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石盆泉畔石樓頭,
十二年來晝夜遊。
更過今年年七十,
假如無病亦宜休。
五年の秋 病後に獨り香山寺に宿す 三絶句
其三
石盆泉 畔 石樓の頭,
十二年來 晝夜に 遊ぶ。
更に 今年を 過ぎなば 年 七十,
假如(たとひ) 無病なりとも 亦(ま)た 宜(よろ)しく 休すべし。
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◎ 私感註釈
※白居易:中唐の詩人。772年(大暦七年)〜846年(會昌六年)。字は楽天。号して香山居士。官は翰林学士、左拾遺を歴任するが、江州の司馬に左遷され、後、杭州刺史に任じられる。やがて刑部侍郎、太子少傅、刑部尚書を歴任する。その詩風は、平易通俗な語彙表現を好み、『楊柳枝』シリーズや、『竹枝詞』、『新楽府』シリーズと詩歌、音楽上の実験に精力的に挑戦し、諷諭詩や感傷詩でも活躍し、仏教に帰依した。本サイトでは、『抒情詩の頁』に多く集めている。
※五年秋病後獨宿香山寺三絶句:開成五年の病後に、思うことがあって、独りで香山寺に宿泊した時の絶句。 ・五年秋:開成五年は、840年で、作者が六十九歳の時になる。 ・病後:作者は、前年の開成四年に風疾を得た。 ・獨宿:ひとりだけで泊まる。白居易の『八月十五日夜禁中獨直對月憶元九』に「銀臺金闕夕沈沈,獨宿相思在翰林。三五夜中新月色,二千里外故人心。渚宮東面煙波冷,浴殿西頭鐘漏深。猶恐清光不同見,江陵卑濕足秋陰。」とある。 ・香山寺:洛陽にある寺院の名。なお、この香山寺の北側の琵琶峰上に作者の墓園があり、白園と呼ばれている。龍門の東にあり、後出・龍門寺ともいう。作者が住んでいた近くになるか。白居易の隠棲後は、主にこの寺に依り、号の香山居士ここからきている。白居易は香山寺での交際も深く、「香山九老」として、香山寺を詠んだ詩作は極めて多い。三絶句中、これは其の三になる。
※石盆泉畔石樓頭:(香山寺にある)石盆泉の畔(ほとり)や、石楼のそばで。 ・石盆泉:香山寺にある泉の名。 ・畔:ほとり。 ・石樓:石造りの建物。 ・頭:ほとり。そば。
※十二年來晝夜遊:十二年来、昼となく夜となく、遊んだ。 ・十二年來:開成五年(840年)の十一年前は、840−11=829で、太和三年。白居易が洛陽の履道里に隠棲した時になる。 ・晝夜:昼と夜。昼となく夜となく。
※更過今年年七十:その上、さらに今年を過ぎれば、年は七十歳になる(ので)。 ・更:その上。さらに。 ・過:すぎる。 ・今年:開成五年(840年)で白居易は六十九歳。 ・年七十。七十歳になる。
※假如無病亦宜休:仮に、病気にならなくとも、そろそろ人生の終わりのことを考えておくべきだろう。 ・假如:仮に…だとしても。もし…だとすれば。現代語までにも存続している仮定法。 ・無病:病気に罹らないでいる。健康である。 ・亦:…もまた。 ・宜:…するのがよいだろう。よろしく…べし。 ・休:やめる。完了する。停止する。但し、「休」=「歸休」の意とすれば、人生の終焉、死を迎える意。陶潛の『游斜川』「開歳倏五日,吾生行歸休。念之動中懷,及辰爲茲游。氣和天惟澄,班坐依遠流。」 がある。ここを「やめる」と解し「香山寺に行くことをやめる」と解すれば、同題連作其二にある「從此香山風月夜, 祗應長是一身來。」と矛盾するので、陶淵明に同じく「人生の終焉を迎える」意と取るのが妥当になろう。作者は陶淵明を尊敬し、陶潜体の詩『訪陶公舊宅』序「余夙慕陶淵明爲人,往歳渭上閑居,嘗有效陶體詩十六首。今遊廬山,經柴桑,過栗里,思其人,訪其宅,不能默默,又題此詩云。」等と多く遺している。尤も、白居易の『遊趙村杏花』では、「趙村紅杏毎年開,十五年來看幾迴。七十三人難再到,今春來是別花來。」 と、花に「今年が最後だ」と別れを告げに来ている。ここでは、当然のことながら、同題連作其二との整合性をとるほうが大切になる。
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◎ 構成について
韻式は「AAA」。韻脚は「頭遊休」で、平水韻下平十一尤。次の平仄はこの作品のもの。「更」「過」は両韻。
●○○●●○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
●●○○○●●,
●○○●●○○。(韻)
2005.3. 8 3. 9完 3.12補 |
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