映画のページ

ガラスの舞い /
Scherbentanz /
Shattered Glass

Chris Kraus

2002 D 95 Min. 映画館で見ましたがTV用のフィルム

出演者

Jürgen Vogel
(Jesko - 次男)

Margit Carstensen
(Käthe - 母親)

Andrea Sawatzki
(Käthe - 母親、過去)

Peter Davor
(Ansgar - 長男)

Daniel Veigel
(Ansgar - 長男、過去)

Dietrich Hollinderbäumer
(Gebhard - 父親)

Roxanne Borski
(Charlotte - イェスコの娘)

Christian Körner
(Gebhard - 父親、過去、Dirk - 現在、二役)

Nadja Uhl
(Zitrone - アンスガーの恋人、看護婦)

Ronnie Janot
(Bernie - 運転手)

見た時期:2002年10月

詳しいストーリーの説明あり

本と脚本と映画があります。全部クリス・クラウスの作です。

原作に当たる本に関して NZZ という新聞が Traurige Anarchokomödie という批評を出していました。NZZ は「新しいチューリッヒの新聞」という名前の略で、スイスの有名な新聞社です。 Traurige Anarchokomödie は「悲しいアナ−キーなブラック・コメディー」という意味です。見出しとしてはおもしろいですが、映画の方それほどアナ−キーでもなく、コメディーと言うほど愉快でもありませんでした。小説は違うのかも知れません。小説全部を映画化したのではなく、中心部分だけを取っています。

ドイツでは直接テレビに行ってしまうそうですから、日本に行くことはないかも知れません。とりあえず映画の筋を紹介しましょう。父親がナチ、母親が狂気という設定です。時代は現代に近いようです。本によると貴族の出らしいですが、映画でも大きな貴族風の邸宅に住む家族です。元ナチの父親は現在でも学生時代の友達と交友関係が続いており、今は大きなセメント工場を経営しています。長男も一緒にやっているようです。次男は別な所に住んでいて、200人の客を呼んで行われるパーティーの直前に呼び出されます。この兄弟は子供時代いい関係にあったらしく弟は兄に親愛の情を寄せています。弟は白血病であることが分かり、手術を要します。近親者のドナーがいれば成功するかもしれないということで母親が提供者として選ばれます。

行方不明だった 母親は大パーティーの直前発見され家に連れ戻されていますが、気が狂ったようにわめきちらし、物凄い形相です。兄弟が子供の頃には魔女のようにヒステリーを起こし家庭内で暴力をふるい、長男が1度死にかけています。次男が犠牲になりかけて長男が警察を呼んだこともあります。斧で子供を殺そうとして重症を負わせたため、サナトリウムに収容されますが、10年以上前に脱走出奔し、最近ハンブルクでホームレスになっているところを発見、連れ戻されています。このもの凄まじい状態の母親の面倒を長男の恋人 Zitrone がみています。Zitrone というのはドイツ語でレモンという意味で、普通は人の名前にはしません。ニックネームかも知れません。

アル中で万年栄養失調、ヘビースモーカーの母親はドナーとして失格します。骨髄が合わないというのは重要問題。家族は失望しますが、この時母親が次男に「父親には隠し子がいて、その子なら骨髄が合うかもしれない」と言います。狂人のたわごとかも知れません。しかし母親は家に戻ってから父親の部屋を探します。次男も父親の食器の中に隠し子の母親の名前らしきものを発見。この話を持ち出すと父親は怒って、大喧嘩になります。次男は殴り合いの途中怪我をします。

映画を見に行った日、監督と主演者が来ていました。主演のフォーゲルが喧嘩をしたシーンで最初向かって左に傷があったのが、カットが変わると右側に移っていました。その事を言ったら監督は「ミスだ」と笑っていました。短いシーンでしたが、1日で撮り終えられなかったようです。

それまで周囲を困らせるだけのとんでもない母親でしたが、この喧嘩の後写真を1枚持って消えます。そして延期になっていたパティーが開かれた夜に1人の若い男性を連れて戻って来ます。父親とそっくりの顔です。これがディルクという隠し子でした。彼は次男のドナーになることを約束します。母親はそれを見届けて死にます。

母親がなぜこんな事になったのかは終わりの方で説明されます。父親ゲーブハルトは戦後もナチのまま、リベラルになるとか、自由な思想に変わるということがありませんでした。自宅のとうもろこし畑にはサインがあります。しかしこれは宇宙人の仕業でも、誰かのいたずらでもありません。サインはサークルではなく、鉤十字なのです。戦後こんな事を続けている家族に嫁に来るだけでもかなり負担があるでしょうが、結婚相手は式の直前まで他の女の人と関係を続けています。女性一般、妻を尊重などという考えは一切なく、自分の思い通りの事を通す男でした。そのゲーブハルトに対する不満が子供に向けられ家庭内暴力となったようです。兄弟の仲が良かったのは、幼い子供が1人では母親から身を守れなかったからです。恐ろしく金持ちで貴族的な家とホームレス、大きな違いがありますが、母親はホームレスでいる方が幸せだったのかも知れません。

子供が病気で自分の骨髄が使えないと分かった時、彼女は最後の力をふり絞ってディルクを連れて来ます。自分が死に、命を次男にバトンタッチします。

一応小説という形で発表してあるので、この話のどこまでが事実に沿っていて、どこからがフィクションかは分かりません。本人はこの日のインタビューで「これは自分の個人的な物語だ。だから人の手によらず自分で監督したかった」と発言しています。とすれば何か重い問題を抱えた家庭に育ったことになりますが、私と直接言葉を交わした時の監督は健全そうな印象でした。

駄作とかできの悪い作品ではありません。ですからそれがいきなりテレビに回ってしまうのには納得が行きません。映画館の大きなスクリーンで見られた私は幸運でした。

ユルゲン・フォーゲルはダニエル  ブリュールと並ぶ天才だそうで、この人も全く俳優学校に行ったことがないそうです。Die Apothekerin という作品でも主演に近かったのでじっくり見ていますが、当時も今回も俳優教育を受けていない俳優だということには全然気付きませんでした。仕事に慣れた人です。天才だという振れ込みですがブリュールと違い天才肌というのが至る所に見えるというタイプではありません。ちゃんと学校に行った俳優と一緒にいても全然目立たず、普通の俳優に見えます。その普通の俳優に見えるというところが天才的なのでしょう。愉快な人でインタビューの時も全然ポーズを作ったりしません。気さくに何でもやるらしく、俳優なのに、技術屋さんを手伝っていたとかで、この日もマイクの調整をやっていました。

この作品も一応コメディーという振れ込みなのですが、おかしさはあまりなく、悲劇の方が目立ちます。Die Apothekerin の時はコメディーの方が目立ちました。

筋、スタイルはドグマ映画のセレブレーションと似ています。カメラが安定しないことも共通していますが、父親対息子の対決というストーリーということもあるでしょう。こちらは父子だけでなく、母親、兄なども運命の渦に大きく巻き込まれています。

現在の母親を演じたマルギット・カーステンゼンは典型的なドイツ人女優という感じで、あくどい役を「ここまでやるか」というぐらいあくどく演じています。ドイツには1つ前の世代にこういう徹底的に醜い面をさらけ出すタイプの女優が何人かいました。私は好きではありません。自分を無にし、役になり切ってとことん・・・という手法があるようですが、私は役を演じている本人にも多少主体性を求めます。例えばボーン・アイデンティティーのフランカ・ポテンテは役のマリーでありながらポテンテでもありました。その両者の配合の具合が俳優の個性となって来るのではないかと思います。私は体当たり演技というのが好きでないのでこういう意見になってしまいます。ロバート・デ・ニーロよりキアヌ・リーヴスの方が好きなのもその辺の匙加減が原因。

この日監督と主演者がいたので普段なら分からない話をしてくれました。まず原作の本と、映画の脚本はほぼ同時進行し、映画の企画もその時に進行していたそうです。上にも書いたようにこの話は監督の個人的な話だそうで、インタビューをした人が自分の家族を描いたものかと(そうあからさまではありませんが)聞いていました。答もそうあからさまではないのですが、イエスに近いようでした。私にとって1番好感が持てたのはユルゲン・フォーゲルで、本当に気さくで飾らない、映画制作に協力的な人でした。

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