うんざりする棚上げ体質 --ジョークのオンパレード--
 どうして新聞に載っている論説や社説がつまらないのか、説得力がないのか、琴線に触れるものがないのか、学生時代からずっと疑問に思っていたが、入社して謎が解けた。自らを聖域に置き、自らを棚に上げて批判するために、どうしても腰が引けて鋭さに欠け説得力もない。これらは、論じる資格のない人間たちによって書かれているジョークと言ったほうが正確なのだった。
 例えば、ヘビースモーカーに真顔でタバコの有害性を主張されても、ジョークにしか聞こえないだろう。資格のない人間による主張は、笑いを誘うものだ。世間では、単にコネで入社した人間が後輩に就職の指導をしていたりと、傍から見ていると笑ってしまうような現象が往々にして見られる。

 朝日新聞社が出版した「会社人間の末路」もかなりきついジョークだったが、日経もすごい。例えば、経済社会面の「サラリーマン」という企画記事があったが、これを吹き出さずに読み終えるのは難しい。「偏差値・学歴社会の弊害」「多様性のない横並び体質」「余裕のない日本のエリート」だのを取材して、どこかで聞いたようなもっともらしい提言めいたことが書いてあるのだが、まるで日経社内を取材して書いているんじゃないかと疑いたくなる。

 日経は、超偏差値主義の採用(99年4月入社35人のうち東大京大一橋早慶で26人)で、女性記者は言い訳程度に2人しか採らず、中途採用もナシ、さらに異質な者は徹底排除(僕が良い例)する多様性のなさだ。休日など年間98.2日(97年11月〜98年10月の東京編集局。完全週休2日制だと119日になる)しかない上に改善する兆しもないから、仕事以外のことは考える余裕はない。“ミスターニッポンのサラリーマン”“ミスター会社人間”である。

 象徴的な例が、情報公開だろう。新聞社は国民の「知る権利」に答える使命を負っている以上、権力の内部情報を明らかにしていくのが重要な仕事の一つだ。そうであれば、自らも積極的に開かれた組織にしていくのが好ましい。そうしないと棚上げ批判を受けても仕方がないからだ。しかし、新聞社は情報を極度に閉ざしている。決算書類は、何と社員にさえ公開されていない。放慢経営ぶりがはっきりするのを恐れているのだ。これでは官庁や銀行に情報公開を求めても説得力がない。

 大新聞・テレビにおいて給与水準についての議論がないのも、同じ理由だ。大マスコミは、その仕事内容に比べて、異常に高い給与を得ている。一時、TBSがスケープゴートに上がった時、一部週刊誌で暴露されたことがあったが、ただでさえ高いサラリーに加え、ボーナスは一般産業界の二倍を超えている。日経の報道(99/8/24)によると、98年度の大手17行の平均年収は749万円だが、日経はそれより5割以上高い。入社3年目の若手でも年収は実質850万円にはなるから驚きだ。銀行の高給批判など時々展開するものの、それがガス抜きに過ぎないのは、自らを棚上げしているため、いくら批判してもジョークにしかならないからだ。

 規制の恩恵を受けて高給を維持している構造は金融業界もマスコミも同じであり、護送船団方式だった金融が『ビックバン』でやっと是正される動きがあるなか、次こそは自分か、とビクビクしているのが実態だ。社会の公平さとそのバロメーターとなる給与水準を論じるのは言論機関の重要な役割に違いないが、現状の棚上げ状態では、高給批判などを展開するのはもってのほかで、資格が全くない。ジャーナリズムの機能など果たせないのである。

 数年前に流行語になった「官官接待」にしても、新聞社は同額程度の接待を官僚から受けていた。さらに、それ以外にも記者クラブ維持費(テナント代、電話代、人権費…)という形で1社あたり年間5億3千万円、総額110億円超のクラブ運営費を今に至っても供与され続けており、紙面で接待を批判するなど、常人の神経ではできない。とはいえ病的な人間が多いために、ときどき平気で批判を展開するから、結果的にジョークが紙面に並ぶことになる。

 新聞社は、自らが一番癒着しているので族議員を批判できない。情報化が遅れているのも新聞社。社内の評価指標が時代遅れで、年功序列賃金の改革を迫られているのも新聞社。マーケティングをやらずプロダクト・アウト一辺倒を続けているのも新聞社。内外価格差が大きく規制緩和をしなければならないのも新聞社。談合体質で一斉休刊日を設けたり価格を同一化してるのも新聞社。ネットについていけないオヤジが多いのも新聞社。人権が最もないがしろにされているのも新聞社。リストラが一番必要なのも新聞社。新聞社は、社説のネタに困ったら、社内を見るのが一番手っ取り早い。「変われない日本」が凝縮されているからだ。自社を取材して書いてみたら、日本を象徴するような、とてもわかりやすくて面白い記事ができるのは間違いない。

 繰り返すが、何かを主張するには、最低限の資格が必要だ。言論機関としての日経にその資格はあるのか。私は、ないと断言できる。現状では、ヒトラーが「民族浄化はいけません」と主張しているようなもので、社内体質を知っている人にとっては、ジョークのオンパレードだ。自分のこともできない人間が他人のことを論じる資格はないし、能力的にも無理に決まっている。だから、日経の社員が書いた文章は、真面目に読んではいけない。読む価値はない。

→ホームへ