鰐淵寺

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新緑の鰐淵寺

2004年5月、渓谷には苔の深い緑と若葉、それにシャガの花が咲いていた。

4年振りに睦月に帰る機会があった。

以前は妻と一緒で、ゆっくりと緑を味わう事が出来なかった。

第一駐車場に車を止め、渓谷沿いを歩いた。

岩の上には黄色い可憐な花々(ヒメレンゲ)が咲いてい る。

そして、大慈橋を渡り本坊へ進む。

本坊の塀越しに赤いウツギと御成門が見える。

本坊の門をくぐると左に滴翠館前の大木が青々としていた。

更に本坊から根本堂の方向に向う。 山陰地方に自生しない、イロハモミジの新緑が美しい。

是心院を過ぎ等澍園を見た。緑いっぱいの空間があった。

そこを通り新緑の下を進み、宝蔵殿を抜ける。

旧宝物拝観所前で池を眺め休憩を取る。真っ赤に染まったもみじの葉があった。

いつかは、全山紅葉の時期に、”旅行”で立寄りたいと思う。

そして開山堂に向った。雨が落ちてきて出雲人にありながら*傘を忘れレンズがぬれた。

いつもの根本堂をじっくりと眺めると、風鐸が3隅とも無くなり、東側だけ残ってい た。

摩陀羅神社から新緑の借景を眺める。少し寂しい景色に 出合う。

それから、三台杉を見て階段を下る。

**遙堪(ようかん)峠と示された道を少し遡る。どんな言われのある道か知りたくなった。

あっと言う間に3時間が過ぎる。時刻は17時、森はまだ明るいが実家に向った。

頼源の碑の脇の竹林がスカスカになっていた。春は竹にとっては秋と言われ落ち葉の時期ではあるが、何故だか趣きのない林に感じられた。

また、摩陀羅神社の三台杉の手前の一本が、根本堂と同じような朱色の幹になり、上のほうが枯れていた。そして写真は真中の杉で 、これも皮が剥れ始めていた。成長すると皮は剥がれるらしいが、手前の杉の枝枯れは不安である。この大木が倒れれば、根本堂か摩陀羅神社のうちのどちらかが損傷を受けるのは間違いがない。

それよりも三台杉が二台杉では見た目にも寂しい。次回訪問まで無事を祈りつつも、振り返って目に焼き付けた。

<その夜>

遥堪峠登り口側

実家で**遙堪(ようかん)峠の由来について聞いたところ、山陰中央新報の『ひらた ほほえみ広場』の「ふるさとぶらり見てある記」に記載されている事、また鰐淵寺は開創1400年を記念して『出雲国 浮浪山 鰐淵寺』が発刊されているとの情報を得た。

後日、当ページで、それらの「ふるさとぶらり見てある記」と『出雲国 浮浪山 鰐淵寺』の内容紹介をしたいと思っています。

*出雲は雨がよく降るので”弁当忘れても傘を忘れるな”と言われている。

**遙堪(ようかん)峠について

以前の鰐淵寺を知る人は渓流に魚が群泳する情景を記憶しておいでだろう。魚影が消えたのはこの砂防ダムが造られてからである。他にこのダムで消えたものに渓谷美がある。この辺りの渓谷美に いにしえ人は、「頂連峡」と漢詩風に命名した。(略)峠近くまで続くこの沢は頂に連なる渓谷の表現がふさわしい。(略)木橋を渡ると狭隘な谷間にはいる。

磨崖壁の前を流れる沢を見て「奥入瀬渓谷だ」と同行者がつぶやいた。この辺りから遊歩道は旧参道の風情と渓谷美を極力残し、幽邃峡(ゆうすいきょう)としてよく修景されていて興味深い。(略)深い木立の中を流れる渓谷はこのコースの圧巻だ。 (「ふるさとぶらり見てある記」99号からの抜粋)

<鰐淵寺の小説>

松本清張の「数の風景」の冒頭は鰐淵寺から始まる。「鰐淵寺というのはなんとなく惹かれる名である。奈良の秋篠寺だとか大和の室生寺とかもそのような響きをもつ。」と書かれている。

長月の鰐淵寺