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阪谷朗廬



 
 
              
      萬里小路藤房卿

                      阪谷朗廬

誰使中興爲亂麻,
雲林豈肯忘天家。
君王若問臣踪跡,
爲奏松陰泣露華。


           
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萬里小路藤房卿
                       
   
(たれ)か 中興をして  亂麻と 爲(な)ら使(し)む,
雲林 豈
(あ)に 肯(あへ)て  天家を 忘れんや。
君王 若
(も)し  臣の踪跡(そうせき)を 問はば,
(ため)に 奏せ  松陰 露華に 泣くと。

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◎ 私感註釈

※阪谷朗廬:文政五年(1822年)~明治十四年(1881年)。幕末から明治初期の学者。名は素。字は子絢。通称素三郎、希八郎。朗廬は号になる。備中の人。彼の業績については、嘉永六年(1853年)に、興譲館という塾を作り、朱熹の白鹿堂書院の掲示書を校の指針とした。朗廬の最初の建学の地は、桜谷という地名で、風光明媚な山奥にあるということを教えていただいた。

※萬里小路藤房卿:鎌倉末期の公卿の名で、作詩者・阪谷朗廬が彼に代わって後醍醐天皇の失政を批判した作品。 ・萬里小路藤房〔までのこうぢふぢふさ〕。藤原藤房。永仁三年(1295年)~天授六年?(1380年?)鎌倉末期の公卿。後醍醐天皇の近臣で、元弘の乱の謀議が漏れた時、天皇に随って、笠置山に遁れる。その際の藤房と主上(後醍醐天皇)の歌の応答は『太平記』卷三「主上御沒落笠置事」にも記録されている。『日本外史』卷之五に拠ると、「変事がわずかに落ち着きを見せてきたので、帝は平常時と変わることなく宴会に興じて、一層珍しい物を召し出させていた。塩冶高貞が千里の馬を献じた。帝は、出でてこれを御覧になり、瑞祥であると思し召された。藤原藤房は、諫言して:『天馬(註:『太平記』第十三卷では「龍馬」とする。)は平時に用いるものではない。(そのようなことよりも、)近頃、(政治上の)論功行賞・賞罰には、偏(かたよ)りがあって、信をおけない。工事で人民への使役も行われ、文官は、内部抗争を繰り広げ、武士は、野(や)にあって、不満を抱(いだ)いている。姦雄が、その隙(すき)を窺(うかが)っている。天馬が現れたのは、乱が起こる兆(きざ)しにちがいない。』といさめた。帝は、激しくお怒りになって、入ってしまわれた。……何度諫めても聞き入れられないので、藤房は、官を捨てて去っていった。帝は驚いてあとを追ったが、追いつけなかった。」藤房が帝に諫言できたのは、彼が笠置山以降の苦難を共にし、共に戦った第一の近臣・同志であり、後醍醐天皇の夢に基づいたとはいうものの、実際に楠木正成を後醍醐天皇に引き合わせたのも彼だからである。武士でいうと、湊川で死を以て反証したその楠木正成に該るか。国士無双、蕭何、韓信ともいうべき位置にあった。『史記』・世家・越王句踐』風にいうと「范蠡遂去…『蜚鳥盡,良弓藏。狡兔死,走狗烹。越王爲人長頸鳥喙,可與共患難,不可與共樂。子何不去。』」という心境になるのか…。現代中国風にいえば、彭徳懐の「万言書」か。
  この作品は阪谷朗廬が、後醍醐天皇の近臣であった藤原藤房に成り代わり、その隠遁の詩を作った。後醍醐天皇親政への批判である。この作品は、『太平記』卷三「主上御沒落笠置事」にある、笠置山から落ちて行く後醍醐天皇と藤房二人の和歌に則って作られている。
サシテ行ク笠置ノ山ヲ出シヨリ。アメガ下ニハ隱家モナシ」:(主上)。
イカニセン憑ム陰トテ立ヨレハ(ば)。猶袖ヌラス松ノ下露」:(藤房)
  建武の中興成立後、行賞の不公正さなどから、政治に対する情熱を失い、京都、北山の岩倉に隠棲した。
原詩は、大陸書房の『日本漢詩百選』より採った。

※誰使中興爲亂麻:一体誰が建武の中興を乱れもつれたアサのようにしてしまったのか。 ・誰使:一体だれが…としたのか。 ・中興:建武の中興。1334年・建武元年に始まった後醍醐天皇親政をいう。『後漢書本紀』に伝えられる後漢・世祖光武皇帝の光武の中興に擬えている。建武は、光武帝の統治した時代の年号でもある。 ・爲:する。なす。動詞。
(=平声)。 ・亂麻:みだれもつれた麻(あさ)。事件や世の中が乱れた喩え。

※雲林豈肯忘天家:雲や霞がかかっている林に隠棲してからも、決して天皇家ご一門を忘れるようなことはない。 ・雲林:雲や霞がかかっている林。隠棲した場所。「雲」は隠逸、神仙を暗示する語。晩唐・杜牧の『送隱者』に「無媒徑路草蕭蕭,自古
雲林遠市朝。公道世間唯白髮,貴人頭上不曾饒。」とある。 ・豈:どうして…だろうか。あに…や。 ・豈肯:絶対に…ない。 ・肯:積極的に。あえて。 ・忘:忘れる。 ・天家:天皇家。皇室。皇家。後出の「君王」と似ているが、「天家」は、天皇家一門、朝廷といった集団・組織を指し、後出の「君王」は君主個人になり、ここでは、後醍醐天皇を中心とした統治者集団のこと。

※君王若問臣踪跡:もしも、帝がわたくしのゆくえをお訊ねになられたら。 ・君王:君主。一国の君。ここでは、後醍醐天皇個人を指す。 ・若:もし。もしも。 ・問:問う。訊ねる。 ・臣:臣下の自称。わたくしめ。 ・踪跡:〔そうせき;zong1ji4〕あしあと。ゆくえ。ありか。失踪した跡。

※爲奏松陰泣露華:次のように申し上げてくれ、「松の下で露に泣いている」と。 *笠置から落ちのびていったあの苦難の時代を忘れないでほしいと。 ・爲:ために。この語は
になる。前出「誰使中興爲亂麻」の「爲」とは異なる。 ・奏:上奏する。君主に申し上げる。 ・松陰:松の木のかげ。前出「「イカニセン憑ムトテ立ヨレハ。猶袖ヌラス松ノ下」に基づく。 ・泣:なく。涙を流して泣く。和歌「松ノ下露」の意は「松の木の下に降りた夜露」であり、同時に「松の木の下でに流す涙」でもある。 ・露華:つゆ。つゆの光。つゆが光る。前出「猶袖ヌラス松ノ下露」に基づく。



◎ 構成について

韻式は「AAAAA」。韻脚は「麻家華」で、平水韻下平六麻。次の平仄は、この作品のもの。

○●○○○●○,(韻)
○○●●◎○○。(韻)
○○●●○○●,
●●○○●●○。(韻)

平成16.5. 4
      5. 5完
      5. 6補
      9.16
平成26.5. 4



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