70万歩の旅~巡礼の路を歩くⅣ-エピローグ①

 素晴らしい大自然、迫力のある景色、失敗やドジを含めたさまざまな体験、美味しい食べ物、勿論ワイン、一齣一齣が
鮮明に思い出される。しかし、最高の思い出は何と言っても人々との出会いである。それは私の掛け替えのない宝物と
なった。
 出会い、ふれ合い『旅は人なり』

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1回目:パリ⇒リモージュ    
2014.8.07~9.01 歩行日数:25日間 472.4km 706,517歩(万歩計)
2回目:リモージュ⇒オルテズ 
2016.8.06~8.29 歩行日数:24日間 493.3km 725,063歩
3回目:オルテズ⇒ブルゴス  
2017.8.21~9.11 歩行日数:22日間 382.8km 589,078歩
4回目
ブルゴス⇒サンチャゴ・デ・コンポステーラ 2018.8.29~9.22 歩行日数:25日間 500.4km 733,699歩
(今回)
全行程:パリ⇒サンチャゴ・デ・コンポステーラ 
 歩行日数:96日間  歩行距離:1,848.9km


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9月23日(日)晴:Santiago de Compostela10h-----(Bus)-----11h30Fisterra        Albergue
*バスでフィステーラへ
 アルベルゲからすぐ近くの、私が前々日に泊まったホテルでエリアナと朝食を取った。ホテルに泊まっていなく
ても5€でバイキングが食べられるのだ。《昼食分まで食べていけばばっちりだ。》と言いながら食べる。
(^_-)-☆
エリアナは《サンチャゴにもう1泊してからフィステーラに歩いて行く。》という。《その後、どうするの?》と聞くと、
彼女は《ポルトガルのリスボンまで行って、それからサンパウロに帰るわ。》と言った。私は、《今日、バスで
フィステーラに行くよ。その後、パリまで出て、日本に帰るよ。》《
AKi、ありがとう。》《エリアナ、こちらこそ世話
になったね。ありがとう。》昨日思わず声を掛けてくれて、同じアルベルゲに泊まった。彼女とは最後の1週間位、
後になり先になって歩いた。縁のようなものを感じた。しかし、《奇跡でも起きない限り彼女とはもう一生会うこと
はない。》何となく寂しさを覚えた。
 ゆっくり朝食を取った後、ホテルの前で何回もハグをして別れた。


 
《バスでフィステーラへ》                              《歩いてフィステーラに向かうカミーノたち》

 巡礼最後の地、フィステーラはスペイン最西端の町。コロンブスによってアメリカ大陸が発見されるまでは、
"the end of the world"《世界の果て》と言われていた。近年、サンチャゴへの巡礼の旅が盛んになるにつれ、
《巡礼最後の地》として脚光を浴びるようになった。巡礼者は大西洋に沈み行く太陽を見て、《最果ての地に
着いたことを知り、新たな自分を見つける》
のだという。
 マルテ
ーンやエリアナのように歩いてフィステーラに行くカミーノもいるが、私はバスで往復することにした。

  
                     《フィステーラは港町、綺麗な家並みが続く》

 
《観光客で賑わっていた》                                  《本場のイカの墨煮を食べる》
(^_-)-☆

 
《歩いて岬に向かう人もチラホラいる》

*大海原に沈み行く太陽は見えるか?
 アルベルゲのご主人から、《8時半のサンセットを見るためには、ここを7時頃出た方が良いよ。》と言われ、
ひとり歩いてフィステーラ岬を目指して出発した。 長い緩やかな上り坂を行く。心なしか風も少し強くなってきた。(´Д`)


 
《岬のホテル》

  

 約1時間歩いて岬に着いた。顔見知りのカミーノは一人もいなかった。空は曇っていて、大西洋の彼方にドド~ッ
と水平線に沈む太陽を見るのは絶望的だった。少しの寂しさを覚えた。ただ、0.000kmというモハン(表示碑)を
見た時は、やはり少々感動的だった。ここを訪れたのは、大きな太陽が水平線に沈むのを見るためであったのだ
が、もう一つの目的があった。多くのカミーノたちは岬の端で着てきたものを焼いたり、思い出の品をそっと置いて
きたりする。
私は、巡礼路を歩いた間ずっとリュックに付けていた帆立貝と3年前一緒に歩いたジョセフィーヌが、
別れ際に私にくれた《十字架の付いた首飾り》を、《岬のどこかに置いて来よう。》と考えていたのだ。
 岬の一番先に赤い鉄塔が立っていた。そこに多くの品が置いてあった。私は帆立貝と首飾りを沈み行く太陽の
見える鉄塔の西側に紐で括り付けて、手を合わせた。《ジョセフィーヌも満足してくれるであろう。》と思った。


 
                              《雲間からかすかに沈み行く夕陽を見た》

 しばらく佇んで沖の方を眺めていると不意に肩を叩かれた。《あ~!》 岬の十字架の塔の前でカメラのシャッターを
押して貰ったロシアから来たという肌の白い若いお嬢さんだった。私が観光客の中に、ひとり巡礼っぽい姿だったため
か?彼女にとって東洋人が珍しかったためか?《一緒に写真を撮って貰えませんか?》若いお嬢さんに声を掛けられ
ドギマギしたが、《喜んで!》
(^_-)-☆
 結局、大西洋に沈み行く大きな太陽を見ることはできなかった。(´Д`)

9月24日(月)晴:Fisterra10h-----(Bus)-----11h30Santiago de Compostela              Hotel 泊
*サンチャゴ・デ・コンポステーラに戻る
 《昼過ぎまでフィステーラに居れば、ひょっとして【チーム212】に会えるかもしれない。》と思ったが、《ここは
巡礼の町ではなく、一般の観光地だ》と感じ、朝10時発のバスに乗ってしまった。

 サンチャゴには昼頃に戻り、予約しておいたホテルに入った。3時半頃まで休んで、再び大聖堂広場に行って
みたが、何となく北風が強く吹き始めてむしろ寒くなった。観光客やカミーノの数も心なしか少なく感じられた
巡礼中に知り合いになったカミーノに会うこともなかった。《もう皆サンチャゴを去ってしまったのだろう。》と思う
と寂しさを覚え、《昼過ぎまでフィステーラに居れば【チーム212】に会えたかもしれない。》と少し後悔をした。


 

 大聖堂の博物館を出た後、《何か自分に思い出に残るものを買って行こう。》と思って、みやげ屋を覗いていた。
すると肩を軽くトントン、と誰かが後ろから叩いたので振り返ると、何とそこに、あの《ロシア人の若いお嬢さん》
がいた。彼女はニコッと微笑んで《バイバイ!》と言って直ぐに店の外に出て行ってしまった。友人たちと一緒に
観光旅行をしているようであった。サンチャゴに戻って、知った人には誰も会っていなかったので、何となく心が
癒された気がした。《やっぱり
旅は人なのだ。》

 私は、思い出の品として、《CAMINO DE SANTIAGOと書いてある、小さな皮の矢印マーク》(下左写真)を買って
店を出た。もう一度大聖堂に行ってみようと思い、裏の入り口から入ると、ミサが終わって間もないのか堂内は
空いていた。ゆっくり内陣の裏側に回ってみると、最初訪れた時かなりの人の列ができていた、サンチャゴの像の
後ろに回って肩に手を置くことのできる所へ行く階段の入り口には誰も並んでいなかった。私は薄暗い階段を登っ
た。一人の人がサンチャゴの肩に手を置いて何か祈っていた。私はその人がその場から立ち去るのを待って前に
進んだ。黄金の像の背中があった。像の肩に手を置き、巡礼の旅が無事に終わったことの感謝の気持ちを目を
瞑って伝えた。

 大聖堂を出る時、スタッフがいたので《ボタメイロは今日は見られないのですか?》と尋ねると、彼は《7時半の
ミサでやります。》と言った。
(^_-)-☆

 
                     
《大聖堂の博物館2階テラスから広場を見る:右がパラドール》

      
   
  《ボタメイロの儀式:香炉が揺れ、独特の香りが漂う》

*迫力のボタメイロ
 
7時頃大聖堂に行ってみた。30分も前からかなりの人がミサに参列しようとしていた。私はもう2度もミサに参列
しているので、ミサの最後に行われるボタメイロだけ見るために8時半頃に来ても良かったのだが、それには何と
なく引け目を感じ、最初からミサに参列した。それに、《あの透き通るような素晴らしい声の讃美歌をもう一度聞い
てみたい》とも思った。
 神父さんのお話とシスターの清らかな讃美歌が堂内に流れる。時に、人々は共に讃美歌を歌い、胸に手を当てて、
《アーメン》と祈りを捧げる。
 約1時間の後、赤紫色のコート(?)を纏った数人の神父さんたちが香炉の周りに集まり、一人の神父さんがその
中に香を入れ、火を点けた。神父さんが一斉に太い綱を下に引っ張ると、香炉は勢いよく上の方に引き上げられ、
左右に大きく振られた。香炉から白い煙が湧き出る。独特の香りが堂内に広がった。人々の《お~!》というどよめ
く声が聞こえた。写真やビデオで見たことのある光景ではあったが、やはり、実際に目の当たりにすると迫力が
あった。
(^_-)-☆

                                                    つづく