虚像のアラベスク Arabesque fantasmagorique
[紹介]
創立十五周年記念公演を目前に控えた名門バレエ団に、公演中止を要求する脅迫状が届く。折りしも、その公演を海外の要人が鑑賞を予定していることが判明し、海埜警部補が率いる面々が専従班として警護に当たることになった。バレエのことをよく知らない海埜は、甥の“芸術探偵”神泉寺瞬一郎とともにバレエ団の稽古を見学するが、演目の『ドン・キホーテ』には危険な場面も。万全の警備態勢の中、いよいよ本番の幕が上がり……「ドンキホーテ・アラベスク」。
このところ伸び悩んでいる踊り子・夕霧は、コーチに厳しく叱咤される日々が続いていた。そんな中、先輩の装身具が盗まれる不可解な事件に続いて、プロダクション社長の奇怪な圧死事件が発生し……「グラン・パ・ド・ドゥ」。
[感想]
芸術探偵・神泉寺瞬一郎と海埜警部補が活躍する〈芸術探偵シリーズ〉の最新作で、カバーのドガの絵(*1)でお分かりのように、今回はバレエが題材となっています。二つの中編と、「読まない方が良いかも知れないエピローグ」という副題が付された後日談からなる作品集で、(好みが分かれるところはあるかもしれませんが)組み合わせの妙(?)が光る、作者の持ち味が存分に発揮された快作といっていいでしょう。
「ドンキホーテ・アラベスク」 Don Quichotte Arabesque
序盤から見慣れないバレエ用語(*2)が連発されますが、瞬一郎の丁寧な解説がわかりやすく、本番が始まるまでには“予習”もばっちり。そして、脅迫状を送りつけた“犯人は誰なのか?”、さらには“何が起こるのか?”で読者の興味を引っ張っていくのはもちろんです。しかしてついに始まった公演本番では、まったく思いもよらない事態が発生するのが非常に秀逸。脅迫の意外な動機から、美しくまとまった結末もよくできています。
「グラン・パ・ド・ドゥ」 Grand Pas de Deux
こちらは踊り子自身の一人称ということもあってか「ドンキホーテ・アラベスク」以上に、バレエ用語で説明される動作の一つ一つが芸術を支えていることが強調されている感があります。そこへ、不可解な事件の発生を受けて海埜警部補が捜査に乗り出すことになります……が、終盤になって明かされる破壊力抜群の真相には思わず唖然。いや、完全に思惑どおりとはいえ、ここでこのネタを持ってきた作者の度胸(?)には脱帽せざるを得ません。「それでいいのか」と心の中で突っ込みながらも、どこかしっくりくるような幕引きもお見事。
「史上最低のホワイダニット」 読まない方が良いかも知れないエピローグ
「グラン・パ・ド・ドゥ」の衝撃に追い討ちをかける後日談。そちらの破壊力に比べると、さらりと書かれていることもあって“腑に落ちて”しまうところがあり、“史上最低”かどうかは見解が分かれそうではありますが、およそ例を見ない動機なのは確かではないでしょうか。
2018.03.07読了 [深水黎一郎]
謎々 将棋・囲碁
[紹介と感想]
一篇を除いて(*1)雑誌「ランティエ」に(不定期に?)掲載された作品を収録した、題名のとおり将棋と囲碁を題材とした(広義の)ミステリ・アンソロジー。将棋と囲碁が扱われているとはいえ、あまり専門知識が必要となるわけではなく、さほどなじみのない方でも十分に楽しめると思います。
個人的ベストは、「黒いすずらん」。
- 「碁盤事件」 (新井 素子)
- 熊のぬいぐるみ・ミーシャを裁判長に、そして碁盤を被告として始まった家庭内裁判。先日、転倒した晶子さんが碁盤で頭を打って流血し、救急車で搬送される事故が発生したが、碁盤が自ら殺意があった――殺人未遂だと言い出して、裁判が行われることになったのだ。様々な家具の証言によって、事件の原因が少しずつ明らかになっていくが……。
- ぬいぐるみや家具による異色の“法廷”ミステリ。どこか“ほわん”とした文体によるファンタジー風――といったあたりは新井素子らしい印象ですが、(失礼ながら)予想以上にミステリとしても見ごたえがあり、事故の原因を掘り下げていくうちに意外な“犯人”が浮かび上がり、当初からは思いもよらない結末にたどり着くところがよくできています。
- 「三角文書」 (葉真中 顕)
- 超古代文明の遺跡に保管されていた大量の謎めいた文書――“三角文書”。最初は必ず▲で始まり、その後は△と▲が交互に繰り返され、三角形の次は1から9、次に一から九、その次に「歩」など表意文字が続くその文書について、考古学者ヒフミーンは、それまでの定説を覆す新たな仮説を立てた。これは駒を動かす儀式の記録ではないか……?
- “超古代人”が遺した文書をもとに、失われた将棋を再発見していくSFミステリ(?)。愉快なキャラクター(*2)がまず目を引きますが、“三角文書”――棋譜に関する意外な解釈の“定説”が秀逸ですし、その“定説”の検証から文書の謎を解いて将棋にまで至る過程も非常に面白いものになっています。結末もうまくまとまっており、物語としての魅力は本書随一といってもいいかもしれません。
- 「十九路の地図」 (宮内 悠介)
- 中学に入って不登校となった愛衣。かつて囲碁を教えてくれた元本因坊の祖父は、事故で植物状態となっていたが、やがて特殊なリハビリ手法として脳インタフェースに接続されたことで、言葉こそ交わせないものの、囲碁で“会話”できるようになった。毎日祖父と囲碁を打ち、めきめきと上達した愛衣だったが、ある日突然、祖父は対局を中断して……。
- 『盤上の夜』(創元SF文庫;未読)で日本SF大賞を受賞した宮内悠介の作品はやはりSF寄りで、“脳インタフェース”を介して行われる囲碁の様子がなかなか興味深いものになっています。結末は、少々強引すぎるがゆえに驚かされましたが、多少の無理を補って余りある後味のよさが印象に残ります。
- 「☗7五歩の悲願」 (深水黎一郎)
- 〈☗7五歩〉は焦っていた。もう敵陣は間近、〈7三〉の位置まで進めば〈と金〉になることができる。早く俺を動かしてくれ……。/〈棋士〉は、すべての駒を最低一度は動かさなくてはならない特殊ルールに混乱していた。誰か俺にアドバイスしてくれ……。/〈アナウンサー〉は疑問に思っていた。こんな素人同士の対局を中継して、視聴率が取れるのか……?
- 深水黎一郎の作品は、まず〈☗7五歩〉の内面描写に驚かされますが、他の駒や対局する〈棋士〉、観戦者などそれぞれの“登場人物”たちの思惑を積み重ねていく構成がユニーク。そして、一刻も早く〈と金〉にならなければならないと焦った〈☗7五歩〉が引き起こす椿事が、強烈なインパクトを残します。
- 「黒いすずらん」 (千澤のり子)
- 六歳のクリスマスの日、パパとママを火事で亡くしたあたしは、札幌のおばあちゃんに引き取られることになった。屋敷の離れに住み、学校へは行かず家庭教師に勉強を教わり、囲碁の先生をしているおばあちゃんに囲碁を習うあたしだったが、その指導は容赦なく、あたしはおばあちゃんを“殺す”ために努力を積み重ねた。そして四年が過ぎた頃……。
- 千澤のり子による、幼い少女を主人公とした一篇(*3)。実のところ、話の展開や道具立てなどから“どうなるのか?”はあらかた予想できる……と思わされるのが罠で、しっかり足元をすくわれます。さりげなく、しかし大胆に示された手がかりも絶妙です。
- 「負ける」 (瀬名 秀明)
- 人工知能学会が開発した将棋AIと永世名人の対局は、荒れた展開の末に、最後はAIが玉を取られるまで駒を動かし続けた――「永世名人に恥をかかせた」とも評された一戦を受け、学会は翌年の対戦に向けて投了できる人工知能の開発を目指すことに。ロボットアーム担当の大学院生・久保田は、将棋ソフト担当の国吉とともに開発を進めるが……。
- 将棋AIと名人の対戦を軸として、将棋を通じて(*4)人間と人工知能についての哲学的ともいえるやり取りが繰り広げられる、瀬名秀明らしい作品。“勝つ”ことではなく、題名のとおり“負ける”ことを目的とした人工知能を開発するという、逆説めいたテーマが実に魅力的です。そしてついに訪れる名人との対戦、その勝負の行方がまた絶妙です。
“書き下ろし”とされていますが、この作品は探偵小説研究会「CRITICA」vol.10に、羽住典子名義で発表されています。
*2: “ヒフミーン・メイ=ジーン”などのネーミングにもニヤリとさせられます(それにしても、“クニヲ”のキャラクターは……)。
*3: 十歳の子供たちを主役に据えた『暗黒10カラット 十歳たちの不連続短篇集』(行舟文化;未読)にも収録されています。
*4: 将棋以外に、オセロなど他の盤ゲームにも言及されます。
2018.03.14読了
語り屋カタリの推理講戯
[紹介]
“WHO”、“HOW”、“WHY”、“WHERE”、“WHEN”、そして“WHAT”――六つの正解を揃えることができれば何でも望みが叶えられるという、命がけの推理ゲーム。難病の治療法を見つけるためにゲームに参加した少女ノゾムは、そこで奇妙な青年カタリと出会う。優秀なプレイヤーであるカタリは、ノゾムを相手に謎を解くためのレクチャーを始めるが、ゲームクリアへの道は険しく……。
[感想]
いわゆる“リアル脱出ゲーム”(→Wikipedia)のような“推理ゲーム”――ただしゲーム内で殺人も起こり得る(*1)――を舞台として、ゲーム初心者の主人公・ノゾムに対して先輩プレイヤーのカタリが推理講義を行いながら、“5W1H”に分類された謎(*2)――フーダニット、ハウダニット、ホワイダニット(*3)、ウェアダニット、ウェンダニット、そしてホワットダニットが順次解き明かされていく形式の、趣向を凝らした連作短編集です。
詳細が説明されないままいきなりゲームが始まっている――最低限必要な情報が少しずつ明かされていく――など、物語はかなりあっさりした印象で、カタリとノゾムの師弟の交流、そしてその結果としてのノゾムの成長が、ほぼ唯一の“軸”となっています。ノゾムとカタリを除けば登場人物の描写も控えめで、あとはひたすらミステリ要素――カタリの講義を含めた謎と推理に筆が割かれているといっても過言ではありません。
題名が(“ミステリ講戯”ではなく)“推理講戯”となっているように、カタリが語るのはあくまでも謎解きのための講義であり、各エピソードも“推理ゲーム”という設定を巧みに利用しながら、真相そのものだけではなく謎の解き方まで含めての面白さを狙ったようなところがあります。フーダニットやハウダニットなどの講義と実践を組み合わせた構成は、一種の“ミステリ入門書”ととらえることもできそうですが、必ずしも“ミステリ初心者向け”ともいいがたい、鯨統一郎『ミステリアス学園』にも通じる“ミステリ入門風メタミステリ”(*4)といったところではないでしょうか。
最初の「フーダニット・クインテット」は、五人のプレイヤーのうち一人が殺されているのを発見したカタリが、初めてゲームに参加して戸惑っている(らしい)ノゾムと出会って、“謎のお裾分け”をする(*5)ところから始まるエピソード。
基本を押さえたフーダニット講義を受けて、初心者ながら謎解きに挑むノゾムからは目が離せません。真相が明かされてみると前例のあるトリックではありますが、本書ならではの設定を生かした扱い方がお見事です。
「ハウダニット・プリンシプル」は、ゲームならではの特殊なフィールド――広大な半球密室(!)――から、“どうやって脱出するか?”がお題……かと思いきや、脱出を試みて死んだと思しきプレイヤーが“どうやって死んだのか?”(*6)をめぐって、作者お得意の推理対決が始まります。
人工的な舞台/設定を最大限に利用した、呆れるほど豪快な真相もさることながら、正解に至る作者らしい“勝ち筋”が示されているのが非常に面白いところです。
「ワイダニット・カルテット」では、プレイヤーの一人が殺された上に死体が焼かれる事件が発生しますが、動機――被害者を殺すメリットも、死体を焼く理由も何ら見当たらない、というのがメインの謎となります。また、カタリと因縁のある運営側の人物が介入してくるのも見どころです。
カタリのヒントがかなり親切なので、真相がわかりやすくなっているきらいがある――むしろその手前の“誤った解答”の方が面白く感じられてしまうのはご愛嬌。しかし、犯人を追い詰める“最後の決め手”はまったく予想外でしてやられました。
「ウェアダニット・マリオネット」は、まず何といっても水が満たされた直方体の内部という奇天烈な舞台が目を引きますが、(実質的にはその舞台が)“どこなのか?”というつかみどころのない謎を前に、複数のプレイヤーが協力する“チーム戦”となっている(*7)のも注目すべきところで、少しずつ真相に迫っていくプレイヤーと運営側の攻防はなかなか見ごたえがあります。
やむを得ない事情で(*8)講義は最も面白味に欠けますが、その分(?)奇想天外なトリックが仕掛けられているのが秀逸で、真相だけを比べれば本書の中で最も面白いエピソードといえるでしょう。
「ウェンダニット・レクイエム」では、何とノゾム自身が“殺人犯”と告発されてしまい、指定されたタイムリミットまでに、カタリの講義を頼りに自らの潔白を証明することになります。
実のところ、真相はすぐに見当がついてしまうと思いますが、重要なのはそこではなく解明の手順、とりわけ“どうやってウェンダニットへ持っていくか”でしょう。また、“最後の真相”まで含めて、物語としても特に印象深い一篇となっているのが見逃せないところではないでしょうか。
最後の「ワットダニット・デッドエンド」は思いのほか短く、これまでとはかなり毛色の違うエピソードとなっています。
真相だけをみると、ミステリとしてさほど面白いとはいえないのですが、注目すべきはその手前にある“ホワットダニットとは何か?”という問題。島田荘司氏がいうところのホワットダニット(*9)――“フーダニット・ハウダニット・ホワイダニットが未分化の/複合した謎”とは異なるアプローチで、しかもそれ自体が(ここでの)真相と表裏一体になっているのが非常に面白いところです。
ノゾムとカタリの師弟関係の結末は、好みの分かれるところもあるかもしれませんが、個人的にはここで終わるのがベストではないかと思います。
“デスゲーム”とあるのもあながち間違いではないかもしれませんが、帯の
“生存確率1%の推理ゲーム”という惹句は少々大げさな気が。
*2: “5W1H”の謎を扱ったミステリとしては、岡嶋二人『解決まではあと6人 5W1H殺人事件』もありますが、そちらは“~ダニット”とは少し違った形になっています。
*3: 本書では
“ワイダニット”とされていますが、個人的にこちらの表記の方がなじみ深いので、各篇の題名以外はこのように表記します(ワットダニット/ホワットダニットについても同様)。
*4: “ミステリ自体をテーマとしたミステリ”という意味で。
*5: カタリ自身はすでに“WHO”を獲得している、という事情もあります。
*6: プレイヤーが明らかに脱出途上で死んでいるため、当初の“どうやって脱出するか?”を包含した謎となっているところもよくできています。
*7: “WHERE”の獲得者が少ないという理由で、今回に限り、五人のプレイヤーのうち誰か一人でも正解すれば、(それまでに間違えて退場となったプレイヤーも含めて)全員がポイントを獲得できることになっています。
*8: まず作中でも説明されているウェアダニットの特殊な性質がありますし、この作品での謎がウェアダニットとしても特殊だということもあります。さらに、初出を考えれば主に前者の事情によると思われますが、ノゾムへのウェアダニット講義はすでに「ワイダニット・カルテット」の中で済んだことになっている、ということもあります。
*9: 詳しくは、「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音楽 » Blog Archive » 島田荘司講演会『本格ミステリーの定義と迷走について』@台湾・金車文藝中心 (2)」などを参照。
2018.03.20読了 [円居 挽]
友達以上探偵未満
[紹介と感想]
三重県立伊賀野高校の放送部に所属する伊賀ももと上野あおは、どちらも大のミステリ好きで名探偵に憧れている。たびたび事件に遭遇する二人は、ももの直感力とあおの論理力を活かして事件を解決していくが……。
NHK-BSプレミアムの番組「謎解きLIVE」の第二弾として2014年9月13日・14日に放映された、麻耶雄嵩原作のミステリードラマ「忍びの里殺人事件」(*1)を小説に仕立てた「伊賀の里殺人事件」に、同じ探偵コンビが登場する「夢うつつ殺人事件」と「夏の合宿殺人事件」二篇を加えた連作で、全体として麻耶雄嵩にしては軽めの作品集となっていますが、最初の二篇には(*2)“読者への挑戦”も用意されています。
帯には“絶対に負けられない推理勝負”
(*3)とありますが、この構図が打ち出されているのは作中の時系列で最初となる「夏の合宿殺人事件」のみで、主役となる伊賀ももと上野あおの探偵コンビは、実態としては“分業制”の探偵(*4)となっています。探偵に必要な能力を“直観力”と“論理力”に分けることで“分業”が成り立っていますが、それが二人の性格にも反映されてキャラが立っている(*5)のが魅力。と同時に、三つの事件がいずれも解決に“直観力”と“論理力”を要するものになっているところがよくできています。
- 「伊賀の里殺人事件」
- 放送部の活動で、伊賀の里ミステリーツアーの取材に訪れたももとあお。参加者たちは青・黄・黒の忍者か芭蕉の衣装を身に着けることになっていたが、途中で黒忍者の男が殺されているのが発見される。その死体には、芭蕉の俳句の見立てらしき装飾が施されていた。続いて起きた第二の事件でも、“古池や”の見立てが施されて……。
- 忍者と芭蕉が大々的にフィーチャーされた伊賀ならではのミステリーツアーに、芭蕉の俳句の見立て殺人と、なかなか派手な印象の割に、今ひとつとらえどころのない事件になっているのが面白いところ。謎解きの手順がややごたついている感もありますが、謎の作り方が巧妙だと思います。
- 「夢うつつ殺人事件」
- 美術部の一年生・相生初唯は、校内でうたた寝の最中に不穏な会話を耳にする。美術部の二年生・愛宕匡司を殺して、昔から学校に怪談として伝わる“お堀幽霊”の仕業に見せかけようという男女のやり取りだった。さらに初唯の学生カバンに、“お堀幽霊”の呪いとされている赤い手形がつけられてしまう。相談を受けたももとあおだったが……。
- 冒頭の不穏すぎる会話そのままに、幽霊の仕業に見せかけた殺人が起きる一篇で、容疑者が限られているにもかかわらず、一筋縄ではいきません。もものあまりにも珍妙な俳句(?)には苦笑を禁じ得ませんが、不可解な謎を一刀両断する推理の突破口が実に鮮やかです。
- 「夏の合宿殺人事件」
- 幼い頃から名探偵を目指していたももは、中学で転校してきたあおと出会った。同じく名探偵を目指すあおに刺激を受けたももだったが、やがて出くわしたひったくり事件で、あおに探偵としての差を見せつけられてしまう……。やがて夏休み、文芸部に所属していたももとあおは夏合宿に参加するが、その合宿所内で殺人事件が発生して……。
- 本書の中で時系列としては最初となる、二人が中学生時代のエピソードで、探偵コンビの成立に至る過程が〈ももの視点〉と〈あおの視点〉から描かれています。前の二篇ではあまり表に現れてこないあおの内面が明らかになるのが大きな見どころで、とりわけ名探偵を目指す姿勢に関するももとの違いが目を引きます。謎解きもさることながら、“名探偵とは何か?”を追求する麻耶雄嵩らしい物語が印象に残ります。
*2: 最後の「夏の合宿殺人事件」に“読者への挑戦”がないのは、構成上の都合ではないかと思われます。
*3: 他に、
“勝てばホームズ。負ければワトソン。”というキャッチーな惹句もあります。
*4: 古野まほろ『セーラー服と黙示録』や青崎有吾『ノッキンオン・ロックドドア』などに通じるところがあります。
2018.04.17読了 [麻耶雄嵩]
アルテミス(上下) Artemis
[紹介]
人類初の月面都市アルテミス――五つのドームに二千人の住民が生活するこの都市で、合法/非合法の品物を運ぶポーターとして暮らす娘ジャズ・バシャラは、顧客の一人で大物実業家のトロンドから、謎めいた仕事を持ちかけられる。破格の報酬に目がくらんで引き受けたその仕事は、企業買収が絡んだ破壊工作だった。ジャズは普段の仕事との違いに戸惑いながらも、友人の凄腕科学者スヴォボダの助けを借り、EVA(船外活動)の心得と、溶接工の父親に仕込まれた溶接の技術を生かして、ドーム外での危険な作業に挑むが……。
[感想]
火星に取り残された主人公のサバイバルを描いた傑作ハードSF『火星の人』に続く第二長編で、今回は月面都市を舞台に、主人公が攻略困難な標的に挑む“ミッション・インポシブル”風(*1)の物語が展開されていきます。そこはかとなく前作に通じる味わいを漂わせながらも、色々な意味で前作とは対照的な要素が導入されて、一味違った面白さを備えた作品に仕上がっています。
まずはやはり、月面都市が舞台となっているのが前作と大きく異なるところで、ドームの外は前作の火星同様の過酷な環境とはいえ、内部には――人口二千人と小規模ながら――生き生きとした社会が構築されていることがうかがえます。作中でも“フロンティア”
といわれているように、まだ歴史が浅く人口が少ないために比較的シンプルで素朴に感じられる部分もあります(*2)が、その成り立ちの経緯から現在の行政・産業・経済に至るまでが一通りしっかりと描かれているのが一つの魅力です。
その中にあって、主人公ジャズ・バシャラを取り巻く人間模様もまた魅力的。厳格なイスラム教徒の父親に反発して家を飛び出し、優秀な頭脳や技術を持ちながら低賃金の仕事につき、しばしば“才能の無駄遣い”とも評される(*3)ジャズですが、周囲からは何かにつけて目をかけられており、小気味いい会話主体のスピーディーな展開は前作になかった味わいです。一方で、前作に通じるテキスト――地球に住む友人ケルヴィンとのメールのやり取り(*4)が時おり挿入され、現在の物語では直接語られない子供時代からの過去が補足されることで、ジャズの造形に奥行きを与えているのも見逃せないところです。
解説では本書について、“みんなから愛されるはねっかえりの小娘が大騒動に巻き込まれ、まわりの大人たちがなんだかんだ言いながら救いの手をさしのべる”
と身も蓋もなくまとめられています(苦笑)が、実際のところ、ジャズが依頼された破壊工作は序の口にすぎず(*5)、企業買収の裏に隠された陰謀はやがて、アルテミスの未来を左右する一大事につながっていくことになり、周囲が協力するのも自然。ということで、最終的にはまさに“ミッション・インポシブル”――“マッドサイエンティスト”のスヴォボダをはじめ、仲たがいしていた父親までも含めた(*6)仲間たちとの“チーム戦”に発展するのが、前作にはなかった新たな見どころです。
一同が力を合わせた最後の“大作戦”にも予想外のトラブルが相次ぎ(*7)、終盤は息をもつかせぬ展開で、しまいには“アルテミスの未来”どころか現在のアルテミスに危機が迫る始末ですが、ここぞという場面でのジャズの決死の行動は圧巻。ようやく事態が決着した後、納得できる“後始末”を経て、地球で蚊帳の外に置かれていたケルヴィンへの事後報告と“ある依頼”のメールで締める結末も気が利いています。前作ほどの傑作とまではいえないかもしれませんが、十二分に楽しめる作品であることは間違いないでしょう。解説によれば続編の構想もあるようで、そちらも楽しみです。
*2: 大森望氏による下巻巻末の解説で、
“最先端の技術が投入されている割に、開拓時代のアメリカ西部の雰囲気をたたえている。”とされているのに同感です。
*3: 作中でトロンドには、
“きみはまるっきり活用されていない資源なんだ”と言われています。
*4: ジャズの学校の宿題がきっかけとなっているのが面白いところです。
*5: 上の[紹介]は、上巻の途中(三分の二くらいでしょうか)までの内容です。
*6: 父親との関係については、
“父さんは、ほかのなによりもわたしのことを三三六パーセント増しで愛しているということだ。”のあたりが気に入っています(ただし、“三六六パーセント”の誤植(?)なのが残念ですが)。
*7: とはいえ、前作の解説にもあったように、
“およそありそうにない悲惨な偶然”の結果ではなく、予想できてもおかしくないトラブルとなっているのはさすがです。
2018.05.07 / 05.10読了 [アンディ・ウィアー]