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2003 HK/China 118 Min. 劇映画
出演者
劉徳華 / Andy Lau
(劉健明 / Lau Kin Ming - 内部調査課課長、警察に潜入したギャング組織の男)
陳冠希 / Edison Chen
(劉健明 / Lau Kin Ming、若い頃)
鄭秀文 / Sammi Cheng
(Mary - ラウの妻、ベストセラー作家)
梁朝偉 / Tony Leung Chiu Wai
(陳永仁 / Chen Wing Yan - 囮捜査官)
余文樂 / Shawn Yue
(陳永仁 / Chen Wing Yan、若い頃)
陳慧琳 / Kelly Chen
(Lee Sum Yee - ヤンが通っている精神分析医)
曾志偉 Eric Tsang
(Sam - ギャング組織のボス、ラウの親分)
劉嘉玲 Carina Lau
(Mary - サムの妻、囮捜査官)
黄秋生 / Anthony Wong Chau-Sang
(Wong - 警視、ヤンの上司)
Chapman To
(Keung - サムの子分)
Courtney Wu
(オーディオ店店主)
黎明 / Leon Lai
(Yeung - エリート警官)
陳道明 / Daoming Chen (Shen - 中国マフィア)
林家棟 / Ka Tung Lam
Ting Yip Ng
Chi Keung Wan
見た時期:2005年11月
作品は番号順に見た方がいいです。
インファナル・アフェア 無間道 (1)
インファナル・アフェア 無間序曲 (2) 別名 無間道 II
インファナル・アフェア 無間序曲 (2) まで見てしまうとインファナル・アフェア 終極無間 (3) に付き合わざるを得ません。3本にはスタイルの差があり、1つのインパクトが強いと、残りが弱く見えることは確かです。普通ならそこでそれなりの批判的な意見も出て来ます。しかしインファナル・アフェアの場合あまりそういった事をブツクサ言う気になりません。それだけ質の高い作品だったということで、これまで東西の数多くの映画を見た私には初めてのことです。
3作全体のストーリーは香港が英国から中国に返還される少し前から、2003年頃までの枠内で語られますが、インファナル・アフェア 終極無間 (3) に入り物語はかなり時間が前後します。まだ1作も見ていないで、このページにぶつかった人に是非ともお薦めしたいのは、
・ できるだけ番号順に見ること
(インファナル・アフェア 無間道 (1)、インファナル・アフェア 無間序曲 (2)、インファナル・アフェア 終極無間 (3))、
・ 最初の2本を気合を入れて見ておくこと、
・ 登場人物の誰がマフィアで誰が警官、警察側協力者かざっと頭に入れておくこと
という点。それを前提にインファナル・アフェア 終極無間 (3) では誰が、何をという話はちょっと横に置いておいて、
・ ラウの苦悩、
・ リー先生の苦悩、
・ ヤンの楽しい時期
を見てその雰囲気に乗るのがいいです。
最初の2本で年表が必要なほどややこしくなってしまった筋がこれ以上ややこしくなるということはありません。もうそこまでついて来た人には、インファナル・アフェア 終極無間 (3) の入り乱れた人脈は大体見通せます。
インファナル・アフェア 終極無間 (3) でちょっとややこしいのは時間が頻繁に前後する点。予定ではインファナル・アフェア 無間道 (1) とインファナル・アフェア 終極無間 (3) が作られることになっていて、インファナル・アフェア 無間序曲 (2) は途中で割り込んで来たそうです。しかしそのインファナル・アフェア 無間序曲 (2) ではじっくり時間をかけてインファナル・アフェア 無間道 (1) でああいう事になるための背景が何だったのかを描いています。ですから上に書いたように、インファナル・アフェア 無間道 (1) とインファナル・アフェア 無間序曲 (2) をしっかり見ておけば、刑事もマフィアも皆さんの身内であるかのような身近な存在になり(!?)、インファナル・アフェア 終極無間 (3) では前2作で重要だった人物がチラッと顔を出しても混乱しません。
インファナル・アフェア 終極無間 (3) で新たに重要な役を占めるのは2人の男。1人はエリート警官のヨン様。もう1人は人相の悪いシェン。シェンは武器密売の取引が行われる港にも、警察墓地にも、果ては警察の事務所にも出入りする正体不明の男です。前2作のようにマフィアが警察に、警官がマフィアに潜入しており単純明快な筋ではありません。
3作を見終わってみると、本来の物語は
・ 香港のある所に身内などがおらず孤独な少年ラウが住んでいた、
・ 元々悪人ではなかったラウが初代マリーの近くにいたいばかりにマフィアになり、
・ 初代マリーが実は警察に協力しているとは知らなかった、
・ ラウは初代マリーの死後同じ名前の女性と結婚する(=マリーにこだわっている)、
・ ラウは初代マリーの夫サムの舎弟に入ったばかりにマフィアから警察に送り込まれて来る、
・ サムから時々送られて来る情報でラウは署内で手柄を立てる、
・ ラウは警察で出世してサムに重要な情報を送れる立場になる、
・ ヤンは元々善人で、悪事を捜査する警察学校に入学する、
・ 異母兄弟がやくざだったため警察を追い出される、
・ 警察官としての才能を見込まれ署内のごく僅かの警官にの指示に従って囮警官になる、
・ ヤンの手柄で、警官としてもサムの手下としても前途洋々の人生を送り始めていたラウに陰りが出始める、
・ ラウとヤンははそれと意識せず対決していた、
・ ドタバタの結果サムとヤンが死に、ラウは生き残る、
・ 作家のマリー(2代目マリー)にラウの正体がばれる、
・ 妊娠している2代目と離婚問題に発展する、
・ ヤンの死後、そしてもう1人の刑事のエレベーターでの死後も、サムが送り込んだスパイがまだ数人警察内に残っていて、ラウはその男たちを消さないと自分の立場が危ないと考えるようになる、
・ 署内勤務者連続殺人を実行しているうちにラウは次第にノイローゼ気味になって来る、
・ ラウはヤンに自分を投影させているうちに軌道を逸するようになる、
・ サム、ヤンの死後周囲の全ての人間を疑い始め、自分を守ることが毎日の生活になる、
・ そして最後の対決に・・・
となります。
サムが死んでしまってからのラウは正しい道を選択をしたはずだったのに、糸が切れた風船のようになってしまうわけです。それまでは誰のために働いているか分かっていたラウですが、初代マリーが死ぬきっかけを作り、サムを自分の手で消してしまい、言わば育ての親を自分で抹殺しまったことになります。
元々身内が香港を去ってしまったりして孤独だったラウは、サムの女マリーに懸想して(古いねえこの言葉)あたたかさを求めますが、初代マリーに「自分はサムの女だ」と断られ、ラウは自ら彼女の死のきっかけを作ります。欲しいものが手に入らないなら壊してしまえという理屈です。本音と建前という概念が香港の社会でも日本のようにはっきりしているのかは分かりませんが、初代マリーは建前をきっちり通します。
初代が死んだ頃まだラウには2代目マリーがいました。ところが2代目にラウの正体がばれ、彼は潔く彼女と手を切ることに同意。再び孤独に。(この彼の潔さはヤンとは違った意味で涙を誘います。ラウとレオンは全く異なるタイプの人間を描き、それぞれ上手くやったなあと思います。)ラウはその後死んだヤンに自分を重ねることで孤独から逃れようとしたのかも知れません。インファナル・アフェアはそういう心理的な動きをまじえながらも、あまり心理学の規則に合わせ過ぎていないので好感が持てます。西洋の映画だとここで機械的に図式に乗せ過ぎて、人間的な要素が殺がれてしまうことが多いです。
3作を通じてサムを演じている曾志偉の存在感が強く、見ている私でもサムがいないと寂しいなあと思ってしまいます。サムはマフィアのボスで、犯罪に深く関わってはいますが、子分に対しては思いやりもあり、父親的な存在です。サムを生かすために命を落とす初代マリーも自分が警察に通じていてもサムを死なせたくなかったわけです。そのサムもいくらでも女が手に入る立場でありながら、初代マリーの死には心が痛むのです。何という美しき夫婦愛。
一方、ラウを演じているアンディー・ラウは下から上に上がって来る若者、常に孤独と手を切れない若者をリアルに演じています。幸せそうな笑顔を見せてもそれは芝居。本当に人懐っこい、人を信頼する笑顔はヤンの方から出て、ラウからは出ません。初代マリーにつられてこの世界に入ったラウには本当の自分というものがきちんとできあがっていなかったのかも知れません。テストに合格することはできても本当の友達を作ることはできない人物として描かれていますが、その脚本にアンディー・ラウは十分応えています。
人の涙を搾り取る得な役をもらったのがトニー・レオン。苦悩しながら任務に就き、すっかり傷ついてしまう男なので、女性の母性本能をくすぐるようにできています。私はフルタイムキラーを見てアンディー・ラウのファンになったので、ラウをひいきしてしまいますが、世の女性が皆トニー・レオンのファンになってしまってもおかしくありません。レオンの笑顔はどことなくチャウ・ユン・ファを思い出させます。生きるか死ぬかという厳しい状態の中で子供のような純真な笑顔を浮かべられると、観客は参ってしまうなあ。
次に私が注目したのはインファナル・アフェア 無間序曲 (2) でサムと張り合ったマフィアの次男ハウ。元々は医者で、やくざな世界とは一線を画していたのが、父親クアン暗殺で後継ぎにならざるを得なくなったという役です。最初はあまり手柄を立てられなかったのが、1年ほどで体制を立て直し、凄腕のやくざに変身して行く様は説得力がありました。この俳優フランシス・ンも上手です。
インファナル・アフェア 終極無間 (3) はラウが何度も過去の出来事を思い出すので、死んだ人が出て来ます。現在のストーリーは警察署内にまだ残っているはずのサムの舎弟をラウが片付けなければ行けないという話と、ヤン、サム、エレベーターの刑事が死んだ事情について行われる警察の内部調査を中心に進んでいます。観客には時間の振り子が12年に渡って示されますが、実はヤンの殉職後数ヶ月、1年などという時間の流れです。
インファナル・アフェア 無間序曲 (2) の制作が突然割り込んで来たのである意味で継ぎ接ぎの作品になってしまったわけですが、意外なことにインファナル・アフェア 無間道 (1) とインファナル・アフェア 無間序曲 (2) はしっくり行っているような印象を受けました。逆に元から計画に入っていたインファナル・アフェア 終極無間 (3) は慌しい筋運び、何度も行ったり来たりするために、ついて行くのが大変。始めの方では回想、現実のシーンをそれぞれ2倍の長さにした方がいいのではとさえ思いました。インファナル・アフェア 終極無間 (3) だけを見た人には何が何だかさっぱり分からないだろうと思います。ラウが追い詰められていくシーンをもう少し長くした方が分かり易くていいか、などと思ってもみましたが、そうするとそれだけ残酷か、やっぱり止めておいた方がいいか、などとあれこれ考えました。人には順番通りに全部見ることを薦めようと、これが私の結論です。
さて、どこまでも深読みしようとすれば無限にできてしまう無間道シリーズ。私は香港が返還後改めてアイデンティティーを主張したのかという印象を受けました。1つの国に2つのシステムと耳当たりのよい言葉が出ていましたが、住んでいる人たちはじわじわと大国の体制が迫って来る気配を感じている、しかも契約だから香港が再び中国に帰属するのは変えられない。そういった中で今一度香港という町を見直そうという呼びかけに見えないこともありません。私も山の天辺に立って湾を見たことがあるのですが、これぞ香港のアイデンティティーだと思えるシーンが至る所にありました。すっかり変わってしまう前に是非ともカメラに収めておきたいという気持ちがカメラマンにあったのかは分かりませんが、私の知っている香港、井上さんならもっと良く知っている香港が写っていませんでしたか。
そして誰がどちらの側か分からないという疑心暗鬼は善玉悪玉という警察とマフィアの対決だけでなく、世間にはよくある話です。自分が所属したい側とその反対側という対立はたいていの世界にあります。その中で90年代から2000年台にかけての香港では1人1人の市民が特に顕著に感じたことと思います。国外に出ようと思えば出られた中、敢えて香港に残ったラウの孤独はただの少年チンピラの孤独を越えています。あそこまで出世して、サム亡き後は調査を上手く乗り切ればラウにはカナダなどに移住する機会もあり得ます。それでも私にはラウが香港に残ったのではないかという気がします。マリーのためだったのか、香港のためだったのか・・・。
インファナル・アフェアは香港人が底力を出して善も悪も存在する香港に対する愛着を示したかったのではないか、ついそう思ってしまいます。
元々この話を見付けて来て私に知らせてくれたのは井上さん。その彼も気合入れて記事を書いていますので、是非もう1度覗いてみて下さい(ポスターの写真もついています)。
インファナル・アフェア、
2通りの結末について
インファナル・アフェア 無間序曲
インファナル・アフェア 終極無間
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