大学生活日記


ここでは、私y−tokuの4年間の大学生活を、飾らない言葉でありのま
まに振り返りたいと思います。

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大学四年次

・最初の卒業研究
僕たちの所では卒論っていうものがなくて、四年生になると卒業研究ってい
うのをやるんですよ。ある本に従って各自順番に発表していく、いわゆるゼ
ミ形式で行われるんですけどね。でもこの卒業研究は最初は地獄そのもので
した。
まず最初のクラスの振り分けで、僕たちの研究室は6人やったんですよ。単
位を稼いでいたおかげで、成績の良い方のクラスに入れられてもうて。4年
生3人(植田君、田中君、僕)と、飛び級で上がったきた3年生3人(花田
君、入谷君、佐野君)で。僕以外の子はみんな頭がキレて、到底及ばないっ
て感じやったんで、今でこそ仲良くやってますけど、最初はみんな敵に思え
ましたもん。
で、ジャンケンで発表の順を決めるんですけど、僕が1番になってもうて。
とりあえず一週間の間に発表に必要な下調べをせなあかんかったんですけど、
この期間はずっと胃が痛くて。何て言うか、ゼミ形式でやる講義は初めてや
ったし、極度のあがり症で、人前で発表することに慣れてなかったから。先
のこと考えるとそうなってしまったんですよ。
それで、いよいよ最初の発表のときになってしもたんですけど、もうボロボ
ロで。自分では精一杯やってきたつもりやったんですけど、散々他の子や先
生に間違いを指摘されるし、本当に実力差を痛感してもうたんですよ。挙げ
句の果てに先生からは「君は頭の回転が速いタイプじゃないね」とまで言わ
れて。
でもまあ他のゼミ生の人たちはみんな優しくて、植田君とか入谷君とか僕に
実力をつけてくれるような質問をしてくれたり、本当に助けられましたね。
その甲斐もあってか、2回目からの発表は少しずつましになっていって。と
は言え、まだまだ他の人たちとは歴然とした差がありましたね。

・教育実習で見た地獄
5月の中旬頃から母校に教育実習に行ってきたんですよ。やっぱり数学の教
員免許が取りたかったっていうのと、教育の現場を経験できるチャンスは他
には無いって思って。
でも行ってみたら最初っからつまづきっぱなしでしたね。いや、つまづくと
言うよりは完全に地面に倒れ込んでしまうような、本当に右も左も分からな
い状態やったんですよ。
と言うのも、僕の大学では教育実習に関しては何の指導も無いんですよ。教
育実習のシステムとかやり方とか全く教えてもらえなくて。他の大学では一
通りはこういうことやるのが当然なんでしょうけど。
当然、実習先の先生たちはこういうこと知った上で来ていると思っているか
ら、僕なんかはほんまに困りましたよ。他の実習生の子たちにいろいろ教え
てもらいながら、何とかやっていくので精一杯でしたね。
最初に担当のクラスの生徒と会うときに、先生から「大学で学んでいること
を1時間程度にまとめて話して下さい」って言われたんですよ。あらかじめ
こういうことはあるかもしれんと思って、きちんとまとめた原稿は作ってあ
ったんですけど、1時間はちょっと無理かな、って思って30分にしてもろ
たんですよ。
それで放課後、担当のクラスの生徒たちが教室に残っていてくれてたんで、
そこで30分弱くらい話をしたんですけど、これがつらくてね。だって放課
後に残らされて、こんな話誰が聞きたいと思います?。もう話している間中
早く帰らせろっていう無言の圧力みたいなのをずっと感じててね。こっちも
申し訳ないなと感じながらも、でも先生から言われたことやからちゃんとや
らなあかんって思って。一応、僕の話は終わって、その日はそれで良かった
んですけど、次の日からクラスの女子生徒全員から無視されてもうてね。そ
の時は原因なんて分からへんかったから、何でかなあって思ってたんやけど。
当然、先生からは「もっと生徒と接するように」って何度も言われたんやけ
ど、向こうが拒否してるんやからどうしようもなくて。
それで3,4日くらい経ってから初めて女の子が僕に話しかけてくれて。こ
れで何とか状況は改善されるやろうって思ったらそれっきりでね。実習の最
終日に、1人の女の子が何でみんなでずっと無視してたのか理由を教えてく
れたんですけど、最初の日に、放課後に30分程度話をして帰りを遅らせて
しまった事が原因でね。その腹いせにずっと無視してやろう、と。それで、
3,4日後に初めて女の子が話しかけてくれたのも、女の子たちの間で罰ゲ
ームとして僕と無理矢理話をさせられていたらしくて。
いや、無視していたのが女の子やったとかそんなことはどうでもいいんです
よ。生徒と接する機会が少ないってことで先生に注意され、それが教育実習
の評価につながってしまうっていうのが納得いかなくてね。こっちは何も悪
いことしてないし、先生から言われた通りにやったらこういう結果になって
しまったわけで。
教育実習って僕にとってはほんまに悪夢でしたね。何で自分だけこんな目に
合わなあかんねん、ってずっと思ってて。でも、ここでこれだけ不幸なこと
を経験しておいたら、もう後は大丈夫やろって考えたんですよ。多分、大学
院入試も大丈夫やろな、って。まあこの後さらに地獄の底まで突き落とされ
てしまうんですけどね。
教育実習の最後にクラスの生徒から色紙に寄せ書きもろたんですけどね。そ
の場で一回見て、それからは一度も見てないんですよ。何か、今まで散々無
視してたくせに、偽善者ぶったウソの固まりのメッセージだらけやったから。
テレビの横にその色紙はあるんですけど、裏向けて置いてあって、絶対見え
ないようにしてます。
でも、何かその色紙捨てられんくてね。どんな内容であれ、僕の教育実習は
これ一回きりやしね。おまけに大学院入試の時、その色紙をカバンの中に入
れて持っていってるんですよ。何かパワーでも与えてくれると思ってたのか
なあ、自分でもよー分からんけど。

・大学院入試について
大学院入試に関しては こちらにいろいろ書いているから、 ここでは詳しくは
書くつもりはないんですけど、 京大大学院に関しては 落とされ方が本当に最
悪でしたからね。一次の筆記試験は合格して、二次の面接で落とされてしも
たから。
でも一つ思ったのは、入試と言っておきながらゼミでの成績も査定に入って
いたっていうのはどうして?、っていうこと。それとこれとは別物やろ、っ
て。確かに僕の卒業研究は、他の人に比べてはあまり良くなかったかもしれ
へんけど、上位1/3に入るっていう規定はちゃんと満たしているやないか、
って思ってね。何のために定員決めてんねん、ってマジで文句言いたくなり
ましたよ。
でもまあ阪大と名大の大学院には受かったから、それはそれで良かったんで
すけど、やっぱり今年一年は何やってもうまくいかへんのやろな、ってこの
頃思ったんですよ。ほんまに精神的にもヤバイ状態になりかけてたんですけ
ど、そんな僕を支えてくれたのが家族と友人でしたね。
体重も激減してて、かなりきつかったんやけども、大学院入試が一通り終わ
って帰省したときにかなりリフレッシュできましたね。他のゼミ生の子たち
も僕が不合格になったことには一切触れなくて。
でも、大学院不合格になったことで感じたのは、本当に地獄のどん底まで落
ちると涙も出ないってことでしたね。大学院合格を目指し酒を断って、直前
期には食事の時間も惜しんで勉強して、あえて自分を追い詰めていってたか
ら、結果は合格であれ不合格であれ号泣してしまうんちゃうかな、って思っ
てたんですよ。でも不思議と涙は出なかったですね。教育実習のこととか、
今年全ての不幸を思い出しても涙は出なかった。何が何でも見返してやろう
と思って大学院入試に臨んでいたにもかかわらず、不合格でも涙は出なかっ
た。精神的に強くなったんじゃなくて、泣く気力もなかったのかもしれない
ですね。

・誰を信じていいのか・・・
教育実習が終わってからというもの、ほんまに人を信じられなくなってしま
いましたね。特に女性に関しては。まあ元々100%他人を信用なんてした
こと無いし、やっぱりそこまで他人を信用するべきじゃないと思いますね。
「人を見たら泥棒と思え」とまでは言わないまでも、8割の付き合いとでも
いうか、そのへんは割り切ることが大事なんでしょうね。それが人間関係を
上手く成り立たせる方法なんちゃうか、って思います。
とまあ頭の中では分かっていても、それを表にはさすがに出せないのも事実
なんですよね。教育実習のときも、生徒を信頼して初めて実習が成り立つし、
相手のことはよう分からんけどとりあえず信用してみるか、っていう場面は
けっこうありますしね。
大学院入試の面接のときも裏切られた感は否めないですね。あらかじめゼミ
の先生と進路相談して、そのときに自分の苦手な分野とか全てさらけ出して
しまって、そのときに「入試の面接では自分の苦手分野とか、不利になるこ
とは言わない方が良い。」ってアドバイスされたんですけど、いざ面接のと
きにはそういった話は全てゼミの先生から試験官の人たちに伝えられていま
したしね。確かに教官の側としては、自分の研究室に生徒を受け入れること
になると自分の研究に割ける時間が減るから、能力の無い人間を受け入れる
のを嫌がるのでしょうけど、教育ってそんな程度のもんなんかなあ、って疑
問に思ってしまいます。
その進路相談のときに大学院入試後のことを聞かれて、「進学する大学院の
レベルにはこだわらず、博士課程まで進んで研究の道に行きたい」って答え
たんですけど、返ってきたのは「君の能力では研究者は無理だから、どこか
で学生生活に区切りをつけて就職した方が良い」っていう最後通告でした。
さすがにこれはつらかったですね。教育実習で幻滅して教職の道を諦め、自
分の能力では限りなく不可能な夢に挑戦しようとしているときにこの言葉で
すから。どんどん自分自身に自信が無くなっていきましたね。
さすがにこれ以降は他人を信用するどころか、人と接することすら恐くなっ
てしまいましたね。見知らぬ人から話し掛けられただけで、恐怖感のあまり
身体の震えが止まらなくなってしまったり。実は教職の道を完全に諦めたの
はこれが一番の原因なんですよ。対人恐怖症では先生なんて務まらないです
から。こんな形で夢を諦めるのはもちろん残念でしたけどね。

・数学検定で起こった奇蹟
20世紀最大かつ最高の奇跡を起こす、って宣言していた大学院入試はあと
一歩のところで夢を絶たれ、この後も本当に地獄の日々でしたよ。不幸とい
うものは、どういうわけか連続して起こってくるもんで。車を運転してたら
バックの時に後ろを石垣にぶつけてしもたりとか、新京極で歩いていたら自
転車に追突されたりとか、細かいことを挙げていけばキリがないですね。一
日無事に過ごせただけで幸せを感じていましたから。
その後ゼミの方は少しは順調に進むようになり、11月に入ったときに数学
検定(以下「数検」とします)を受験する事に決めたんですよ。いや、前々
から大学で学んだ数学の集大成を何か形に残したい、っていう気持ちがあっ
て。ずいぶん前の段階から数検を受けようとは思ってたんですけどね。
一応、問題集など買い込んで勉強してみたんですけど、これがまた手こずり
ましてね。学校で習ったような問題は大丈夫なんですけど、元々数検ってい
うのは実社会に数学を役立てる力を見る資格なもんで、測量とか統計とか一
般になじみのない問題が出てくるんですよ。いきなり1級に挑戦っていうの
が少々無謀やったんですけど、ここで引き下がったら今年は地獄のままで終
わりそうな気がしましたから。
それで試験受けてみたんですけど、終わって数日経つと数検のHPに解答速
報が出るんですよ。それで答え合わせしてみたら、これがまたものすごく微
妙でね。2次試験の方は十分合格ラインに達していたんやけど、1次試験の
方が正答率70%っていうボーダーに届くかどうかものすごく際どくて。完
全に〇か×かで採点されてたら間違いなくボーダーには届かないんで、部分
点をどこまで与えてくれるかで合否が分かれる、っていうところやったんで
すよ。
それから合格発表の日までは本当に不安でね。友人からも「今年のお前は、か
つての神通力がなりを潜めている」とかって言われて。今年の一連の騒動を
見て、他人でも不運続きやっていうのが明らかに分かるくらいやったんでし
ょうね。
それから約1ヶ月くらいして、数検の本部から一通の大きな封筒が届いてて。
ドキドキしながら開けてみて、中に合格証が入っていたのを見てその場で泣
き崩れてしまいましたね。地獄の底でつかんだ小さな栄冠とは言え、200
0年、20世紀の最後の最後で甦ったような気がしたから。ほんとに、この
まま地獄のままで終わっていたら、二度と立ち直ることできへんのちゃうか、
って思ってましたから。

・21世紀を迎えて
何とか無事に世紀越えを果たし、大学の方も卒業の内定をもらうことができ
たのですが、やはりこれも努力の甲斐あってのことなんですよね。誰に何言
われようと、どんなにつらい状況に立たされようと、バカなりに努力してま
したから。
4月からは大阪大学の大学院に進学することになって、まあ環境を変えるっ
ていう意味では良かったと思いますけどね。2000年があまりにもひどい
内容でしたから。
でも、精神的には本当にタフになったと自分では思いますよ。4年間を通し
て、体重が15kg近く落ちたことが苦労を物語ってますけど、この苦労があ
ったからこそ強くなれた部分がありますから。
とりあえず、今後の目標はあまり変わったことをしないことですね。どんな
に地獄の状況でも、変わったことをして流れはなかなか簡単には変わりませ
んから。むしろ出目勝負やとよけいドツボにはまりますし。周囲に流されず、
苦しいときにこそマイペースを持続することが大事やということはこの4年
間で学びましたから。
もう一つ、出来るだけ早く泣き虫を直したいですね。アルフィーのコンサー
トに行っては泣き、アルフィーのコンサートのDVDを見ては泣き、とあま
りにも涙もろすぎますから。元アナウンサーの徳〇和〇氏と同じくらい涙も
ろいんちゃうかな、って。周りの人が引いているのが分かってても涙が止ま
らないっていうのは少し問題ですし。
とは言え、悔し涙とかはまずないですね。「もう泣いてるから許してくれ」
っていう意味合いの涙は、小さい頃はありましたけど今は絶対あり得ないで
すから。感動の涙をどれだけ減らせるか、っていうのがとりあえず21世紀
一発目の目標ですね。


大学一年次大学二年次大学三年次

続編として、「大学生活日記外伝〜4年間を終えて〜」もございます。

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