445(よし子)のページ「今日という日」日高よし子更新2009年8月22日 4:35【目次】歴史教育の虹と暗雲尾山氏安部元総理を評価マレー沖海戦と大和日本を守り英霊に報いて

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2009年
音声画像】北方領土関連国家意識を亡くした日本他
8/22        歴史教育の虹と暗雲
 以前にも触れたが近代における歴史教育の導入の目的は『国民に虹をみせること』、と渡部昇一氏の著作にあった。とすると日本のように虹より『暗雲』ばかり国民に見せてきた国の末路が現在のわが国という結果は当然という必然だったということ。GHQマッカーサー総督の日本への占領政策は、日本が二度と戦わない、戦えない国にするという事が最重要策だった。
 4月28日は今から57年前の昭和27年、日本が連合国と講和条約を締結し『主権を回復した日』である。産経新聞正論欄の小堀桂一郎東京大学名誉教授の”主権回復記念日がなぜ必要か”には【戦争終結からこの日までの6年8ヶ月の間軍事占領という形で執拗に日本帝国の破壊工作を継続していた。・・言論・報道・出版の自由に対する圧迫と毀損が、深く広く、且つ陰険な手口だった・・・・旧敵国や近隣諸国に向けての敗戦国民としての恐縮・謝罪の感情に呪縛されたままになっている。しかもその緊縛の手綱を握って放さないのは今や占領の主役を演じた旧敵国でなく、直接の戦争相手でなかった中国共産党政府・・・・】
【】部分は以前掲載分から抜粋ですが、独立国家になって57年も経つのに未だ歴史観は改まらず、憲法改正も然り。ー軍隊を持てば又戦争を始めるーこれこそGHQが目論み、刷り込んだ決定的成果。

 現在、GHQが発禁処分としていた東条英機元首相の東京裁判宣誓供述書というのが発売されているようだが、あの中で東条氏『先の戦争は絶えず日本は受身だった』という意味の証言をしているのは有名だった。
東条嫌いの人間もあの証言には溜飲を下げた・・・と以前の産経新聞で見た事がある。 
 その証言をするために終戦後のピストル自決も急所を外し生き続けたのだと私はおもう。当時その事を非難する人が多かったらしいが、でも『その先は』自身も十二分に分っていた筈ですから。その証言の最後では、『敗戦の責任を取り死んでいきます』と締め括った。・・・・。『東京裁判宣誓供述書』はいつか読んでみたい本です。
 マレー沖海戦のときのイギリスは戦艦プリンス・オブ・ウェールズと、巡洋戦艦レパルスが撃沈され、その報告を聞いた英国チャーチル首相を「あの艦が!」と絶句させた日本航空隊の隊長の岳父有賀幸作中将のそのあとの武士道精神的行い。誇り高き日本人。
 ここには『虹』が見えます

硫黄島の戦い『ペリリュー島の戦い』に続いて、ねずきちさんのブログよりマレー沖海戦と大和を下記に転載しています。是非!↓

 独立回復後に何故この『虹』を見せることをしなかったのか?その事を小堀氏は『主権回復祝日法制定』で国民に主権意識喚起を提案しているのだが、戦後64年に亘るこの平和平安は国民を錯覚させ、北朝鮮の核の脅威があるに関わらず今回の選挙の国防への関心は低い。
 民主党はインド洋での自衛隊の給油活動を来年1月で撤退させると言明し、又沖縄の基地も米軍不要論まである。なのに今回の選挙では大勢当選か見込める民主党の国防策は不明なのである。日本に米軍がいなければ近隣国は恐いものなしで、忽ちに日本国は中国、北朝鮮、韓国、ロシア等のカモにされるだろう。
 『暗雲』はいずれ暴風雨しか招かない。船は沈没するしかない。

  ◎分る人には分っていた尾山氏安部元総理を評価
 それが分っていた安部元総理は、在任中に戦後レジーム(体制)からの脱却を掲げ、教育基本法改正、『憲法改正』『国民投票法案』も決議させたのに、次の福田首相が憲法審議会すら立ち上げなかった。その安部さんのやりかけた事を遂げていたら、今回の選挙に際する自民党への評価も随分違ったものになっていた。結局福田さんは仕方ないとして、あとの評価(言われ方)は、(安部さんは身体を壊して入院して辞職したのに)「政権を投げ出した」の一言で片付けられている。安部さんが辞職せず4年間総理を務め上げる事が出来ていたなら、日本は屹立とした国になっていただろう。自民党のみんなが若い安部さんを総理に選んだのに、支えずそれどころか足を引っ張った(柳沢厚相の女性は産む機械発言/絆創膏大臣など)。

 それを安部氏の責任にしたのか、今回の比例代表の中国ブロック(と思う)では順位は下のほうだった。
 麻生総理は自民党比例九州ブロックに名前がなかったから、小選挙区で落選すればオシマイ。

 下記金美麗氏の講演内容昨夜もブログで見たのだがコピーするの忘れ再度IZAブログを見ていて、阿比留記者のブログに尾山氏インタビューがあり安部氏に言及しているので、紹介します。

阿比留記者ブログ2009/08/12屋山太郎氏に聞く「政権交代と政体交代」http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1172526/  
屋山氏 安倍さんが(首相時代に)公務員制度改革を始めたときは、「本気か?」と思うぐらい驚いた。安倍さんのことを「KY」なんて言う人がいるけれど、ものの本質を本当にわかっている人だなと思う。教育基本法だって国民投票法だって、そんな一銭にもならないことを本気でやってくる政治家がいるとは思わなかった50年政治を見てきて、政治とはモノとカネを動かすものだと思っていた。それが、初めてスピリチュアルなものを持ち出してきた安倍さんを見て、全く新しいタイプの政治家だという気がした。そういう人が「KY」なんて言われるのは…。
 安倍さんは、麻生政権発足時にも渡辺喜美氏を残すよう麻生さんに2度話しているが、麻生さんには安倍さんの思いも考えもわからなかったんだな。】以上抜粋です。

 そんな中、人権擁護法案(現在は人権侵害救済法案と変更)推進派(民主党も同じく)で落選濃厚の山崎氏が九州ブロックで2位、同太田氏が3位である。北陸ブロックではその「人権擁護法案」を一貫して反対してきた稲田朋美氏は森元首相より後で下位に近かった。安部氏とともに有能な人なので小選挙区で頑張って貰いたいですね。

 私はこの自民党の比例名簿を見て小選挙は兎も角、比例代表は「自民党」はパスしようと、それがせめてもの抗議の意思表示と決めた。
 拉致問題解決、憲法改正を訴えてきた西村真吾氏の『改革クラブ』に一票投じようかと、おもっています。
 もう自民党もダメだわ。残った人間は民主党社民党と変わらない、中国、北朝鮮派いわゆる左派の人間だけになってはーー。
 国民にも民主党政権の先が朧気ながら見えてきたでしょう。すべて選んだ者の責任ですから・・・・
                 ◎◎◎◎
 中国の上海万博に台湾が中国から出展を許されたそうだ、「台湾市」として
中国も『生活第一』と掲げて選挙を戦い勝利した国民党政権になってから一遍に中国へ軸足が傾斜し、もう
『独立』という言葉も聞かれなくなることだろう。 
                      ◎
花うさぎさん2009/08/16 ブログよりhttp://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/1176746
      ◎日本を守り英霊に報いて
金美齢さん『台湾中国に飲み込まれ、日本も危機です。日本を守り英霊に報いて下さい!

  評論家の金美齢さんは15日、靖国神社境内で開催された第23回戦没者追悼中央国民集会のなかで挨拶し、「台湾中国に飲み込まれました。日本も全く同じ状況にあります、皆さんが日本を守ること、これが英霊に報いる唯一の道です」など、要旨、次のように語った。

一、ここ数日、私のホームページに「親日だと思ってきた台湾人が靖国神社で狼藉を働いた。これは一体どういうことですか?」という問い合わせがありました。私はそれを見てませんので判りませんが、過去、高金素梅という台湾の原住民出身の立法議員が毎年、毎年、大がかりな抗議行動、パフォーマンスをやっているのです。 
 一、事前に分かると外で止めるのですが、多分今年は油断して判らなかったのでしょう。私が言いたいのは、民主主義ですから誰が何を考えようがそれは自由です。靖国に反対する日本人もいれば中国人もいる。それはそれで誰もノーとは言わない。ただこの聖域にそういう人を入れることは許されるべきではない、ということです(拍手)。 

一、ましてやこんなことで「親日的だと思っていた台湾人がこんな事をするというのはどういうこと?」という短絡的な反応をする日本人も判っていない。世の中にどれだけの価値観があるのか、日本人自身、反日的な日本人がどれだけあるのか?。この靖国に参拝するある意味で一握りの日本人以外に、靖国という存在すら意識した事もない日本人が一杯いるということに、まず日本人自身が反省すべきです。 

一、私が日本の政治家なら、日本の政府なら、毎年、日本の聖域である靖国で狼藉を働く外国の政治家は入国禁止にします(拍手)。そしてそういうようなことやった結果を見たら、即刻退去を命じますどうしてそれが出来ないのですか、政治的な理由でやっているのです。ですから日本人の責任が問われるというのはそういうことなんです。 

 サイレントマジョリティが声を上げよ!
一、自分の主権は、国の尊厳は国民の一人一人が守らなければならないのです。もちろん、政治家が率先して守るべきなのですが、それを支えるのが一人一人の国民である有権者の筈です。しかし、いまの体たらくを見てますと日本は残念ながらますます衰退すると言わざるを得ません。悲しいことです、残念なことです。 

一、あの偏向したメディアの横暴を許しているいまの状態。ジャパンデビューの話が出ました。あれだけ偏向した番組を一部の人だけが抗議をしているけれども、多分、多くの日本人はそれを信じている。しかしああいう偏向した番組をどんどんされて刷り込まれていけば、日本は衰退していくばかりなんです。何故ならば全員が自虐史観を刷り込まれるからなんです。

一、あの番組のコンセプトは何か。「未来を開く鍵は過去の歴史にある」という。そしてその過去の歴史を扱ったあの番組は、ひたすら日本の過去は加害者であると、そういう見地から番組が作られているのです。ということになると、日本は悪い、台湾で悪いことばっかりしてきたということを刷り込まれた若い人が、日本に誇りを持てるでしょうか。日本人として自信を持って国際社会に出て行くことが出来るでしょうか。否です!。

一、だから今の日本の体たらくがあります。メディアの責任は非常に大きい。だけれども、それを見逃している日本人は全員に責任があると私は思います(拍手)。この間の都議会議員選挙、涙が出ます。昨日今日、立候補した人も民主党ならいい、若ければいい、自転車に乗っていればいい、女性ならもっといい、それで一票入れるという東京都民のレベル。 

一、細田幹事長の言った「日本人のレベルが疑われる」というのは正に真実なんです(拍手)。ただし、気の毒なことに政治家はいえない、だから皆さんが言わなければいけないのですよ。サイレントマジョリティって言われる人がもっと声を上げなければいけないのです。それをしないということは、皆さん、一人一人に責任があるということなんです。 

 台湾も「生活第一」でメディアに騙された 

一、私はいま、台湾の問題で皆さんにお伝えしなければならない事があります。台湾はいま、中国のブラックホールに飲み込まれようとしています。一昨年末の国会議員選挙での大敗、昨年の総統選挙での大敗。それによって政権はまた国民党の手に戻りました。国民党というのは中国人の中国国民党なんです。あれだけ国民党の圧政に苦しめられた台湾人は、もうそれをすっかり忘れて、一番単純なキャッチフレーズ「生活第一」、中国と仲良くして経済を良くしますという馬英九の言葉にころっと騙されてしまいました。 

一、そして陳水扁政権は何もしなかったじゃないか、お灸を据えようというメディアの洗脳に全部乗ってしまってこの体たらくです。私は馬政権になったら中国に飲み込まれると予言したのですが、こんなに早く事態が動くとは予想だに出来ませんでした。実はいま、日本で同じようなことが起ころうしているんですよ。「生活第一」、その通りです。一人一人にとって生活はとっても大事なことです。私にとっても大事です。     

一、しかし、国の安定なくして、国の安全なくして、国が豊かでなくて、一人一人の生活が良くなると思いますか?。そこがすっぽり抜け落ちてしまった有権者の価値観。正に一昨年、昨年と台湾が大失敗したのとパラレルしています。多くの台湾人が悔やんでいます。「こんな事と知ったら馬英九に一票入れるんじゃなかった」と。しかし遅すぎます、もう間に合いません。もう台湾には救いがありません。 

一、いま、しっかりしなければならないのは日本です。日本こそはこの地域の最前線になったのです。皆さん、その覚悟で今日のこの靖国参拝を噛みしめて下さい。亡くなった方々への敬意とは何ぞや、それはあの人達が守ったこの大切な日本という国を、今度は皆さんが守ると言うことです。これでしかあの方々の犠牲に報いる道はありません。ありがとうございました(拍手)。 

   動画●[1/2]【國神社・終戦記念日】 金美齢女士 演説 【ノーカット】[H21.8.15]

      ●[2/2]【國神社・終戦記念日】 金美齢女士 演説 【ノーカット】[H21.8.15]


2009/8/21ねずきちさんブログよりマレー沖海戦と戦艦大和・・・命をかけて守った日本http://nezu621.blog7.fc2.com/?no=531 

 今日は、マレー沖海戦と大和のことを書こうと思います。

よく、戦艦大和は、航空機によって沈められた。時代は航空機主体の時代に変わっていたのに、日本は空母を作らず大艦巨砲主義の巨大戦艦大和を作り、結局、米航空体によって大和は沈められた、といった話を耳にします。

ボクも学生時代、学校の先生から、要するに大本営がアホだったのだ、と教わりました。

しかし、これは違う。

そこで今日は、
なぜ大和は、単艦で出撃したのか。
なぜ大和は、航空機の援護を受けなかったのか、
を書いてみようと思います。

【世界で最初に航空機で艦隊を叩いた日本】
 このお話を語るには、その前に、日本軍が英国艦隊を打ち破ったマレー沖海戦のことを述べる必要があります。
 マレー沖海戦は、大東亜戦争開戦の2日後である1941年12月10日にマレー半島東方沖で、日本海軍の航空部隊(一式陸攻、九六式陸攻)とイギリス東洋艦隊の間で行われた戦闘です。 この戦闘で、日本軍は航空兵力をもって、イギリス海軍が東南アジアの制海権確保の為に派遣した戦艦2隻を撃沈しました。

 飛行機で戦艦を沈めた先例としては、他にタラント空襲、真珠湾空襲などもありますが、それらは停泊中の艦船を飛行機で叩く例があったのみで、それまで作戦行動中の戦艦を航空機で沈めるたという事例はなかった。「作戦行動中の戦艦を航空機で沈めることはできない」というのがそれまでの世界の常識だったのです。この常識をくつがえし、航空機をもって艦隊を叩くという戦術を、世界ではじめて行ったのが日本だった。
(ちなみに、世界の戦史上、航空部隊で艦隊を叩いた事例は、このマレー沖海戦の他には、終戦間際に圧倒的な航空機をもって戦艦大和(1945年4月7日)を撃沈した例と、大多数の航空機をもって武蔵(1944年10月24日)を撃沈した戦闘の3例しかありません)

 マレー沖海戦は、日本がシンガポール上陸作戦を実施する上での海上補給路を確保するために、どうしても勝たなければならない戦闘でした。
 イギリス軍は、これを事前に察知し、開戦の6日前である12月2日に、イギリス最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、巡洋戦艦レパルス、その他駆逐艦4隻からなるG艦隊をシンガポールのセレター軍港に入港させました。

 そしてイギリス東洋艦隊司令長官トーマス・フィリップス海軍大将は、日本軍マレー上陸部隊の輸送船団攻撃のため、Z部隊を編成して12月8日17時過ぎにシンガポールを出航ます。
 対する日本の艦隊は金剛と榛名。両艦とも近代化の改装こそ受けていたものの、艦齢は27年を越えており、また兵装・装甲の厚さも元は巡洋艦程度の実力しかなかった。

 対するプリンス・オブ・ウェールズは、14インチ(35.56cm)砲を10門装備。
搭載するポムポム砲は、1分間に6000発の弾丸を発射するというすさまじい対空兵器。
イギリスの艦艇は2年も前からヨーロッパ戦線でドイツ・イタリアの航空機に空襲されており、十分に対空戦の経験を積んでいたのです。

 そしてこの大英帝国誇る不沈戦艦は、当時の国王ジョージ6世の兄王である、エドワード8世の即位前の王太子プリンス・オブ・ウェールズの称号を冠している最新鋭戦艦でもあった。
もうひとつの戦艦レパルスも、建造年月はウエールズより古いものの、装備はウエールズと同じ。それまで航空機による爆撃を完全に撃破してきている経験豊富な戦艦だった。

圧倒的な英国海軍力を前に、日本軍が勝てる可能性は、限りなくゼロに近かった。

 この艦隊を前に、日本はサイゴン(いまのホーチミン)にある航空基地から、航空機(九六式陸攻59機、一式陸攻26機、計85機)を発進させます。
各攻撃隊は東洋艦隊主力めがけて殺到した。

 日本軍の被害は、陸上攻撃機未帰還3、帰投時の不時着大破1、偵察機未帰還2、その他30機以上が深刻な被害を受けた。

イギリスは、戦艦プリンス・オブ・ウェールズと、巡洋戦艦レパルスが沈没

 この戦いで、ウエールズ撃沈の報告を聞いた英国チャーチル首相は、「あの艦が!」と絶句し、「戦争全体で(その報告以外、)私に直接的な衝撃を与えたことはなかった」と著書の第二次世界大戦回顧録で語っています。

この戦いで、世界の戦艦時代は終わりを告げた。

【マレー沖海戦の日本の武士道】
 この戦いでは、まず、戦艦レパルズが沈み、次いで戦艦ウエールズが被弾し、沈没やむなしとなりました。ウエールズの艦長のトマス・フィリップス海軍大将は、日本の航空隊に向け、乗員を退官させるので、30分時間をほしい、と打電します。ウエールズの乗員たちは、巡視船エクスプレスに乗り移り、エレクトラとヴァンパイアが沈没したレパルスの乗組員を捜索し、エレクトラが571名、ヴァンパイアがレパルスの艦長と従軍記者を含む225名を救助しています。

 その間、襲撃体は、空で待機。英国軍の救助活動の間、いっさいの攻撃行動をせず、空で待機します。

 当時の飛行機は、いまの時代にあるようなハイブリット・タイプでも省エネタイプでもない。
30分という時間は、もし、その間に敵戦闘部隊が急襲してきたら、日本の航空隊は、帰還するためのガソリンすらなく、全機、墜落のリスクを負っていた。

 それでも攻撃隊隊長は、戦闘休止を決断し、空で待機した。

 そして、ウエールズの乗員が全員退艦後、ひとりデッキに残ったトマス艦長に、日本の航空隊は、全機整列し、一機ずつデッキ前を通過。トマス艦長に最敬礼をし、別れを惜しみます。
トマス艦長も、それに最敬礼で答えた。。

トマス艦長は、デッキにわが身を縛りつけ、艦とともに沈みます。

 その結果、マレー沖海戦におけるプリンスオブウェールズの戦死者は、艦が轟沈していながら、総員の20%に過ぎませんでした。

 これに対し、戦艦大和は乗員3,332名のうち、90%以上の戦死者を出しています(生存者269名)。これは米軍が、残存艦隊に対し日没近くまで攻撃をかけ、さらに漂流者に対しても機銃掃射を加えたことによります。

 なお、マレー沖海戦の翌日、日本軍機が、再度飛来し、機上から沈没現場の海面に花束を投下して英海軍将兵の敢闘に対し敬意を表しています。

【大艦巨砲主義の終焉を知悉していた日本】
 このマレー沖海戦のときの日本航空隊の隊長の岳父が、大和の最後の艦長、有賀幸作中将です。つまり、戦艦は航空兵力による爆撃攻撃に勝てない、ということを最もよく知る人物が、大和の艦長でもあった。
 その有賀艦長を戦艦大和の艦長に据えて、日本は、戦艦大和を単騎、片道燃料だけで沖縄に出撃させます。

 そして大和は、終戦間際の1945年4月7日、坊ノ岬沖合で、米軍航空隊386機による波状攻撃を受け、沈没した。

 なぜ日本は、このような無謀なことをしたのでしょう。
日本がバカだったから?
大本営がキチガイだったから?
 いいえ、違います。

 大本営作戦参謀室というのは、日本の産んだエリート中のエリートの集うところです。決してアホの集団じゃない。そして、戦争というものは、ある政治目的を達成するための手段です。
このことは、戦闘においても同じです。

敗色濃厚となった大東亜戦争末期における日本軍の最大の目的は、なんとかして本土決戦を防ぎ、できる限り有利な条件で、講和条約を結ぶこと、これに尽きます。
そのために、日本は、どこまでも玉砕覚悟で戦いぬく、もしその日本とあくまで連合軍が戦いぬくというなら、連合国側の損傷は計り知れないものとなる・・というメッセージを、敵に与えようとした。
 特攻も、玉砕も、まさに捨て身で軍人さんが死を賭して戦うことで、米英に日本恐るべしという政治的メッセージを与えるために行われた。

大和も、そのために最後の出撃をした。
考えてみてください。わずか85機で、大英帝国の誇る戦艦2艘を沈めた日本軍。

 386機というとてつもない兵力で大和を空爆した米国。

 それとね、これも考えていただきたいのだけど、冒頭、戦艦ウェールズが沈んだとき、日本は、帰頭のための燃料に不安がありながら、いっさいの攻撃を停止し、英国戦艦乗組員の救助を見届けた、という史実を書きました。。

 そこには、武器を持って挑む者には、鉄槌を下すけれど、無抵抗の人は殺さないという明確なポリシー(武士道精神)がある。

 そして日本は、沈んだウェールズとレパルスに、最大限の敬意をも表した。

 これに対し、大和が沈んだとき、米軍は、すでに艦から海上に逃れたすでに抵抗できない日本兵に対して、情け容赦ない、空からの機銃掃射を行った。
無抵抗の日本兵を皆殺しにした。

これを知った、誇り高き騎士道精神を持った英国海軍将兵は、どのように感じたのでしょうか。

日本軍を叩くということは、それだけの兵力を要すると思わせるだけの日本の凄味がそこにあった。万一、米英がオリンピック作戦(本土決戦)を挑むなら、実際問題として、どれだけ戦争が長引くかしれない。どれだけ連合軍側の死傷者がでるか、計り知れない。

 先日、硫黄島玉砕戦のことを書きましたが、その時点で、米国政府も戦費が底をつき、これ以上の戦争の継続は困難な状況にまできていた。
だからこそ、硫黄島の星条旗の写真をつかい、そこに映った米国海兵隊員を国民的ヒーローに仕立て上げ、全米から戦費の寄付を募った

米国も限界だったのです。
英国も、長引いたドイツとの戦争で、ロンドンの町も焼かれ、厭戦気運が高まっていた。
英国も限界だった。

あと少し、あと少し、戦いぬく。そうすることで日本はどこまでも戦い抜くのだぞ、というメッセージを発信し抜くことで、日本は、すこしでも有利な条件で講和を図ろうと最後の抵抗をしていた。

大和の最後の出撃は、そういう目的をもった出撃だった。

 1945年8月10日、日本はポツタム宣言を受け入れ、連合国に降伏します。
これを「無条件降伏」という人がいます。それは違う

ポツタム宣言は、次のようになっています。
五條、吾等の条件は左の如し。吾等は右条件より離脱することなかるべし。
六條、日本を世界征服へと導いた勢力の除去
七條、日本国領域内諸地点の占領
八條、カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ
十條、日本人を民族として奴隷化、国民として滅亡せんとするに非ず。一切の戦争犯罪人の処罰。民主主義的傾向の復活。言論、宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は確立せらるべし。
十二條、日本国国民の自由に表明せる意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立
十三條、全日本軍の無条件降伏、右行動に於ける日本国政府の誠意に付、同政府による保障の提供

 無条件降伏したのは、「日本軍」であり、国家として“無条件”降伏したわけではない。
いや、それどころか、国家としての戦費賠償もない。

「さざれ石」というのは、長い年月の間に、小石がたくさん固まって、岩となったものです。
亡くなられた日本の将兵は、「さざれ石の巌となりて」大切な命をささげられた。

大東亜戦争における日本の軍人の死亡者 1,740,955人
民間人の死亡者 393,000人(うち広島原爆による者12万人)

忘れてはならないのは、亡くなられたひとりひとりの英霊が、ひとりひとりそれぞれ人生を持ち、生活や夢や希望を抱えた、心ある生きた人間であった、ということです。

そのひとりひとりが、命を捧げて守り抜こうとした日本。

こう書くと、「それだけ多くの人が亡くなったのは、日本の軍部が勝手に戦争など始めたからだ」という声が聞こえてきそうです。しかし、もし日本が戦争をしていなかったなら。。。

先日、パラオの記事にも書きましたが、当時、欧米によって植民地化された東亜諸国は、いずれの国も、人口の90%前後を失っています

明治維新当時の日本の人口、3330万人。
大東亜戦争開戦当時の日本の人口、8390万人。

 その人口の9割が失われたとするなら、日本の現在人口は300〜800万人程度になっていたといえる。いま、日本列島に住む日本人の数は、1億2700万人。
日本にいまいる1億2000万人の日本人の「生」が、いまあるのは、誰のおかげか。
私たちが、いま、こうして生きているのは、いったい誰のおかげか

現代を生きる私たちは、そのことを、もういちど真正面から見据えてみるべきだと思うのです。

現代を生きる我々は、亡くなられた英霊に感謝すべし、
 
日本を他国の蹂躙に委ねてはならない。  以上、ねずきちさんのブログより。

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