そうでないと,一月 11 日は icigacu 11 nici だが, 一月 2 日は icigacu hucuka と書かねばならなくなり,不統一が生じる。
しかし,書いたものと読み方とが異なってよいのか,という声もあろう。
ラテン語は日付の言い方が複雑だが,参考にならないかな。
2021-01-05 (2) 20:14:26 +0900
きのうメールを書いていて気づいた。これなら, 「来週の月曜日 11 日に……」と,普通に読み上げることができる。 ただし,「十一月」を前に続けることはできない。 「十一月 11 日(月)」なら読めるが, 「十一月月曜日 11 日」と言う習慣はない。
やはり,「十一月 11 日月曜日」が一番か。
2019-11-09 (6) 15:23:38 +0900
見出し行の引用「旧姓併記OK」は 2019 年 11 月 6 日水曜日づけ朝日新聞大阪本社版社会面より。 住民票,マイナンバーカードについてだそうだ。
本文に《結婚前の旧姓
》とあるから,そういうことか。
でも,結婚前に養子にいった人はどうなる?
結婚によって変わる直前のものだけをいう?
2019-11-09 (6) 14:55:17 +0900
「わたしは彼らに恵みを施すことを喜びとし、心をつくし、精神をつくし、
真実をもって彼らをこの地に植える
」。(口語訳)
2019-11-09 (6) 00:58:16 +0900
2019-11-09 (6) 00:49:52 +0900
《福音書通読>日本聖書刊行会「新改訳」を読み始める》 からだから,九日間か。
2019-11-09 (6) 00:24:47 +0900
2019-11-08 (5) 23:56:50 +0900
9,11「彼は答えた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目に塗り、
『シロアムに行って洗え』と言われました。それで、行って洗うと、
見えるようになりました」
」(口語訳)。
イエスが泥を作ったのは,彼が見えるようになる前である。
2019-11-08 (5) 23:34:31 +0900
きょうづけ毎日新聞掲載分。きょうじゅうならネットの上でも読める。
1. お母さん「雨降りそうよ カサ持ってったら」。 お父さん「面倒だから いいよー」。
2. お母さん「カサ持って いきなさい」。 ハル「めんど くさーい」。 カレン「ジャマだしー」。
3. コマが左・中・右に割れている。 それぞれ,カレン,お父さん,ハルが大雨で困っている。 三人の心の声「「ホーラ見なさい!」って お母さんにいわれる だろうな…・」。
4. お母さん,スーパーマーケットの出口か。 「あ〜〜 カサ持って くれば よかった〜〜」。 隣で知らない人がカサを開きながら笑っている。 雨は“ドザザザ”と降っている。
「めんどう」とか「じゃま」とかでカサを持たない心理が理解できない。 降れば困るに決まっているのだから。 私は上着をはおってゆくよう言われていらないと答えることがあるが, それは寒くても少々がまんし,温かいところにいるようにすれば済むからだ。 それとは事情がまったく違う。
お母さんがカサを持たずに出た理由がわからない。 家族がいらないと言ったからといって,それが当たるとは限らない。
不条理マンガというわけでもなさそうだ。
三人の心の声は,このマンガにしてはめずらしく横書きである。 三人が横に並んでいるためだろう。
2019-11-08 (5) 22:49:37 +0900
すぐに完全な記録にしなければいけないのだが, 旅行中に思いついた「いろいろ」を書いたりしているうち, あとまわしになってしまう悪い癖である。
2019-11-08 (5) 22:38:12 +0900
"ひお婆さん" は 17 件。 歴史的かなづかいの「ひ」と「お婆さん」が並んだものもいくつか。
2019-11-08 (5) 22:37:11 +0900
8,1-2「骨」が六回あらわれるが,二回めだけが現行と同じ字体である。 のちの版ではすべて現行の字体である。
8,2「衆群(しうぐん)」は「しゆうぐん」の誤り。 のちの版ではなおっている。19,13 も同じ。
8,22「乳香(にうかう)」は「にゆうかう」の誤り。 のちの版でもそのまま。
22,7「まふけて」は「まうけて」の誤り。のちの版ではなおっている。
22,15「もちふる」は「もちゐる」がハ行上二段に変化したものだろう。 のちの版でもそのまま。
23,15「毒水(どくすゐ)」は「どくすい」の誤り。 のちの版ではなおっている。
29,2「寺人(しじん)」は「じじん」の誤り。 のちの版ではなおっている。
(日付が変わるころまで読んで,第 30 章まで読み終えた。)
2019-11-07 (4) 22:14:14 +0900
《きのう,職場近くのコンビニで,頭に飾りの角(つの)をつけた女の子を見た》 の二人連れ。 どうも,木曜日には,同じ時間帯にそのコンビニに行くようだ。
2019-11-07 (4) 20:44:28 +0900
2019-11-16 (6) 00:14:02 +0900
…まで飛んだ。二日間でこりて,流しの上で開けたのに。 キーボードはタオルでそっと拭いた。あしたからはバスルームで開けよう。
2019-11-07 (4) 20:29:00 +0900
きょうづけ毎日新聞掲載分。きょうじゅうならネットの上でも読める。
1. 会社にて。社員「郵便局って どういくん でしたっけ」。 お父さん「ああ 地図描いて あげるよ」。
2. その社員「え… これがこの道…? でもこれが 四ツ角だし…」“ええ〜〜っ?”。 ハル「道が わからないん ですか?」
3. 地図を見る三人。 ハル「これって むさしの街道 じゃない?」 級友「えー こっちが 駅前通り だよー!」“ひどい 地図”。 小夏「これ 市役所 かな…」。
4. ハル「もしかして… ここ郵便局!?」。小夏「そう そう !」。 級友「これ たぶん 郵便局に いく地図ですよ!」。 その社員「知って ます」。
とっくにわかっていることを, ほかの人に,わからないと思って指摘されるオチである。
ふつう,道がわからなくなった人がいたら, まずは「どこへいらっしゃるのですか?」と聞くものでは。
いまや,スマホにナビさせるのがふつうだろう。
地図といえば 《桜田です!>要約>カレンとお祖母さんに地図と誤認された抽象画家がキレる》, を思い出す。作者は地図の解読が好きなのか。
2019-11-07 (4) 19:55:37 +0900
腕と重なってごちゃごちゃするからだろう。
2019-11-07 (4) 20:20:50 +0900
2019 年 11 月 4 日月曜日づけ朝日新聞大阪本社版生活面, 「食べ残し「持ち帰り」を文化に」を読んで。 (記事には税率のことは書かれていない。)
2019-11-07 (4) 17:52:00 +0900
2019-11-07 (4) 01:22:25 +0900
のちの版もそのまま。
2019-11-07 (4) 01:18:51 +0900
のちの版ではなおっている。
2019-11-07 (4) 01:17:13 +0900
のちの版ではなおっている。6,7 も同じ。
2019-11-07 (4) 01:12:21 +0900
のちの版ではなおっている。
この漢字,ANSI にはないようである。IME Pad で手書き入力し, それを Google で検索してコードを知った。こういう方法があるのか。
2019-11-07 (4) 00:46:00 +0900
なんだったんだ。
2019-11-07 (4) 00:38:05 +0900
新改訳の四福音書の小見出しは「逮捕」。新共同訳も同じ。
岩波訳の共観福音書は「捕縛」。ヨハネは「捕らえに来た人々の前で」。
「逮捕」は法に則っている場合に言うような気がする。
2019-11-06 (3) 23:46:30 +0900
…新改訳はそのまま。口語訳もだ。 新共同訳はカッコに入れ,岩波訳もそうしている。
《そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。
イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。
そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた
》(口語訳)。
《そのとき、イエスは言われた、
「父よ、彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」
》(口語訳)。
2019-11-06 (3) 23:45:12 +0900
くじについて。 Google で "買わなければ当たらない" は約 7,540 件, "買わなければはずれない" は 6 件。
2019-11-06 (3) 23:32:15 +0900
「審かん」は「鯖缶」と同音。……かと思っていたら,「缶」は「クヮン」だった。
……なんてことはどうでもよい。
十二使徒は,漁師や取税人など,“普通の”人であった。
それに「イスラエルの十二の部族をさばかせるであろう
」(口語訳)
というのだから,考えてみればすごいことである。
2019-11-06 (3) 23:15:33 +0900
それしかない。サイゼリヤとかで飲むのは別としよう。 (その場合は量を決めて注文するので,飲みすぎの心配がない。 一びんあって,“半分ぐらいでやめておこう”というのが苦手なのである。)
2019-11-06 (3) 23:07:57 +0900
「フェルマーの最終定理の簡単な証明2」。 スレ主が三つ書いただけ。
2019-11-06 (3) 23:01:10 +0900
…の広告。
2019-11-06 (3) 22:53:21 +0900
"属人的責任論" はみつからない。
2019-11-06 (3) 22:38:13 +0900
ルカ 22,6 「群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、機会をねらっていた」 (口語訳)。
イエスのおこなった奇跡を見ていれば,そうは考えないと思うのだが。 捕縛時の奇跡については,ルカ 22,51, ヨハネ 18,6 に記されている。 しかし,多人数を相手とする奇跡はヨハネ 18,6 が初めてか? でも, ルカ 4,30「しかし、イエスは彼らのまん中を通り抜けて、去って行かれた」 (口語訳)もそうとも言えるか。
ルカ 22.6 の原文もながめた。巻末の語彙集もひいてみた。
2019-11-06 (3) 22:11:39 +0900
読み慣れない句のような気がして,通読が止まった。
「人はみな神に生きるものだからである」(口語訳), 「すべての人は、神によって生きているからである」(新共同訳), とは何かが違う。
「すべての者が神にとっては生きているのだから」(岩波訳)。
原文は παντες γαρ αυτω ζωσιν である。単純であるだけに訳しにくいのであろう。 「すべては彼(=神)に対し生きているから」?
2019-11-06 (3) 21:49:03 +0900
カタログには文字の大きさなどは書かれていても,紙の厚さまでは書かれていない。
新改訳の新約聖書(伝道版?)には, ほぼ同サイズの口語訳があるが,そちらは詩篇がついている分だけ紙が薄いと思う。
2019-11-06 (3) 21:38:02 +0900
この句があるということは, ルカの読者は神の国がすぐには現れないと感じていたのか? (引用は口語訳。)
2019-11-06 (3) 21:34:54 +0900
欽定訳にはまさにこの句が使われている。
(いま,新改訳での福音書通読中で,ルカ 16 にかかったところ。)
2019-11-06 (3) 21:19:08 +0900
√(x2)。
2019-11-06 (3) 20:37:57 +0900
2019-11-06 (3) 20:37:26 +0900
2011 年 10 月 19 日水曜日づけ朝日新聞掲載分。
「●」は,草野心平の詩の紹介に出てくる。それ一文字らしい。
《〈●〉
》とあり。
「▼」は,天声人語の段落がえの記号である。
2019-11-06 (3) 17:53:05 +0900
一変数関数の場合,f'(a) = 0 かつ f''(a) > 0 ならば x = a で極小, を高等学校の数学 III で学ぶ。これは認めよう。 (高等学校での証明はもちろん Taylor の定理は使わない。)
C2 級の二変数関数 f(x, y) の場合,(h, k) を零ベクトルでないものとし, F(t) = f(a + ht, b + kt) とおく。 F'(t) = hfx(a + ht, b + kt) + kfy(a + ht, b + kt) だから, すべての (h, k) に対し F'(a, b) = 0 は fx(a, b) = fy(a, b) = 0 と同値である。
F''(t) = (h∂x + k∂y) F'(t) = h2∂xxf(a + ht, b + kt) + 2hk∂xyf(a + ht, b + kt) + k2∂yyf(a + ht, b + kt) で t = 0 とし, A = ∂xxf(a, b), B = ∂xyf(a, b), C = ∂yyf(a, b) とおくと三つとも定数で, F''(0) = Ah2 + 2Bhk + Ck2 である。
これらのことは,二次形式の議論からすぐ言えるのではないか。 (大学一年生で二次形式を知らなければ二次式の判別式に持ち込む。)
……と思ったのだが,ちょっと待て。 極小の定義に戻れば,ある正の数 ε が存在して 点 (a, b) の ε 近傍においては f(a, b) が最小, を言うのだが,方向 (h, k) ごとに“ε の値”が違い得るから,だめか。 (ε の値は方向 (h, k) に連続に依存するだろうから, 円周のコンパクト性から言えると思うが,かえってやっかいか。)
付記:この最後のカッコの中は間違いであった。下の追記を参照。
2019-11-06 (3) 17:29:01 +0900
カージオイドの極方程式は r = a(1 + cosθ) である。 これをまねて r = 1 + cos 2θ とする。 この右辺は 2cos2θ に等しいから, この図形は原点に関して対称である。 θ = π/2, 3π/2 で r = 0 となる。 r0 = 1 + cos 2θ = 2cos2θ ... (1) とおく。
θ ごとに決まる r の関数 -r8(r2 - r02)(r2 - 4r02) を考える。 r0 が零でない場合, r = 0 で零, 0 < |r| < r0 で負,r0 < |r| < 2r0 で正, |r| > 2r0 で負となる。 r0 が零の場合, r = 0 で零,|r| > 0 で負となる。
これに (1) を代入すると -r8(r2 - 4cos4θ)(r2 - 16cos4θ) = -(r6 - 4r4cos4θ)(r6 - 16r4cos4θ) で,右辺は x, y の多項式で書ける。 だから C∞ だが, おそらく,二階の偏微分まででは原点における極大・極小は判定できないだろう。
二つ上の段落に書いたことから, θ にかかわらず,原点からある方向へ進むと初めのうちは負である。 しかし,θ を動かせば,原点にいくらでも近いところに, 関数の値が正の点があることがわかる。---
2019-11-09 (6) 16:33:50 +0900
z = (y - x2)(y - 3x2) でよいようだ。 二つの放物線で区切られた領域での符号を考えてみるとわかる。 きちんと計算しよう。 展開すると z = y2 - 4x2y + 3x4 となる。
zx = - 8xy + 12x3, zy = 2y - 4x2 だから原点は極値の候補である。 zxx = - 8y + 36x2, zxy = - 8x, zyy = 2 であるのでここまででは極値かどうかの判断はできない。
y = kx とおくと z = k2x2 - 4kx3 + 3x4 となる。 z' = 2k2x - 12kx2 + 12x3, z'' = 2k2 - 24kx + 36x2 となって, k が 0 でなければ x = 0 で極小値をとる。 k が 0 のときは z = 3x4 だから x = 0 で極小値をとる。 y 軸に沿ってみると,z = y2 だから y = 0 で極小値をとる。 よって,原点を通る任意の直線上に制限すると原点で極小値をとる。
しかし y = 2x2 とおくと z = - x4 となり, 原点のいくらでも近くに負の値をとる点があるので, 二変数関数と見た場合,原点は極大でも極小でもない。---
(原点における連続性の判定の問題で,放物線を利用したものがあったと思う。 原点を通る任意の直線に沿って見ると連続だが, 放物線に沿って原点に近づくと連続でないことがわかる例である。)
2021-01-05 (2) 17:30:30 +0900
きょうづけ毎日新聞掲載分。きょうじゅうならネットの上でも読める。
1. たぶん会社の屋上。異様に唇の肥大した男がサンドイッチと飲み物を手にしている。 お父さん「おっ 昼飯は屋上で サンドイッチか」“うまそう だな”。
2. その男,口を“もぐ”“もぐ”させている。
3. その男,唇をも噛み始めた。“もぐ”“もぐ”“ゴク…”。
4. その男「うまく 飲みこめないん だよな・‥・」。 お父さん「それ 唇だろ」。
ありえない。 唇が大きいからと言って,唇をも噛もうとするとは思えない。
カメちゃんネタと似たところがあるか。
その男の最後のせりふは,口にものがはいったままだ。 しかも,唇を噛みしめたまま話している。腹話術か。
食べているものがサンドイッチであることに,どういう意味がある?
2019-11-06 (3) 00:23:19 +0900
…考える必要があるのでは。
2019-11-06 (3) 20:30:20 +0900
2019-11-06 (3) 00:19:32 +0900
《文語訳聖書(旧新約聖書,1980 年)の通読を始めた》 からだから。
全部で 1593 + 536 = 2129 ページ。 いま旧約の 1278 ページだから 60.0 % である。 あと二か月で読み終えるだろう。新約は前に新しい版で通読しているし, 句読点があるので,スピードが上がることが期待される。 年内には読み切ろう。
2019-11-06 (3) 00:13:31 +0900
日本語についてはまだ改良の余地があるということか。
2019-11-05 (2) 23:35:05 +0900
「ギリシャ語」からの翻訳のとき。これは便利だ。 母音の長短は適宜解釈してくれるし。
ヘブライ語も同様。
2019-11-05 (2) 23:31:35 +0900
文語訳では小書きのカナを用いないのが原則である。 のちの版でもそのままだ。
2019-11-05 (2) 23:22:53 +0900
《その蛆しなずその火きえず よろづの人にいみきらはるべし
》
にいたったとき,これで終わりだと思いほっとした。
2019-11-05 (2) 23:04:41 +0900
のちの版ではなおっている。66,17「鼠(ねずみ)」を見て気づいた。 ほかにも,イザヤ書で見たような気がするが,カン違いかも。
2019-11-05 (2) 22:59:18 +0900
母前 6,5, 6,18 はあっている。
2019-11-05 (2) 23:56:04 +0900
ほかでは「さうざう」とする。のちの版も同じ。
2019-11-05 (2) 22:51:20 +0900
のちの版ではなおっている。
2019-11-05 (2) 22:39:26 +0900
のちの版ではなおっている。
2019-11-05 (2) 22:28:44 +0900
2019-11-05 (2) 21:52:19 +0900
のちの版ではなおっている。
2019-11-05 (2) 21:45:09 +0900
のちの版ではなおっている。
2019-11-05 (2) 21:24:48 +0900
のちの版ではなおっている。
しかし,この「ず」は,第一画の上に濁点がある。ほかは下。
2019-11-05 (2) 21:13:51 +0900
きょうづけ毎日新聞掲載分。きょうじゅうならネットの上でも読める。
1. お母さん,やや険しい表情で「ちょっとサンマ 見張ってて!」。 ハル「お姉ちゃん お願い!」とサンマを載せた皿を渡す。 カレンは何かを読んでいるが「ハーイ」。
2. カレンはまだ何かを読みふけっている。 ネコの正太郎“いた だきっ ♡”“ガッ”と皿の上のサンマをくわえる。 お母さん“あ〜〜っ !".
3. お母さん,カレンに「見張っててって いったじゃない!」。 カレン「責任を 痛感します」。
4. お母さん「痛感する だけでしょ!」。 カレン,小さな声で「痛感 します」。 ハル「任命責任は 私にあります」 正太郎“うめー”。
サンマを狙うのは猫の正太郎だけなのだから, サンマを見張るのではなく正太郎を見張るべきである。 ネコがその素早さでサンマを狙ったら, 防ぐことはできないだろう。 正太郎をおりに入れるとか,すべきであろう。
正太郎は,これで飼い猫と言えるのだろうか。 しつけがなっていない。 これだと,食事を始めたあとにもサンマをとりにくるかもしれない。
「お姉ちゃん お願い!」で任命したと言えるだろうか。 首相の大臣任命責任とかけたのだろうが, 大臣の任命は単に責任を押しつけるものではないはず。
三回あらわれる「感」の字体が変。「心」が小さすぎる。
2 コマめの「ガッ」の「ガ」の字体が変。「サ」かもしれない。
2019-11-05 (2) 19:59:33 +0900
《桜田です!>要約>ゴキブリをネコの正太郎がつかまえた。家人はあとは無視》, 《桜田です!>ゴキブリをくわえて捕まえてきた飼いネコの正太郎,ぶたれる》 でわかるように, 正太郎は,人間が捕まえられないゴキブリを捕まえられるほどすばやい。 正太郎が動きだしてから魚をのけるのは絶対に無理だ。 魚料理のときは前もって,おりにでも入れておかないと。
2021-02-07 (0) 01:11:56 +0900
2019-11-05 (2) 19:44:23 +0900
2019-11-05 (2) 00:45:22 +0900
「ュ」は不自然なほど小さい。 のちの版も同じく小書きとする。
2019-11-05 (2) 00:37:13 +0900
のちの版もそのまま。
2019-11-05 (2) 00:33:41 +0900
フェルマーの最終定理。p = 4 のときも示す必要があるかな。 あとは p が奇素数のときについて証明すればよいが, もしも 3 以上のすべての p に対して通用する証明ができるなら, それは結構なことだ。
5ちゃんねるをのぞいていて。
2019-11-05 (2) 00:11:01 +09005ちゃんねるをのぞいていて。
2019-11-05 (2) 00:07:55 +0900
6,9
《そこで、イエスは言われた。「あなたたちに尋ねたい。
安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。
命を救うことか、滅ぼすことか。」
》(口語訳)とあるが,
ここで実際に問題になるのは「善をおこなうことか,おこなわないことか,
命を救うことか,救わないことか」ではあるまいか。
2019-11-04 (1) 23:31:57 +0900
《1981 年に買ったカシオのデジタルウォッチ,電池交換したら動き出した》 から一年か。 当時は一日 1 秒の進みだった。最近はそれよりも進むようである。
2019-11-04 (1) 23:02:31 +0900
マタイ 2,1
《イエスがヘロデ王の代に、
ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、
見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った
》,
2,4
《そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、
キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした
》。
2.7
《そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、
星の現れた時について詳しく聞き
》とあるから,
博士たちは生まれた日についたわけではなさそうだ。
一方,ルカ 2,11
《きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。
このかたこそ主なるキリストである
》とあるから,
こちらは生まれた当日であろう。羊飼いのほうが先ではあるまいか。
これらの二群のあいだで起こるできごとなどを想像・創造したら, フィクションとしてはおもしろいかも。
以上,引用は口語訳による。
ウィキペディア「東方の三博士」によると, 誕生の2年後,誕生後の 13 日目,などの説があるようである。 そうだとすると, クリスマスに東方の三博士が登場する劇を演じるのは早すぎか。
又。 マタイによれば命名後に博士たちがくる。 ルカでは羊飼いがくるほうが命名よりも先。 だから,これらの二群は出会うはずはない。 私はいままで何を読んでいたんだ?
2019-11-04 (1) 22:46:01 +0900
そう思って,岡山城では写真に撮った。いまはそれを敷いている。
2019-11-04 (1) 22:33:29 +0900
2019-11-04 (1) 22:09:02 +0900
振替休日や移動祝日のため月曜日の休みが増え,曜日振り替えの授業日ができた。 非常勤の先生の都合がつかなくなり, 勇んで代講を引き受けたのだが,教科書を見たらやりにくいところだった。
テイラーの定理,陰函数だ。
うーむ。
2019-11-04 (1) 21:26:29 +0900
きょうづけ毎日新聞掲載分。きょうじゅうならネットの上でも読める。
1. お父さんとカレン,テーブルの上を見ている。 カレン「うわ 活(い)け造り スゴーイ!」。 料理人「ごらん ください」と,包丁の柄で魚の頭をたたく。“コン”。
2. その魚,水槽の中を泳いでいる。 カレン「ええ〜〜っ 泳いでる〜〜!!」。
3. 小学校。 人間の骨格模型の前で, 黒岩先生「理科の教材 運ぶの 手伝ってくれ」。 カレン「ハーイ」。
4. カレン,骨格模型の頭蓋骨を“コン”とたたく。 黒岩先生「なにして るんだ?」。
最初のコマの活け造りは,魚がまだ生きているのか, 生きているように盛りつけただけなのか,わからない。 (「生き作り」には両方の意味があるようである。)
その活け造りは,いかにも,魚の頭と尾を残して残りを骨にし, そこに切り身を並べただけ,といった,貧相なものである。 まだ生きているかのように思わせるものでなければならないはず。
2 コマめの魚。胴体が骨だけで泳いでいる。これはありえない。 筋肉を少しでも残さなくては。
料理人がたたいたのは,生きていたときのままの魚の頭。 カレンがたたいたのは頭蓋骨。しかも模型。ぜんぜん違う。
黒岩先生の最後のことばがないとオチにならないのは残念である。 (カレンの奇抜な動作だけでオチになるはず。)
「コン」の「ン」の字体が変なのは,前からのとおりである。「コソ」にも見える。
2019-11-04 (1) 20:25:39 +0900
「わたしは、祈の時にあなたをおぼえて、いつもわたしの神に感謝している」 (口語訳,ピレモン 4)のような, キリスト教会特有の「おぼえて」の用法である。
口語訳ではサムエル記下 14,11, ネヘミヤ記 6,14, ルカ 1,73, ピレモン 0,4 に現れている。
(「ピレモン 0,4」は,章番号がないので, 日本聖書協会の検索ページでそう表示されたのをそのまま写したもの。)
新共同訳には「おぼえて」はない。 が,この意味で「覚えて」が使われている箇所は, 箴言 3,6 がそうである。
新改訳の福音書を通読中に,ルカ 1,73 を見て。
2019-11-04 (1) 20:13:23 +0900
半分近く飲んだ。このくらいにしておこう。
2019-11-04 (1) 20:05:54 +0900
2019-11-04 (1) 19:46:42 +0900
2019-11-04 (1) 19:31:56 +0900
2019 年 11 月 3 日日曜日づけ朝日新聞大阪本社版教育面, 「変わる 2020 大学入試」は「英語民間試験の利用延期 どうすれば」。
お二人のうち,
開成中学・高等学校長の柳沢幸雄さんの意見は,この問題についてだけでなく,
この問題にからめて,
《日本の大学入試は,入り口で厳格に,出口はズルズルというところに,
そもそもの問題がある
》という視点をも含めている。
もしもそれを改めて米国式にする場合,卒業できなかった学生をどうするか, を合わせて論じる必要があろう。 米国ハーバード大学院,東大で教えてこられたかただから, そのあたりは考えておられるのであろうが, この文章からは読み取れないのが残念である。
(たとえば,大学の3年次への編入学試験を充実させるとか。 でも,それにも落ちてしまった学生はどうするか。 編入学試験の浪人となるのか。予備校はそれに対応するコースを設けるだろう。 「A大学を卒業するのとB大学を2年次の終わりで退学になるのと, どちらが就職に有利ですか?」のような話にはならないか。)
中学は義務教育でもあるからおいておくとして, 開成高等学校では卒業条件をきびしくしているのかどうかも興味がある。 高等学校が真に卒業条件をきびしくしていれば, ほとんどの大学では筆記試験による入試が不要になると思うからである。
宮坂麻子と署名あり。
2019-11-04 (1) 17:13:06 +0900
2019 年 11 月 3 日日曜日づけ朝日新聞大阪本社版掲載分。 「たな・に・モノ・を・のせる・やつ・が・ある・か」。
分かち書きも,この文章の場合,品詞分解と一致する。 用言は「のせる」「ある」だけだから。 そういう文章を選んだのだろうか。
2019-11-04 (1) 16:52:06 +0900
民間試験の利用をやめることにして。
2019-11-04 (1) 16:23:15 +0900
2019 年 11 月 2 日土曜日づけ be の 3 面。 Google でその電話番号を調べたら,そのお店が見つかった。
前に読んだのだが,長谷川町子さんがマンガに適当な電話番号を書いたら, その番号に電話がかかって,しかられたという話。それを思い出した。
このお店,最寄りの駅名と店の名前だけでも見つかるから, 電話番号はうつっていてもいなくても関係ないか。
2019-11-04 (1) 16:04:50 +0900
…見かけた。広くて,安全で,走りやすくて,よい場所を見つけたものだ。 改装工事の業者の自動車が二三台とまっていた。 そのかげで,工事の人が休んでいたが, 子ども二人はその周りをぐるぐると走り回っていた。 あれだけ乗れれば,もう歩道でも大丈夫だろう。
2019-11-04 (1) 15:27:10 +0900
通読しているのか,かなづかいの間違いを探しているのか, わからなくなってきた。
2019-11-04 (1) 01:34:21 +0900
のちの版もそのまま。
2019-11-04 (1) 01:28:15 +0900
のちの版でもそのまま。……と思ったが,尼 9,6 も「ばんざう」としている。
2019-11-04 (1) 01:12:41 +0900
2019-11-05 (2) 00:22:18 +0900
のちの版では「ラツパ」とする。
2019-11-04 (1) 00:50:20 +0900
1980 年版ではイザヤ書の側から詩篇の側に引照がついている。
2019-11-04 (1) 00:45:03 +0900
のちの版でもそのまま。
2019-11-04 (1) 00:40:43 +0900
のちの版ではなおっている。
2019-11-04 (1) 00:36:53 +0900
リコーダーは小学生のときに買ったソプラノである。
最初はヘ短調(長三度下)。次はハ長調(元のまま),ヘ短調(長三度下)。 リフレインはイ長調(元のまま)。 それからハ短調(増四度下)からト短調,へ長調(長三度下)。
2019-11-03 (0) 23:58:13 +0900
過去分詞のオトが変わる例があると覚えやすいのでは。 「まいにちフランス語(応用編)」10 月 25 日放送分でもこの事項が出たが, オトは変わらない例ばかりだった。
2019-11-03 (0) 22:33:54 +0900
いままで気づいていなかった。原文でも定冠詞がついているから,そのようだ。 マルコ伝で確認。
2019-11-03 (0) 21:20:47 +09002019-11-03 (0) 20:55:52 +0900
新改訳の小見出しは「いちじくの木をのろう」。それで気がついた。 本文には「呪う」の語は含まれていない。 手元のギリシア語原文の小見出しは The Cursing of the Fig Tree となっている。
2019-11-03 (0) 20:47:30 +0900
2019-11-03 (0) 20:38:49 +0900
きょうづけ毎日新聞掲載分。きょうじゅうならネットの上でも読める。
1. 黒岩先生「秋の大食い大会 クラス代表を 決めよう」。 おかっぱで釣り目の女子児童“カレン ちゃんが いいと思い まーす♡”。 別の児童「桜田に 決まってん じゃーん」。カレン“えへへ”。
2. 黒岩先生「桜田 クラス代表として 頑張ってくれ!」。 カレン「まかし といてー!」“おー!”。
3. 桜田家の食卓。カレンが“ばく”“ばく”と食べている。 お母さん「最近 すごい 食べっぷりね」“エンゲル 係数が…”。 カレン「トレー ニングよ!」。
4. 司会者「桜田カレンくん 不戦勝で 優勝です」。 児童「桜田に 勝てるワケ ないじゃん」。 カレン“ちぇー”と言いながらトロフィーを受け取ろうとしている。 背景には「むさしの小」「大食い大…」の文字列が見える。
きのうの相撲大会と対になるマンガ,ということか。
不戦勝だと食べられないものだろうか。 陸上競技などで一人を除いて全員棄権した場合, 世界記録などが出るかもしれないから,走らせるのではあるまいか。
小学校が「大食い大会」なんてやるだろうか。 からだによくないし,食べ残せば無駄が出る。
最後のコマの司会者はカレンを「君づけ」で呼んでいるが, いまの小学校ってそうなの? 男子も女子も「さんづけ」というのは聞いたことがある。
「むさしの町」は架空だが,「武蔵野小学校」は,複数,実在する。
2019-11-03 (0) 19:56:59 +0900
2019 年 11 月 1 日金曜日づけ大阪本社版社会面の数行の記事, 「唐招提寺拝観料,来春値上げ」の中で。
2019-11-03 (0) 17:14:41 +0900
その講堂にはいったことは何度かあるが,机は狭いし,照明は不十分だった。
前項を書いていたら急に思い出した。
2019-11-03 (0) 16:27:43 +0900
2019 年 10 月 29 日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版社会面,
「萩生田文科相 英語民間試験巡り「身の丈に合わせて」
」。
《住む場所や家庭の経済状況によって不公平が生じないか――。
こんな質問に,萩生田氏は
「『あいつ予備校通ってずるい』というのと同じ」などと反論
》
とあるのだが,
学習環境の格差と試験そのものの不公平とは別物ではあるまいか。
受験料に「並」「上」「特上」などと差をつけて, それに応じて受験会場の空調,明るさ,机の大きさなどを変えたらどうなるか。
2019-11-03 (0) 16:18:02 +0900
2019 年 10 月 29 日火曜日づけ大阪本社版社会面, 「ネット閲覧歴 利用規制を検討」。 「クッキー 公取委「無断は問題」」という見出しもある。
ウェブ上で利用者がどんなページを見たかを記録する「クッキー」について,
公正取引委員会は,
利用者の同意なく収集して利用すれば独占禁止法違反になる恐れがあるとして
とあるのだが,クッキーは閲覧したコンピュータ内にだけ保存されるのでは?
用語の説明には
パソコンなどからウェブページに接続したとき,
ページ側が利用者側の端末に保存する情報のこと
とあり,これは私が理解しているとおりだ。
「ページ側が」にはひっかかるが。
NHK ラジオのニュースでも聞いた記憶があるが,よくわからない。
2019-11-03 (0) 15:57:54 +0900
私は重ねて封筒に入れるだけ。 持ち出して採点する場合,ファイルにとじてあればなくす心配がない。
最近は持ち出し禁止のところもあるようだから,意味がないかもしれないが。
リング式ファイルが適切だと思うのは,紙全体が見えるから。
前項参照。
2019-11-03 (0) 15:52:59 +0900
通路をへだてて反対側の座席に座った初老の男性である。 靴と靴下を脱ぎ,靴下は座席前の網の中に入れた。 それからチューブにはいった塗り薬を取り出し,足先に塗っていた。 薬の箱には,水虫だかタムシだかの病名が書いてあった。 その後,カバンの中からファイルを取り出し,赤ペンで記入を始めた。 リング式のファイルである。 私は視力がよくないのでよくは見えなかったが, どの紙にも同じものが印刷されており, その間に書かれた字句を読んでいるようだったので, 筆記試験の採点ではなかろうかと推測された。 この一連の動作の間,手を拭いたりすることはなかったようだ。
途中でトイレ休憩が一回ある。 トイレから戻って,また薬を塗っていた。
2019-11-03 (0) 15:43:11 +0900
アパートの部屋を出て,エレベータを呼ぶボタンを押す。 エレベータの中での行き先階を示すボタンを押す。 建物の出口のドアを押す。 押しボタン式信号機のボタンを押す。 このあと,公園の水道で手を洗わないと,どうしても気持ちが悪い。 バスに乗って降りるまでは何もさわらないから問題なし。
先日,輪島に行った際のバスではシートベルト着用が義務づけられており, ベルトや金具にさわったので, 降りて輪島駅前のトイレで手を洗うまで気持ちが悪かった。
2019-11-03 (0) 15:39:16 +0900
のちの版ではなおっている。
2019-11-03 (0) 01:00:53 +0900
のちの版でもそのまま。
2019-11-03 (0) 00:59:48 +0900
のちの版ではなおっている。
2019-11-03 (0) 00:53:52 +0900
のちの版でもそのまま。
2019-11-03 (0) 00:49:15 +0900
のちの版ではなおっている。
2019-11-03 (0) 00:40:46 +0900
もしあれば,冒頭部が三回くりかえされたように聞こえるのでは?
2019-11-02 (6) 22:30:15 +0900
2019 年 10 月 29 日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「耕論」は 「秋,短くなった?」。三人のうちの一人,俳人の夏井いつきさんの 「季語で目覚める季節感覚」はとんでもない誤解だ。
近年は10月を過ぎても暑さが残る日々が多いことから, 「秋が短くなった」といった「季節のずれ」を体感される方が多いかも知れません。 俳句の世界でも,一時期,旧暦で出来ている季語を, 現代の季節に合わせて整理し直すべきだという意見が出ました。
季語に旧暦・新暦があるの?
台風という秋の季語の核は, 2月上旬の立春から210日目あたりの大風で農作物に被害を与える, ということです。(以下引用略)
立春は新暦でも旧暦でもあの日である。
旧暦を前提にしている俳句の季語は, そもそも現在の四季とずれています。(以下引用略)
次の段落。
例えば俳句の世界では,秋は8月上旬の「立秋」に始まります。 (以下引用略)
この人は,立秋を旧暦の概念だと信じているようだ。 正しくは太陽黄経が 135 度になる瞬間を含む日である。
でも俳句を覚え,旧暦の季節感を覚えたあとに海を眺めると(中略)。 季節の微妙な変化を先取りするのが,俳句をつくる人間には楽しいのです。
二十四節気が季節とずれて感じられるのであり, そこには旧暦も新暦もないのだが。
聞き手・中島鉄郎と署名あり。何も考えないで掲載したのだろうか。
2019-11-02 (6) 17:13:41 +0900
2019 年 10 月 29 日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「声」掲載の, 徳島県の 68 歳の無職,小林清重さんの「キラキラネーム 自由だが…」。
中学生の時,授業での出席確認で, ある生徒の名前「○佐(すけ)」に対し, 教師が「『佐』は『すけ』と読めない。 『佑』と役場に届けるところ, 君のおやじさんは間違ったのだ」と言い切った。 僕らクラスメートは黙っていた。
これはその教師に教養が欠けていたのである。 広辞苑第五版で「すけ」を見ればわかる。 でも,これだけの記述で,どれだけの読者がわかるであろうか。
明治安田生命が発表した2018年の名前のランキングを見た。 女の子2位の「結愛」と男の子3位の「大翔」の読み方は何種類もある。 ルビがなければ,「正しく」読むのは難しい。
人気の漢字や読み方があるのは, 大切な我が子が個性豊かに育つよう願う結果だろうか。 認められた範囲ではどういう漢字と読み方であろうと親の自由だが, 読み方が分かりにくいキラキラネームは当て字も多く, 男女判別が難しい。
名前は固有名詞であり, 誕生から死後も存在し,人々が共有する。 名付けの分かりやすさは,社会に親切かも知れない。
これで全文を引用した。 最初の段落が,そのあととどう結びつくのか,まったくわからない。
名前の読み方には範囲はなく,カナで書ければよいはずである。
2019-11-02 (6) 16:58:52 +0900
前項の新聞記事。
「いかかたはかりけむ」には「いかが謀(たばか)りけむ
」と付記されている。
われわれが読んでいるのは原文ではなく,研究者が濁点を補い,
意味をとりやすいよう漢字をあてたテキストである,
ということがよくわかる例になっている。
ローマ字で分かち書きすれば ikaga tabakarikemu であろうか。
2019-11-02 (6) 16:43:05 +0900
2019 年 10 月 28 日月曜日づけ大阪本社版。
小見出しとして「大島本と異なる仮名遣い」とあるので,
歴史的かなづかいに新しい情報が加わるのかと思ったら,
《山本淳子・京都先端科学大学教授(平安朝文学)
》の話として
《仮名や文字の使い方,表現の細部に違いがみられる
》とあり,
あがっている実例は「よろしう」と「よろしく」,
「いかかたはかりけむ」と「いかかはたはかりけむ」で,これは本文の異同であろう。
2019-11-02 (6) 16:30:59 +0900
きょうづけ毎日新聞掲載分。きょうじゅうならネットの上でも読める。
1. 黒井先生「秋のスモー大会 出場希望者は いるか!」。 ハル「えー スモー!?」。 野中君「肉山くんが いいと 思いまーす」。
2. “肉山くん”と書かれた文字列から矢印ののびた級友 「ボク体重は あるんだけど 運動はニガテ なんだなー」。 もう一人の級友「ボク 立候補 します!」“ハイッ”。
3. その級友「スモーは ただふとってれば いいワケじゃない」 「足腰が大事 なんだよ!」。“パン”と足をたたく。 ハル「確かに!」。
4. 相撲大会当日であろう。 ふつうの児童より二回りほど大きい選手が誰かに覆いかぶさっている。 下敷きの児童「むぎゅ」。 ハルが土俵のわきで苦笑している。
オチもなければ救いもない。体格差で負けたというだけだから。
結局,太っていれば勝つ,ともとれる。相撲関係者はどう思うだろうか。
押しつぶされるところは描かれていない。
土俵の上に審判員がいない。
本当に,まわしだけをつけて相撲をとらせるだろうか, いまの小学校。女子児童が出るときはどうする?
「肉山」は「ししやま」と読むのだろう。「宍山」に同じ。
2019-11-02 (6) 15:58:21 +0900
2019-11-02 (6) 15:55:18 +0900
四月から受け付け開始だったのだが。
2019-11-02 (6) 15:28:24 +0900
プラスチックの間に紙をはさんだしおりがはさまっている。 年とチャペルの名前が書いてあるから,くれたチャペルが作ったものである。 このしおりの上の二つの隅が,直角に切ってあるのでとがっていてあぶない。 それを切って丸くした。
《某チャペルのクリスマス礼拝に出たら「新改訳新約聖書」をもらってしまった》 に記事あり。本体 380 円 + 税 5 % で 399 円。
2019-11-02 (6) 15:07:04 +0900
よく言い聞かせておくが、人の子らには、
その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。
しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。
そう言われたのは、
彼らが「イエスはけがれた霊につかれている」と言っていたからである
(口語訳)。
また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、 「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、 「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言ったの続きであって,実際には聖霊の力で悪霊を追い出しているのに, その聖霊を
悪霊どものかしら
けがれた霊と呼んだから,ということだった。
なぜか,新改訳を読んでいたらわかった。 特にわかりやすく訳してあるわけではないが。
2019-11-02 (6) 14:45:56 +0900