国であるトルコを加盟させるかどうかで議論になっていることを考えると、 東アジアの各国に多神教が共通することがどれだけの意義をもつのか疑問である。 また、韓国にはキリスト教徒も多くいる。

米国の農村にはキリスト教が意外に強固に残っていて、 宗教と道徳を失った都会人への強い反発がある。 それがブッシュ氏勝利の原動力になった。 キリスト教には一神教に特有な排他的な面がありますが、 排他性はカトリックよりプロテスタントのほうが強い。 それが原理主義につながって好戦的思想になり、 イスラム原理主義とぶつかり合っている。 宗教が平和をもたらすのではなく、 宗教が平和をけとばすという皮肉な状況になっている。

ここでの「排他的「排他性」とは、どういう意味であろうか。 《「非寛容なタバコ議論は発火寸前」の「非寛容」の意味は?》 で、「寛容」に二つの意味があることを書いた。 それと同様に、「排他的」「排他性」にも二つの意味があると思う。 一つは、その宗教に合わない、 ほかの宗教の習慣・行事などを信者の生活から取り除こうとすること。 もう一つはその宗教を信じない者を排除・攻撃・撲滅しようとすることである。 カトリックは、前者の意味での「排他性」がプロテスタントより弱いと聞いたことがある。 たとえば、お盆を取り入れたりしているところもあるようだ。 Google で「カトリック お盆」を検索してみられたい。

一神教の排他性が戦争を起こしているいま、 寛容な多神教の意義をもう一度見出すべきでしょう》の 「寛容」についても同様に、意味をはっきりさせる必要がある。

靖国神社というのは日本の神道の伝統ではないんですよ。 出雲大社のように、征服された敵方を、 味方よりも大きな神社でまつるというのが伝統です。 勝ったほうだけまつるのは伝統に反している。 (以下略)

だったら、いまの米国の「キリスト教」 がキリスト教の伝統にあっているかどうかの吟味も必要であろう。

ソクラテスはほんとうのことを言って殺されたが、 弟子のプラトンがソクラテスの死を深く考え、哲学を樹立した。 何を言われようが、正しいと思ったことを言い続けることが必要です。 それが種となり、やがて必ず実を結びます。

イエスも「ほんとうのことを言って殺された」と私は思うし、 キリスト教徒は 「何を言われようが、正しいと思ったことを言い続ける」 はずなのだが。 ところで、この 「何を言われようが、正しいと思ったことを言い続ける」 のは、梅原氏の基準では非寛容には当たらないのだろうか。

2005-01-08 (6) 01:39:31 +0900

多神教だが、これこれの神以外は崇拝しない、という宗教だってあるはずだ

最近の朝日新聞を見ていると 《朝日新聞社説>複数の信仰が共存している状態が「多神教」と誤解している?》 という心配がまた出てくる。

ゾロアスター教はどうなんだろう?

2005-01-08 (6) 01:18:55 +0900

朝日新聞連載小説「讃歌」>「カーゴに乗り込む」の「カーゴ」ってなに語?

7日づけ大阪本社版掲載分の第 111 回。 エレベーターホールが出てきて、エレベータに乗るところで 「カーゴに乗り込む直前に」とある。 この「カーゴ」って?

広辞苑第五版では英語の cargo が起源であるとして「貨物。積荷」 と説明している。これではない。英和辞典でも確かめた。 スペイン語の cargo も違う。 フランス語の cargo は貨物船の意味。 イタリア語、ラテン語の辞書も見たが、ない。

もしかしてと思ったのはエスペラントである。 kago という単語だが、実際は g の上に ˆ がつき、 「カージョ」と発音される。 三宅史平編「エスペラント小辞典」(大学書林、1965 年)には 「(昇降機の)乗り箱」という語義も載っている。 これを誤読したのではあるまいか。

でも、いきなりエスペラント使ったら読者はわからないよなあ。

2005-01-08 (6) 00:56:44 +0900

「国語力 半世紀ぶり調査」って読み書き能力以外にも調べるんでしょうね?

タイトル行に引用したのは7日づけ朝日新聞大阪本社版総合面の見出しである。 ほかに「若者の読解力低下」「国立国語研、来年にも」の副見出しも見える。

国立国語研究所(中略)は、 日本人の読み書き能力など国語力を調査する方針を固めた》 とあるが、「など」に何が含まれるか書かれていない。 新聞紙上などでよく見かけるのは、 「やおら立ち上がる」の「やおら」の意味を聞いたり、 といった単語・熟語の意味の問題である。 もっと一般的な「国語力」ってのもあると思うので、 調査内容の発表を待とう。

文化審議会は昨年2月の答申で、 読み書きなど国語力を向上させる国語教育見直しを提言した》 とあるが、ここでも「など」の内容はわからない。

……と思ったら、1948 年の調査内容が書かれていた。 《仮名や数字、漢字の読み書き、文章や語句の理解を調べた。 その結果、漢字の読み書きができない人は2・1%にとどまり、 識字率の高さが判明》。 あれ? 漢字の読み書きができるってのはどうやって判定するんだろう?  当用漢字が全部読み書きできるかどうかかな?

最後の段落には 《また、昨年公表された経済協力開発機構(OECD) の41カ国・地域参加の学習到達度調査(03年)でも、 日本の15歳の「読解力」は14位と前回00年の8位から下がった》 とあるが、 あの調査の「読解力」 問題は同一問題をまた使うからと公表されなかったのでは?  それは別の科目だったかな?

2005-01-08 (6) 00:33:14 +0900

「ホウキョウ」って昔は「豊頬」だったんだ / いまは「豊胸」が多いだろう

7日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 《「飲めば豊胸」/ 無許可で錠剤》を見て、 小型の辞書には載ってないだろうなと調べてみたら、 代わりに(?)「豊頬」があった。

2005-01-08 (6) 00:11:25 +0900

きょうの補筆箇所

2005-01-07 (5) 02:45:14 +0900

アルベリヒが金の力で女を妻にしたのをウォータンがフリッカに訴えたら?

ワルキューレ第二幕第二場のウォータンの長いセリフの中で、 最近アルベリヒが金の力で女を妻にしたと語るところがある。 もしもそれを聞いたときにウォータンが正妻フリッカに 「そういうのはいけないんだよお」 と訴えていたらどうなっていただろう?  当事者じゃないから訴えることができないのか?

仮に訴えが通っても手を下す役目は自分に回ってくるんだけどね。

付)私は、 アルベリヒがギービヒ家の未亡人に金をやって手なづけたのだと思っているが、 落ちぶれたギービヒ家の先代のあるじに金をやって妻を “買い取った”という可能性もなくはないな。 妻が金に目がくらんで夫を捨てた場合、 夫はフリッカに訴えることができるんだろうか。 (ギービヒ家がフリッカを信仰していることは「神々のたそがれ」 におけるハーゲンの呼びかけの中のセリフでわかる。)

2005-01-06 (4) 22:06:07 +0900

ジークフリート>ミーメが殺されるとなぜ「呪いの動機」が出るんだ?

「ラインの黄金」でアルベリヒが指環にかけた呪いは、 その持ち主に死が訪れるというものであった。 ここでは、指環を持っているジークフリートが指環を奪おうとするミーメを倒した。 アルベリヒの呪いはジークフリートには通じなかったのである。 (それなのに笑っていていいのか? アルベリヒは。)

2005-01-06 (4) 21:27:41 +0900

ワーグナーの台本とは異なるが、次のように考えればいいか。 ジークフリートは指環の価値を知らないので、とりあえず脇に置く。 ミーメはそれを手に入れる。 あとはそのまま逃げればいいのに、 ジークフリートが指環を取り返すのではないかとおびえて殺害をはかり、 それで命を落としてしまう。 こうすれば指環の所有者に死が訪れたことになる。

付) しかし、もしも呪いが“正しく”発動してジークフリートがミーメに殺された場合、 「打倒ジークフリート」を目的にハーゲンを育てていたアルベリヒはどうなるんだ?

2005-01-14 (5) 01:40:09 +0900

「神々のたそがれ」の最後でハーゲンがライン川に飛び込むところにも 「呪いの動機」が出るんだった。 しかも、こちらはブリュンヒルデの自己犠牲のあとなので、 指環の呪いはとけているはずである。 「呪い」から少し意味を広げて、 指環を求めることによる破滅、とでも考えるべきなのかもしれない。

2005-01-24 (1) 01:10:09 +0900

永六輔氏は尺貫法も併記せよというのか、好きなほうを使えというのか

前から気になっていたのだが、5日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面 「私たちがいる所 / 戦後 60 年から」 の第二回目に書いておられたので書き抜いておく。

僕はメートルも尺寸も併存させればいいと言い続けてきた》、 《僕自身はメートル法を使っています》とのことだが、 買い物に行って、ある店が尺貫法だけで値段を書いていたら、 どうするのだろうか。例えば「一尺あたり**円」のように。 その場で換算する? それとも、お店には両方を書くことを義務づける?

もう少しまとまって書かれたものを読まないとわからないのかも。

2005-01-06 (4) 02:08:23 +0900

朝日新聞>先に死者を、次に負傷者を書くので関係がわかりにくい例

5日づけ大阪本社版社会面「がけから車落ち親族の2人死亡」。 《A-K さん(51)運転の乗用車が市道わきのがけ(高さ約10メートル)から転落。 A さんと、 同乗していた義父の……M-T さん(87)が全身を強く打ち間もなく死亡した》 とあるが、「義父」とはどういう間柄だろう? 配偶者の父親だと思われるが……、 と思って読み進んでいったら、あとのほうに 《死亡した M-T さんは A-Y さんの実父》とあった。 A-Y という名前は出てきていないので、よく読み返してみたら、 「死亡した」の次に 《M さんの妻 K さん(80)と、A さんの妻 Y さん(53) ……も足の骨を折るなどの重軽傷を負った》 とある Y さんであろう。 朝日新聞の習慣として、死亡した人を先に書くので、 このようになったかと思われる。

付) 頭文字と思われるアルファベットを使ったが、 読み方が間違っているかもしれない。 また、頭文字としてではなく人を表す記号であるとの考えから、 ピリオドはつけなかった。 姓を表す記号と名を表す記号とはハイフンでつないだ。

2005-01-06 (4) 02:01:29 +0900

朝日新聞>首相の伊勢神宮参拝は靖国神社参拝と比べて扱いが小さい

5日づけ大阪本社版「政治・総合」面、「伊勢神宮に首相が参拝」。 《首相は「二拝二拍手一拝」の神道形式で参拝し、 「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳した》。 公式参拝の条件を満たしているのではないか。

その下の「首相動静」には 《三重県知事らが出迎え》とある。 こちらはどうなのだろう。

2005-01-06 (4) 01:39:37 +0900

昨年生まれた男の子の名の2位「颯太」を「ふうた」と読むのは百姓読み

2004年12月17日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の記事。 明治安田生命保険が同社の契約者に含まれていた 2004 年生まれの男子 4861 人、 女子 4419 人を対象に調べたもの。

男子2位の「颯太」には主な読み方として「そうた」「ふうた」 が載っている。 「颯」は漢音サフ、慣用音サツであって、「ふう」という読みはない。 いわゆる百姓読みであろう。

この調査のデータが少なすぎるのではないかという話は 《朝日新聞>人名用漢字のまとまった記事が載った》 およびそこからリンクのはってある項目を参照。

2005-01-06 (4) 01:31:05 +0900

月の動きで一日を定義すると一日が約 24 時間 50 分のスローライフになるぞ

3日づけ朝日新聞大阪本社版石川面の「あすのこよみ」によると、 4日の「月入」は 11 時 46 分だが「月出」はなしである。 前の新聞を見ると3日の 23 時 58 分が「月出」で、 そこで出た月が4日の 11 時 46 分に沈むのだ。 「日出」「日入」がこない日は日本では存在しないが、 「月出」「月入」についてはこのように存在する。 これは、月の出が毎日少しずつ遅くなっているからである。

では、月の動きを元に一日の長さを決めたらどうなるか。 新月は太陽と重なっているから、 新月のときはほぼいまと同じ。 だんだんとずれていって、次の新月でまた重なる。 ということは、旧暦のひと月につき一日だけ日数が減るわけだ。 平均して 29.5 日が 28.5 日となる。 一日は 24 時間 50 分ほどになり、これぞスローライフではないか。

この暦での“昼”は必ず月が出ている。 太陽が出ていると見えないかもしれないが。 “昼”に太陽が出るかどうかは(旧暦の)日にちによる。 1日なら出ているが、14日ごろになると“昼”はまっ暗である。

付) 月の入りがない日があるのは上弦の月のころ、 月の出がない日があるのは下弦の月のころである。 1999 年の理科年表によると、必ずある。 満月の近くには月の南中がない日が必ずあることもわかった。

2005-01-04 (2) 23:44:44 +0900

「スケッチ」に完成までほど遠いイメージがあるのはベートーベンのせい?

「ベートーベンのせい?」と書いたが、もちろん彼自身のせいではなく、 ベートーベンからクラシック音楽にはいる人が多かったせいではないか、 というのである。

たとえば小松雄一郎編訳「新編 ベートーベンの手紙」(全二冊、岩波文庫、1982 年) の「下」の 59 ページ、ミサ・ソレムニスのスケッチについて述べるところ。 「だがこれらのスケッチはいずれも完成された楽曲とはほど遠いものである」 とある。次のページには 「〈グローリア〉の冒頭の (中略) 主題が確定するまで十五回の試作を重ねている。 〈クレド〉が主題として確定するまで二十四回も試作が繰り返されている」 などとある。

こういうのを読んでクラシック音楽になじむと、 スケッチとは断片的な試作、と思い込んでしまうのかも。

クラシック音楽における「スケッチ」とはどんなもの?》 参照。

2005-01-04 (2) 23:16:32 +0900

回文>「小笠、アサガオ!」(おがさあさがお)

小笠君がアサガオをどうかしていたので誰かが声をかけたもの。

2005-01-04 (2) 22:15:04 +0900

回文>「田舎 着かない」(いなかつかない)

本文ナシ

2005-01-04 (2) 22:13:33 +0900

回文>「『しこる』『待つ』『低迷』名鉄丸越」(しこるまつていめい…)

名鉄丸越は金沢に実在する百貨店の名前。 内容はフィクションである。

2005-01-04 (2) 22:12:15 +0900

回文>「駅 うきえ」(えきうきえ)

TVアニメ「サザエさん」でお隣の伊佐坂家のお嬢さんがうきえさん。 彼女が台所に残しておいたメモ。 駅まで行ってきます、の意味であろう。

2005-01-04 (2) 22:08:21 +0900

回文>「『たまきはる』は木俣」(たまきはるはきまた)

高等学校の国語の時間。 万葉集を分担して調べてきて発表することになった。 四番の歌は木俣君に当たった、と。

2005-01-04 (2) 22:07:31 +0900

回文>「力島と間仕切り」(りきじまとまじきり)

力島は姓のつもり。やや苦しいか。

2005-01-04 (2) 22:04:05 +0900

回文>「政治家、梶・伊勢」(せいじかかじいせ)

梶・伊勢という姓の政治家二人。

2005-01-04 (2) 22:03:22 +0900

回文>「冷凍トイレ」(れいとうといれ)

昔の宇宙船では排泄物を凍らせて持ち帰ったと聞いたことがある。

2005-01-04 (2) 22:01:51 +0900

回文>「『ウドの大木』--- 久保、板野、どう?」(うどのたいぼく…)

ウドの大木について、久保君と板野君にどうかと尋ねているのである。

2005-01-04 (2) 22:00:10 +0900

回文>「石毛は激しい」(いしげははげしい)

本文ナシ

2005-01-04 (2) 21:58:07 +0900

回文>「石野、楽しい?」(いしのたのしい)

本文ナシ

2005-01-04 (2) 21:57:54 +0900

回文>「マルクス! 車!」(まるくすくるま)

本文ナシ

2005-01-04 (2) 21:56:34 +0900

回文>「旅芸人 新居 下卑た」(たびげいにんにいげびた)

「新居」は姓のつもり。変換して出たからいいだろう。

旅芸人の新居さんは下卑たね、というもので、内容はもちろんフィクション。

2005-01-04 (2) 21:51:24 +0900

旧カナ回文>「言へ、みな、波平」(いへみななみへい)

TVアニメ「サザエさん」は祖霊崇拝に基づいているようで、 ときどきご先祖様の霊が出てくる。 姿も声も波平そっくりだが、ちょんまげを結っていることが多い。 そのご先祖様が波平にすべてを語るよううながしているところ。

2005-01-04 (2) 21:49:00 +0900

回文>「オラ、タラオ!」

タラちゃんが変なことばを覚えてきてしまった。 「『オラ』じゃなくて『ぼく』でしょ?」とサザエさん。

2005-01-04 (2) 21:47:34 +0900

回文>「裸体でいたら」(らたいでいたら)

本文ナシ

2005-01-04 (2) 21:46:47 +0900

回文>「諏訪湖で壊す」(すわこでこわす)

何を?

2005-01-04 (2) 21:45:42 +0900

回文>「王子さま、さじ! 魚!」(おうじさまさじうお)

幼い王子の食事の世話をしている家臣のセリフ。

2005-01-04 (2) 21:44:01 +0900

プロ野球全体を一つの団体にするって考えはないのかな

ついつい大相撲と比べてしまうのだが、 大相撲はすべての力士が一つの協会に属し、そこから給料をもらう。 プロ野球も、全体で一つの団体にし、 その中で適当に選手を分けてチームを作って試合を見せたらどうだろう、 と考えている人はいないのだろうか。

2005-01-04 (2) 21:42:25 +0900

NHK 紅白歌合戦っていまでも女性が赤組で男性が白組なのかいな

私が見ていたころはそうだったが、最近もそうなのかな?

2005-01-04 (2) 20:55:28 +0900

朝日新聞連載小説「讃歌」>そこで「一瞬、オーケストラの音がやむ」かいな

3日づけ大阪本社版掲載分の第 107 回。

やがてゆっくり楽器を顎の下に挟んだ。 一瞬、オーケストラの音がやむ。 静寂の中をあの懐かしいヴィオラの音が流れ出す。

曲目はホフマイスターのビオラ協奏曲だったはず。 ビオラがはいってくる小節の前の小節からオーケストラは (ベースは別として)四分音符で主和音を刻む。 メロディーは|ドドミソ|ドド|(はオクターブ上の音)で、 この四拍目からビオラが四分音符でソの音を奏してはいってくる。 次の小節の頭では主和音を重音奏法で弾く。 だから、オーケストラの音がやんだとしても、 静寂は訪れないと思われる。

再現部では八分音符であって、その前に八分休符がはいる。 それとの混同か? それにしても「静寂」は違うような。

付) そのあと、《中盤で転調すると切ない情緒が胸を満たす》 というのは第一楽章の中間部でロ短調になるところを指すのであろう。 ニ短調の第二楽章のことではあるまい。 (書き忘れていたが、第一・第三楽章はニ長調である。)

付) ホフマイスターは楽譜出版にもたずさわっている。 小松雄一郎編訳「新編 ベートーベンの手紙」(全二冊、岩波文庫、1982 年) の「上」には彼あての手紙が二通収められている (ただし同書における音写は「ホーフマイスター」。)

2005-01-04 (2) 19:45:10 +0900

私の頭の中でよくごっちゃになってしまうのが、 K. Stamitz (1746-1801) のビオラ協奏曲 Op. 1 である。 調性は同じくニ長調。 奥から楽譜が出てきたので確認した。 こちらは、第一楽章でソロが出る前にオーケストラが完全に休止するのだった。 休符にフェルマータのついている版もあるようだ。

2005-01-10 (1) 22:22:26 +0900

「pならばqならばr」は「(pならばq)かつ(qならばr)」ではない

「p => q => r」と書いたりもするが、 これとよく似た「p ≧ q ≧ r」が「p ≧ q かつ q ≧ r」の意味であるのに対し、 これは 「(p => q) かつ (q => r)」の意味ではない。 「(p => q) => r」の意味である。

(p, q, r がすべて偽の場合を考えれば、 二つは同値でないことがわかる。)

2005-01-04 (2) 18:12:26 +0900

松がとれるより先に喪が明けたら

喪中なのに年賀状を受けとってしまったら、 松がとれてから寒中見舞いを出す、と聞いたことがある。 では、松がとれる前に喪が明ける場合は?

2005-01-04 (2) 18:10:54 +0900

「A ならば B」が矛盾的 <=> A がトートロジーかつ B が矛盾的

A と B を命題論理の式とするとき、 「A ならば B」が矛盾的であるなら A はトートロジーでなければならない。 そうでないなら、A が偽のときに全体は真になるからだ。 B が矛盾的でないと、B が真になるときに全体が真になるからやはりだめ。

逆に、A がトートロジーで B が矛盾的なら全体が矛盾的であることはすぐわかる。

当たり前のことだが、考えたことがなかったので書きつけておく。

「A ならば B」を「~A または B」と定義に従って書きかえ、 その否定「A かつ ~B」がトートロジーだから、と考えてもよい。

(普通の公理体系では「A ならば B」と A から B を推測してよい。 矛盾的な式ばかり出てくる公理体系でそれにあたるのは何かな、 と考えているのである。)

2005-01-04 (2) 18:08:01 +0900

タンホイザー>法王の杖から芽が出るがそれはクリングゾールの魔法だった

幕切れ。 法王の杖から芽が出るのみならず、 茎がのび花まで咲いて一面の花園になるが、 それは実はクリングゾールの魔法だった、ってのはどうだろうか。

2005-01-04 (2) 18:05:18 +0900

英語リスニング入門の「年末年始ベストセレクション」は聞くのを省略した

だって西垣知佳子先生じゃないんだもん。

……ってのは半分冗談で、本当はテープが空いていなかったから。

2005-01-04 (2) 17:57:47 +0900

二進法 vs 二進数>数学科卒だが別分野の学問で活躍中の人に聞いてみた

きのう、数学科卒だがそののち全く別分野の学問に進まれ、 そちらで活躍されている人に 「二進法と二進数って覚えていますか」と質問する機会があった。 二進法は覚えておられたが、 二進数については「それ何?」という反応がかえってきた。

「二進数」という語は昔からあったのか? 「二進法」ではなかったか?》 参照。

付) p 進数体の元を p 進数と呼ぶことがあるので、 p = 2 の場合は「2 進数」となるが、 p 進数は数学科卒でも習っているとは限らない。

2005-01-04 (2) 17:39:37 +0900

昔の女優さんって足首がくびれてなくてもよかったんだなあ

2004年12月14日づけ朝日新聞大阪本社版「惜別」の面。 女優の市川春代さんが載っている。 知らない名前だったが、記事を読んだら、 ウルトラセブンにゲスト出演し、フルハシ隊員のお母さんを演じた人ではないか。 「元祖アイドル」なんて書いてある。全く知らなかった。 うちでは特に話題にならなかったぞ。

1931 年の映画からの写真が載っているが、きれいな人だ。当時 18 歳ぐらいか。 意外と足首は太い。 昔の女優さんって足首がくびれてなくてもよかったんだなあ。

付) ウルトラセブンに出たときは 55 歳ぐらいか。 和服姿だったような気がする。 あの話、当時は怪獣が出てこなくてつまらないと思っていたが、 いま思い出すとよかったよなあ。 特に最後が。

あの話にはフルハシ隊員の妹も出たよなあ。

2005-01-03 (1) 02:59:18 +0900


すのもの Sunomono