70万歩の旅~巡礼の路を歩くⅣ-エピローグ②

 素晴らしい大自然、迫力のある景色、失敗やドジを含めたさまざまな体験、美味しい食べ物、勿論ワイン、一齣一齣が
鮮明に思い出される。しかし、最高の思い出は何と言っても人々との出会いである。それは私の掛け替えのない宝物と
なった。
 出会い、ふれ合い『旅は人なり』

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1回目:パリ⇒リモージュ    
2014.8.07~9.01 歩行日数:25日間 472.4km 706,517歩(万歩計)
2回目:リモージュ⇒オルテズ 
2016.8.06~8.29 歩行日数:24日間 493.3km 725,063歩
3回目:オルテズ⇒ブルゴス  
2017.8.21~9.11 歩行日数:22日間 382.8km 589,078歩
4回目
ブルゴス⇒サンチャゴ・デ・コンポステーラ 2018.8.29~9.22 歩行日数:25日間 500.4km 733,699歩
(今回)
全行程:パリ⇒サンチャゴ・デ・コンポステーラ 
 歩行日数:96日間  歩行距離:1,848.9km


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9月25日(火)晴:Santiago de Compostela9h-----(Bus)-----21h45Sansebastian        Hotel
*一気に13時間のバス旅
 これまで鉄道やバスの旅で一気に13時間も乗り続けるという経験はしたことがなかった。それだけに、途中《食事はどう
するのか、トイレはどうなるのか》と少々不安だった。そのこともあり、ホテルの朝の食事はバイキングだったので、目いっ
ぱい食べて出発した。
(^_-)-☆
 午前9時、バスは定刻に満席で出発した。フト、《昨日のうちに切符を買っておいて良かった》と思った。

 
《充実したホテルの朝食バイキング:5€》           《スペインではあちこちに風力発電のプロペラがある》

 
         《緑の綺麗な景色の中、バスはサンセバスチャンへ向けて高速道路をひた走り》

 サンチャゴ・デ・コンポステーラを発ち、途中小さな町で20分のトイレ休憩を挟んで、14時20分にオヴィエドのバス
センターに着いた。さすがにオヴィエドは大きな町。半分以上の人が降りた。運転手が《バスの出発時間は15時45分
です。》と言った。耳を疑った。《間違っては大変なことになる。》と思い、運転手さんに紙に書いて貰った。確かに
《15時45分》とあった。《これで間違いない。》 タップリ1時間半はある。《ゆっくり昼食が採れますよ。》ということ
だった。《13時間かかるというのはそういうことだったのか》と合点した。当然、乗客はみんな降りた。

 ところが、降りて15分も経ったろうか。フト気づくと《バスがいない?》降りたはずのバスが、プラットホームから消えて
いたのだ。しかし、《運転手は15時45分発と書いてくれた。間違いないはず。》 顏見知りとなった他の乗客もBarで
ワインを飲んだり、ベンチに座って話をしたりしていた。その時、立派な口髭をはやしたオヤジさんが、かなりあわてた
顔をして私のところへ駆け寄って来た。
《バスがいない。もう出発してしまったのか!》 彼はかなり焦っていた。
間違いないはず。《大丈夫だと思いますよ。運転手に書いてもらってます。》と紙を見せると、《安心したのだろう》彼は
気を取り戻して、安堵の顔を見せた。

 出発時間が近づくと、《15番線》と電光表示板に掲示された。1時間半も同じプラットホームに停まっていることは
できず、一旦別の駐車場に行っていたらしい。バスは、オヴィエドから乗る客で満員となって再び出発した。


     
    
《夜のサンセバスチャンに降り立つ》

 その後、バスはサンタンデールやビルバオのような大きな町に寄りながらも、休憩することなく走り続けた。
運転手は途中の町で交代し3人目。それまでの運転手さんと比べ、結構スピードを出す人だった。実は半月
ほど前、同じ《ALSA》社のバスが大きな事故を起こし、テレビで大々的に報じていたことを思い出した。《大丈
夫かな?》と少々不安であった。
 バスはサンセバスチャンにほとんど予定通りに着いた。午後10時前。1カ月前、行きに泊まったホテルに
飛び込む。予約はしていなかったが泊まることができた。
(^_-)-☆

9月26日(水)晴:Sansebastian8h45----13h10Bordoux15h28----18h23Brive la Gailard    Hotel 泊

 
《サンセバスチャンの大聖堂》                          《サンセバスチャンのアルマ駅:長旅が始まる》

*大移動=鉄旅の1日=
 日程に余裕ができたので《巡礼の聖地:ロカマドールへ行きたい》と思った。ただ、《ロカマドール》は交通の便が悪く、大変
行きにくいところである。サンセバスチャンから1日では行けない。取りあえずボルドーへ出て、ペリグー経由でブリヴまで
行くことにした。
 午前8時にホテルを出た。サンセバスチャンには夜中に着いて、朝早く出る。《それでは少し寂しいな。》と思い、大聖堂に立ち
寄った。1カ月前、巡礼の無事を祈願したのだから、《無事に戻って来られたお礼の挨拶をしよう。》という思いもあった。ただ、
立ち寄ったこの時の10分が、電車に乗り遅れ、途中乗り継ぎで1時間待ち、2時間待ちを繰り返すこととなってしまった。
(>_<)

 ボルドーの駅前で電車待ちの間にゆっくり昼食を取り、ペリグー行きの普通電車に乗った。普通電車はかなり混んでいたが、
私は幸いにも座ることができた。座席の脇に小さな荷物置き机があったので、そこにナップサックを置いていた。私がそれを
退かして、立っていたマダムに座るよう促すと、マダムは《メルシ・ムッシュ》と言って座った。上品なマダムで《フランスだなあ。》
と思った。
 《日本の方ですか?日本語は綺麗ですね。》と私に話しかけてきた。彼女は、私の手元にある日記の表紙に書いてある《フラ
ンス・スペイン巡礼の旅》の文字を見て言った。勿論、読めないのは分かっていたが、大学ノートにびっしり書いた日記を開いて
見せると、《Ohoo! セ・ジョリ!》(何て綺麗なこと!)と言って喜んでくれた。
 《何でもいいから、日本語を書いて!》と、小さな手帖と鉛筆を出してきたので、私は《ありがとう=Arigatou=Merci Beaucoup 
こんにちは=Konnichiwa=Bonjour さようなら=Sayounara=Au revoir》と3つの言葉を書いて、ゆっくり読みながら渡した。
彼女は大変喜んで、手帳を見ながら《Sayounara》と言って手を振って降りていった。上品なマダムの微笑みが心に残った。


 
《森の中を電車は行く》                  《駅前から見た綺麗なブリヴの市街地》

9月27日(木)快晴:Brive la Gailard11h18---------11h57Rocamadour        Albergue 泊
*聖地ロカマドールへ
 午前中、ブリヴの街を散策して、11時過ぎの電車に乗り、約30分でロカマドールに着いた。聖地ロカマドールの駅は思い
の外小さかった。村までは約3km。バスはない。《歩いて1時間は掛かるだろう。》とは思っていた。駅舎には電車待ちの
一組のご夫婦がいた。《ボンジュール!私はこれからロカマドールに行きたいのですが、どう行けば良いのですか?》《ここを
真っ直ぐ行って、右に行けば良いです。すぐ分かりますよ。》《エッ?右??》事前に調べてはいたが、念のため聞いてみた
のだ。調べた地図では、左に行くことになっている?《変だな?》と思いながらも、《ロカマドールからの帰り》というフランス人
のご夫婦が教えてくれたのだから間違ってはいないだろうと思って歩き出した。

 ところが、暫く歩いても右に曲がる道がない。《見落としたのだろうか?》と思ったが、20分位歩いたところで田舎道に突き
当たった。森の中、人家はおろか、人の気配も全くない。私は教えられたように右に曲がって歩いた。《本当にこれで良いの
かな?》人も車も通らない。幸い天気は上々、緑の濃い森の中、澄んだ空気が旨かった。少し心配になり、地図を改めて見て
みた。
《アッ!》 地図を《南北逆に見ていた。》ということに気付いた。《あのご夫婦が駅にいなくて、自分の思い込みで逆に
歩いていたら》と思うと、ゾッとした。


 
《ロカマドール1.2kmの看板を見つけてホッとした》

      

 

 ロカマドールには前々から一度訪れてみたいと思っていた。《巡礼の聖地》ということもあるが、そのノートルダム聖堂の
守護神が《黒い聖母マリア》であるということを知っていたからだ。30年以上も前、巡礼の起点、ル・ピュイ・アン・ヴァレイ
に行った時、初めて《黒い聖母マリア》の存在を知った。そしてその後、《黒い聖母》について少しの関心を抱きつつ調べて
みると、フランス国内には200体以上も存在することが判った。そして、ロカマドールにもあるということを知ったのだ。

 【黒い聖母マリア】
   《黒い聖母》のルーツは、中世ケルト民族の宗教の守護神として崇められていたという説がある。黒は大地を象徴する
  色であり、大地は植物を始め、あらゆる生命を生む。即ち、黒は物質界の根源を象徴する色。生み出す力、母性を象徴
  する色なのである。                                   =『芸術新潮』1999年10月号要約=


 とてつもなく大きな岩山の中に7つの聖堂がある。その前の広場から階段を登り、右側の聖堂にはいると、正面に《黒い
聖母マリア》が安置されていた。マリアは、我が子キリストを膝に抱き、白いレースを纏っていた。人々は《この黒い聖母に
何を見、何を思うのだろうか。》


  
《黒い聖母マリア》               《岩山の中のには七つの聖堂がある》

         
         《聖堂(下)・お城《上)の夜景》


                                                    つづく