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No.46 煮られた弦はどうなるか
No.47 2001ギターショー報告
No.48 リンダ・マンザーに教わったこと1
No.49 リンダ・マンザーに教わったこと2
No.50 もっと英語ができれば・・・その1「2001楽器フェアに行って」
No.51 弱音器を考える
No.52 もっと英語ができれば・・・その2「アーヴィン=ソモジ氏と話したこと」
No.53 ギターピックアップ考
No.54 クレイトンピック
No.55 サイド・バックの補強を考える
No.56 東松山フォークジャンボリー’02
No.57 「ザ・プロフェッショナル〜心に響くギターの音色〜」内田さんのギター製作
No.58 「花はどこへ行った」〜ピート・シーガーの歌とギター
No.59 マークシリーズ〜そのフレット周りのいいかげんさ
No.60 アジャスタブルブリッジ

No.46 煮られた弦はどうなるか
 「弦を煮たらよみがえる」というお話、No.2に書いた通り、自分自身としては、昔、やってみてあまりいい結果でなかったので、もう何年もしていなかったのですが、こやまさんのhpの質問に「どうして煮ると復活するのか」という投稿があって、強く興味を引かれてしまいました。「素人には確かめられないもの」と思いつつ、MK53とMK72の弦を交換する時に、「どうせなら、煮てみて観察してみよう」と思いつき、わざわざ年休をとった日に職場に行きました。理科室からビーカーと双眼実体顕微鏡を持ち出して、職員室のガスコンロでことことと弦を煮込みました。比較ができるように、新しい弦の切れ端と、古い弦をどちらも2セット用意して、1セットずつ煮ることにしました。
以下、その結果です。
新品を煮たものは、全く変化がなかったので省略します。黒くはならなかったです。

   煮ていない
新品の巻き弦
肉眼→綺麗に光って見える 顕微鏡で見ても、異物は全く見えない。綺麗な巻き方。
   煮ていない
古い巻き弦
肉眼→くすんだ茶色。
やや青銅色がかっている。
フレットの当たっていたと思われる場所は磨り減って金色になっていた。
顕微鏡では、3〜4弦の、特に指の多く当たっていたと思われる部分には、緑青と思われる砂粒のようなものがびっしりつまっていた。5〜6弦は、それに比べると綺麗だが、ところどころに、やはり緑青らしき砂粒があった。
巻き弦に巻かれている銅の合金は、指の触れた可能性のある部分はすべて酸化して茶色くなっていた。巻かれている線と線とのはざまは、緑青らしき砂粒がでているところ以外は、変色はしているものの、状態としては比較的綺麗。
巻かれている銅の合金の巻き具合は新品と変わりない。切った部分の芯線は、新品と同じ。
   煮込んだ
古い巻き弦
肉眼→黒光りしていた 巻き線の間に挟まっていた砂粒のようなものの中で、大きな物はほとんどとれていたようだ。ただ、3〜4弦の奥の方に挟まっている砂粒は、まだ、けっこう残っている。
肉眼では黒光りしているが、顕微鏡で見ると金色に見える。緑青のくすんだ色がなくなり、銅の合金のまわりの酸化銅が薄くなり、中の合金の色が混ざって、肉眼では黒っぽく見えているようだ。
巻き方は、新品と変わりなし。
  煮ていない
新しい1〜2弦
肉眼→ぴかぴかと光っている。 顕微鏡では、とても綺麗に光っているが、けっこうでこぼこしてもいる。ただし、穴ではない。
  煮ていない
古い1〜2弦
肉眼→指の多く当たっていたと思われるところに茶色い部分が多くできている。 顕微鏡では、茶色く、明らかに鉄錆びと思える広がりが見られた。穴になっている部分もある。
  煮込んだ
古い1〜2弦
肉眼→光り方は、少し復活しているようだ。所々黒い部分がある。 顕微鏡では茶色の錆びの広がりはなくなったものの、茶色や黒の穴ぼこだらけになった。

以上のことから考えられることを挙げてみたいと思います。まず、弦の死ぬ原因が、主に錆びによる物であるということ。特に、巻き弦の緑青による劣化は大きな影響があり、表面にあるものは演奏中に指で落とされていくが、巻き線の間にできた砂粒のようなものは、硬く、弦の振動を阻害するのではないか。銅は、水分に触れると酸化が激しくなる為、指の当たった部分の酸化が激しく、その為、弦全体の振動のバランスも崩れてしまうのではないかと思えます。
弦を煮ることで、振動を阻害していた大きな緑青が取れる為、一時的にバランスのとれた振動が復活する。しかし、金属疲労による劣化はそのままだし、小さな緑青の粒は、まだたくさん挟まったままなので、長くは持たずに戻ってしまうと思われます。
1〜2弦については、煮ることで付着していた赤錆は洗い流されるものの、赤錆が取れた後は穴になってしまっており、振動のバランスは崩れたままだと思われます。しかし、巻き弦に比べ、赤錆は振動そのものを阻害する原因に、直接なっているわけではないので、巻き弦よりもともと長持ちすると思われます。どちらにしても、1〜2弦に限界がくれば、煮ることは無意味になるのでしょう。
してみると、最近はやりの巻き弦のコーティング、巻き線の錆びを防ぐものなら、弦を煮るより考え方としては効率的かもしれません。音色的には問題もあるようですが・・・。

しかし・・職場で、実験の最中に、ずっと下を向いてごそごそしていたら、何人もの同僚から「どうしたんですか?」「大丈夫ですか?」と心配がられました。下を向いてじっと弦を観察している様子は、具合が悪くなった(頭がおかしくなったか?)ように見え、とても不思議に映ったようです。
音楽の先生だけはわかってくれました・・・。



No.47 2001ギターショー報告
浜松町でギターショーがあり、友人達もでかけるというので、かみさんを拝み倒して、やっと時間をもらって行ってきました。
印象に残ったギターは、アコギ基地さんのブースにあったソモギと、ブルージーさんのブースにあったダンマッサー、黒澤さんにあったMK35でした。
ソモギは、以前、あるショップで試奏させてもらった、ヘッドの尖っていないものが一番気に入っていたものの、それよりも音色的にさらに素直な音で、弾く側として扱い易い音だと感じました。ハカランダサイド・バックで、とてもいいものです。
ダンマッサーは、フィンガーでもストロークでも、オールマイティな深みのある長い倍音を持っていて、とても気持ちよかったです。中低音が特によかったと思いますが、高音も、もちろん綺麗でした。一緒にいた友人の一人が「大阪で見たダンマッサー、もっと鳴っていたのもあったよ。」と言っていたのを聞くにつけ、やはり、ルシアーの力量を強く感じさせられました。
黒澤さんのMK35は、ちょっとおもしろかったです。まず、シリアルがなかった。(黒澤さんのお話では、’70sギブソンは、シールでシリアルをつけていた時期があったとのことですが。焼印とペイントは私も知っていたのですが・・。)それと、ヘッドは、これまで見たマークシリーズは全て5ピースヘッドだったのですが、3ピースでした。また、ブロックフレームのなごりのように、バックブレースについているサイドの割れ止めが、ホールの上だけでなく、ホールの下にも一組ついていました。さらに黒澤さんのお話では「マークシリーズは海外で値段が上がっている所です。」というお話。そうだとすれば、うれしい限りです。
黒澤さんの前のブースに、たまたま、パーツの大和マークさんのブースがあり、サドル材を見ていたときに声をかけて頂きました。やはり、マークシリーズに合うものはなく、「特注で、もっと太いの、作ってもらえませんか。」と伺うと、「特注は1ロット100本からでないと採算がとれないのですが、検討してみましょう。」とのお話でした。そこでさらに、「是非、お願いします。この頃のルシアー物のギターでも、太いの、増えているんですよ。」と言うと「確かに、以前もそうした問い合わせがあるにはあったんですよね。わかりました。では、大きさを教えて下さい。」とのことで、その時、黒澤さんのブースを思わず指さし、「あれと同じ物なんですが・・」と言いました。あつかましくも、黒澤さんのブースにあったMK35のサドルの寸法、測らせてもらっちゃいました。大和マークさん、感謝してます。無理を言ってごめんなさい。黒澤さんにも感謝です。
J−Guitar.comのステッカーを、何故か4枚ももらって帰りました。
帰りに、ブルージーさんで、ジェフ・トラゴットのローズ物を弾かせてもらいましたが、気持ちのいい倍音がとても長く響き、無性に連れて帰りたくなっていました。しかし・・一本連れかえるということは、今は一本手放すことにつながる状態で、心の中の葛藤が数日間続いていました。
夏休みに、結局、ルシアー物で、バラニク、ジェームズ・オルソン、ケヴィン・ライアン、フロッギー・ボトム、トンプソンと弾かせてもらったので、あとはエド・クラクストンとモーガンが弾ければ、アコギブック12の「ときめきの10本」完全制覇です・・が、そんなに弾いてどうする???でも、相変わらず、精神状態として、こうしたショップに対して、ある意味で「カモネギ」状態のaya−yuです。いつどうなるか・・・。
とりとめのない文章になってしまいました。

No.48 リンダ・マンザーに教わったこと1
リンダの自伝「森の中からジャズが聞こえる」(フィルムアート社)、遅れ馳せながら読みました。
読みながら、本を通して感じたことは、彼女がギター作りと、その材料でもある森林・自然といったものを、何より愛しており、それらの中に自分の存在を見出しているということです。彼女の言葉を借りれば、「森とともに呼吸をする」ということでしょうか。「死ぬまでギターを作りつづけたい」「一生使える寿命の長いギターを作りたい」といった言葉の端々にも、「大切な材を使ったギター作り」が感じられて来ます。「例えば木材を選ぶときも、それぞれの木材が持っている特質とか形とかを大切にするようにしているの。ないものを強制して、変えようとは思わない。」という言葉にも、彼女のギター作りへの基本的な姿勢が伺えます。
CNCマシーン(ネック削り機)を使わず「木」の変化を感じたいと言ってもいます。
リチャード・シュナイダーとマイケル・カーシャについても言及しており、意欲や試みの素晴らしさは認めつつも、彼らに対して自分も「数値にたよったアプローチに嫌悪感を感じた」「数値やデータが侵略してくるのに嫌悪感を覚えている」ひとりだと言っています。自分自身を「保守的」だとも・・。
彼女のようなビルダーの心を引き付けられなかったことも、マークシリーズの販売失敗に関連しているように思えてなりません。



No.49 リンダ・マンザーに教わったこと2
リンダ・マンザーの自伝にある「技術的なこと」で興味深い内容を付け加えておきます。
@象牙と牛骨では、象牙の方が美しく、目が細かく、丈夫で割れにくい。ただし、音響的に象牙と牛骨の音の違いを感じることのできる人間はほとんどいない。象の殺戮を考えれば、量の豊富な牛骨のほうがいい。
Aシーダーは、物理的な力には弱いトップ材だが、腐りにくく「流木」も使うことができる。柔らかめなので傷はつき易く、落したりすると他の材より、大きくへこんだりする。シーダーでも数十年経っても音がそれほど悪くはならない。ジャーマンは硬くて音質も幅広い。ハーモニクスもはっきりする。
B木材を見ただけでだいたいどんな音がでるかわかる。曲がっていたり、割れや節があれば、音調は一定でなくなり、うなるような音になる。密度は押してみればわかる。
木どりは、木目がなるべくまっすぐに、長く伸びているものがいい。木目に沿って音は伝わっていくので。
C音の調整方法は、素材を変えるほかに、ブリッジ、ナット、サドルの高さなどで調整する。アーチトップは、もっといろいろな調整方法がある。
D木材の乾燥はギターの完成に大きく関わる。長期間の自然乾燥がいい。十五年放置するのもざらにある。
木材は、70%くらいの水を含んでおり、理想的には、その水分をなるべく0%に近付けるのがいい。乾燥機は割れが入ったりする。切ったばかりの木材と一週間後の木材の重さは、全体の三分の一も減っている。大きさも、切ったばかりは、バックが10本もとれそうな木材も、乾燥すると割れも入ったりして、半分くらいしかとれない。
水分を多く含んだ木は、乾燥して曲がるのはあたりまえ。
Eギター製作は、湿度の低めの場所で作るほうがいい。木は、膨張には比較的強いが収縮には弱い。ただ、あまりに乾燥した場所で作ったものを、ものすごく高湿のところに持っていくっていうことは、ギターの上でバケツで水をかけて、それでも反応するな、といっているのと同じ。注文されたギターが使われる場所よりも、少し低めの湿度で作るのがコツ。
Fギターは弾けば弾くほどよい音がでる。弦を初めて張って、一時間激しく弾くだけで、明らかに音が違う。最初の3ヶ月で、ギターは信じられないほど変化する。新品のギターを2・3ヶ月しまったまま弾かないと、からだのこわばったダンサーのようになる。弾き始めると、また、ほぐれてくる。
G「丈夫で一生持てるギターを作る」ことと「繊細で感度のいいギターを作る」ことは相反することであり、結果「プレーヤーに弾いてもらって、初めて開花するギター」が目標として作られている。

「カスタマーに喜んでもらえるのが、何よりうれしい」と彼女はいいます。残念ながら、aya−yuは、リンダのギターには触ったことがありません。しかし、どの製作家のギターにも、その魂のようなものが宿っているような気がします。



No.50 もっと英語ができれば・・・その1「2001楽器フェアに行って」
前回の楽器フェアには家庭の都合で行けませんでした。2001楽器フェアは、かろうじて2時間程度、行って来ることができました。
そのうち、1時間近く、スギクラフトの杉田さんとお話ししていました。
マーク99レプリカについて、私の願いをお伝えできて、また、何より杉田さんに直接お会いできてうれしかったです。以前、杉田さんもこのhpをご覧になったことがあると伺って、その上でレプリカ製作を受けてくださったこともわかり、尚の事、感動ものでした。

ただ、今日ほど「英語を真面目にやっとけばよかった」と思った時もなかったです。杉田さんと別れた後に、スチーヴ・クライン氏本人に会ったのに、一言も話しができませんでした。何か話そうと、移動するクライン氏を、後ろからストーカーのように数十メートル追いかけたのですが、結局、握手一つできなかったです。
右手を差し出し、I’m your fan!とでも叫べばよかったかも・・。
大きな後悔です。
しかし、キソ・クラインは2本ともしっかり弾いてきました。キソ・クラインは、クラインギターそのものより、マークシリーズに音が似ていると思いました。仕上げもなかなか見事で、ウッドバインディングとクラインのサインがかっこよかった・・。一本欲しくなってしまった・・。(でも、押入れがなんとかならないと、無理です。)
作りも「フライングブレース」ではなく、Xにブリッジ周りのトーンウッドが放射状に貼られてクラシック製作家の作るスティール弦ギターのトップに近いものですが、ホールから上には、マークのブロックフレームのようにがっちりとしたブレーシング(と呼んでいいものか?不思議な板)がついていました。
とにかく、エンドブロックの辺りに「ふた」が付いていて、中身がよく見えました。ふつう、「エンドピンの種類によっても音が変わる」という人までいるのに、この斬新さがクラインですね。

shirabeさんご一家とあぶさんにもお会いしました。つい、キソクラインが欲しくなったお話しをしたら、pandaさんに病気の進行をしっかり指摘されました。さすがです。

もっといたかった・・・。しかし、行けただけでもラッキーで、杉田さんと直接お話しできたのは、幸運の中の幸運と思うべきなのだと思います。
・・・やっぱり、英語を真面目にやっとけば・・・。
こやまさんとアーモンドの店長さんもいらしていたとshirabeさんに伺ったものの、お会いできませんでした。しかし、後になって、よくよく思い出してみると、ピーターフィンガーのまん前で、とても乗っている人がいたなぁと思っていたのですが、そのお顔は、アーモンドさんでした。



No.51 弱音器を考える
もう、かなり昔から「弱音器」なるものが売られています。プラスティックの間にスポンジがついていて、それでブリッジ近くの弦を挟んで、音を小さくする、という「あれ」です。
使ったことのある方は、ご存知の通り、アコギ好きには耐えられないような、「ミュート状態」の音が出ます。とりあえず、どの音がでているかはわかるものの、「ポロローン」でなく「ポツポツ・・」といった音しか聞こえません。まして、そのギターらしさなど感じようがない・・。
絶対に使うことはないだろうと思っていました。でも、今回のバンドのストローク練習をするのに、「もの憶え」の悪くなったaya−yuが、繰り返し、しつこくストロークの練習を始めたときの家族への「後ろめたさ」を強く感じました。そこで、長い間、眠っていた「弱音器」を取りつけると・・・他人に気兼ねせずに、ガンガン練習できるではありませんか!(あたりまえ?)
とても、感動すると同時に、夜中も練習できるようになり有り難かったです。
ただ、それ以来、気がつくと、私の知らない間に「弱音器」がギターに取り付けられているようになりました。どうも、下の娘が、いやがらせに取りつけているような・・・。
「弱音器」というのは、「もろ刃の剣」かもしれません。




No.52 もっと英語ができれば・・・その2「アーヴィン=ソモジ氏と話したこと」
アコブック14に投稿が掲載されて少し経って、Matsudaさんという方から、英文のメールが届きました。
最近のウイルスメールのこともあり、一瞬、びっくりしました。でも、例によって「翻訳ソフト」で、とんちんかんな和訳をしてみると、ソモジ氏の工房にいらっしゃる製作家の松田さんとのことでした。それによると、あのアコースティックの個人製作において「伝説のルシアー」とまで言われるアーヴィンソモジ氏が、私の投稿に興味を持たれ(正確には、マークシリーズなどについて、こだわっている私自身に興味をもった?)、直接、電話がほしいとのことでした。尚のことびっくりすると同時に、感激したりもしました。
ただ、私はこれまで、自慢ではないですが、「国際電話」なるものを一度もかけたことがありません。とりあえず、同じソモジ氏の工房にいらっしゃった大屋建さんにメールで「どうしたらいいでしょう」と泣きついて、その後にMatsudaさんに「いつ頃お電話したらご迷惑になりませんか?」という主旨のRe.メールを送らせて頂きました。あちらのPCは、「日本語が読み取れない」とのことで、「ローマ字の日本文」でのメールです。正直、とても情けなかったです。
結局、時差が17時間あるとのことで、朝四時起きしての電話です。始めにかけた時は、KDDIの番号が幾つだったか忘れてしまい、何通りもかけ直してやっとつながりました。緊張しましたが、shirabeさんに教わった声かけをすると、相手がたまたまMatsudaさんご本人だったので助かりました。でも、その時はソモジ氏が、たまたまご不在で、2日後にまた、かけなおしとなりました。そして、間接的にですが、アーヴィンソモジ氏とお話ししました。
「カーシャスタイルのギターと、ソモジ・ギターについて、質問があったら遠慮なくしてください。」とのお話しに、慌ててしまって、考えていた質問と全く違うことを聞いてしまいました。
「アコブック14の様子だと、ヒールズバーグの出品ギターにカーシャスタイルのギターが、激減してしまったようですが、アメリカでは、カーシャブレーシングのギターの音に、『そうした評価』がでてしまったのですか?」
「ソモジ氏のギターは、私の弾かせてもらったものも、どれも素晴らしかったです。
私の知っているリペアマンさんが、場所に応じて、特殊な接着剤を使っているといっていたのですが、どういった意図があるのでしょうか?」etcetc・・。
アコブック14のヒールズバーグの様子から、もしかしたら、評価の分かれていた「カーシャの音」に決着がついてしまったのでは?と心配していたので、つい、ポイントをずらして、そんなことを聞いてしまったのですが、丁寧に、カーシャの生い立ちから、いろいろと説明してくださいました。
「未だに、カーシャブレーシングは、可能性のあるブレーシングシステムだと思います。」
「要所の特性に応じて、グルーは使い分けています。特に、材質によっては、水がかかると、状態の変化してしまう部分もあり、そうした部分のなかで、タイトボンドの使いにくい場所もあるわけです。ただ、現在は、リペアのことも考えに入れて、取り外もし易い新しいグルーの割合を増やしつつあります。」とのことでした。
マークシリーズについてのカーシャの評価についても聞きました。
「ギブソンスタッフとの協調の為に、思うように作れなかったギターだった。」ということです。
ある意味で、完全な「鬼ッ子ギターであることを改めて知らされた」のですが、以前、某雑誌のクラインのインタヴューに、「カーシャには、鉄弦でカーシャスタイルは適応できないと言われた。」と掲載されていたことがありました。それから考えると、ある意味で、「前進」した考え方とも受け取れます。
Matsudaさんの近くで、流暢な英語がぺらぺらと流れていましたが、あれがソモジ氏の声だったのだと思います。とにかく、感動でした。
「これを機会に、これからも、つながりを大切にしたいです。」とのことでしたが、今や、通訳の役を引き受けてくださったMatsudaさんもソモジ工房を離れており、英語のしゃべれない私には、恐れ多く・・・。
あぁ、もっと英語さえやっておけば・・。そう言えば、ハービー・リーチに翻訳ソフトで送ったメールは、未だに戻ってきません・・。



No.53 ギターピックアップ考
現在、私の持つギターの中で、ピックアップのついているギターは、D45とMK53SB、そして、娘の為に買い戻したオヴェーションの3本です。
D45には、サンライズのS2とフィッシュマンSBT−Eを取りつけており、BOSSのAD5でブレンドしています。
MK53SBは、ハイランダーのインターナルマイクを単体で使用しています。オヴェーションエリートはご存知の通り、サドルうめ込み型のピエゾです。
どれもそれぞれに特徴があります。
おそらくは、インターナルマイクを装着したMK53SBが、本当は「生音に最も近い」のだとは思います。好みに応じて、マイクの向きを設定できます。ただ、難しいのは、ハウリングが起こりやすいことと、「生」の音すぎて、設定によっては、バランスを欠く事があります。マイクを高音よりに向けるといいか、真中に向けるといいか、斜めにするといいか、まっすぐにするといいか、未だに「自分のギターに最もいい設定」が、はっきり決まっていません。きっと、上手に拾えば、レコーディングの音でライブができるように思うのですが・・・。
D45のブレンドシステムが、今の所、最も安定してライブ等に使えるピックアップです。やはり、組み合わせることで、ピエゾとマグネチックの弱点を補完しあって、D45らしい音をスピーカーで再現することができています。特性が極端に出るように、小さなエレキアンプで確認した所、マグネチックのサンライズは、高音はとても綺麗でしたが、低音につやがなく、音量も小さかったです。ピエゾのSBTは、うめ込み型でないこともあり、高音の伸びは今一つですが、全体にバランスよく、低音までしっかり再生できました。やはり、「どちらか一方」だと、「D45らしい音」には、なかなかならないかと思います。
オヴェーションは、一番セッティングが簡単で、しかも、バランスがいいです。やはり、専用に作られたピックアップだと感じます。が、よくも悪くも「オヴェーションの音」ですね。
AD5は、とても「おいしい」エフェクターだと思います。リヴァーヴやコーラスはもちろん、ボディの鳴りの様子やマイクとの距離まで設定でき、アンチフィードバックまでついています。コーラスの癖には好き好きがあるかと思いますが、私自身は、自然な音色に感じています。CE1の頃からのファンでもあります。
最近は、B−BANDコアー等、また、いろいろな新しいタイプのピックアップもできているようですね。最近、ステージで緊張しやすいので、尚のこと、「マイクどり」でマイクとの距離や角度を気にせずにすむピックアップは、私にとって、手放せない道具の一つとなりそうです。
 
D45に工作したくないので、コードとプラグが普段はボディの中で、からからいっています。
AD5のケースは、昔のJAZZドライブというPCのリムーバブルディスクのケースです。あの頃は画期的な記憶ドライブだったのですが・・・今は昔・・・マークと同じく、「過ぎ去った未来」・・・。


No.54 クレイトンピック
genkunさんに紹介頂いて、shirabeさんに船便で個人輸入して頂いたクレイトンピック、とても具合がいいです。
「べっ甲の感覚を再現したピック」とのふれこみのピックですが、べっ甲よりも私には扱いがいいと感じています。
その理由の第一が「質感」です。他のピックは、べっ甲にしてもプラスティックにしても、つるつるすべるような感じがします。ガンガンとストロークしていると、汗をかいたりすることもあり、しっかり持っていないとずれてしまうことがあります。でも、クレイトンピックは、しっとりとした質感の中に、しっかりと手にフィットし、つるつるとすべりません。
第二に、丈夫さです。THINピックの場合、普通、強いストロークを続けると、「割れが入る」のがあたりまえですが、クレイトンピックは、現在の所、一枚も割れていません。けっこうな期間、THINでもガンガンストロークしていたはずですが・・。厚さの種類も豊富で、繊細な音が欲しかったり強いアタックが欲しかったりという時々に使い分けが可能です。
べっ甲ピックは、かどを削って薄くして使っていますが、クレイトンの厚いものの場合、特にそうした手入れをしなくとも、充分に弾性があり、いい音を出してくれるように思います。
私と友人とで、shirabeさんに送っていただいたピックを山分けしましたが、多分、それでも「一生分のピック」を持っていると思います。私は三角ピックが好きなのですが、ティアドロップもあるようです。
そう言えば、ころさんに紹介頂いたDAVAピックも面白いですね。一枚のピックで、持つ場所によってTHINからHARDまで、使い分けができるという優れものです。ただし、使う人の技術が伴わないと難しいかもしれません。京都に墓参りに行ったときに、某老舗楽器店によって、偶然見つけて買ってしまいました。

左からクレイトンピック・ダバピック・べっ甲ピック



No.55 サイド・バックの補強を考える
1986年に、マーチンギターのサイドの割れ止めは、それまでの布テープからローズの薄い板に変更されています。しかも、片側11箇所あった補強が2箇所に減っています。また、1988年には、3・4番目のバックのブレーシングを細く高くしています。「丸ごとマーチンD28」の中で、シーガルギターの塩崎氏は、側板補強材の変更について「側板が直線になるところは強度が弱くなってしまいます。補強には本来、木がベストですが、剥がれてきたときには、びびり音がでるという欠点があります。」と否定的な考えで、バックのブレーシングの変更は、加工上の都合との見解をされています。
私自身も、ずっと、この考え方に納得していたのですが、ただ、ちょっと気なることに気がつきました。
一つは、ギブソンやラリビー、テイラー等のメーカーで、側板補強の全くないギターがけっこうあるということ。
もう一つは、私の持つリーチ・ハミングバードのバックブレースは、今のマーチンに近く、もっとブレーシングの背が高いことです。個人製作ですから、作りやすさなど追求してはいないと思います。
特に、ラリビーは、割れの入りやすいハカランダものまで、サイドの割れ止めが全くありません。ハカランダという材は、ご存知の方も多いと思いますが、「割れの入り易い材」で、「ハカランダクラック」などという言葉もあるくらい、ぶつけたりしなくても自然に大きな亀裂が入ることがあります。サイドを厚くすれば、多少、割れにくくなるとも思いますが、実物で確認した所、そんな様子もみられませんでした。
マーチンに至っては、昔のものよりギターそのものが軽くできており、どう見ても今のほうがサイド・バックは薄いと思います。
ここで、私は、最近のマーチンの補強の位置が、特に割れの入りやすい直線部分に補強がされていることに注目して仮説を考えてみました。要するに、「マーチンも必要最小限の補強にこだわった」のではないかと。
そう考えると、バックブレースにしても、強度を保ったまま、なるべくブレーシングとバックとの接触面を少なくする為に、細く背の高いものに変更したということで納得がいきます。
今のアメリカの個人製作家の間では、「サイドは太鼓の胴のようにがっちりしているほうがエネルギーのロスがなく、木の種類が違っても問題はない」とする理論が主流だということですが、メーカーの中にはラウンドバックの弦楽器のように、サイドにも振動の意味を持たせるような考え方もあるのかもしれませんね。
直感的には、サイドも震えたほうが演奏者には気持ちがいいかもしれません。でも、きっと、音の遠達性は弱くなるような気がします。何より、ハカランダやマホのギターでラミネートでもなく、サイドの補強が全くない・・・というのは、やはり心配ですね。でも、思うほど耐久性に違いが出ない、ということなのかもしれません。
ただ、全く別の見方で、もう一つの可能性としては、サイドの補強がないことについても、単に手間を省いただけということも・・・。でも、あの「合理性の権化」のテイラーが補強していないということは・・・。
しかし、近年のマーチンのバックブレースのはずれやすさも、この「細く背の高いブレーシング」と無関係でないようにも私には思われます。


No.56 東松山フォークジャンボリー’02
こやまさんとアーモンドグリーンの内河さんに誘われて、東松山フォークジャンボリーに参加しました。
ギターも歌も、私などよりずっと上手な方たちが出演するのだろうと思いつつ、順番が一番と聞いて、「前座なら、まあ、いいかもしれない。」と自分を納得させていました。曲も、インスト一曲と、昔作ったオリジナルニ曲で、どれも15年以上は弾き続けてきた「おはこ」の曲ばかりです。自分の技術の限界に挑戦するのでなく、自己表現に重きを置いて参加しました。
にも関わらず、リハーサル含めて、緊張のし通しでした。本番でも、「足置き」は倒すしソロの出だしをやり直すし、周りで見ていても、緊張の様子はよくわかったと思います。
何とか「こけずに」演奏しきれたのは幸運だったと思います。終わった後で、若いグループの子達が、D45のギターの鳴りに感心してくれたことと、「おじさんず」の友人たちやギター仲間のご夫婦が、まがりなりにも(出演してひどく失敗しなければ悪く言われることは普通ないですね)よかったと言ってくれたことと、とりあえず娘達とかみさんが来てくれた事がうれしかったです。
若いグループの子達に「このD45、本当はたいした鳴りではないんだよ」とは言えなかったし、おじさんずのメンバーに「オリジナルだからボロが随分隠れていた」とも言えなかったです。
また、かみさん達には「しゃべりのへたさ」の指摘を受けました。でも、それで済んだのは有り難かったです。
何故なら私の「人物紹介」には
「ギター専門誌で紹介されるほど、ギターコレクターとしても全国に名を轟かせています。今回の演奏ではお気に入りのギターの美しい音色を皆さんに披露して頂きます。」
となっており、これまでの私の悪行が追及されるのでは・・・と青くなっていたからです。ぼろ隠しにした説明をほんやさんに「うまいですね〜」と誉めて頂きました。「よくわかってくださっている」と思えて有りがたかったです。
こやまさんやほんやさん達スタッフの方たち、本当に有難うございました。ゲストの斉藤哲男さんはじめ、聞き応えのある方達ばかりでした。とても上手な方達ばかりで、私がしつこく参加する必要性は無いような気がしますが、また、様子によって、宜しくお願いします。
一つ開き直ったことは、「もはや、私も世間様からはコレクター」。コレクターと言うには、数も少なく、安いものが多いですが・・・でも、やっぱりMKはコレクションかも・・・。


No.57 「ザ・プロフェッショナル〜心に響くギターの音色〜」内田さんのギター製作
前年から楽しみにしていながら、しっかりと見逃したNHKの特別番組を、genkunさんのご好意で、VTRで見ることができました。やはり、感動ものでした。一人の製作家の生き様のようなものを、そのギター作りを通して感じることができました。幾つか心に残ったことを紹介します。
まず、ハンドメイドとは「作りたい音色の為に極限の形にまで追い込める技である」ということ。かなり含蓄の深い言葉と受けとめました。
「木性を知り尽くしたプロの技」として紹介された、くるいを相殺するブックマッチ・割れにくくする髪の毛一本分の三日月型のスプリングジョイント・しなり具合と板を叩いた音で見極めるブレイシングの削り加減と形・余韻にもう一つの音が重なるデュアルサウンドボード・・・「これ以上でなくこれ以下でもない0.1mmの世界」は、話しに聞くより、やはりこの目で見ることで、なぜかうれしくなりました。これほどにギター作りに打ち込んでいる人がいる、ということが私自身、ギターを見つめてきてよかったと感じさせるものでした。
「僕が動かなければ『木』はもともとあるけれど発生しない『音』、なかったものを作り出すことに誇りを感じるし、一番面白い」・・・いいなぁ。大屋さんも杉田さんも同じ世界にいらっしゃるわけで、VTRを見るたびに早く欲しくなる自分に気がつきます。でも、だからこそ、じっくり時間をかけて欲しい、とも思います。内田さんのギターも・・・欲しい・・・あのハープギター。やはり私はコレクター?


No.58 「花はどこへ行った」〜ピート・シーガーの歌とギター
私がギターを始めたのは、思春期特有の「自らの自己存在感のなさ」や「孤独感」といったものがきっかけだったように思います。当時、既に「反戦歌」「労働歌」というものは下火になりつつあって、漠然とした憧れだけを持っていました。
それが、大学に入って、「歌声運動」から出発した「音楽研究会」のサークル活動を通して、そうした一世代前のフォークソングを知りました。単なる自己表現ではない、他に対するメッセージとしての「自分の外への心の叫び」を知ったように思います。その原点にいたのがピート・シーガーでした。
先日、NHKのBSで「世紀を刻んだ歌・花はどこへ行った」を見ました。
「花はどこへ行った」はピート・シーガーの代表作ですが、番組はこの歌にまつわるさまざまなエピソードと、現在でもなお集会に呼ばれて歌い続けるピート・シーガーを紹介していました。はやり廃りとは関係なく、主張を持った音楽に生き続ける老いたミュージシャンの姿に、感動させられました。
「花はどこへ行った」はピート・シーガーがショーロホフの小説『静かなドン』からヒントを受けてつくったそうですね。でも、小説に登場する少女の歌はコザック兵のあいだで歌われていたものとのことです。ロシアのフォーク・ソングが小説に取り上げられて、アメリカのフォーク・ソングに生まれ変わったそうです。
また、ピート・シーガーがつくったのは3番目までで、後は別の人がつけくわえたということでした。

最初の歌詞は

花はどこへ行った  少女が摘んだ
その少女はどこへ行った  若い男と一緒になった
その若い男はどこに行った  戦場に行って死んだ

というものです。
これに下記の歌詞が加えられました。

死んだ兵士はどこへ行った  お墓に入った
その墓はどこへ行った  花で覆われた

付け加えられたことで、話しは振り出しに戻ることになったわけです。ピートシーガーが、著作権にこだわらず(?)、その「変曲」を受け入れたことで、歌がより深く成長したのを聞くにつけ、「フォークとは何か」を私に、改めて教えてくれたように感じます。
「花はどこへ行った」を聞くと、いつも、「自分のオリジナル曲の小ささ」を感じさせられます。


No.59 マークシリーズ〜そのフレット周りのいいかげんさ
フレットは、ギターの中でも、けっこう大事なポイントだと思っています。私の場合、ネックの太さよりも、フレットの状態のほうが演奏上、支障の起こることが多いです。ちなみに、フレットの形状を大まかに分類すると、

@頂部の平らな太めのフレット
音程が多少とりにくいが、質量があるためサスティンは得られる。運指はスムーズ。
磨耗度は低く、そこそこ長持ち。
A頂部のとがった、太めで背の高いフレット(ジャンボフレット)
とがったポイントでの音程は正確だが、力加減でピッチが上がり易い。(←訓練次第)
一音一音、しっかり抑えられる。コード演奏時にはやや注意がいる。
サスティンは得られる。バレーはし易い。長く弾くと指は痛くなりやすい。
チョーキングにとてもよい。磨耗度は高い。
適正テンションのまま、弦高が下げられる。ネックがやや太く感じられる。
B頂部が平たく巾の狭いフレット
音程は正確。サスティーンがなく、倍音が少なくなる。チョーキングはしにくく、
チョーキング時のサスティーンもない。ジャズギター向き。
磨耗度はまあまあ低い。
C頂部が丸く巾の狭いフレット(マーチン標準)
「ミディアム」「スモール」というのが、これらの仲間。
音程は非常に正確。質量が低い割にサスティーンも得られる。チョーキングは難しいほう。
しかし、チョーキング時のサスティーンはある。磨耗度は高い。

ということになるかと思いますが、マークシリーズに関して言えば、
・フィンガー向きにも関わらず、頂部が極端に低いものが多いこと
・巾の広いものや狭いものなど、「とりあえず、その場に在庫のあったフレット」を取りつけたのでは?と思えるくらい、状態が様様。
・中には、「ジャズ系のエレキのものの流用」と思えるものまである。
ということで、既に3本のギターをリフレットしてあったりします。たかがフレット、されどフレットといった具合で、弾きやすさは格段に違うし、音色もサスティンが伸び綺麗になるし、押さえ易さから、一音一音、しっかり鳴るのでいい事尽くめです。只一つ、お金がかかることを除いてですが・・。
いつか全てのMKのリフレットをしてあげたいですが、その前に金銭的にガス欠にならないことを願っています。
それにしても、「マークシリーズが売れなかった最大の理由」はフレット周りのいいかげんさではなかったかと思う今日この頃です。
それに比べてクラインの仕上げは絶品・・・。


No.60 アジャスタブルブリッジ
私はギブソンの中で、アジャスタブルブリッジを持つギターが嫌いでした。理由は、「弦振動の九割を伝えるサドルが浮いていてどうする!ゆるせん!」ということと、「自分はフィンガーピッカーさ。アジャスタブルなんてストローカーのものさ。」という開き直りが理由です。
でも、ギターの試奏遍歴を重ねていくうちに、認識がひっくりかえったんです。
(ショップの方々には本当にご迷惑を・・・)
あるショップでB25を弾いたとき、「サドルが浮いてるのに、どうしてこんなに鳴るの?理屈に合わない。」と思いましたし、「アジャスタブルでもフィンガー、けっこういけるじゃない。」とも感じました。
してみると、今まで敬遠しがちだったアジャスタブル装着ギターをあれこれ弾いてみると(食べず嫌いだった?)、これがそれぞれに味があっていいんですよね。(笑)
歴史的事実としては「アジャスタブルブリッジは失敗だった」という「見方」が確かにあるのですが、そうしたものを超越しているのがギブソンですね。
「ネックの軸ずれのないギブソンのほうが少ない」などと言われたり、「ブリッジなんて、ボルトで留めてあるだけなんだぜ。」と言われたり「家具のようなダブルXブレーシングが鳴らなかった原因だ。」(最近、モーリスがスキャロップのXX、採用しましたね。)、「未だにO野楽器のチェックで返品されるギブソン、いっぱいあるらしいよ。」等々・・うわさ話にことかかないギブソンですが、私「も」そんなギブソンが大好きです。(笑)
なにせ、マークシリーズは、「ギブソン最大の汚点」ですから・・。
※この文章は、「アコースティックギター大好き」に以前投稿させて頂いた内容です。


五線譜1