相模大山

大山への登山道は7本あります。@表登山道(男坂、女坂)A薬師道(日向薬師から見晴台)B不動尻道(日向山) C蓑毛道Dヤビツ峠道E北尾根道唐沢川から(西沢ノ頭、ミズヒ沢ノ頭)F南尾根道(高取山、弘法山)

*原田哲夫氏は『相模大山』の作者で、4年間で大山百回登山を行いつつそれを纏められたそうです。

私は図書館からこの本を借りて読み、改めて大山の奥深さを感じた次第であり、今まで安易(頂上部分のみ記載)に当ページを作っていた事を反省し、『相模大山』に記載されている興味深い場所を訪れながら当ホームページを再編し ました。

追)略2週間かけて『相模大山』を読みました。 原田氏がこれをたった4年で完成された事に改めて驚愕致しました。又、これを天命として作り上げられたことは羨ましくもあります。殆ど拾い読み程度で理解できてないところが多く、何度か借りてさらに知識を深めたいと思います。(注--インターネットで調べましたが現在は販売されていません)

豆知識

天気が回復した午後 、短時間で登れる大山に出かける

軽装で登る人が多いがこの山は結構大変な山だ。駐車場から歩くと高度差で1000m位ある。この高度差は名高い山に匹敵する。例えば穂高でも1日目を涸沢泊まりとするとせいぜい700m、翌日また同じ位を登れば頂上である。従って 、この山に登った人は脚力に自信を持って頂きたい。

大山の流れ

大山は南のヤビツ峠で丹沢山地に連なり北東の唐沢峠で三峰山に繋がっているが略独立峰の態をなしているので高度の割には長い尾根を四方に伸ばしている。侵食の進んだ尾根には川があり、大別してニ系統になる。

一つは大山の西側・東側・北側の水を集めてその麓を巡り相模川に合流するグループで中津川・唐津川・谷太郎川・新玉川等がある。他のグループは東南側と南側の水を集めるもので渋田川・大山川・善波川・大根川・春岳沢等がある。これらは相模平野西部で合流し鈴川や金目川になり、更に南下したあと合流し花水川となり相模湾に入る。

又藤熊川は中津川の水源地域の名前で、川は丹沢山地の中で布川、次いで中津川と名前を変えて、大山の周辺を大きく迂回して相模川に合流する。源流の一つはヤビツ峠のバスターミナルの広場の角から門戸口近道と書かれた道を下った辺りのV字の沢に始まる。         『相模大山』より抜粋

山頂の霊石と土器類

人々は天から降りたって神が依り代わりとした巨石を崇めて石尊と呼ぶようになった。神話に現れた山頂の霊石は今社殿の基段の下深く納められていてその姿は見る事が出来ない。

又昭和35年の山頂の発掘調査ではご神体岩付近から出土した壷は平安時代末期に作られた経塚の壷である事。山頂の売店前を発掘したところ山伏が土器類を並べ護摩を焚き生木の秘法修行した跡が発見された。大山は遅くとも平安時代末期には修験道の行場になっていた事を示している。

大山の賑わい

大山講は大山信仰の講中である。関東をはじめ各地に多数の大山講が結成された。小さな部落では1つにまとまったが大きな部落では三つ四つになる事もあった。江戸は当時既に百万都市であり多数の講が作られた。

夏山(旧暦 6月27日〜7月17日)と言った例祭期間には各地から大山を目指して講中の人が集まってきた。宝暦の頃大山詣での人は20万人も有ったと記録があり、略一日一万人の大群衆で各交通の要所はごった返す賑わいであった。

交通の要所には石灯篭・道標・鳥居等が設置され参拝者の往来の目印になっていた。今でも昔の大山道の辻には立派な道標を見る事が出来る。

大山の行事

大山寺→大法要 2月28日

阿夫利神社→初詣 1月1,2,3日、筒粥祭 1月7日、節分 2月3日、春季大祭 4月5日〜4月20日、大祓式 6月30日、夏季大祭 7月27日〜8月18日、秋季大祭 8月27日〜8月28日、薪能 10月上旬、新嘗祭 11月23日、除夜祭 12月31日

順礼峠へ(白山)

長沢正教氏の『巡礼峠』を読み、その小説に出てくる大山道を歩いてみました。

山頂

大山頂上には自動販売機がありビール、ジュースが購入できる。また小さなお店が開いている事もありそこでカップラーメンも購入できる。トイレもあるが冬場は閉鎖されている。(注 2002年2月はビールが入っていなかった)

 

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最新情報

04年11月21日(日)

『大山寺紅葉祭り』に出かけてきました。大山寺では不動明王(国宝)の御開帳が行われています。光で

黄金色に輝く不動明王の目を撮りたい衝動に駆られましたが理性で押さえました。是非訪問し、ご覧になって下さい。

12月8日まで行われています。尚、道路が大変混んでいました。小学校に止めてシャトルバス(100円/人)を利用した方が安いようです。