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サンクト・ペテルブルク観光編タイトル
<文責:女王様1号>

※ 1ルーブル=4円弱(2004年7月当時) ※


◆ 6日目前半 ◆
  エカテリーナ宮殿外観
 7月30日、金曜日。ついにロシア最終日となった。この日も前日同様に肌寒くて天気が不安定。
 午前中はオプショナルで郊外のエカテリーナ宮殿(http://eng.tzar.ru/)見学なので、チェックアウトしてそのままロビーで待機。 ところが、待ち合わせ時間を過ぎても現地ガイド・イリーナ2号が現れない。またまたトラブル発生か? 30分以上経って、こちらからTELしないとダメかも、と女王様たちが慌てだした頃に、ようやくイリーナ2号が到着した。道路が混んでいたらしい。
 エカテリーナ宮殿のあるツァールスコエ・セロ(=皇帝の村)まではクルマで40分くらいだったが、途中サンクト・ペテルブルク市内を通過しているときに、どこかの駅の前に立っていたレーニン像を見てイリーナ2号がしてくれた話。 ソ連崩壊後、あちこちでレーニン像が倒されたりしたが、サンクト・ペテルブルクは元が「レニングラード」という名称だったため、レーニンに対する愛着もあって、この街ではレーニン像は撤去されなかった。 しかし、レーニンを絶対視する風潮はなくなり、レーニンが何者かをよく知らない子供たちも増えてきた。この駅前のレーニン像は片手を水平に伸ばしたポーズなので「タクシーを停めるレーニン」と呼ばれているのだとか(笑)。

 昨年まで、エカテリーナ宮殿は何時間も並んで結局入場できない、ということがあったらしい(後で聞いた話だが、女王様1号の叔父がまさに前年エカテリーナ宮殿に行ってそういう目に遭い、3,000ルーブルの袖の下を渡して入れてもらったそうである)。 でも現在は改善されていて、こうしたオプショナルツアーでは事前予約して指定された時間に行けばいいようになっている。 エカテリーナ宮殿内部
 エカテリーナ宮殿に向かう道の入口でナゾの楽団による「♪さくら さくら」演奏サービス(観光客がどこの国の人間かによって曲が違う)を受けてから、濃いブルーと白のコントラストが美しい宮殿へ(右上写真)。 この宮殿は、江戸時代にロシアに漂着した大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に拝謁したところでもある。詳しくは井上靖の『おろしや国酔夢譚』参照。
 内部の大広間などはかなりキンキラ風味だった(左写真)。 他に赤柱の間」「緑柱の間(それぞれ部屋の柱にその色の装飾が施されている)といった部屋が公開されている。

琥珀の間  その中で目玉は、2003年のサンクト・ペテルブルク建都300年を記念して公開されるようになった「琥珀の間」(右下写真)。文字通り、部屋の壁や、壁に掛けられた絵画の額縁、ロマノフ家の紋章などが、さまざまな色合いの琥珀を組み合わせて造られている。 ロシアは世界的な琥珀の産地なのだが、もともとこの部屋にあった琥珀はナチス・ドイツが全部持ち去ってしまったため、白黒写真を参考にしながら20年がかりで地道な修復作業を続け(でもソ連時代はなかなか捗らなかったらしい)、ついに完成したのである。メデタシメデタシ。
 イリーナ2号が「『琥珀の間』は去年まで写真撮影OKでしたが、今は禁止されています」と言うのでちょっとガッカリしていたのだが、どうも室内に入った状態での撮影は×で、部屋の出入口から室内にカメラを向けて撮るのは構わない(少なくとも係員は黙認していた)らしかった。 それで禁止した意味があるのか?と思いつつ、さりげなくシャッターを切る女王様たちであった。

 最後に、あまり団体観光客は通らなそうな地下の通路を通ると、そこには戦災を受けた直後のエカテリーナ宮殿の写真が展示されていた。屋根も焼け落ちていて、まさに廃墟。 外観の広さに比べて公開されている範囲が意外と狭いなーと感じていたが、戦災を受けた後、内部の修復がまだ全部完了していないのだそうである。修復が完了する日はいつ?
 観光客で激混みのみやげ売場に立ち寄った後、ちょっと庭を見て回って、すべての観光スケジュールを終了。そのまま空港まで送ってもらった。

 
◆ 6日目後半~7日目 ◆
 
 サンクト・ペテルブルクのプルコヴォ空港(http://eng.pulkovo.ru/)は、都市の規模の割にずいぶん小さくてシンプルな空港だった。  ロビーで記念写真を撮ってイリーナ2号と別れ、早々にチェックインを済ませた後、昼食処が近くにないかと探してみたが、イマイチ見当たらない。下のフロアに降りればあったのかもしれないけれど、どうせ国内線でも軽食が出るから、と我慢。
 だが、そーゆー時に限って出発が遅れるのである。14:30発の予定が、説明もないまま結局1時間遅れ。モスクワでの乗り継ぎ待ちは3時間以上あるので多分大丈夫だろうとは思っていたが、そこはロシア。 まだまだこの先何があるかわからない…という不安で、空腹どころではなかった。

 約1時間40分のフライトでモスクワのシェレメチェボ空港に到着。この空港は、国内線のターミナルと国際線のターミナルが別々で、しかも滑走路をはさんで向かい合っているという構造なので、ターミナル間の移動が面倒くさいらしい。 でも、女王様たちのコースにはこのターミナル間の送迎もついていたので、その点はラクラク。出てきたスーツケースをピックアップすると、係のおっちゃんに連れられて、待機していたタクシーに乗り込み、国際線のターミナルへ移動した。
 こっちのターミナルはさすがに広くて人も多いが、全体的になんとなく薄暗い。そして非常に不親切。 チェックインカウンターはターミナルの両端にあるのだが、女王様たちの乗る便のチェックインはどちらで行われるのかなかなか表示されず、片方のカウンターに行けば「反対側だ」と言われ、そちらに行けば「向こうだ」と言われる (-_-#。絵に描いたような右往左往
 入国時に書類にサインがもらえず、心配のタネだった税関はまったくのノーチェック。この件に関しては杞憂だった。
 やっとカウンターが開いたが、係の人数が全然足りないので、日本人団体客が殺到して大混乱状態。もちろん、その程度で開けるカウンターを増やしてくれるようなロシア人係員たちではない。
 1時間くらいかかってようやくチェックインが済むと、次は出国審査。こちらも入国時と同様に時間がかかる。天候不良のため、飛行機の出発時間が30分遅れになっていたのだが、ここで行列している最中にゲート前集合時間(出発40分前)を過ぎてしまった。 なんとか出国審査を通過したのは出発15分前
 ここから猛ダッシュでトイレに行き、さらに免税店に飛び込んで嵐のような早さで買い物を済ませる。ロシアの出国は常に時間がかかりそうなので、免税店での買い物はあらかじめ目星をつけておくのが良いと思われる。 「迷ったら買え!」は女王様たちが海外旅行先で買い物するときの座右の銘だが、今回は迷っているヒマさえなかった(笑)。

 大慌てで買い物をして機内に乗り込んだものの、悪天候の影響で、さらに30分くらい出発が遅れた。な~んだ、もうちょっとゆっくり買い物できたよ、と悔しがる女王様たち。 いやいや、K田Uじゃあるまいし、お買い物で飛行機の離陸を遅らせてはいけません(エコノミー客の女王様たちのことは待ってくれないと思うけど)。
 離陸後は、またもや機内が寒かった以外は特にトラブルなく、定刻より少々遅れて7月31日、土曜日朝の成田に無事帰還。
 ロシア旅行というと、西欧やアジアに比べて日本人にはとっつきにくく、ビザの他にバウチャーなんぞというものも必要で不自由な感じはあるが、実際に行ってみると予想以上にフツーの外国だった。 次々と襲いかかる小さな(?)トラブルに立ち向かう覚悟さえあれば、ハード面(宮殿や寺院)・ソフト面(絵画やバレエ)共に見どころは多いし。 空港係員の能率と乗り物内の寒さが改善された暁にはもう一度訪ねてみたいものである(いつのことやら (^^;)。

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