Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye



            

  
                          雜曲歌辭 浪淘沙
                                
  唐・劉禹錫
  
八月濤聲吼地來,
頭高數丈觸山迴。
須臾卻入海門去,
卷起沙堆似雪堆。


   
           **********************

              浪淘沙(らうたう さ )

八月の 濤聲  地に 吼えて 來り,
頭 高きこと 數丈  山に觸れて 迴
(めぐ)る。
須臾に 卻
(しりぞ)きて  海門に入りて 去り,
沙堆を 卷き起こすこと   雪堆に 似たり。

2006年10月9日の逆流。左奥(南)赭山。

             ******************


◎ 私感訳註:

※劉禹錫:中唐の詩人。772年(大暦七年)〜842年(會昌二年)。白居易や柳宗元との詩の応酬も多い。白居易とともに『竹枝詞』や『楊柳枝』を作る等、前衛的、実験的なことに取り組む。字は夢得。監察御史、太子賓客。多端な人生を送り、永貞元年(805年)に政争に敗れて地方の連州(広東省連州市)刺史に左遷され、更に朗州(湖南省常徳市)司馬に左遷されて、あしかけ12年ぶりに都へ呼び戻されたとき(元和十一年:816年)、『元和十一年自朗州召至京戲贈看花ゥ君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」の詩を作った。それが政敵に知られることとなり、「この
表現内容が、朝政を嘲弄しており、不穏当」とのことで、再び地方へ飛ばされる原因(口実)となった。いわく付きの詩。やがて、その詩作のとき(元和十一年:816年)から、更に十四年後の太和二年(828年)、再び都へ呼び戻された。その時の詩作『再遊玄キ觀』とその序に、その間の事情が説明されている。序に「余貞元二十一年爲屯田員外郎時,此觀未有花。是歳出牧連州,尋貶朗州司馬。居十年,召至京師,人人皆言,有道士手植仙桃,滿觀如紅霞,遂有前篇以志一時之事。旋又出牧,今十有四年,復爲主客カ中。重遊玄キ觀,蕩然無復一樹,唯兔葵燕麥動搖於春風耳。因再題二十八字,以俟後遊,時太和二年三月。」(余(よ)貞元二十一年(805年:徳宗崩=貞元年)屯田員外郎 爲(た)るの時,此の觀 未だ花 有らず。是(こ)の歳 連州に出でて牧(=地方長官)す,尋(つ)いで 朗州の司馬に貶(へん)せらる。居ること十年,召されて京師に至る,人人 皆な言ふ,道士の仙桃を手植する有りて,滿觀 紅霞の如しと,遂(つひ)に 前に篇し以て一時の事を志(しる)せる有り。〔すなわち、この詩「紫陌紅塵拂面來…」〕旋(たちま)た又た牧(=地方長官)に出づ,今に 十有四年(826年:敬宗崩),復(ま)た主客郎中 爲(た)り。重ねて 玄都觀に遊び,蕩然として復(ま)た一樹も無し,唯(た)だ兔葵(いえにれ)燕麥の春風に動搖する耳(のみ)。因(よっ)て再び二十八字(七絶)を題し(=この『元和十一年自朗州召至京戲贈看花ゥ君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」の詩),以て後遊を俟(ま)つ,時に 太和二年(828年)三月。)。なお、同・劉禹錫の『與歌者何戡』に「二十餘年別帝京,重聞天樂不勝情。舊人唯有何戡在,更與殷勤唱渭城。」とある。

※雑曲歌辞 浪淘沙:雑曲歌辞であるところの浪淘沙(らうたう さ )(ろうとうさ)。波が砂をよなげる。劉禹錫の浪淘沙九首の中の第四首めに該たる作品。一連の作は、黄河や長江の流れを詠じている。『楚辭』の九歌に擬しているといわれる。ここの『浪淘沙』は詞牌ではない。これは、劉禹錫の浪淘沙九首の中の第七首めに該たる作品で、一連の作は、黄河や長江の流れを 詠じている。 ・雑曲歌辞:楽府詩の一つ。内容は雑然としており、志を描写するものや感情を発露するものであり、宴遊や歓楽、うらみや別離の情、行役や征戍の苦労を詠ったものがある。『中国詩学大辞典』浙江教育出版社 1999年杭州)1151ページ。 ・浪淘沙:なみが砂を洗う。後世、詞牌・『浪淘沙』となる。 ・淘:よなげる。米を水に入れて、ゆりとぐ。物を水に入れて、揺らし動かして洗う。

※八月濤聲吼地來:旧暦八月の(大潮の)波涛の音は大地に吼えかかって来るかのようで(激しく)。 ・八月濤聲:旧暦八月の秋分の頃(太陽暦十月はじめ)が最大となる銭塘江の逆流。 ・濤聲:大波の音。ここでの濤聲とは、銭塘江の(旧暦)八月十五日の大潮の遡上(逆流)のこと。 ・吼地來:地面に吼えかかってくる。 *白居易の『長恨歌』の「漁陽鼓動地來」に同じ。その場合の「動地來」は「地を動(どよも)して來(きた)る」と読むので、ここの「吼地來」も「地を吼(どよも)して來(きた)る」とも読み得るが、本来「吼」は、音声の規模を表し、吼えたてる意で、「動」は動きや震動を表す。日本語古語の「響(どよ)む」は鳴り響かす意になり、両者の結合はやや苦しくなる。

※頭高數丈觸山迴:(その)波頭の高さは、数丈で、(恰も北斎の富岳三十六景の神奈川沖の絵のよう に、大きな波頭が山影を包み込んで)山に觸れて回ってくるようである。 ・頭高:背丈。 ・數丈:数メートル。一丈=3.2メートル。時代によって異なった数値なので、2,3メ−トルほど。 ・觸山迴:山に触れてもどってくる。 ・山:上の写真の左側の山:赭山(しゃざん;Zhe3shan1)(蕭山市)と「その対岸(写真を撮った側:杭州市下沙)にある龕山(かんざん;Kan1shan1)」という。ただし、どうも河道が動いたようだ。現代杭州の精図『杭州八区図』では赭山は、上掲写真の通りだが、龕山は対岸(北岸)である写真を撮った側の下沙にはない。下沙側(北側)は一面の平野。写真の赭山の更に奥(南)に龕山(かんざん;Kan1shan1)ならぬ坎山(かんざん;Kan3shan1)がある。現在の地形から謂えば、北側から順に 1銭塘江 2赭山(しゃざん) 3龕山(坎山)(かんざん)だが、かつては赭山(しゃざん)と龕山(坎山)(かんざん)との間を今の流れよりやや真っ直ぐに銭塘江が流れていたのだろう。北側から順に 1赭山(しゃざん) 2銭塘江 3龕山(坎山)(かんざん)だったのだろう。今の杭州空港(杭州蕭山国際機場)の辺りを銭塘江は流れていたのだろう。これらの地名は、『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)54ページ「唐 淮南道」や、55−56ページ「唐 江南東道」にはない。

※須臾卻入海門去:たちまちにして、しりぞく(ように曲がって)河口に向かって、流れ去 り。 *銭塘江の潮(逆流)は、当然ながら海の方から河上の方に向かっていくものである。ここで、「海門去」というように、恰も海に向かって注ぎ込んでいるかのような表現は、川筋の形、河勢を謂うのか。 ・須臾:たちまち(須臾)にして。 ・卻:しりぞく。 ・入:(河口)に向かって。王之渙の『登鸛鵲樓』に「白日依山盡,黄河入海流。欲窮千里目,更上一層樓。」とある。 ・海門:(ここでは銭塘江の)河口。上の写真の左手辺り。海寧潮の辺り。 ・去:流れ去る。

※卷起沙堆似雪堆:小さな砂(沙)の山を巻きあげているが、(その砂を含んだ波の山々の様子 は、白く輝いて)雪の(積もった)山に似ている。 ・卷起:巻きあげる。 ・沙堆:砂の山。 ・似:似ている。…のようである。如し。 ・雪堆:雪の山。 ・堆:積もってできたやま。積み重ねられて「やま」となったものをいう。例えばゴミの山のような感じのものは“○○堆”というが如きものである。





◎ 構成について

 韻式は「AAA」。韻脚は「來迴堆」で、平水韻上平十灰。次の平仄はこの作品のもの。

   
●●○○●●○,(韻)
   ○○●●●○○。(韻)
   ○○●●●○●,
   ●●○○●●○。(韻)


2003.12.26完
2004. 8.29補
2007. 2. 4
     11.12
2013. 5.25

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