SE475〔開発コ−ド名「ミンスク」)

友人がクラシックII を持っていました。ひょいと片手でもちあげて、部屋の好きな場所まで持っていって色々やっているさまを見て、うらやましくなりました。

「ううむ、あの機動性はうらやましいのう」

「一体型機がほしくなったの?」

「カラ−のがいいな。」

「カラクラ買うの?」

「あれはデザインが下品だし、いまさら030マシンは...」

カラ−クラシックは、アイマックがでるまでは唯一のカラ−一体マックの選択肢でしたが、あの、こま犬が大口開けておねだりしてるみたいなスタイルと、貧弱な9インチ領域しか表示できない固定9インチモニタに10万近く出す気はまるっきり起きません。

「エスイ−30がカラ−だったらなあ...それでもって、シ−ピ−ユ−が040だったらなあ...」

「エスイ−サ−ティ−のガラにエルシ−475の基板入れれば?」

「...なるほど...あれ、描画能力高いもんなあ。」

エルシ−475はブイラムを1メガ積めば32000色で15インチ表示ができるので、能力的にはLC630よりも上でした。おまけに、基板上の抵抗器の位置を変えると、クロック数が33メガヘルツになるという情報も手に入れていたのです。

「よし、とりあえずそろえちゃれ!」

兵は拙速を尊ぶ、のことわざ通り、さっそく部品集めを始めました。まずはLC475です。これは中古屋さんでごっそり出たてだったので、簡単に手に入りました。

「これで電源とフロッピドライブも手に入った。」

次はガラです。これもなぜかソフマップで新品状態のガラだけ売っていたので少し高かったけど、まるごとSE30買って中身を粗大ごみに出すよりはいいので即ゲット!買ったその日に33メガヘルツ改造してしまいました。

「シ−ピ−ユ−も替えちゃれ!」

今でこそだれもエフピ−ユ−なんて言葉を口にしませんが、68k時代にはコプロのあるなしというのがあって、コプロがついてるシ−ピ−ユ−は高くてステ−タスシンボルでした。セレロンとペンツ−みたいな関係?ちょっとちがうか・・・

で、68040の33メガヘルツを買ってきて挿したんですよ。これもオ−ケイ。

「モニタ−は?」

当時手に入るパソコン用の最小のブラウン管式モニタ−は、10インチ。お店の店頭でうろうろ眺めてはため息をつきます。

「なんか、奥行きがSE30の奥行きよりでかい気がする...」

「そりゃそうよ。SEのは9インチでモノクロだもん。」

「ううむ、考えてなかった...」

「ガラの後ろに穴あければ?」

「なんか、カソ−ド部が折れそうでないかい?」

「でも、もう他の部品買っちゃったし、後戻りできないよ!それに、お店の店頭で悩むのって、男らしくない!改造バ−サ−カ−のクセに!」

「だって、載らないんじゃ...」

「買って帰って分解してみれば?なんかいいアイデア出るかもよ?」

10インチモニタはかわいくて、しかも1124ドットくらい表示できるマルチスキャンだったので、ぼくはこれはこれで、475と組み合わせるだけでもいいかなっと思い始めました。で、買っちゃいました。おばかさん。

・・・

「ううむ、あんのじょう、7センチは長いぞ!」

どう考えても買ってきた10インチモニタ−はSE30のガラにはおさまりません。電子銃部分が完全に飛び出ます。おまけに電子銃部分はとってももろそう。後ろに穴を開けてそこから飛びださせたのでは絶対に危険です。冗談でなしに死にます。

「ま、475と組み合わせて使えば!」

トホホ妖精はあんなにあおってたくせに、一旦手に入れてしまうといたって無責任。ぼくの悩みなんぞどこ吹く風、本棚から飛行機の本を出して眺めています。ぼくと同じで飛んて落ちるものが大好きなのです。飛行機、鳥、虫、マック...

「!!!」

ぼくは妖精の見ていた飛行機の写真が、なんの機体であるかに気付いて、思わずその本を取り上げました。

「Fw190D!D型!そうか、ドイツ人のやり方があった!」

フォッケウルフ190という飛行機は、ゼロ戦と同じプロペラで飛ぶ飛行機ですが、後でもっと大きなエンジンにのせかえる改良をされたときに、機首が長くなって前が重くなったので、後ろの胴体も伸ばしてバランスをとる改造をしました。その時の改造のしかたがふるっていて、きちょうめんな日本人なら新しく後ろの胴体を再設計するところですが、ドイツ人は胴体を途中で切って、その胴体断面と同じ断面のパイプ状の入れ子をはさんでおしまいにしたのです!尾翼もそうやって大きくしています。本質を見抜いた大胆かつ、手のかからない方法として、ぼくはかねがねすごいと思っていたやり方だったのです。

「アルミの板金で胴体と前面パネルの間に入れ子を作ってやればいいんだ!」

「そっか!すごい!...でも、モニタ−の固定は?ネジ位置がちがうよ?」

「アルミアングルでフレ−ムをこさえて、それにモニタ−その他を固定してからガラの中に閉じこめればいいじゃん。最近の設計はモノコックモノコックって何も考えずにいってるけど、フレ−ムがあったって全然構わないと思うよ。シドニ−・カム卿を見習ったほうがいい。」

こうして急に光が見えたので、新たに材料が買い込まれ、図面書きがはじまりました。

アルミのアングル材は最初ロウ付けで組もうと思っていたのですが、東急ハンズ池袋店は当時、アルミロウはあるのにアルミ用ペ−ストが無いというトホホな状態で、店員もうるさそうだったし、取りよせも面倒だったのでモスキ−トを見習ってエポキシ接着剤結合に変更、念のために〔それとア−スのため)アングルの接合面に貫通穴を開け、ネジを切り、そこにアルミ棒にネジを切ったのをねじ込んでヤスリでさらっておきました。これでフレ−ムが完成。

475の基板はフレ−ム底面にネジで結合します。モニタ−ヘの出力は基板からソケットを取り外し、そこに15本の線をハンダ付けして、その先を15ピンソケットにハンダ付けしました。モニタ−は〔2種類買ってきて、分解しやすいほうを使った。残りの一台は改造時の点検用で稼働中です。とほほ...)分解してフレ−ムにビスで結合、モニタ−ラインはさっきのソケットに変換器をかませてつなぎます。電源プラグはLC475の電源のスイッチにハンダ付けしました。

LC475の電源は、これまた飛行機の燃料タンクのように電線結束コ−ドでもってフレ−ムに縛りつけました。

FDDはフレ−ムにあけたネジ穴にネジで結合、HDDはリム−バルケ−スです。ケ−ス背面の基板コネクタがでる部分は475の背面を切り取って接着。

問題のケ−ス延長入れ子は2ミリ厚の帯状アルミ版を曲げて接着剤とアルミ棒にネジを切ったもので結合しました。ケ−スとはネジ結合ですが、外からはネジが見えないように工夫してます。

ケ−スに色を塗って、組み上がったフレ−ムを挿入します。

「前面パネルは?」

「なんか、いい方法が浮かばないんだよね。ワンタッチ結合にしたいんだけどね。」

「じゃ、取りあえず立ち上げてみようよ。」

電源とキ−ボ−ドをつないで、背面のスイッチを入れます。

「ぽ〜ん」

「やった〜」

こうして、90%完成状態のカラ−SE475は、見事に立ち上がりました。しかも、起動ディスクがリム−バルなので、英語のOSにジャパランを入れて遊んだりすることもできます。ランカ−ドもついているので他のマックとも自由にデ−タ交換できます。

「あとは前面パネルの取り付けかただけだね!」

「.................」

「...」は一年以上続き、せっかくの一体マシンはホコリまみれのまま放置され、こないだ久々に起動したら、モニタに信号がこなくなってました。〔起動はしてるみたいなのに...)呆然とするぼくの目に、あの、鳴り物入りで極東艦隊に配属され、ウラジオから太平洋をにらんでいたけど故障続きでほとんど活動しなかったソ連の巡洋艦「ミンスク」が、ついにスクラップのために韓国に売られたというニュ−スが入ってきました。

「このパソコンみたい。できる前に壊れるなんて。」

こうして、この一体型マック「97式通信機」は、開発コ−ド名を「ミンスク」と、後付けされたのでした。

「ふんだ、これからガゼル化するんだもんね!」

そのお話はまたの機会に...

開発コ−ド名「ミンスク」その後 それからの630 840AV基板
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