涼州詞
唐 王之渙
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黄河遠上白雲間,一片孤城萬仞山。羌笛何須怨楊柳,春風不度玉門關。
涼州詞
黄河 遠く上る 白雲の間,
一片の 孤城 萬仞の山。
羌笛 何ぞ須
(もち)
ゐん 楊柳を 怨むを,
春光 度らず 玉門關。
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◎ 私感訳註:
※王之渙:盛唐の詩人。絶句にたくみ。この作品は『全唐詩』『唐詩三百首』『唐詩選』などに収録されている。『全唐詩』(康煕揚州詩局本・木版の影印)を見れば、『涼州詞』として「黄河遠上
白雲間
,一片孤城萬仞山。羌笛何須怨楊柳,
春光
不度玉門關」となっている。香港の『唐詩三百首』(巻八・七言絶句・楽府)では、題が『出塞』で「黄河遠上
白雲間
,一片孤城萬仞山。羌笛何須怨楊柳,
春光
不度玉門關」となっている。中国の『唐詩三百首』(巻八・七言絶句・楽府)では、題は同じ『出塞』でも詩句は「黄河遠上
白雲間
,一片孤城萬仞山。羌笛何須怨楊柳,
春風
不度玉門關」や、「黄沙直上白雲間,一片孤城萬仞山。羌笛何須怨楊柳,
春風
不過玉門關」となっている。中国での流布本の多くは、この「春風」である。『唐詩選』では『涼州詞』として「黄河遠上
白雲
,一片孤城萬仞山。羌笛何須怨楊柳,
春光
不度玉門關」となっている。
なお、この詩については『集異記』「王之渙」 の条(『欽定四庫全書』子部十二 集異記 博異記)(=木版本)におもしろい話が載っている。「開元の御代に、王昌齢と高適と王之渙の三人が旗亭(飲み屋)に入ったところ、……妙妓が四人出て来、詩詞を歌いだした。王昌齢ら三人の詩人は、『我々は詩人として有名だが、自分自身では、誰が一番優秀なのか分からない。そこで、この妓たちが誰の詩を一番よく唱っているのか、それによって順番を決めよう』ということになった。初めは、王昌齢の詩が唱われ、次いで高適の詩が唱われ、その次はまた再び王昌齢の詩が唱われた。王之渙 は、自分こそはと思っていたので、『あの一番美人の妓が何の詩を唱うかによって決着をつけよう。もしもわたしの詩でなかったら、今後一生逆らわないで大人しくしている』と言った。果たして、その美女は王之渙の『黄河遠上白雲間,一片孤城萬仞山。羌笛何須怨楊柳,春風不度玉門關。』と謳った。三人は大いに笑ったところ、妓たちは何事と事情を尋ね、その訳を説明した。…」『集異記』原文では「開元中,詩人王昌齡高適王渙之(ママ)齊名。時風塵未偶而遊處略一日天寒微雪,三詩人共詣旗亭,貰酒小飮。忽有梨園伶官十數人登樓會讌,三人因避席隈映,擁爐以觀焉。俄有妙妓四輩,…………奏樂,皆當時名部也。昌齡等私相約曰:『我輩各擅詩名,毎不自定甲乙。今者可以密觀ゥ伶所謳,若詩入歌詞之多者則爲優矣』。俄而一伶拊節而唱乃曰:『寒雨連江夜入呉,平明送客楚山孤。洛陽親友如相問,一片冰心在玉壺。』
,昌齡則引手畫壁曰一絶句,尋又一伶謳之曰:『開篋涙沾臆,見君前日書。夜臺何(ママ)寂寞,猶(ママ)是子雲居。』適則引手畫壁曰一絶句。尋又一伶謳曰:『奉帚平明金殿開,且將團扇共徘徊。玉顏不及寒鴉色,猶帶昭陽日影來。』
。昌齡則又引手畫壁曰二絶句。渙之(ママ)自以得名已久,因指ゥ妓中最佳者曰:『待此子所唱,如非我詩,即終身不敢與子爭衡。』次至雙鬟發聲,果謳:『
黄河遠上白雲間,一片孤城萬仞山,羌笛何須怨楊柳,春風不度玉門關
。』云云,因大諧笑。ゥ伶詣問,語其事,乃競拜,乞就筵席。三人從之,飮醉竟日。」となっている。
なお、この『集異記』「王之渙」 (=木版本)に引かれている詩句は、「
黄河遠上白雲間,一片孤城萬仞山。羌笛何須怨楊柳,春風不度玉門關
」となっている。「春光」「春風」どりらも平仄上問題はない。
※涼州詞:唐の開元期に西涼府より伝わった曲調『涼州』の歌詞として作られたもの。詩餘の初期の一形体とも謂える。王翰の「涼州詞」(葡萄美酒夜光杯)
は有名。「出塞」、樂府「金縷衣」ともする。実際の涼州は、現・甘粛省中部の武威地方に置かれた州名及び城市名。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)61−62ページ「唐 隴右道東部」武威の辺り。玉門関へは、涼州を通り過ぎて、更に500キロメートルほど西北へ進む。
※黄河遠上白雲間:黄河は遥か白雲の間にまで、上流は続いており。 ・黄河:華北を流れる大河。元「黄沙」としたのが、草書の「沙」と「河」が似ていたために間違えられ、「黄河」の方がよかったので、そちらが定着したという。水源は青海省バヤンカラ山脈西部で、渭水、汾水、洛河などの支流を合わせて渤海湾に注ぐ。 ・遠上:元「直上」としたのが、草書の「直」と「遠」が似ていたために間違えられたという。「黄沙直上白雲間」がいいか、「黄河遠上白雲間」がいいか、たしかに雄大さの雰囲気の種類が大いに違う。
※一片孤城萬仞山:(その上流に)ぽつりと一つだけの城塞と万仞の山がある。 ・一片:ぽつんと一つあるさま。また、満腔の。胸一杯の。また、一面(の)。ひとしきり。ここでは、前者の意。前出・陸游の『金錯刀行』「千年史冊恥無名,
一片
丹心報天子
。」
や、
李白の『子夜呉歌』に「
長安
一片
月
,萬戸擣衣聲。秋風吹不盡,總是玉關情。何日平胡虜,良人罷遠征。」
とある。 ・孤城:ぽつんと一つだけの城塞。辺疆にある城塞で、この詩では玉門関を指す。宋の范仲淹は、この詩を基にして「塞下秋來風景異,衡陽雁去無留意。四面邊聲連角起。千嶂裡,
長煙落日
孤城
閉
。」
と詠った。 ・萬仞山:高い山。一仞は八尺。
※羌笛何須怨楊柳:胡人が吹く笛の音の『折楊柳』はもの悲しげで、うらめしい気持ちが起こるが、(そのような哀しげな曲を)わざわざ演奏する必要はないのであって。 ・羌笛:西方のチベット系の人の吹く笛。 ・何須-:…する必要がない。なんぞもちゐん。なんぞすべからく。 ・怨:うらむ。ここでは、別れの曲である「折楊柳」のうらめしげな節回しのことであり、遠征している者が「折楊柳」の曲調を聞き、うらめしい気分になっていることも言っていよう。 ・楊柳:『折楊柳』の曲調。別離の曲。離愁を覚えるということ。
王翰の『涼州詞』「秦中花鳥已應闌,塞外風沙猶自寒。
夜聽胡笳
折楊柳
,ヘ人意氣憶長安。」
、李白に『春夜洛城聞笛』「誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。
此夜曲中聞
折柳
,何人不起故園情。」
とある。
※春風不度玉門關:(ここは)春さえ訪れることもない(地の果ての)玉門関なのだから。 ・春光:春の景色。「春風」ともする。その場合は、はるかぜ。これについては、上記「王之渙」の項を参照。 ・不度:…になりわたらない。「春光不度」春景色になることはない。「春風不度」だと、春風が吹き渡ることがない。「不過」ともする(写真:右上)。 ・玉門關:玉関。西域の入り口にある漢の前進基地。甘肅省燉煌の西方、涼州の西北500キロメートルにある。
『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)61−62ページ「唐 隴右道東部」にある。現・甘肅省西北部。現・玉門市よりも150キロメートル西北で、玉門鎮よりも更に西北の布隆基の辺り。当時、ここの北側に大澤があった。王昌齡の『從軍行』「青海長雲暗雪山,
孤城遙望
玉門關
。黄沙百戰穿金甲,不破樓蘭終不還。」
や、李白の『子夜呉歌』に「長安一片月,萬戸擣衣聲。秋風吹不盡,
總是
玉關
情
。何日平胡虜,良人罷遠征。」
とある。
◎ 構成について
七絶仄起。韻式は「AAA」。韻脚は「間山關」で、平水韻上平十五刪(關山閨j。次の平仄はこの作品のもの。
○○●●●○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
○●○○●○●,
○○●●●○○。(韻)
2002. 9. 1
9. 2
9. 3
9. 4完
9. 7補
2006. 5.27
2007.10.13
2013. 8.26
2018. 6. 8
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