******
淸晨聞叩門,
倒裳往自開。
問子爲誰歟,
田父有好懷。
壺漿遠見候,
疑我與時乖。
襤縷茅簷下,
未足爲高栖。
一世皆尚同,
願君汨其泥。
深感父老言,
稟氣寡所諧。
紆轡誠可學,
違己詎非迷。
且共歡此飮,
吾駕不可回。
飮酒 其九
淸晨 門を 叩(たた)くを 聞き,
裳(しゃう)を 倒(さかしま)にして 往(ゆ)きて 自(みづか)ら開く。
子(し)に 問ふ: 誰(たれ) 爲(た)る歟(か),
田父 好懷 有り。
壺漿(こしゃう)もて 遠く 見候す,
我を 疑ふに 時 與(と)乖(たが)ふを。
「襤縷(らんる) 茅簷(ばうえん)の下,
未だ 高栖(かうせい)と爲すに 足(た)らじ。
一世 皆な 同じきを 尚(たふと)ぶ,
願はくは 君 其の泥を汨(にご)せ。」
深く 父老の言に感ずるも,
稟氣(ひんき) 諧(かな)ふ所 寡(すくな)し。
轡(たづな)を 紆(ま)ぐは 誠に 學ぶ 可(べ)きも,
己(おのれ)に違(たが)ふは 詎(なん)ぞ 迷ひに非らざらんや。
且(しば)し 共に 此の飮を 歡(たのし)め,
吾が駕(が)は 回(かへ)す 可(べ)からず。
*****************
◎ 私感註釈
※陶潜:陶淵明。東晋の詩人。五柳先生と自称し、田園生活と、死を見つめた詩を詠む。
※飮酒 其九:このページは「飮酒」の其九になるが、この部分は『昭明文選』にはない。
※淸晨聞叩門:朝早くから門を叩(たた)く音が聞こえる。 ・淸晨:さわやかな朝。 ・聞:〔ぶん;○〕(音が)きこえる。 ・叩門:〔こうもん;kou4men2●○〕門をたたく。
※倒裳往自開:急いで服を慌てて着て、自分で(門を)開けに行った。 ・倒裳:(慌てたので)衣裳を反対に着る。 *余談だが、わたしが幼い頃は、寝間着としてゆかたを着ていたが、たまに裏返しに着て、笑われたことがあったのを覚えている。もっとも、「倒裳」は、上下を顛倒させて着ることのようで、手を通す部分に足を通して、足を通す部分には手を通した、ということをしたらしい。東晉の時代、果たしてそんなタイプの衣服があったのかどうか……。ただ、「慌てて衣裳を整えるさまの表現」ととれば問題はない。 ・往:ゆく。 ・自開:(召使いに明けさせるのではなくて)自分で明ける。
※問子爲誰歟:あなたにおたずねしますが、どちらさまですか。 ・問:問い訊ねる。 ・子:あなた。尊敬の意味を込めた言い方。 ・爲誰:どなたであるか。 ・歟:…か。…や。強い疑問、推測を表す終助詞。
※田父有好懷:農家の方は、ご好意をお持ちで。 ・田父:〔でんぷ;tian2fu3〕年老いた農夫。農民に対する尊称。蛇足になるが、「父」は「ちち」の意では〔fu4〕、敬称としての漁父〔ぎょほ〕、田父の「父」は〔fu3〕と、異なる。 ・有:…がある。 ・好懷:好意。好感を持つ。
※壺漿遠見候:酒徳利に入った濁醪を(持って、)遠くからたずねて来られた。 ・壺漿:酒徳利に入ったどぶろく。壷に入っている濃い液体。 ・見候:まみえたずねる。訪問する。
※疑我與時乖:わたし(=作者陶淵明の行為を怪しみ訝り、)時流にそむき離れて。 ・疑:あやしむ。うたがう。 ・我:作者を指す。 ・與時乖:時節と乖離する。時流にそむき離れる。 ・乖:〔くゎい;guai1○〕そむく。さからう。たがう。はなれる。
※襤縷茅簷下:ボロを着て、ボロ家で。 *ここからが後「襤縷茅簷下,未足爲高栖。一世皆尚同,願君汨其泥。」が田父の言になる。 ・襤縷:〔らんる;lan2lyu3○○〕ボロ着物。つづれ。 ・茅簷:〔ばうえん;mao2yan2○○〕かやぶきの家。粗末な家。
※未足爲高栖:(あなた=陶淵明の)お住まいとするには、まだまだ十分なところではありません。 ・未足:まだまだ充分でない。 ・爲:…とする。…である。 ・高栖:お住まい。御隠棲なさるところ。 ・高:動詞などの頭に附き、敬語表現になる。
※一世皆尚同:世を挙げて、全部、ともに推移することが大切です。世間残らず全部が、世の流れにあわせて動いていくことが大切なことです。 *孤高は、およしなされ、ということ。 ・一世:世間残らず全部。≒挙世。当世。その時代。陶淵明は『歸園田居』其四でも「久去山澤游,浪莽林野娯。試攜子姪輩,披榛歩荒墟。徘徊丘壟間,依依昔人居。井竈有遺處,桑竹殘朽株。借問採薪者,此人皆焉如。薪者向我言,死沒無復餘。一世異朝市,此語眞不虚。人生似幻化,終當歸空無。」と使っているが、こちらは、生まれてから死ぬまでの間。一生。一代。の意になる。 ・皆:みな。 ・尚:とうとぶ。たっとぶ。動詞。 ・同:おなじ。後出『楚辭』の『漁父』の「能與世推移」のこと。
※願君汨其泥:どうか、(漁父の言ったように、世人が濁ればそれに合わせて、一緒になって)泥をかき揚げて濁らせてください。世間の潮流に従い、隠棲などということは、ほどほどにしておいて、自己の利得や栄達をも考えるべきで、官途に就きなされ。 *『楚辭』の『漁父』中の問答で「漁父曰:「聖人不凝滯於物,而能與世推移。世人皆濁,何不其泥而揚其波?衆人皆醉,何不餔其糟而
其
?何故深思高舉,自令放爲?」
を指している。 ・願君:あなた(陶淵明)にお願いするが。 ・汨:〔こつ;gu3〕にごす。本来は、さらさらと(流れる)。ここでは前出 『楚辭・漁父』中の意「
」で、「にごす」になる。この文字は嘗て混乱を起こしたもので、ややこしい。『楚辭』で何回か使われている。『楚辭』の王逸の古註では、流れる。この義では、〔こつ;gu3〕で、水の流れるさま。水が流れる。波の音。(水の流れが)速い。なお、汨羅(べきら)の汨は〔べき;mi4〕になる。水の流れる音や、汨羅江といった地名用語(字)。また、『離騒』では、「汨余若將不及兮」での「汨」は、〔いつ;yu4〕になり、楚の方言で、水が速く流れるようすになる。この三者の区分が必要。(字体もやや異なり、さんずいに「日」と「曰」との差異がある)。『楚辭』九章『懷沙』に「亂曰: 浩浩
湘,分流汨兮。脩路幽蔽,道遠忽兮。懷質抱情,獨無匹兮。伯樂既沒,驥焉程兮?民生稟命,各有所錯兮。定心廣志,余何所畏惧兮?曾傷爰哀,永歎喟兮。世溷濁莫吾知,人心不可謂兮。知死不可讓,願忽愛兮。明告君子,吾將以爲類兮。」
・其泥:その泥。世の中の穢れ、濁り、乱れ。世の人々が濁ったら、一緒になって(沈んでいた)泥を濁らせて、浪を揚げないのか。 *民衆と一緒になって、時流に乗るべきであって、一人だけお高くとまっているべきではない。前出青字部分になる。
※深感父老言:長老の言葉には、深く感じ込むところがある(が)。 ・深感:深く感じる。 ・父老:年取った男子の敬称。長老。老翁。村の指導的な位置にある老人。 ・言:(口に出して言う)言葉。ここでは、忠告、助言、のことになる。
※稟氣寡所諧:天性、他人と調和することが、へたである。 ・稟氣:〔ひんき;bing3qi4●●〕天から受けた性質。生まれつきの性質。 ・寡:〔くゎ;gua3●〕減る。缺ける。少ない。 ・所諧:かなうところ。「所」は後の動詞を名詞化する。 ・諧:〔かい;xie2○〕かなう。ととのう。調和する。なごむ。
※紆轡誠可學:向きを変えることは、たしかに、学ぶべきことではある(が)。 ・紆轡:〔うひ;yu1pei4○●〕手綱を巡らす。向きを変えることをいう。陶淵明『始作鎮軍參軍經曲阿作』には「弱齡寄事外,委懷在琴書。被褐欣自得,屡空常晏如。時來苟宜會,宛轡憩通衢。」とある。 ・紆:〔う;yu1○〕まがる。めぐる。 ・轡:〔ひ;pei4●〕たづな。日本では、くつわ。 ・誠:まことに。誠実に。 ・可學:学ぶべきである。・學:世の中のしきたりの手ぶりをならう。
※違己詎非迷:自分自身の信念を違えることは、どうしてまちがった判断ではないといえようか。自分の信念を枉(ま)げることは、どうしてあやまちではないといえようか。自分の信念をまげることは、惑いでないといえようか。自分は、やはり、信念を貫く、ということ。 ・違己:自分自身の信念に違える。自分の信念を枉(ま)げる。 ・詎:〔きょ;ju4●〕どうして…か。なんぞ。反語を表す副詞。≒豈。 ・非:…にあらず。 ・迷:まよい。まどい。心が(煩悩に)乱されて悟りえないこと。心が乱れて、正しい判断を下しえないこと。心がまようこと。ここは名詞になる。
※且共歡此飮:(そのような、堅い話は、しばらくさて置き)いましばし、ともに酒を飲んで、楽しく過ごそう。 ・且:しばし。しばらく。短時間を指す。 ・共:いっしょになって。共に。 ・歡:(口を開けて笑って)楽しむ。よろこぶ。 ・此飮:今回の飲酒の宴。
※吾駕不可回:わたしの乗り物(=人生)は、Uターンさせることはできない。 ・駕:〔が;jia4●〕のりもの。車馬。馬がひく車。日本では、かご。ここでは、コース、の意になる。 ・不可:…ことができない。 ・回:かえる。もどる。
***********
◎ 構成について
韻式は「AAAAAAAA」。韻脚は「開懷乖栖泥諧迷回」で、上平八齊(栖(棲)迷泥)、九佳(諧乖懷)、十灰(回開)。この作品の平仄は次の通り 。
○○○●○,
●○●●○。(韻)
●●○○◎,
○●●●○。(韻)
○●●●●,
○●●○○。(韻)
○○○○●,
●●○○○。(韻)
●●○●○,
●○●○○。(韻)
○●●●○,
●●●●○。(韻)
○●○○●,
●●●○○。(韻)
●●○●●,
○●●●○。(韻)
2004.8.12 8.13 8.15 8.18完 2013.7.27補 |
![]() ![]() ![]() ************ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() メール |
![]() トップ |