陰晴朝暮幾囘新, 已向虚空付此身。 出本無心歸亦好, 白雲還似望雲人。 |
文與可 の『洋川園池』三十首に和す望雲樓
陰晴 朝暮 幾囘か新たなる,
已 に虚空 に向かひて 此の身を付 す。
出 づること本 心 無 ければ 歸るも亦 た好 く,
白雲 還 た似 たり 雲を望 むの人に。
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◎ 私感訳註:
※蘇軾:北宋の詩人。北宋第一の文化人。政治家。字は子瞻。号は東坡。現・四川省眉山の人。景祐三年(1036年)〜建中靖國元年(1101年)。三蘇の一で、父:蘇洵の老蘇、弟:蘇轍の小蘇に対して、大蘇といわれる。
※和文与可洋川園池 望雲楼:文与可の『洋川園池・望雲楼』の詩に和して(この詩を)作る。 *北宋・文同は『守居園池雜題・望雲樓』「巴山樓之東,秦嶺樓之北。樓上卷簾時,滿樓雲一色。」と作り、蘇軾がこの詩に和した。趣は晉・陶淵明の『歸去來兮辭』の「歸去來兮,田園將蕪胡不歸。既自以心爲形役,奚惆悵而獨悲。悟已往之不諫,知來者之可追。實迷途其未遠,覺今是而昨非。舟遙遙以輕颺,風飄飄而吹衣。問征夫以前路,恨晨光之熹微。乃瞻衡宇,載欣載奔。僮僕歡迎,稚子候門。三逕就荒,松菊猶存。攜幼入室,有酒盈樽。引壺觴以自酌,眄庭柯以怡顏。倚南窗以寄傲,審容膝之易安。園日渉以成趣,門雖設而常關。策扶老以流憩,時矯首而游觀。雲無心以出岫,鳥倦飛而知還。景翳翳以將入,撫孤松而盤桓。歸去來兮,請息交以絶遊。世與我而相遺,復駕言兮焉求。ス親戚之情話,樂琴書以消憂。農人告余以春及,將有事於西疇。或命巾車,或棹孤舟。既窈窕以尋壑,亦崎嶇而經丘。木欣欣以向榮,泉涓涓而始流。羨萬物之得時,感吾生之行休。已矣乎,寓形宇内復幾時。曷不委心任去留,胡爲遑遑欲何之。富貴非吾願,帝ク不可期。懷良辰以孤往,或植杖而耘耔。登東皋以舒嘯,臨C流而賦詩。聊乘化以歸盡,樂夫天命復奚疑。」に依ろう。 ・和:詩を韻を合わせて唱和する。(時代によっては、必ずしも和韻とは限らない)。 ・文与可:文同のこと。与可は字。北宋の文人。詩文・書画を善くした。天禧二年(1018年)〜元豐二年(1079年)。号して笑笑先生、錦江道人。人は石室先生と呼んだ。梓州永泰(現・四川省綿陽市塩亭の東)の人。皇祐年間の進士。官は湖州の知州に至ったので世に「文湖州」と呼ばれた。竹の墨絵を得意とした。蘇軾の従兄。 ・洋川園池:文与可が知州として洋州(現・陝西省洋県)に在任していた洋川の宿舎の庭と池。 ・洋州:現・陝西省洋県。 ・望雲楼:高殿(たかどの)の名。文与可が知州として洋州(現・陝西省洋県)に在任していた時の作で、任地の居宅内にあった。唐代に徳宗が行幸したところでもある。北宋・文与可(=文同)がこの望雲楼を詠じ、蘇軾が和してこの詩を作った。 ・望雲:旅先で子が親を思う心。「望雲之情」。以下、初唐・狄仁傑の『歸省』「幾度天涯望白雲,今朝歸省見雙親。春秋雖富朱顏在,歳月無憑白髮新。美味調羹呈玉筍,佳肴入饌膾冰鱗。人生百行無如孝,此志眷眷慕古人。」に基づく解釈。
※陰晴朝暮幾回新:(望雲楼で雲を)曇ることと晴れることと、朝夕に何回新しく繰り返されたことか。 ・陰晴:曇ると晴れると。 ・朝暮:朝夕。朝晩。旦夕。朝から晩まで。
※已向虚空付此身:とっくにこの身を大空に委ねている。 ・已:とっくに。すでに。 ・向:…に。≒於。 ・虚空:何もない空間。大空。盛唐岑參の『與高適薛據同登慈恩寺浮圖』に「塔勢如湧出,孤高聳天宮。登臨出世界,磴道盤虚空。突兀壓~州,崢エ如鬼工。四角礙白日,七層摩蒼穹。下窺指高鳥,俯聽聞驚風。連山若波濤,奔走似朝東。松夾馳道,宮觀何玲瓏。秋色從西來,蒼然滿關中。五陵北原上,萬古濛濛。淨理了可悟,勝因夙所宗。誓將挂冠去,覺道資無窮。」とある。 ・付:与える。授ける。渡す。ゆだねる。 ・此身:この身。ここでは作者の肉体と生命を謂う。
※出本無心帰亦好:(陶淵明『歸去來兮辭』「雲無心以出岫」のように、雲が)本来無心で(岫を)出るのであれば、(また逆に)帰って来るのもまたいいではないか。 ・出:出る。陶淵明の『歸去來兮辭』に「雲無心以出岫」とある。 ・本:もと。本来。 ・無心:自然であること。考えたり意識したりする心がない。前出・陶淵明の『歸去來兮辭』に「雲無心以出岫,鳥倦飛而知還。」とある。 ・帰:(元の本来あるべき所へ)もどってゆく。前出・「出」の対になることば。 ・亦:…もまた。 ・好:よい。
※白雲還似望雲人:白い雲も、(逆に)雲を眺める人(=故郷を思い偲ぶ人)に似ている。 ・白雲:白い雲。「移ろう人間の世」に対して、「不変の自然」という意味合いとともに、人間世界を離れた、超俗的な雰囲気を持つ語で、仏教、道教では、「仙」「天」の趣を漂わせる。ただの白い雲ではない。初唐・張若虚の『春江花月夜』に「春江潮水連海平,海上明月共潮生。灩灩隨波千萬里,何處春江無月明。江流宛轉遶芳甸,月照花林皆似霰。空裏流霜不覺飛,汀上白沙看不見。江天一色無纖塵,皎皎空中孤月輪。江畔何人初見月,江月何年初照人。人生代代無窮已,江月年年祗相似。不知江月待何人,但見長江送流水。白雲一片去悠悠,青楓浦上不勝愁。誰家今夜扁舟子,何處相思明月樓。可憐樓上月裴回,應照離人妝鏡臺。玉戸簾中卷不去,擣衣砧上拂還來。此時相望不相聞,願逐月華流照君。雁長飛光不度,魚龍潛躍水成文。昨夜鞨K夢落花,可憐春半不還家。江水流春去欲盡,江潭落月復西斜。斜月沈沈藏海霧,碣石瀟湘無限路。不知乘月幾人歸,落月搖情滿江樹。」とあり、盛唐・王維の『送別』に「下馬飮君酒,問君何所之。君言不得意,歸臥南山陲。但去莫復問,白雲無盡時。」とあり、蘇の『汾上驚秋』に「北風吹白雲, 萬里渡河汾。心緒逢搖落,秋聲不可聞。」とあり、王之煥の『涼州詞』に「黄河遠上白雲間,一片孤城萬仞山。羌笛何須怨楊柳,春風不度玉門關。」とあり、盛唐・崔の『黄鶴樓』に「昔人已乘白雲去,此地空餘黄鶴樓。黄鶴一去不復返,白雲千載空悠悠。晴川歴歴漢陽樹,芳草萋萋鸚鵡洲。日暮ク關何處是,煙波江上使人愁。」とあり、晩唐・杜牧の『山行』に「遠上寒山石徑斜,白雲生處有人家。停車坐愛楓林晩,霜葉紅於二月花。」とあり、漢の武帝・劉徹の樂府『秋風辭』に「秋風起兮白雲飛,草木黄落兮雁南歸。蘭有秀兮菊有芳,懷佳人兮不能忘。汎樓船兮濟汾河,中流兮揚素波。簫鼓鳴兮發櫂歌,歡樂極兮哀情多。少壯幾時兮奈老何。」とあり、また「白雲」の語はなく「雲」だけになるが、晉・陶淵明の『歸去來兮辭』の「歸去來兮,田園將蕪胡不歸。既自以心爲形役,奚惆悵而獨悲。悟已往之不諫,知來者之可追。實迷途其未遠,覺今是而昨非。舟遙遙以輕,風飄飄而吹衣。問征夫以前路,恨晨光之熹微。乃瞻衡宇,載欣載奔。僮僕歡迎,稚子候門。三逕就荒,松菊猶存。攜幼入室,有酒盈樽。引壺觴以自酌,眄庭柯以怡顏。倚南窗以寄傲,審容膝之易安。園日渉以成趣,門雖設而常關。策扶老以流憩,時矯首而游觀。雲無心以出岫,鳥倦飛而知還。景翳翳以將入,撫孤松而盤桓。歸去來兮,請息交以絶遊。世與我以相遺,復駕言兮焉求。ス親戚之情話,樂琴書以消憂。農人告余以春及,將有事於西疇。或命巾車,或棹孤舟。既窈窕以尋壑,亦崎嶇而經丘。木欣欣以向榮,泉涓涓而始流。羨萬物之得時,感吾生之行休。已矣乎,寓形宇内復幾時。曷不委心任去留,胡爲遑遑欲何之。富貴非吾願,帝ク不可期。懷良辰以孤往,或植杖而耘。登東皋以舒嘯,臨C流而賦詩。聊乘化以歸盡,樂夫天命復奚疑。」や唐の賈島『尋隱者不遇』「松下問童子,言師採藥去。只在此山中,雲深不知處。」がある。 ・還:まだ。やはり。依然として。なお。 ・望雲人:(雲の側ではなくて)雲を眺める人。
◎ 構成について
2014.6.6 6.7 (6.9尼) 6.9 |