潦倒丘園二十秋, 親炊葵藿慰余愁。 絶無暇日臨青鏡, 頻過凶年到白頭。 海氣荒涼門有燕, 溪光搖蕩屋如舟。 不能沽酒持相祝, 依舊歸來向爾謀。 |
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内人 の生日
潦倒 丘園 に 二十秋,
親 しく葵藿 を炊 ぎて 余の愁 ひを慰 む。
絶 えて暇日 の 青鏡に臨む無く,
頻 ば凶年 を過 ごして白頭 に到る。
海氣 荒涼 として 門に燕 有り,
溪光 搖蕩 として屋 舟の如し。
沽酒 持 して相 ひ祝 すること能 はざれば,
舊 に依 って歸 り來 りて爾 に向 かって謀 らん。
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◎ 私感訳註:
※呉嘉紀:明末清初の塩民出身の詩人。1618年~1684年。字は賓賢。野人と号する。江蘇省泰州の人。少時は多病で、明朝末の諸生(儒生、学生)で、郷里に住んだ。清朝に仕えることはなく、生活に困窮していた。泰州の安豊の塩場で隠棲生活を送り、詩で民衆の生活を描いた詩を作る。
※内人生日:妻の誕生日。 ・内人:家内。妻。人に対して自分の妻を謂う謙譲表現。 ・生日:誕生日。
※潦倒丘園二十秋:老い耄(ぼ)れて尾羽打ち枯らして、郷里に二十年過(す)ごし。 ・潦倒:〔らうたう;liao2dao3○●(潦:〔liao2、lao2、lao3〕)〕落ちぶれる。零落する。尾羽打ち枯らす。老衰のさま。落ちぶれたさま。態度や姿の優しくて穏やかなさま。役所仕事に適しないさま。何事も投げやりになる。盛唐・杜甫の『登高』に「風急天高猿嘯哀,渚淸沙白鳥飛廻。無邊落木蕭蕭下,不盡長江滾滾來。萬里悲秋常作客,百年多病獨登臺。艱難苦恨繁霜鬢,潦倒新停濁酒杯。」とあり、元・元好問の『感事』に「壯事本無取,老謀何所成。人皆傳已死,吾亦厭餘生。潦倒封侯骨,淹留混俗情。百年堪一笑,辛苦惜虚名。」
とある。 ・丘園:郷里。隠者の住むところ。小高い丘の上にある庭。 ・二十秋:二十年。
※親炊葵藿慰余愁:(妻が)自(みずか)ら、ヒマワリと豆の葉(のありふれた下等な植物)を炊事して(くれる)のが、わたしの愁(うれ)いを慰めてくれる。
※絶無暇日臨青鏡:青銅製の鏡に向かい合い(身繕いをするといった、)暇(ひま)な時は、絶えてなく。 *「絶無暇日臨青鏡」「頻過凶年到白頭」は対句だが、読み下し文で対にすることが、なかなか難しい…。 ・絶無-:絶えてない。まったく存在しない。 ・暇日:〔かじつ;xia2ri4〕ひまな日/時。仕事のない日。閑散な日。 ・臨:向かい合う。面する。のぞむ。 ・青鏡:青銅製の鏡。
※頻過凶年到白頭:しばしば(襲ってくる)、饑饉の年をやり過ごしてきて、(いつの間にか)白髪頭(の老齢)になった。 ・頻:しばしば。しきりに。 ・凶年:不作の年。饑饉の年。 ・白頭:白髪(しらが)頭。 ・到白頭:白髪頭(の老齢)になるまで、の意。
※海気荒涼門有燕:海辺の空気は荒れ果てて寂しく、門には燕(ツバメ)がおり。 ・海気:海辺の空気。海の霧。 ・荒涼:荒れ果てて寂しい。すさまじい。 南宋~元・趙孟頫の『岳鄂王墓』に「鄂王墓上草離離,秋日荒涼石獸危。南渡君臣輕社稷,中原父老望旌旗。英雄已死嗟何及,天下中分遂不支。莫向西湖歌此曲,水光山色不勝悲。」とある。 ・燕:ここでは、海燕(ウミツバメ)のことになるのか。
※渓光揺蕩屋如舟:谷川に反射した光は、ゆらゆらと揺れ動き、家は舟(に居るか)のようだ。 ・渓光:谷川に反射した光の意。 ・揺蕩:〔えうたう;yao2dang4○●〕ゆらゆらする。揺れ動く。揺り動かす。ゆすぶる。中唐・薛濤の『柳絮』に「二月楊花輕復微,春風搖蕩惹人衣。他家本是無情物,一向南飛又北飛。」とあり、南宋・陳與義の『江南春』に「雨後江上綠,客愁隨眼新。桃花十里影,搖蕩一江春。朝風逆船波浪惡,暮風送船無處泊。江南雖好不如歸,老薺遶牆人得肥。」
とある。 ・屋:建物。家。
※不能沽酒持相祝:(手許のお金が少ないので、)店売りの酒を買って(妻の誕生日を)祝うことができないので。 ・不能:…できない。正確には、「沽酒持相祝」ができない。 ・沽酒:〔こしゅ;gu1jiu3○●〕買った酒。店売りの酒。酒を売る。(酒を買う。) ・持:持って…。 ・相祝:…を祝う。ここでは、妻の誕生日を祝うことになる。 ・相:「相-」は、動作が対象に及んでくる時に使う。「…てくる」「…ていく」の意。「相互に」の意味はここではない。白居易の『勸酒』「昨與美人對尊酒,朱顏如花腰似柳。今與美人傾一杯,秋風颯颯頭上來。年光似水向東去,兩鬢不禁白日催。東鄰起樓高百尺,題照日光相射。」
とあり、李白に『把酒問月』「靑天有月來幾時,我今停杯一問之。人攀明月不可得,月行卻與人相隨。皎如飛鏡臨丹闕,綠煙滅盡淸輝發。但見宵從海上來,寧知曉向雲閒沒。白兔搗藥秋復春,
娥孤棲與誰鄰。今人不見古時月,今月曾經照古人。古人今人若流水,共看明月皆如此。唯願當歌對酒時,月光長照金樽裏。」
や、陶潜の『飮酒二十首』其一「衰榮無定在,彼此更共之。邵生瓜田中,寧似東陵時。寒暑有代謝,人道毎如茲。達人解其會,逝將不復疑。忽與一觴酒,日夕歡相持。」
、陶淵明の『雜詩十二首』其七の「日月不肯遲,四時相催迫。寒風拂枯條,落葉掩長陌。弱質與運頽,玄鬢早已白。素標插人頭,前途漸就窄。家爲逆旅舍,我如當去客。去去欲何之,南山有舊宅。」
や張説の『蜀道後期』「客心爭日月,來往預期程。秋風不相待,先至洛陽城。」
、杜甫の『
州歌十絶句』其五に「
東
西一萬家,江北江南春冬花。背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蒋牙。」
とある。李煜『柳枝詞』「風情漸老見春羞,到處消魂感舊遊。多謝長條似相識,強垂煙穗拂人頭。」
、唐~・韋莊の『江上別李秀才』に「前年相送灞陵春,今日天涯各避秦。莫向尊前惜沈醉,與君倶是異鄕人。」
とあり、范仲淹の『蘇幕遮』「碧雲天,黄葉地,秋色連波,波上寒煙翠。山映斜陽天接水,芳草無情,更在斜陽外。 黯鄕魂,追旅思,夜夜除非,好夢留人睡。明月樓高休獨倚,酒入愁腸,化作相思涙。」
とあり、唐末・韋莊の『浣溪沙』「夜夜相思更漏殘。」
など、下図のように一方の動作がもう一方の対象に及んでいく時に使われている。
もっとも、李白の『古風』「龍虎相啖食,兵戈逮狂秦」、『遠別離』の「九疑聯綿皆相似,重瞳孤墳竟何是。」や『長相思』「長相思,在長安」や王維の「入鳥不相亂,見獸皆相親。」などは、下図のような相互の働きがある。
A B
勿論、これらとは別に言葉のリズムを整える働きのために使っていることも詩では重要な要素に挙げられる。
A B
※依旧帰来向爾謀:いつもどおり帰って来て、おまえ(=妻のこと)と(お金の工面について)相談しよう。 ・依旧:昔のままに。昔ながらに。昔と変わることなく。晩唐・韋莊の『金陵圖』に「江雨霏霏江草齊,六朝如夢鳥空啼。無情最是臺城柳,依舊烟籠十里堤。」とあり、馮延巳の 『鵲踏枝』に「誰道閑情抛擲久,毎到春來,愁悵還依舊。日日花前常病酒,不辭鏡裡朱顏痩。 河畔青蕪堤上柳,爲問新愁,何事年年有?獨立小樓風滿袖,平林新月人歸後。」
とあり、孫光憲の『後庭花』其二に「石城依舊空江國,故宮春色。七尺靑絲芳草碧,絶世難得。」
とあり、両宋・陳與義の『和張矩臣水墨梅五絶』其三に「粲粲江南萬玉妃,別來幾度見春歸。相逢京洛渾依舊,唯恨緇塵染素衣。」
とあり、南宋・楊萬里の『送德輪行者』に「瀝血抄經奈若何,十年依舊一頭陀。袈裟未著愁多事,著了袈裟事更多。」
とある。 ・帰来:(よその地から)帰ってくる。 ・向:…に向かって。 ・爾:おまえ。なんぢ。ここでは、妻を指す。 ・謀:相談する。はかる。
◎ 構成について
2015.2. 9 2.10完 2020.7.15補 |
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