風雨送春歸, 飛雪迎春到。 已是懸崖百丈冰, 猶有花枝俏。 俏也不爭春, 只把春來報。 待到山花爛漫時, 她在叢中笑。 |
陸游の梅を詠める詞を讀み,其の意に反して之を用ふ
風雨 春の帰るを送り、
飛雪 春の到るを迎かふ。
すで これ つらら
已に是 懸崖 百丈の冰なるに,
な うつくし
猶ほも花の枝の俏き有り
うつくし
俏くとも 春を争はず,
只だ春の来たるを報ずるのみ。
山花 爛漫の時を 待ち到らば,
かのじょ (くさむら) ほほゑ
她 叢中に在りて 笑まん。
私感注釈
◎この詞は文革が発動される数年前、1961年12月に作られている。当時の彼の心境を窺うのに相応しい作品で、同じ頃(1961年11月)に『和郭沫若同志』「 一從大地起風雷,便有精生白骨堆。僧是愚氓猶可訓,妖爲鬼蜮必成災。金猴奮起千鈞棒,玉宇澄C萬里埃。今日歡呼孫大聖,只縁妖霧又重來。」がある。毛沢東が提倡した1958年以来の大躍進政策、人民公社化運動が失敗し、三年続きの自然災害とソ連との対立も重なった結果、数千万人の餓死者を出した。この時期、これらの缺点・誤りについて指摘され、毛沢東は自己批判を行って国家主席を辞任し、経済は調整局面に入った。毛沢東としては、自分の政策が否定され、鬱屈した心境で過ごしていた時期。この詩はその時のもの。なお、結果として毛沢東に反対する立場を取って国家の運営を任された劉少奇やケ小平らは、その後の文化大革命で「実権派」として打倒された。この作品は、文化大革命を発動した時の毛沢東の心境がよく分かる詩。
※卜算子:双調で、四十四字の詞牌の一。詞の形式名。詳しくは下記の「構成について」を参照。 ・詠梅:梅を詞にうたう。梅は歳寒三友で、苦難に耐えた後、美しく花開き、成就することの譬えでもある。「陸游の『詠梅』を読んで」と注記しているが、黄巣の『詠菊』「待到秋來九月八,我花開後百花殺。衝天香陣透長安,滿城盡帶黄金甲。」の詞意を活用している。黄巣は唐末の叛乱者である。
※讀陸游詠梅詞,反其意而用之:陸游の『詠梅』の詞を読んだが、(彼の)詞意とは逆の意味で使って、(詞を)作る。 ・讀・詠:「讀」は、書物(等)をよむこと。ここでは陸游詞を読むことを謂う。「詠」は、詩歌にうたい込むこと。ここでは毛沢東が陸游詞に基づいて詞を作ることを謂う。 ・陸游:南宋の詩人。越州山陰(現・紹興)の人。愛国的な詩を作る。陸游原詞は『卜算子・詠梅』「驛外斷橋邊,寂寞開無主。已是黄昏獨自愁,更著風和雨。 無意苦爭春,一任羣芳妬。零落成泥碾作塵,只有香如故。」。
※風雨送春歸:(初夏の)風雨は、やがて過ぎ行く春を見送っている。 *これと似た表現が、陸游の妻、唐の『釵頭鳳』に「世情薄,人情惡,雨送黄昏花易落。曉風乾,涙痕殘。欲箋心事,獨語斜闌。難難難。 人成各,今非昨,病魂常似秋千索。角聲寒,夜闌珊。怕人尋問,咽涙裝歡。瞞,瞞,瞞!」とある。 ・風雨:風と雨。強い風をともなって降る雨。あらし。ここでは、初夏の風雨を指すが、政治的には、(ソ連)修正主義や分裂主義が、平穏無事だった社会主義陣営を乱したことを指す。(この政治情況の分析部分は『毛沢東詩詞大観』(増訂本 蔡清富・黄輝映
編著 四川人民出版社 1998年成都)に拠った。) ・送:送る。見送る。 ・送春歸:春という季節が帰っていくのを見送る。春が過ぎ去るのを送る。
※飛雪迎春到:ふぶき(のような厳しい苦難の状況)は、やがて来る(すばらしい)春の前触れでもある。 ・飛雪:ふぶき。飛び交う雪。ここでは、試練の意味合いが込められている。 ・迎春到:(現代語)春の来るのを迎える。「春到」は春が来る(/来た)の意味。蛇足になるが、中国で見かける「」は「春倒(了):chun1dao4」で、「春が逆になった(春倒:chun1dao4」と「春が来た(春到:chun1dao4)」とをかけて表したもの。
※已是懸崖百丈氷:(周りの情勢は、)既にとても厳しいものとなっており、(恰も)がけから百丈の長さのつらら(が垂れ下がっているかのよう)である。 ・已是:とっくに。すでに これ。 ・懸崖:がけ。絶壁。 ・百丈冰:つららの意。冰(氷の正字)=氷。唐・岑參の『白雪歌送武判官歸京』に「北風捲地白草折,胡天八月即飛雪。忽然一夜春風來,千樹萬樹梨花開。散入珠簾濕羅幕,孤裘不煖錦衾薄。將軍角弓不得控,キ護鐵衣冷難著。瀚海闌干百丈冰,愁雲黲淡萬里凝。中軍置酒飮歸客,胡琴琵琶與羌笛。紛紛暮雪下轅門,風掣紅旗凍不翻。輪臺東門送君去,去時雪滿天山路。山迴路轉不見君,雪上空留馬行處。」とある。
※猶有花枝俏:それでもまだ梅の花の枝は(寒さに負けないで、凛々しく気節を示し、)美しく、いきに(咲いている姿が)ある。 *気骨、英雄的気概があること。くじけないこと。 ・猶有:なお…がある。まだ…がある。北宋・蘇軾の『初冬作贈劉景文』に「荷盡已無フ雨蓋,菊殘猶有傲霜枝。一年好景君須記,正是橙黄橘克栫B」とあり、中唐・韓愈の『題楚昭王廟』に「丘墳滿目衣冠盡,城闕連雲草樹荒。猶有國人懷舊コ,一間茅屋祭昭王。」とあり、南宋・陸游の『書事』に「關中父老望王師,想見壺漿滿路時。寂寞西溪衰草裏,斷碑猶有少陵詩。」とある。 ・猶:なおまだ。なおも。 ・俏:いきである。あか抜けている。スマートである。美しい。
※俏也不爭春:美しいからといって、春を(他の花と)争って(我が物と)しないで。 ・也:(現代語)…としても。…でもなお。これは、逆接や譲歩を表す用法の「也」。「俏」の前に「也」と呼応する語は、省略している。 ・不爭春:春を(他の花と)争わない。春を我が物としない。
※只把春來報:ただ、春の訪れを報ずるのみである。 ・只:ただ。 ・把:(現代語)…を。「春が来ること」を。把の後には影響を与える目的語が来る。ここでは、語調を整えるために使っている。 ・春來:春の訪れ。名詞句である。 ・報:しらせる。報ずる。動詞である。しらせ(名詞性)ではない。ここでは、春が来たこと、すばらしい世の中になったことを告げるだけである、になる。
※待到山花爛漫時:辺り一面すばらしい春になったら。また、すばらしい世の中になったら。理想社会が実現したその時には。 ・待到:待って…の時になったら。盛唐・孟浩然の『過故人莊』にも「故人具鷄黍,邀我至田家。克村邊合,青山郭外斜。開筵面場圃,把酒話桑麻。待到重陽日,還來就菊花。」とあり、唐末・黄巣の『詠菊』に「待到秋來九月八,我花開後百花殺。衝天香陣透長安,滿城盡帶黄金甲。」とある。 ・山花爛漫時:辺り一面のすばらしい春。すばらしい世の中。
※她在叢中笑:彼女(=梅)は人知れずしげみの中で、ほほえむ(咲く)だけである。前出・黄巣の『詠菊』の「待到秋來九月八,我花開後百花殺。」の意を *これは、驚くべき詞句である。一九六一年当時の見方とすれば、「懸崖百丈氷」といえば、嘗ての中国の旧社会を指し、「山花爛漫時」とは社会主義革命が成就した暁を指し、それ故、「她在叢中笑」とは、革命第一世代の引退、と読みとれただろう。しかしながら、現在、文革を見聞した我々から見れば、「懸崖百丈氷」は、「調整派(穏健派・漸進派・修正主義者)の跋扈」ともとれ、「山花爛漫時」とは、「文革成就の暁」を謂い、「她在叢中笑」は、「人民の大海の中にいて、笑う毛沢東」とも取れる。 ・她:(現代語)彼女。女性を指す三人称代(名)詞。ここでは梅の花を指す。 ・在…中:…の中で。 ・叢:くさむら。しげみ。 ・笑:(花が)咲く。わらう。ここは双方の意。前出・黄巣の詩『詠菊』「待到秋來九月八,我花開後百花殺。」では、「殺」となっているのを、「笑」として使う。
◎ 構成について
1999.6月 2000. 1.13補 2001. 1. 4 1. 5 1. 6 1. 7 1. 8 1.10 1.11 2.14 6. 1 6. 2 10.23 2003.12.28 2008. 8.20 2013. 3. 1 3. 2 2016.11.22 |
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