幾たびか遭難を重ねて 尊睛を失ひ、
敢えて扶桑に到るは 何若の情ぞ。
廟食千年 尚も垂訓、
長しなへに凡俗を教て 光明に浴せしむ。
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・睛: ひとみ。
・扶桑: 日本をいう。
・廟食: 神(仏)と祭られて供え物を受けること。
・光明: ここでは仏(鑑真)の慈悲にたとえる。
<付記>
この詩は『唐招提寺縁起』 を絶句にまとめた作品です。
昨年ある会誌に投稿しましたが、過分な期待に反して落選しました。
しかし拙詩が落選となろうともこの詩には愛着があり、また鑑真和上への尊崇の念を二十八字に託した為、いささかも尊崇の念が変わることはありません。正直に申し上げますと、わたくしは敬虔な仏教徒でもなく、日本人の多くが正月には神社に参詣し、お盆には墓参りするようなごく一般的な日本人です。が、わたくしは鑑真和上のお名前は三十代の頃より存じ上げ、国禁を破ってまでの弘法の志には深い感銘を抱いていました。
先年まだ体の不自由ではない時に唐招提寺に参詣し、境内に俳聖芭蕉の尊句 「若葉して おん目のしずく ぬぐはばや」 に感動して七律を作り、またこれを絶句に改め投稿しました。
投稿に際しては和上の偉業を追想しつつ、例えば『失尊睛』、十回近く推敲を重ねたために、今のわたくしには更に推敲を重ねる詩想の余地はなく、詩意は充分に尽くしていると思いますが、今後折りにふれて推敲する心算です。
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