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      臨高臺送黎拾遺
              
                  王維 

相送臨高臺,
川原杳何極。
日暮飛鳥還,
行人去不息。


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高臺に 臨みて 黎拾遺を 送る       
                       
相ひ 送りて  高臺
(かうたい)に 臨めば,
川原
(せんげん)  杳(えう)として 何ぞ 極(きは)まらん。
日暮
(にちぼ)  飛鳥(ひてう) 還(かへ)り,
行人
(かうじん)  去りて 息(や)まず。

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◎ 私感註釈

※王維:盛唐の詩人。701年(長安元年)?〜761年(上元二年)。字は摩詰。太原祁県(現・山西省祁県東南)の人。進士となり、右拾遺…尚書右丞等を歴任。晩年は仏教に傾倒した。

※臨高臺送黎拾遺:高台にて、(来客の)黎拾遺を見送る。 *『臨高臺』は楽府題・鼓吹曲辞だが、これは絶句。『臨高臺』では、沈期に「高臺臨廣陌,車馬紛相續。回首思舊ク,雲山亂心曲。遠望河流緩,周看原野香B向夕林鳥還,憂來飛景促。」がある。王維のこの作品は、その影響を受けていようか。 ・臨:登臨する。 ・高臺:〔かうたい(かうだい);gao1tai2○○〕高くて平坦な土地。高台(たかだい)。また、たかどの。王維の作品群から判断すると、見送って、野外に行き、野外の「たかだい」で猶も見送っていると見るのが妥当だが、安定期の詩人では、餞別の宴を張る「たかどの」と解するのも可(沈期の『臨高臺』での用法)。 ・黎拾遺:「黎」は姓。「拾遺」は官職名。王維は『
拾遺裴秀才迪見過秋夜對雨之』という五律を作っている。黎マのこと。裴迪、岑參らと同時代人になる。

※相送臨高臺:見送って、高台に臨めば。 ・相送:(…を)見送る。

※川原杳何極:平野は、遥かに窮まりなく続いている。 ・川原:〔せんげん;chuan1yuan2○○〕平原。平野。必ずしも川が流れているところとは限らない。平川広野。また、(川が流れている)平原。川は、詞では、平原、曠野の意で、取り立てて川を指さない。また、川のみなもと。川源。普通は前者の意「平原」と解し、それで妥当だが、王維は、川の水源を描写したもの「行到
水窮處,坐看雲起時。」、「落日山水好,漾舟信歸風。玩寄不覺遠,因以縁源窮。」を幾つか遺しているので、多少は気になる。杜甫『秦州雜詩二十首』其三「鼓角縁邊郡,川原欲夜時。秋聽殷地發,風散入雲悲。抱葉寒蝉靜,歸來獨鳥遲。萬方聲一概,吾道竟何之。」 や、南宋・張孝祥の『六州歌頭』「長淮望斷,關塞莽然平。征塵暗,霜風勁,悄邊聲。黯銷凝。追想當年事,殆天數,非人力。洙泗上,絃歌地,亦羶腥。隔水氈ク,落日牛羊下,區脱縱。看名王宵獵,騎火一川,笳鼓悲鳴,遣人驚。」、賀鋳の『青玉案(凌波不過横塘路)』の「若問閑情都幾許?一川煙草,滿城風絮,梅子黄時雨」(一川煙草:一面に茂れる草)や呂本中の『滿江紅』東里先生の「東里先生,家何在、山陰溪曲。一川平野,數間茅屋」などがある。「かわら」ではない。沈期の『臨高臺』では「遠望河流緩,周看原野香B」 に該ろうか。 ・杳:〔えう;yao3●〕(日の出前や日没後の)暗い。深い。奥深い。遥か。『古詩十九首之十三』「驅車上東門,遙望郭北墓。白楊何蕭蕭,松柏夾廣路。下有陳死人,杳杳即長暮。」、李白に『山中問答』「問余何意棲碧山,笑而不答心自閑。桃花流水杳然,別有天地非人間。」寇準の『江南春』「杳杳煙波隔千里,白蘋香散東風起。日落汀洲一望時,柔情不斷如春水。」 がある。 ・何極:どうしてきわまろうか。『詩經』唐風の「鴇羽」の二段め「肅肅鴇翼,集于苞棘。王事靡,不能藝黍稷,父母何食。悠悠蒼天,其有。」にある。

※日暮飛鳥還:夕暮れ時に、空を翔る鳥は(ねぐらに)戻ってゆく(が)。 ・日暮:〔にちぼ;ri4mu4●●〕夕暮れ時。日暮れ。 ・飛鳥:空を翔る鳥。東晋の陶潜に『飮酒二十首』其五「結廬在人境,而無車馬喧。問君何能爾,心遠地自偏。采菊東籬下,悠然見南山。山氣日夕佳,
飛鳥相與還。此中有眞意,欲辨已忘言。」、『擬古九首』其四「迢迢百尺樓,分明望四荒。暮作歸雲宅,朝爲飛鳥。山河滿目中,平原獨茫茫。古時功名士,慷慨爭此場。一旦百歳後,相與還北。松柏爲人伐,高墳互低昂。頽基無遺主,遊魂在何方。榮華誠足貴,亦復可憐傷。」がある。 ・還:かえる。もどる。Uターンする。ここでは鳥がねぐらの巣に戻ってゆくありさまをいう。

※行人去不息:(空を飛ぶ鳥は、ねぐらに戻ってゆくのに対して、作者を訪れた人は)ひたすら去って離れてゆく。 ・行人:旅人。人生の旅人。道を行く人。また、出征兵士。ここは前者の意で、黎拾遺のことを指す。前者の意では、宋・陸游の『浪淘沙』丹陽浮玉亭席上作「克暗長亭。幾把離尊。陽關常恨不堪聞。何況今朝秋色裏,身是
行人。」、後者の意では漢・李陵の『與蘇武詩』其二「嘉會難再遇,三載爲千秋。臨河濯長纓,念子悵悠悠。遠望悲風至,對酒不能酬。行人懷往路,何以慰我愁。獨有盈觴酒,與子結綢繆。」等がある。 ・去不息:ひたすら去ってゆく。 ・去:さる。さりゆく。ゆく。作者から離れていくありさまをいう。 ・不息:やむことがない。

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◎ 構成について

 韻式は「aa」。韻脚は「極息」で、平水韻入声十三職。次の平仄はこの作品のもの。

○●○○○,
○○●○●。(韻)
●●○●○,
○○●●●。(韻)
2006.1.18
     1.19
     1.20
     1.21

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