<文責:女王様1号> |
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◆ 6日目前半 ◆ | |
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7月30日、金曜日。ついにロシア最終日となった。この日も前日同様に肌寒くて天気が不安定。 午前中はオプショナルで郊外のエカテリーナ宮殿(http://eng.tzar.ru/)見学なので、チェックアウトしてそのままロビーで待機。 ところが、待ち合わせ時間を過ぎても現地ガイド・イリーナ2号が現れない。またまたトラブル発生か? 30分以上経って、こちらからTELしないとダメかも、と女王様たちが慌てだした頃に、ようやくイリーナ2号が到着した。道路が混んでいたらしい。 エカテリーナ宮殿のあるツァールスコエ・セロ(=皇帝の村)まではクルマで40分くらいだったが、途中サンクト・ペテルブルク市内を通過しているときに、どこかの駅の前に立っていたレーニン像を見てイリーナ2号がしてくれた話。 ソ連崩壊後、あちこちでレーニン像が倒されたりしたが、サンクト・ペテルブルクは元が「レニングラード」という名称だったため、レーニンに対する愛着もあって、この街ではレーニン像は撤去されなかった。 しかし、レーニンを絶対視する風潮はなくなり、レーニンが何者かをよく知らない子供たちも増えてきた。この駅前のレーニン像は片手を水平に伸ばしたポーズなので「タクシーを停めるレーニン」と呼ばれているのだとか(笑)。
昨年まで、エカテリーナ宮殿は何時間も並んで結局入場できない、ということがあったらしい(後で聞いた話だが、女王様1号の叔父がまさに前年エカテリーナ宮殿に行ってそういう目に遭い、3,000ルーブルの袖の下を渡して入れてもらったそうである)。
でも現在は改善されていて、こうしたオプショナルツアーでは事前予約して指定された時間に行けばいいようになっている。
その中で目玉は、2003年のサンクト・ペテルブルク建都300年を記念して公開されるようになった「琥珀の間」(右下写真)。文字通り、部屋の壁や、壁に掛けられた絵画の額縁、ロマノフ家の紋章などが、さまざまな色合いの琥珀を組み合わせて造られている。
ロシアは世界的な琥珀の産地なのだが、もともとこの部屋にあった琥珀はナチス・ドイツが全部持ち去ってしまったため、白黒写真を参考にしながら20年がかりで地道な修復作業を続け(でもソ連時代はなかなか捗らなかったらしい)、ついに完成したのである。メデタシメデタシ。
最後に、あまり団体観光客は通らなそうな地下の通路を通ると、そこには戦災を受けた直後のエカテリーナ宮殿の写真が展示されていた。屋根も焼け落ちていて、まさに廃墟。
外観の広さに比べて公開されている範囲が意外と狭いなーと感じていたが、戦災を受けた後、内部の修復がまだ全部完了していないのだそうである。修復が完了する日はいつ? |
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◆ 6日目後半~7日目 ◆ | |
サンクト・ペテルブルクのプルコヴォ空港(http://eng.pulkovo.ru/)は、都市の規模の割にずいぶん小さくてシンプルな空港だった。 ロビーで記念写真を撮ってイリーナ2号と別れ、早々にチェックインを済ませた後、昼食処が近くにないかと探してみたが、イマイチ見当たらない。下のフロアに降りればあったのかもしれないけれど、どうせ国内線でも軽食が出るから、と我慢。 だが、そーゆー時に限って出発が遅れるのである。14:30発の予定が、説明もないまま結局1時間遅れ。モスクワでの乗り継ぎ待ちは3時間以上あるので多分大丈夫だろうとは思っていたが、そこはロシア。 まだまだこの先何があるかわからない…という不安で、空腹どころではなかった。
約1時間40分のフライトでモスクワのシェレメチェボ空港に到着。この空港は、国内線のターミナルと国際線のターミナルが別々で、しかも滑走路をはさんで向かい合っているという構造なので、ターミナル間の移動が面倒くさいらしい。
でも、女王様たちのコースにはこのターミナル間の送迎もついていたので、その点はラクラク。出てきたスーツケースをピックアップすると、係のおっちゃんに連れられて、待機していたタクシーに乗り込み、国際線のターミナルへ移動した。
大慌てで買い物をして機内に乗り込んだものの、悪天候の影響で、さらに30分くらい出発が遅れた。な~んだ、もうちょっとゆっくり買い物できたよ、と悔しがる女王様たち。
いやいや、K田Uじゃあるまいし、お買い物で飛行機の離陸を遅らせてはいけません(エコノミー客の女王様たちのことは待ってくれないと思うけど)。 |