千古屈平情豈休, 衆人此日醉悠悠。 忠言逆耳誰能會, 只有湘江解順流。 |
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端午
千古の 屈平 情 豈に 休せんや,
衆人 此(こ)の日 醉(ゑ)ひて悠悠(いういう)たり。
忠言 耳に 逆(さから)へど 誰(たれ)か能(よ)く 會(くゎい)せんや,
只だ 湘江の 順流を 解する 有るのみ。
◎ 私感註釈 *****************
※一休宗純:室町中期の臨済宗の僧。應永元年(1394年)〜文明十三年(1481年)。諱は宗純。号して狂雲子。後小松天皇の落胤という。五山の禅林が頽廃していくのに対して、諸国を遍歴する。後に、勅をうけて大徳寺の住持となる。詩歌、書画に秀でるとともに、禅僧でありながら酒や女性を愛して、形式や規律を否定した反骨的で奔放な叛逆の人生を送った。無念の思いがあったのだろう、そのための奇行は、やがて伝説化されて、「一休咄(いつきうばなし)」が作りだされ、現在に至るも「一休さん」として、広く親しまれている。
※端午:旧暦五月五日。屈原が汨羅(現・湖南長沙の北方の川)に身を投げた日。秦が楚の都郢を攻めた時、屈原は汨羅江に身を投げて、自殺した命日に当たる。時に、紀元前278年の五月五日で、端午の節句の供え物の粽は、屈原を悼んでのものという。この作品は、世に容れられなかった、楚の屈原を詠うことで、同時に自分の感懐を伝えている。
※千古屈平情豈休:大昔、楚の屈原(が憂国の情のあまり、自殺したあの時)の思いはどうして休まる時があろうか。 ・千古:大昔。きわめて遠い昔。太古。遠い昔から現在にいたるまでの長い間。長く久しい後。永遠。 ・屈平:楚の屈原。『楚辭』に憂国の詩篇を遺す。 ・情:思い。心。感情。 ・豈:どうして…だろうか、あに…(や)。反語。 ・休:やすまる。やすめる。
※衆人此日醉悠悠:人々は、(今日の端午の節句)の日にも、酒に酔って、ゆったりと落ち着いている。 *周りのみんなは、憂国の情などの片鱗もなく、気楽に日を送っている。 ・衆人:多くの人々。民衆。大衆。屈原をうたった『楚辞』『漁父』に「屈原既放,游於江潭,行吟澤畔,顏色憔悴,形容枯槁。漁父見而問之曰:『子非三閭大夫與?何故至於斯?』屈原曰:『舉世皆濁我獨C,衆人皆醉我獨醒,是以見放。』」とある。 ・此日:ここでは屈原が汨羅に身を投じた日である端午の節句。 ・醉:酔っぱらう。民衆は政治に対して覚醒しないで、沈酔しているさまをいう。漁父の反論のことばである「聖人不凝滯於物,而能與世推移。世人皆濁,何不其泥而揚其波?衆人皆醉,何不餔其糟而其?何故深思高舉,自令放爲?」にあるような庶民の生き方と屈原の生き方「舉世皆濁我獨C,衆人皆醉我獨醒,是以見放。」。 ・悠悠:ゆったりと落ち着いたさま。気長にかまえているさま。ゆとりのあるさま。
※忠言逆耳誰能會:忠告とは聞きづらいもので、(屈原の憂国の言を)一体誰が理解できたことだろうか。 ・忠言:諫言。忠告。ここでは、屈原の言葉になる。『楚辞』九章 『懷沙』の亂に「浩浩湘,分流汨兮。脩路幽蔽,道遠忽兮。懷質抱情,獨無匹兮。伯樂既沒,驥焉程兮?民生稟命,各有所錯兮。定心廣志,余何所畏惧兮?曾傷爰哀,永歎喟兮。世溷濁莫吾知,人心不可謂兮。知死不可讓,願忽愛兮。明告君子,吾將以爲類兮。」のことになる。「覚醒せよ!」のこと。 ・逆耳:(気に障って)聞きづらい。『韓非子』『孔子家語』そのほかにある。『孔子家語』に「良薬苦口而利於病。忠言逆於耳,利於行。」とある。 ・誰能:一体誰が…できようか。 ・會:さとる。理解する。動詞。
※只有湘江解順流:ただ湘江だけが理解してくれて、素直に流れてゆくのみである。 *(屈原が彷徨ったことのある)湘江以外は、(屈原の心を)理解しようとはしない。 ⇒そのように、わたし・一休宗純の心を理解してくれる者もいない。ふるさとの山河だけが理解してくれようか。 ・只有:ただ…だけがある。ただ…のみが…である。 ・湘江:江西省から北に向かい、湖南省、長沙をを貫流して洞庭湖に注ぐ流れ。 その下流で汨羅江が注ぎこむ。汨羅淵。屈原の『楚辞・九章』の 『懷沙』にも「浩浩湘」と出ている。 ・解:解する。理解する。よく。後ろに「順」という動詞がくるため副詞として「よく」と訓むが、ここは「『順流』を解する」という動詞ではないのか。 ・順流:流れに従う。流れに委せる。作者はここを「順耳」としたかったのではないか。本来はその意味での作詩になる。
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◎ 構成について
韻式は「AAA」。韻脚は「休悠流」で、下平十一尤。次の平仄はこの作品のもの。
○●●○○●○,(韻)
●○●●●○○。(韻)
○○●○○○●,
●●○○●●○。(韻)
平成16.10.23 10.24 |
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