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No.61 合板と単板を考える
No.62 マーチンレプリカから考えるギターの個性について
No.63 感激のMK99
No.64 「おやじバンド大集合vol.1」
No.65 ’70sギブソンとマークシリーズ
No.66 「預かりもの」の12フレットOOO45’28
No.67 HIKAWA ACOUSTIC GUITAR PARTY vol.1
No.68 鉄弦クラシックについて
No.69 ギターコレクション考
No.70 北軽井沢旅日記・Jさんとお話ししたこと
No.71 ゴトーペグ工場見学〜北関東オフ会に参加して
No.72 HIKAWA ACOUSIC GUITAR PARTY vol.2
No.73 湿気のかたまりのギターケース〜湿度コントローラーについて
No.74 「まるごとJ45」感想文
No.75 石川鷹彦氏サイン会
No.76 0フレットを考える
No.77 アコースティックギターマガジン20サウンドホール感想文


No.61 合板と単板を考える
※この文章は、以前、「アコースティックギター大好き」に投稿させて頂いた内容で、「単板のほうがいいと言われるのはどうしてですか」という質問に答えたものです。
「個人的な考えとしては、合板のギターにもいいものは沢山あり、単純に「単板だから優れている」とは言えないと思います。
ただ、単板のほうが振動伝達にとってメリットは多いはずです。
トップは、そのギターの音を弦振動から作り出す部分です。その基の音がどんな音がするかによって、ギターの音の特徴のかなりな部分が作られると言っていいと思います。ブレーシングパターンを真似しても、別の製作家が作ると別の音になると言われるほど微妙なものでもあります。
弦の振動は、トップ板の木目にそって伝わると言われています。それにブレーシングのパターンとか、トップの厚さとかいったいろいろな要素がからみあって作用するといいます。
そうした、振動の伝達という理屈から言えば、トップが単板である事はとても大切な要素になります。
合板の場合、重なり合った木目どうしが振動を抑える働きをすると考えられます。その分、耐久性はあるわけです。
ただ、実際には、ギターの音というのが、一つの要素だけで成り立っているわけではなく、合板のギターの中にも、ヤマハのFG150のように名器と呼ばれるものもでてくるわけです。また、'60s後半頃のギブソンのギターも合板が使われたものも多いですが、それらも独特の音色を持っています。
単板か合板か、という視点で考えるよりも、そのギターの音が好みかどうか、といったことが大切な気がします。」
つけたしですが、某バンドマスターが3000円でリサイクルショップで購入したヤマキは、下手な「有名メーカー品」よりはるかに鳴ると思います。


No.62 マーチンレプリカから考えるギターの個性について
よく言われることですが、スティールストリングのフラットトップギターの音作りについて、大きく二つの方向性に分けられるかと思います。マーチンコピー・レプリカを指向するか、マーチンとは違う音を指向するか。たぶん、伝統的Xブレーシングを採用しているかどうかでのカテゴリー分けより、妥当で重要な分け方なのではないかと思っています。
マーチン、とくに’30sマーチンを指向するメーカーや製作家を挙げれば、コリングス、サンタクルズ、ボジョア、ショーンバーグ、デューデンボステル、最近話題のメリルブラザーズ、ジュリアスボージャス、日本でもシーガル、キャッツアイを始めとして幾つものメーカーや製作家がいます。それぞれに独自のノウハウを研究しつつ、ゴールデンエラと呼ばれる時期のマーチンの音を目指しています。(最近、シーガルさんは独自性も追及し始められたようですね。他にもそうしたメーカーはあるかもしれません。)
ところで、以前、北関東オフ会に参加したときに、shirabeさんに「うちのサンタとaya−yuさんのD28HW、とても音が似ているね。」と言われたことがあります。材の違いもあり、微妙な音色の違いはあるものの、確かに似ていたように思います。
製作のノウハウが違い、デビットラッセルヤングが「同じブレーシングで作っても、作り手が違うと音が変わる」と言ったことから考えれば、当然、一本として「全く同じ音のギター」は存在しないのだと思うのですが、逆に、いろいろなメーカーが「同じ音」を目指して作った場合、作り方が違っても、時として「似た音」ができることがあるような気がします。
してみると、「今のマーチンからコリングスに持ち替えた」り「コリングスからメリルに持ち替えた」り等々の話しが仮にあったとしても当然のことで、必ずしも、「だから持ち替えた後のギターメーカーのほうが優れている」ということではないような気がします。要は、そのギターがどれだけ技術のあるギター職人さんに、どれだけ材料を吟味され、どれだけ丁寧に作られたか、といったあたりに尽きるのでしょうね。それぞれ、同等の優れたギターメーカーなのでしょう。「レプリカを選ぶ」というのは、私達にとって、一本一本を見つめる感性が要求されるのかもしれません。
また、’30sマーチンも、けして一人の職人さんだけが作っていたわけではないはずで、それぞれの個性が出ているはずだと思います。(残念ながら、その違いを言うほどの本数を弾いているわけではないので、仮定でしかないですが、シーガルの西崎さんが同様のコメントをしていたように思います。)だとすれば、「この’30sマーチンの音よりも、こっちの年期の入ったレプリカのほうが好みの音だ」という場合もあるのかもしれませんね。
ちなみに、形は全く違いますがマークシリーズは、「キソクライン」に音がとても似ています。(笑)


No.63 感激のMK99
 アーモンドグリーンさんに、「マーク99が手に入るかもしれない」と初めて言われたのは、’02.7月頃だったでしょうか。始めは耳を疑いました。と同時に、うれしさ以上に「いくらだろう?」「せっかく杉田さんがレプリカ、作ってくれることになっているのにどうしよう。」という二つのことが心配でした。
 とにかく、「正式出荷本数1本、製作本数12本、現存9本の幻のギター。価格としては’70sギブソンの最高峰。」で、一般の市場に出回ることは有り得ない・・まして、日本に入ることなどないだろうと思っていた逸品です。アーモンドさんのお気持ちはとても有り難かったものの、「まさか」という思いと「分不相応」という意識が強く、喜ぶどころではなかったのが本音でした。
 でも、アーモンドさんに、「なるべく価格を抑えますよ。杉田さんにも、きちんと話をすれば、レプリカは『マークシリーズレプリカbyスギクラフト』として杉田さんの音で作ってもらえると思いますよ。」とのことで、まずは、手配をお願いしました。その後、8月に、他の方と競り合ったものの、購入の約束がとれたとの連絡があり、その後は金策の心配をして、ステージギターとなっていたD45を売りに出す算段をしていました。
 9月に入って、アーモンドさんに「MK99到着」のメールを頂き、すぐに伺ってケースを開いてびっくり・・。「手工品らしさがあちこちに感じられるギター」「自分の知るアコギでクラシックギターに最も近い音の鉄弦ギター」「クラインとは違った弾きやすさがあるギター」「紫のバインディングが不思議な、綺麗で存在感のあるギター」「素晴らしい材をふんだんに使ったギター」・・・。多分、初めてMK53を手に入れたとき以来の感動がありました。特に、今、自分が「プレーヤーとして指向している『鉄弦クラシック』の世界にこの上なくぴったりと合ったギター」であったことがうれしくてなりませんでした。「コレクション」というよりも「プレーするギター」として、自分の理想に近かったことが喜びでした。その後の「貧乏状態」も、何の事はない、と思えています。アーモンドさんには、本当に感謝しています。
 MK99購入にあたり、自分自身が何かをしたというような気持ちはないのですが、レトロバザールの店長さんにお会いしたときに、「aya−yuさんが、MK99をたぐりよせたんですよ。素晴らしい事です。」といったお話をされた時には、改めて「これまでギター関連で私と関わってくださったいろいろな方の手助けがあって手に入れられたギターなのだな」などと実感した次第です。大切にしたいと思います。


No.64 「おやじバンド大集合vol.1」
 「おじさんず」のバンドマスターが、市内の教員や保護者の方を中心に、幾つものバンドを募り、「おやじバンド大集合」と称して宮原にある、市のホールを借りて、コンサートを開きました。その人脈(?)で地域の某新聞社や、地域の某テレビ局まで関わらせてしまう所がバンドマスターの機動力・動員力のすごい所で、参加バンドの「印刷屋さん」にプログラムの印刷を頼み、参加バンドの知り合いの「PA屋さん」にPAをやってもらう・・等々、鳴り物入りでのコンサートでした。
 その為、練習も「気合」が入っており、コンサート一月前あたりからは、毎週のように練習をしていました。バンドメンバーの中に、自宅に自分で設計した「防音スタジオ」を持っている人がいて、そこでの練習です。と言いつつ、私は例によって家庭の事情とお仕事の都合でサボりぎみで、けっこう迷惑をかけてしまったことが多かったです。
 それでも当日は、当時、手に入れたばかりのD45と「ピエゾ・サンライズのミックス」の響きがとても心地よく、腕はともかくサイドギターの音は「一級品」で、とりあえず責任はなんとか果たせたように思います。でも、「しゃべり」は、頼まれていたことをすっかり忘れていて、教員と思えないような絵に描いたようなしどろもどろ・・。でも、それなりに楽しく終えることができました。
 暫く経って、某テレビ局で「練習風景を取材させて欲しい」ということで、バンドメンバーの自宅スタジオにて取材がありましたが、私と某友人一名は、約束の時間にしっかり遅れて、「出演」できませんでした。その場に居合せた他のバンドの方たちが「代り」をやって下さいました。(その節はご迷惑をおかけしました。)
 vol.1で気をよくした参加バンドの人々は、「vol.2を是非やりたい」とのことで、広告の協力をお願いしたり、ホームページを製作したりという協力をさせてもらっています。今回も2月ということで、「仕事上、1年で最もとんでもなく忙しい時期」なので、今の所、裏方にひよっていますが、いつ「出演」してしまうか、わからない状況です。(笑)
 でも、ステージってやっぱり楽しいですね。


No.65 ’70sギブソンとマークシリーズ
 ’70sギブソン、特に’70s後半のギブソンのギターに対するアコースティック市場の評価は、とても厳しいものがあるのは、よく知られています。「’69年、ギブソン社が、後のノーリンカンパニーに買収されると、生産ラインを簡素化する増産体制が断行された。ラウンド・ショルダーの廃止、ベリーブリッジの採用、不良発生率を下げる為のヘヴィーなダブルXブレーシングの採用等、数多い。」「’74s頃より生産工場がカラマズーからナッシュビルに移行していくとサスティーンもなく、箱鳴りもなくなり、アコースティック全体の人気の低下とともに’83〜’84にギブソンアコースティックは潰れてしまった」。ネックの巾やピックガード、果てはアジャスタブルブリッジをやめたことまでもが「’70sギブソンの不人気の理由として挙げられることがあります。
 でも、私は、幾つかの点で、ちょっと気になるのです。
 一つは、同じ’70sでも、前半のものは「ちょっと硬めのガリっとした音でサスティーンもあり、かなりストレートによく鳴る」という評価があること。実際に’70sJ200で、とてもよく鳴るものを私は弾いたことがあります。
 もう一つは、’75sにマークシリーズの生産がナッシュビルで始まり、’76sには私の予想では、マークシリーズの生産がカラマズーに移されてきていること。言ってみれば、トラディショナルギターのラインとマークシリーズのラインが入れ替わっているのです。そして、私のこれまで見たマークシリーズは、ナッシュビルものに「SECOND品」がとても多い実体があること。
 そこで私の予想する一つの仮説は、’70sギブソンのトラディショナルギターのラインは、マークシリーズの犠牲になったのではないだろうか、ということです。
 ラウンドショルダーの廃止を始め、「悪い評判」の多くは、「音の変化」の理由にはなり得ても、「悪い音」となる要素ではないように思われます。まして、アジャスタブルブリッジでなくなったことなどは、かえって響きはよくなるはずです。評判の特に悪いダブルXブレーシングは、近年、スキャロップにアレンジされて某国内メーカーのフィンガー向け最新器種に採用されています。
 つまり、’70sギブソンに、あまりに多くの「できそこない・粗製濫造ギターがあった」ことが、プレーヤーにそっぽを向かれた原因ではないか・・。マークシリーズのラインの為に、「生産工場の変更」を始めとして、「無理」をしてしまったことが原因のように思えてなりません。
 こんなことを書く理由は、実は、マークシリーズを含めた’70sギブソンは、リセット等「作りなおし」がされると、違うギターのように響きがよくなるのを目の当たりにした経験が何度かあるからです。
 もちろん、時代の要請に過剰に反応して、よりヘヴィーな弦に耐えられる仕様を大量生産で目指した結果としての不人気であるとも思います。しかし、状態のいい’70sトラディショナルギブソンの音は、私はけっこう気に入っています。


No.66 「預かりもの」の12フレットOOO45’28
 縁あって、暫く手元にOOO45’28を置く事になりました。年代的にはジミーロジャースのOOO45と同年で、ちょうど’28sから、マーチンのほとんどのモデルが鉄弦仕様となった年です。同年のものは25本。12フレットの鉄弦仕様は’20s〜’30sの126本といったところでしょうか。生粋のコレクターさんに言わせると、12フレットものと14フレットものでは音色が全く違い、14フレットもののほうが「高級」なのだそうですが、私自身はスロッテッドヘッド・ノンピックガードの12Fの姿はとても美しく感じ気に入っています。
 音も、透明感のある美しい音質。倍音も豊かで、ボリューム感,ボディ鳴りも素晴らしいです。バーフレットのレスポンスもよく、クラシックの曲がとても優しく綺麗に響きます。ただ、やはり弦の長いDタイプの音色とは根本的に異なります。Dタイプの爆発するようなダイナミックレンジを、このギターに求めるのは間違いだと思います。「ガツンガツンというストローク」とは対極にあるようなギターです。
 さかたさんが「おじいさんにいい音を教わっている」とおっしゃったのがぴったり似合うような気もします。そして多分、フィンガーでクラシックを弾くことが増えた私にとっては「いい音」であっても、歌の伴奏やブルースをやる方たちにとっては、必ずしもそうではないような気もします。やはり「いい音」というのは、一人一人違うものだと再確認させてくれたギターでもあります。
いずれ、返す時の来る「預かりもの」として、暫くの間、大切に弾かせてもらおうと思っています。’20s〜’30sのマーチンの職人さん達の姿を思い浮かべながら・・・。


No.67 HIKAWA ACOUSIC GUITAR PARTY vol.1
 ことの始まりは、「おじさんず」のバンドメンバーが増えすぎて、独立したバンドとして、多少「分派活動」をしたほうが互いにメリットが大きい(リストラされるなら我我であるべき)だろうと某友人と相談した事と、手持ちのギター達が、実質的にいわゆる「ライブ」的バンド活動では使えないので、活躍できる「場」を作りたいということでした。とりあえず、相談した結果、駅が近く、我我の生活圏ということで、場所は東大宮のコミュニティセンターに決めました。私はホールを押えるつもりでしたが、友人は、「1回目からホールではないほうがいい」との判断だったので、今回は音楽室を選びました。
 でも、12月に場所取りしたはいいけれど、ちょうど年の明けた1月始めに同居の兄の具合が悪くなり、入院・・。それでも、「今までも時々入院はあったこと」として、計画はそのまま続行予定としました。その後、あれよあれよと言う間に兄の具合が悪くなり、他界・・。さすがに「おやじバンド大集合」は裏方のみにしたものの、それだけに、せめて、この小さな企画は続けたいという思いで「一蓮托生」という3人の新しいユニットも作り、バタバタと練習も始めました。さかたさんから「ヒカワアコースティックパーティに参加したい」旨、連絡頂いたのはこの頃です。「おじさんず」のバンドマスターも協力してくれるとのことで、「参加者は5人+?」の予定の「ミニミニ演奏会」でした。
 「スピッツ」の練習を慌ててして当日を迎えたわけですが、前日になって、「一蓮托生」でボーカルをやってくれる予定だったメンバーが花粉症でダウン。バンドマスターも、新学期早々で忙しく、「出演は無理」になったとのことで、一つのステージを、これまでの手持ちの曲のみでさかたさんに「つなぐ」ことになってしまいました。
 当然、選曲は当日の朝となりました。
 そんな中で、クラスの保護者の中で、ヒカワアコースティックギターパーティのホームページをご覧になった方がいらっしゃって、是非、聞きに来たいとのメールを頂きました。
 結局、クラスの子ども達や職場の同僚に来てもらい、「観客」は増えました。遠い所を来てもらったさかたさんに対して、観客を増やす事は「せめてもの誠意」でもあったのですが、果たしてコンサートとしては、どんなものだったか・・。
 予定通り、私は、某友人のお手伝いと、おはこの「ラグリマ」がぼろぼろでした。さかたさんの演奏は、予想通り素晴らしかったです。特にマイケルヘッジスがよかった。それと、ギターを抱えてshirabeさんが突然いらしてくださいました。そのお姿に、これはもう、飛び入り出演して頂くしかないと考え、こちらも突然に「白羽の矢」を立てさせて頂きました。でも、しっかりと応えて下さって有りがたかったです。
 演奏会が終わって、「ギターの試奏会」となった時に、無理してバンドマスターがかけつけてくれました。
 とても慌てたコンサートでしたが、保護者の方から「暖かいコンサートを有難うございます」「先生の『アルハンブラの思い出』はとてもよかったですよ。」との感想を、それぞれ頂きました。さかたさんの演奏を聞けたことと、この保護者の方の感想が、今回の企画をやってよかったと思えた要因です。でも、次回は、もっとゆったりと練習がしたいものです。
 ところで、「試奏会」の時に、クラスの可愛い男の子達も参加して、興味を持ってガシャガシャと弾いてくれました。私自身はとても微笑ましく思っていました。でも、それを見たある方は「あのギターの値段を聞いたら、お母さんたち、びっくりするだろうね。」とおっしゃっていました。また、来てくれた職場の後輩の子が、帰りがけに思わず楽器屋さんに寄って、同じギターがないか探してしまったそうです。「やっぱり、なかった。」と言っていました。どうも、俗世から大きく逸脱した世界に足を踏み入れてしまったのを実感したコンサートでもありました。

No.68 鉄弦トレモロについて
 鉄弦で「アルハンブラの思い出」を弾きはじめて、もうすぐ3年が経とうとしています。始めは、ただ、同じ音を3回続けて弾くだけのアルペジオ状態で、とてもトレモロとは言えませんでした。プロギタリストの打田十紀夫さんの前で弾いたのがその頃で、きっと曲名を聞いたらびっくりされたろうなと思います。
 なぜ「アルハンブラ」を弾こうと思ったかと言えば、「クラインギターの音色がトレモロに似合うような気がした」という「ギターの特性」への判断が出発点で、本当は「本末転倒」も甚だしいと思っています。要はギターの為に練習したのです。
 ようやくトレモロらしく弾ける様になってくると、今度は「爪の長さ」と「音量のバランスの悪さ」に苦しみました。とにかく、鉄弦トレモロはナイロンに比べ「弦に爪が引っ掛ったり、弾き損ねて音が出なかったり」する確率が高く、爪が理想的な状態でないと、まともに音が出ない・・爪の割れも起こり易いです。低音に比べてトレモロの音量が小さくなり易いし、ちょっとでも引っ掛りやすい爪があればリズムがおかしくなる。
「だいぶ安定してきたな」と思っても、緊張すると、すぐにボロボロになってしまい、ステージではとても使い物になりませんでした。
 それが、数ヶ月前に、3−Gさんのアドヴァイスを試して、フィンガーピックを着けた状態で弾いてみると、突然、綺麗に弾けるようになった・・。
まだまだ、抑揚等充分にはつけれず、練習の余地はいつまでたってもあるのだと思いますが、クラシックをやっていた友人に「このくらいならステージで聞き苦しくないね」と言われる程度にはなりました。
 「アルハンブラの思い出」は、「そのクラシックギタリストの実力がわかる一曲」とも言われ、きっと、本当に自分が満足できるところまで完成するには、まだまだ途方もない時間がかかるような気もします。でも、この曲のおかげで初めてクラインギターが「自分のもの」になったような気がしています。


No.69 ギターコレクション考
 シンコーのアコブック1に、ビンテージギターショップ「グルーンギターズ」のジョージグルーンのインタヴューが小さく載っています。
 「その楽器の歴史的背景を楽しむのが面白い」と題されたギターコレクションに対するコメントは、とても印象に残っています。
「ビンテージギターは、それを維持するのにも大変お金がかかる」
「私自身コレクションを持ちすぎて、持っているだけでは何にもならないと考えるようになった」
「コレクションと言うものは、それほど価値のないもののほうが面白い。安ければ心配もしなくていいですし、ただその歴史的価値を楽しむだけでいい。今は家が買えるほど高くなりすぎた。」
「私は車は動けばいいと思っている。それよりは楽器にお金をかける」・・・・
 私にとってのMKシリーズは、不遇な自分のメインギターの仲間集めという価値観で集めてきました。「コレクション」というよりは「仲間の救済」であり、このホームページの狙いのひとつも「MKシリーズの名前を忘れずにいてもらいたい」という点にありました。
 ただ、MK99という、歴史的に価値のあるギターも手にすることになってみると、やはり自分はコレクターでもあるような気がします。
けれど、やはり、グルーン氏の言う通り、「持っているだけでは何にもならない」と思います。ギターは弾いてあげて価値の出るもの、という考えは持ちつづけたいと思っています。


No.70 北軽井沢旅日記・Jさんとお話ししたこと
 娘達の夏休みの宿題の中に、姉妹揃って「科学博物館の見学レポート」が出され、たまたま、浅間火山博物館に行けば済んでしまうということで、家族サービスを含めて’03.8.9〜10、北軽井沢に旅行に行きました。
 宿を決める時、ふと思いついたのが、アコースティックギターブック7に載っていた、ホテルカリフォルニアでした。インターネットの宿泊案内で連絡先を確認して、電話をしました。すると、ホテルの方でない人が電話に出られて、「月曜日なら担当者が戻ってきますから、その時にまた、連絡してください。」とのことでした。今時、フロントに担当者がいないことを、ちょっとだけ怪訝に思いつつ、月曜日にかけ直すと、丁寧な応対をしてもらって安心しました。
 ところが、当日は、各地に記録的な雨と風の被害をもたらした台風の日で、出発するぎりぎりまで「本当に行けるんだろうか。自重するほうが賢明な判断ではないだろうか。」と思いながら天気予報とにらめっこをしていました。とりあえず、新幹線は動いているということで、長野新幹線→トレンタ君で出発することにしました。雨は強いものの、軽井沢は風がそれほどでなかったのが幸いでした。
 初めてのナビの案内に従い、ホテルに着くと、住所とサインを書きました。その時にJさんが、「OOさんとは、どのようなお知り合いでいらっしゃいますか?」と、世間話のように話されました。が、私にはOOさんという方に心当たりはなく、「知らない方ですが・・」と困惑した顔で話したときにJさんも全てを察知されたらしく、「そうですか。実は、当ホテルは一般の営業をやめてしまい、今は、知人の方しかお泊めしていないんです。OOさんのお知り合いと思って予約を受けましたが、もちろん今回、構いませんので宿泊なさって下さい。」とおっしゃいました。どうやら、始めに私の電話を受けられたのがOOさんで、そのことを「宜しく」と言ってくださったのでしょう。だから、見ず知らずの私が知り合いとして予約させてもらえた。全くの偶然でした。
部屋に入ると、丁寧にメーキングされたベッドが印象的でしたが、確かに、暫く誰かが宿泊したようすはありません。夕食を外で食べてしまった関係もあり、その日は、そのまま寝てしまいました。
次の朝、7:30にレストランの様子を見てきた娘達が、「お父さんがここに来たかったわけがわかったよ」とやってきました。さっそく見に行くと、アメリカの国旗やカリフォルニアの旗、様様なアメリカ映画の古いポスター、レコード類、オーディオ、プロジェクター、ギターケースまで並んでおり、「父親と同じ穴のムジナ」の臭い(言葉が悪くてごめんなさい)を感じたようです。
朝食は、菜園で採ってきたばかりというサラダとトースト、ハムエッグを頂きました。Jさんとお嬢さん(?)の手作りのようでした。ギター音楽がかかっていたので、「いい曲ですね」と声をかけると、「お好きなのですか?」ということで、話しが始まり、トニーライスのビデオをプロジェクターで見せてくれました。「もし、よければ、こちらでお話しませんか?」と誘われて、暫くお話をさせて頂きました。
ホテルのことや、楽器商をされていた頃のお話しや、その頃の様子を話されていた中で、「O尻君」という言葉が出てきて、思わず「ウッドマンの店長さんですか?」と聞いてしまって、私も「ウッドマンさんには、マークシリーズ集めで、かなり協力して頂いたんです。」と、ある意味で「正体をばらして」しまいました。「O尻君は、私がO橋楽器にギターを納めていた頃から知っているけれど、彼のギターを見る目は確かだよ。ギターに対するこだわりも強いからいいんだ。」
つい、出発の時間ギリギリまで話しをしてしまい、「また、いつでも泊まりに来て下さい。よければ、今度はシーズンをはずしてギターをお持ち頂けると有り難いです。連絡頂ければ駅までお迎えに行きますよ。」とおっしゃって下さいました。お土産に菜園の野菜をもらって・・。
オリジナルのD45を2本お持ちとアコブックには載っていました。ただ、私はそれよりも、楽器商までされていたJさんのギターへの思い入れや当時の経験、生き方が伺いたくて、宿を選んだような気がします。「きっとシーズンだから、お会いする事もできないだろうな」と思っていたのが、楽しい出会いができてとてもうれしかったです。


No.71 ゴトーペグ工場見学〜北関東オフ会に参加して
 shirabeさん達の企画する第3回北関東オフ会に参加しました。その中の企画にゴトーペグ工場の見学がありました。ゴトー工場といえば、以前、ペグのメーカーの確認方法を伺って、子供と間違われた(?)懐かしい思い出があります。
 休業日にも関わらず、社長さんと専務さんに出迎えて頂いて、親切に案内していただきました。
 工場内は、ほとんどコンピュータ制御によるオートメーションで、休日にも関わらず、幾つかの機械だけは黙々と動いていました。細かな部品類が天井近くまで積み上げられていたり、これまで私が見学したことのある工場とは、趣が違っていました。
 伺った事の中で印象に残っている事は、
・ペグはギターと違って、完成した時の状態が一番よいものなので、「ペグのビンテージ」は有り得ない。機能が悪くなったら交換するべき「道具」であるということ。もし、オリジナルを残しておきたいのであれば、早めに付け替えておいて、もとから付いていたものを保存するといい。
・ゴトー社は、もともと「ゴトーガット」というガット弦の工場であったが、原材料の弦用ナイロンを輸入するコストの関係で、安い外国製品に対抗するのが難しくなってペグ中心の会社に変化した事。
・最近はテフロンという素材の利用で、総アルミ製のペグが作れるようになり、軽量化が計れる様になった。ヘッドは基本的に軽いほうが音はブライトでよくなる。
・ペグの製作そのものは、ほとんど機械が行うが、最後のしめつけの作業だけは、微妙なしめ具合が重要で、熟練が必要。
といったことでした。ペグの装着試験のために置かれていたギターたちも、何十回となく付けかえられた穴があり、そうした事の為に存在する楽器もあるのを、初めて直接確認しました。考えてみればあたりまえの話しですが・・。
ペグ工場の見学など、もう、一生できないと思います。
最新版のカタログももらえて、とてもラッキー、といった気分でshirabe邸の第2部に向かいました。きたむらさんの演奏がよかった・・。他にもいろいろな企画がありましたが、例によって家庭の都合で、途中引き上げとなりました。


No.72 HIKAWA ACOUSIC GUITAR PARTY vol.2
 vol.1が終わって、それほど経っていないのに、もう、vol.2をやってしまいました。とにかく第1回が、自分達にとっては、あまりに練習不足だったので、教員にとって動きのとりやすい夏に企画したかったということです。
 前回は、音楽室で、ギターについては全くアンプを通さずに行いましたが、今回は小さなホールを利用したので、手持ちのコンパクトPAを持ち込みました。コンセント1個につきOO円という料金体系なので、アンプも一体型の簡易アンプ。でもスピーカーは、昔、某メーカーがボーズ802に対抗して出した新聞紙半分の大きさPEAK200Wの優れものです。幸いな事に、これらの機器が、今回、とてもホールの特性に合っていた様に感じました。
 「ギターの生音を大切に」をテーマとして、今回、私が持ち込んだのは、マーチン’28OOO45と’69D45の二本でした。’70sフォークには、やはりマーチン系の音が似合うだろうという事と、アーモンドさんから「滅多に生音を聞けないギターだから、それだけで価値があるのでは」という勧めに納得し従ったためです。友人は、グッダールのNAMショーもの・・・これも見事な逸品です。
 曲目は、ゴンチチの「ヴァルツ」から始めて、「イエスタディ」「スカボロフェア」、こうせつの「愛する人へ」、「遠くで汽笛を聞きながら」、タレガの「エチュード」トレモロヴァージョン、「アルハンブラの思い出」、グレープの「無縁坂」、それとソルの「月光」をマーチン’47sA型マンドリンで弾きました。最近の私の「あがり性」は今回は、ほとんど感じられず、ギターで弾いたどの曲も「まぁ、あんなものだろう」と、とりあえず満足のいくものでした。ところが・・「月光」のマンドリンでこけてしまった・・。自信たっぷりで弾けていたので、ここ暫く練習回数を他の曲に回していたことがたたって、うっかり途中で別のフレーズを弾き始めたら、その後はどこを弾いているのかわからなくなってしまいました。「全てを完璧に」というのは、私には縁遠い言葉の様です。でも、ある意味で私らしい・・。
 前回、まだ、硬さのあったトレモロもだいぶ抑揚がつけられるようになってきました。まだまだ先は遠いものの、自己表現として他の人に迷惑ではなくなったようです。
 今回は、アーモンドグリーンさんとバードランドさんがスペシャルゲストとして参加してくださいました。揚水のナンバーを中心に、プロ並みの見事な腕前と歌で、我我の穴を埋めていただきました。本当に感謝しています。
 たまたま家の改装していたのですが、その現場監督さんがギター好きの方で、家族連れで見に来てくれたり、仕事仲間も沢山来てくれて、「ミニ」とは言えないコンサートだったような気もします。shirabeさんは今回、電車で来て下さいました。本当に有り難かったです。
 地域の下倉さん・島村さん・ロックインさんといった楽器店さんも、今回はポスター掲示等でお世話になりました。とりあえず、企画者のねらいは達成したと思えるコンサートになりました。
 「次回は参加してみたい」という方もお二人いらして、うれしかったです。


No.73 湿気のかたまりのギターケース〜湿度コントローラーについて
 ずっと課題となっていた押入れを改装して、天袋部分を取り払い、ギターケースが腰より高い位置に並べておけるようになりました。そのケースを収納する場所の下の段に、通販で見つけた湿度コントローラーを置きました。加湿器と除湿器がいっしょになってマイコンでちょうどいい具合に湿度を保ってくれるという優れものです。通販で見たときには、「これはギターマニア以外は買わないな」と思ったようなしろものですが、届いてみると思ったより大きくて、高さとして押入れには、いっぱいいっぱいでした。コントローラーの上の段の器には、加湿用の水を入れ、下の段の器には除湿した水がたまります。
 家中の湿度計を入れてみると、アナログ湿度計は、ほとんどがまちまちな湿度を示していました。改めて湿度計の当てにならなさも感じました。でも、平均は70%を示していました。トップ板の膨らみや錆等、問題の出るレベルです。
 50%に調整して機械を動かすと、それなりに幾つかの湿度計は、ほぼ50%近くを示すようになりました。機械の様子を見ると、冬場なのに、どんどん除湿して水もどんどん溜まっていきました。器に水がいっぱいになるとブザーが鳴って一時停止します。動かして2〜3週間はその水を、ちょくちょく捨てていました。それが3週間たった後は、ほとんど水捨てをする必要がなくなりました。どうも、ギターケース達が、目いっぱい湿気ていたようです。
 湿度コントローラーを使うことについて、そこまでする必要性については疑問もありますが、ケースの湿気については、十分気をつけている必要はあるようですね。



No.74 「まるごとJ45」感想文〜’42J45との出会い
 マークシリーズを「最もギブソンらしからぬギブソン」と言う方はとても多いのですが、最近、私の中で「なら、最もギブソンらしいギブソンて何だろう?」という疑問が沸きました。メイプルのJ200?プリウォーのJ35やL00?フェイバリットに挙げられるアドヴァンストやJ185?’60sのアジャスタブルの音?アーチトップ?・・・その答えを求めて、例によって御茶ノ水巡りをしました。たまたまブルージーさんがお休みだったので、リムショットさんでJ35とアドヴァンストジャンボ、ホーボーズさんで’60sJ45、ウッドマンさんで’50sJ185と’50sJ200と’42J45を弾かせてもらいました。本当はJ185がお目当てだったのですが、一月ほど前からでていた’42J45を弾いたとたんに、そのザクッとした明るい倍音に引き込まれました。しばらく悩んで衝動買いの予感がしているとS氏が、そっと「まるごとJ45」を渡してくれました。
 「このJ45の音、只者ではないでしょう?実は、この本にも載っているんですよ。」と、見開きに載ったJ45の写真を示してくれました。本当の所、掲載自体はどうでもよかったのですが、ウッドマンさんも、そのJ45にほれ込んでいるのが感じられて、「やっぱり、それだけの価値がある」と思えて連れてきてしまった次第です。
 「まるごとJ45」の中で、特に心に残った記事は、長渕剛の「ギターは行くべき人のところへ行く。コレは僕のもとへ来る運命だったんだね。」という語りです。十代の頃に憧れたマーチンやギブソンに、ようやっと手が届くようになった我々の世代にとって、実際に手にしてみると「自分にとって分不相応ではないか。」と考えたりもしますが、それぞれのギターに精一杯の愛情を注いであげられるのであれば、そのギターにとっては幸せではないかと思うことができます。縁があったりなかったり、ギターとの出会いも不思議なものですが、一期一会を大切に自分のギターライフを見つめたいものです。
 おもしろい記事は沢山ありました。一つだけ、特に気になったのは「日本のアコースティックギター史」で「フォークソングの音楽的な背景や社会的な思想などはあまり伝わらず・・・」とありましたが、私の大学時代に活動していた音楽研究会は、雪村いづみが持ちかえったピートシーガーの「花はどこへ行った」「フーテナニー」が原点にあったように思います。自分自身の当時の活動から、その部分では異論はあります。でも、それぞれの記事は、それぞれ面白かったです。


No.75 石川鷹彦氏サイン会
 友人の一人が、久しぶりにメールをくれたと思ったら、「石川鷹彦のサイン会の整理券がゲットできたので行きませんか」ということでした。石川鷹彦氏といえば、さだまさしのバックを始めとして、多くのアーチストの伴奏を勤めてきた大御所であることは周知の通りです。私にとっても、彼が執筆に関わった「フォークギターの全て」というギター本がアコギの構造に興味を持った、一つの原点であり、いつかお会いできたらいいと思っていました。学期末が近づいていたのですが、多少、無理でも、この機会を逃すまいと、即、OKのメールを送りました。
 御茶ノ水の石橋ブックサイドの4階が会場でしたが、思ったより狭く、並んだ順に会場に入れられたので、私は前から二番目の真中の席で、石川氏から2mといった位置だったと思います。講演とサイン会との話だったのですが、会場にはギタースタンドとビンゴアンプが据えられて、ミニライブの準備ができていました。持ってこられたギターは、タカモデルのカオルギターでした。ピックアップも繋いでいましたが、ほとんど生の音が中心で、結局、9曲近く聞かせてもらったでしょうか。「アンジー」は勿論、軽快な「禁じられた遊び」の石川鷹彦ヴァージョンもありました。安定感があり、強弱をうまく使い、とてもダイナミックレンジが広く感じられました。ただでさえ、プロの演奏を聞く機会はあまりないのに、目の前で生音が聞けたのは、本当にラッキー以外の何物でもありませんでした。
 演奏を聞いていて、すごいな、と思ったのは、彼はメタル製のフィンガーピックをつけているのですが、そのカシャカシャ音が、全く不快でなかったことです。以前、楽器フェアでピーターフィンガーの見事な演奏を聞きましたが、ピーターの演奏でも、かなりカシャカシャした音は入っていました。それを思うとちょっと感動ものでした。
 演奏会が終わると、持ちこんだ「フォークギターの全て」と、その場で買ったWORKSにサインをもらって握手して頂きました。女子高生なら「一生手を洗わない」と言ったかもしれません。


No.76 0フレットを考える
D28徹底研究にゼロフレットについての質問投稿がありました。相変わらずおっちょこちょいの私は、「訂正」をしたものの、それにも「不充分さ」がありました。いずれ、あちらにも書きこませて頂こうとは思いますが、あまり何度も再投稿するのも気が引けるので、以下に私の投稿と補足を記したいと思います。
「私の持っているクラインギターとハービーリーチはゼロフレットを採用しているギターです。 最も大きなメリットと感じるのは、やはり開放での音色の問題かと思います。 特にクラインは、「低音から高音までどこで出音してもフラットであること」をねらいとして 作られているギターです。 その特性を利用した演奏をする場合は、やはり有利であると思います。 ただ、クラギやマーチン等の、ある意味で「確立された奏法のあるギター」の場合は、 「開放の特徴を利用した演奏曲」が既にできていますから、メリットには 成り得ないことのほうが多いかもしれません。 ただ、ゼロフレットが「すぐに削れる」ということは実際に使用している印象では あまりありません。ナットのギターの溝のほうが消耗は早いように感じています。 それと、テンションについても、リーチのゼロフレットなどは、とても太いものがついていて ゼロフレットの位置での弦高は、ナットとそれほどかわりがなく、充分なテンションがあります。 クラインも、独特の設定で、テンションに問題を感じたことはありません。 ゼロフレットの最も大きな問題は、やはりギターの状態に合わせてナット位置での 弦高を変えられないことだと思っています。 ギターは生き物ですから、微妙な設定のずれがおこってきます。その時に、ナットは容易に 調整可能ですが、ゼロフレットは、ほとんど不可能に近いです。 以前、クラインギターのネックが起き上がった時に、 ナットつきギターの置きあがりがあった時より、ずっと弾きにくくなった経験をしています。 しっかりとした調整をしようとすると、ナットがないのでそれだけ設定にシビアさを要求され、 ある意味で融通のきかない面を持っているのがゼロフレットのような気がします。 どちらかというとスキャロップトナットを採用しているルシアーのほうが 多いのもわかる気がします。」
ここで、ゼロフレットギターに「ナットがない」と書きましたが、存在します。ナットの役割は、ゼロフレット上で弦がずれることを防ぐことと同時に、適正なテンションを得るためにヘッド角をつけるのに、「弦を実質的に支える」ことです。この役割をナットが担ってくれている為に、ゼロフレットギターの耐久性が保たれていることを考えると、とても大切なものであることがわかります。
さらに補足ですが、「スキャロップトナット」は、ソモジ氏を始めとして、カリフォルニアを中心とした多くのルシアーが採用し、MK99やシュナイダークラシックにも取り入れられています。これは、ナットの質量を小さくすることで、材質は違うもののサスティン等、フレット上での音との違いが大きくならないようにして「バランスのいいギター」にする為の工夫だと思っています。ですが、スキャロップにしないほうが、開放でのパワーはでると思うので、これもどちらがいいかは微妙だと思います。


No.77 アコースティックギターマガジン20サウンドホール感想文
アコースティックギターマガジン20サウンドホールに、ソモジ氏によるカーシャスタイルに対する厳しい評価が掲載されました。
以前、ソモジ氏とお話したときには「カーシャスタイルは未だに素晴らしい可能性を秘めている」とおっしゃっていただけに、少しだけ驚いたものの、そこに至る経緯は想像されます。私に理解しきれるかどうかはわかりませんが、とりあえず、批判を書き記したソモジ氏も賛同すると書かれているリチャード・ブルネイ氏の論点を知りたいと思っています。(誌面の都合があるとは言え、これこそ「サウンドホール」に掲載されるべきだった内容のような気がしますが・・。)
しかし、MK99を始めとするシリーズを様様なギター達と比較してきた立場からソモジ氏の書き記した「カーシャモデルのギターがシリアスなギター演奏家たちの間で評価されなかった要因」のうち、二つのものについては異論があります。
ひとつはマークシリーズの売れなかった理由として挙げられた「工場側の問題(ギブソンの工場が治具や工具、機械の導入などに関して設計者の計画したものに従わなかった結果、もともと意図していたものとはかなり違うものしか作ることができなかったことが失敗につながった)」について。確かに工場側と大きな軋轢があったことは問題と思われますが、私は一方的な工場側の問題とは認識していません。彼らにも言い分があったでしょう。また、その結果としてできあがった製品版のマークシリーズが「意図に反したギター」であったかというと、シュナイダーのMK99と比較して、それほど大きくコンセプトを逸脱していないと感じています。私は、機械類の導入よりも工場側との軋轢(或いは、ギブソンの個性とカーシャの個性との軋轢)のほうが、大きな個体差を生みできそこないを多く作り、プレーヤーの支持をなくした大きな要因と見ています。マガジンのサウンドホールに書かれた内容は「マイケル・カーシャ自身の『失敗の責任』についての言い分け」のように感じ取れてなりません。
もうひとつ「同じ基本コンセプトに従って製作したものでも、製作家によってクオリティにも大きなばらつきがある」ということについて。これは、カーシャスタイルが、未だに多くの製作家にとって「発展途上」のスタイルであることを示しているということであり、「問題点」にはならないのではないのでしょうか。マークシリーズが不評に終わってしまい、そのコンセプトの批判が存在するだけに他のアプローチを探らざるを得なくなっている面もあるように感じられます。かえって「大きな悪評があるにも関わらず、生き残ってきたスタイルである」ことの意味合いのほうが大きく感じられます。
「カーシャのコンセプト自体の誤り」については、前述のリチャード・ブルネイ氏の論拠を読まないとわかりません。ただ、「結果として存在しているカーシャスタイルのギターの音色をどう感じるか」によって答えが大きく変わるような気もします。私自身がカーシャスタイルが今一つ評価されない理由と考えるのは、「スティール弦にファンブレーシングがあまり使われない理由」に似たものです。実際の音色が、「万人に訴えかけるような自然なものでない」・・・どのカーシャスタイルのギターにも言える事として、「その音を好きかどうか、好みの別れるギター」であることは間違いがないと思います。「機能するかしないか」という論点以上に、音色を「明確に好まない人がいる」ことが私の感じているカーシャブレイシングの最大の弱点と思っています。
ちなみに、高音側と低音側に分離したブリッジは、「初期の形態」というのは間違いだと思います。私の’82シュナイダークラシックも分離型ですし、’90sのシュナイダーの作品にも混在しているはずです。また、私の持つカウフマン作の’95クラインS36.9も左右分離型のブリッジを搭載しています。未だにクラインギターはピックアップ搭載モデルを除き、分離型が主流となっているはずでもあります。そして私の印象では、分離型がその効果を演奏者が感じられるほど果たすのは、クラシックの場合だけのような気がします。「コンセプトの修正」がカーシャによってされた事実はあるのだと思いますが、分離型のブリッジを採用するかどうかは、製作者がその製作意図に応じて使い分けているのが実態ではないでしょうか。
もう一点、ソモジ氏は、「カーシャのデザインがうまく機能しない」とするリチャード・ブルネイ氏の意見に賛同するとしながら「ボアズ・エルカヤムとカウフマンは、新しいシステムをうまく機能させるための要因をしっかりとつかんでいると思う」と書かれていますが、その意図は理解できないでいます。さらに付け加えれば、私のマークシリーズレプリカbyスギクラフトは、オリジナルMK99やカウフマンのクラインS36.9に匹敵する素晴らしいギターと感じています。
これらは、ソモジ氏と、いつかまた、直接お話できると、きっと私にも理解できることも多いと思うのですが・・。もはや通訳をしてくれた松田さんは独立されて・・・。(涙)
ただ、改めてマークシリーズに対するアメリカ国内での厳しい評価を感じています。単なる微力なギター愛好者でしかない私ですが、「新しいシステム」がうまく育てられるといいと願っています。


五線譜1