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リベリオン / Equilibrium

Kurt Wimmer

2002 USA 107 Min. 劇映画

出演者

Christian Bale
(John Preston - 有能なクラリック)

Maria Pia Calzone
(プレストンの妻、死刑)

Emily Siewert
(Lisa Preston - 娘)

Matthew Harbour
(Robbie Preston - 息子)

Sean Bean
(Partridge - プレストンの同僚)

Taye Diggs
(Brandt - パートリッジの後任)

Sean Pertwee
(親父 - 世界の支配者)

William Fichtner
(Jurgen - 抵抗運動をしている男)

Emily Watson
(Mary O'Brien - 感情を持ったため死刑になる女性)

Angus MacFadyen
(Dupont - 副総裁)

Kurt Wimmer
(抵抗組織の犠牲者)

見た時期:2003年11月

ストーリーの説明あり

戦後ナチを悪者にしておけばそれで済むという単純な図式がありましたが、安易にそれをするのはちょっと考え物。戦争に勝った後元敵国が暫くそういう風にするというのは何となく分かるような気もしますが、この作品を見て考え込んでしまいました。

リベリオンのストーリーは、未来世紀ブラジルを思わせるような未来の社会、国民は政府に完全に管理されていて、物を感じることすら許されていないというもの。それ自体はマトリックスにも似ており、以前見たポーランドの SF とも似ていて、この手の設定は SF では好まれるようです。リベリオンの場合、凶暴性を抑圧するために、感情を全部禁止してしまい、良い面も一緒に抑圧ということになっています。

気になったのは作品中のデザイン。かなり意識してヒットラー時代の建築や、イメージを再現しています。国旗もハーケン・クロイツをばらしてアレンジし直したような感じです。色彩は黒白がベース。衣裳もどことなくあの時代を思い起こさせます。観客がドイツの戦時中を連想するのは監督の意図したところでしょう。誰かを悪者にする時、実在の人物、時代を材料に使った、この監督の場合はそれがナチだったということなのでしょう。しかしこれを恐ろしい世界、人間味の無いデザイン、と感じる人は、一昔前の世代。逆効果になりかねない危ないデザインです。当時作られた建築物はどれもすっきりしたデザインで、歴史に悪名を残した髭男の事を知らずに見ると、誉める人が出かねません。私たち年寄りが問題だなあ、と思うのはこういう建物の近くに立つと自分がいかにも小さく、意味の無い人間に見え、当時ですと髭男にしっかり首根っこを押さえられてしまったような気持ちになってしまうという仕掛けだからです。大きな建物でも、中に仏様が納まっていて、お釈迦様が喜ぶような、人のためにつくす人物になろうという気持ちになるのとちょっとわけが違います。

残虐な行為は優雅な近世の衣裳を着ていてるフランス革命でも、覇王別姫の中国でも、ソルジャー・ブルーのアメリカでも起こっています。監督がどの時代の何をモデルに選んだかというだけの問題でしょう。ただ、それをあまりにも図式的、美的にやってしまうと、時代を良く知らない、あまり学校で身を入れて授業を聞いていなかった世代は、それを見ていいと思ってしまうかもしれないのです。ナチの図式にあこがれる人が出るようでは逆効果です。

リベリオンではドイツのナチ時代を象徴的に表現していますが、直接のテーマではありません。人類の愚かさを扱った作品です。しかしナチ風のデザインでセットを統一したところには危険を感じます。コンピューターにのめりこんだ世代に、SF で図式化された社会を描いて見せるという組み合わせは、監督が明白な主張を出して、「これはまずいのだ」という表現をするなどの配慮を欠くと、ちょっと気にかかります。ですからこの作品、そういう警告をした上での感想です。

クリスチャン・ベイルというのはおもしろい俳優だなあと思います。アメリカ人かと思うのですが、実はイギリス人。美男ではありませんが、上半身を見せる役が多く、体を誇っています。何がおもしろいかと言うと、笑い者になる1歩手前まで徹底してやって見せる演技が愉快なのです。アメリカン・サイコで超ナルシストの役をこなしたばかりですが、リベリオンはその亜流かと一瞬勘違いするところでした。

話はしかし全然違う方向に進みます。私の出した結論は「できの良いトム・クルーズだ」ということ。トム・クルーズは色々な役をやりますので、その全部の亜流というわけではありません。しかしリベリオンを見ていて、マイノリティ・リポートはクリスチャン・ベイルにやらせても良かったかと思いました。顔も見ようによっては似ていないこともない・・・。

まずはストーリーから行きましょう。日本でも公開されています。しかしこれから見るという方、さようなら。目次へ。映画のリストへ。

人類はまた馬鹿をやってしまい、第3次世界大戦を起こしてしまいました。親父と呼ばれる新しい世界の支配者は今後の戦争を防ぐために、生き残った人類が感情を持つことを禁止します。憎しみ、激怒などが行けないというわけです。それで国民は全員毎日感情を押さえるためにピストル型の注射をすることが義務付けられています。規則に違反すると、マイノリティ・リポートのプリコグのようなクラリックと呼ばれる警察が飛んで来てお縄。処理を受けます。処理という言葉では「事態を収拾した」というだけに聞こえますが、実は死刑。ヒットラーの時代にもうまいこと言葉をすり換えて体よく人をあの世に送ったり、収容所に入れたりということが行われていました。その辺をリベリオンでは真似しています。

主人公プレストンはクラリックの中でもエリート中のエリート。武術を完璧に身につけていて、武器があっても無くても短時間にかなりの人数を倒すことができます。映画の中では訓練の様子も描かれています。ここは架空の日本語に聞こえるような武道を監督たちが考え出して、非常に漫画チックなでき上がりですが、分かり易いです。クラリックも普通の国民と同じく感情はきっちり押さえてあるので、プレストンの妻が自分と2人の子供の目の前で逮捕され死刑になっても冷静そのもの。同僚で友人のパートリッジが禁制品を隠しているのを知ると、冷たく射殺。パートリッジを演じているのは 006 のショーン・ビーン。良い味を出しています。

この作品、漫画で終わらずテーマを掘り下げています。感情を抑圧した世界は華氏451にそっくりで、国民は体はあっても心は無いような生活を送っています。そして地下に潜った抵抗勢力があります。全員がレジスタンスに組織されているというわけではありませんが、注射をしない人が出たり、禁制品を隠し持つ人が出たりします。憎しみや怒りなど破壊的な感情と一緒に、愛や喜びも奪われ、それではかなわんと思う人が、規則を破ります。エミリー・ワトソン演じるオブライエンも家に古い品々を隠し持っていてプレストンに逮捕されます。隠匿された品を発見し、クラリックが破壊するシーンは、第2次世界大戦中にかくまわれていたユダヤ人が発見されるシーンを連想させます。アンネ・フランクはこういう風に発見されたのか、とつい想像してしまいます。

わき道にそれますが、華氏451華氏911と名を改めてドキュメンタリーでリメイクされるそうです。作るのはあの腕白坊主 Mr. ムーア。なんちゃって、本当のリメイクではありませんが、同じテーマを扱うそうです。ベルリンではそのネタになる本をちょうど英語、ドイツ語とも売出し中。かなり大きな書店にどさっと置いてありました。

戦闘、格闘シーンはその辺にある成功したアクション映画から失敬してきていますが、上手に見せ場を作っています。プレストンの不死身ぶりが漫画的です。最近キル・ビルでも扱われていますが、日本刀の戦いもあります。キューブ(1)の冒頭シーンを思わせる「ばっさり」というシーンもあります。しかしああも軽そうに刀を振り回す俳優を見ていると、危なっかしくてはらはらしてしまいます。竹光だからいいようなものだけれど。本当の日本刀ではああは行きません。(注: 知らない方に参考までに。真剣の日本刀は重心のバランスを考えて作られており、西洋の剣と扱い方がかなり違います。大した力を入れず、ふざけてちょっと振り回しただけで人の首が飛んでしまいます。そういう事故を映画のセットで起こした俳優がいるほどですので、軽々しく扱っては行けません。)

家では母親の死後プレストンが2人の子供を育てています。息子ロビーはヒットラー・ユーゲントかというような冷たい目つきで父親を常に監視しています。ロビーのあこがれは父親のような有能なクラリックになること。親の子供に対する過干渉という話は最近よく聞きますが、ここはその反対。父親が息子から息の詰まるような質問を受けます。そんなある日偶然注射のアンプルが壊れてしまい、プレストンは1日注射をしません。これがきっかけで彼は少しずつ考え方が変わり始めます。それで気になるのが自分が逮捕した女性オブライエン。彼女は間もなく処理されることになっています。生きたまま火葬室に送られ、焼かれる予定です。プレストンの妻と同じに・・・。注射をしなかった効果でプレストンはその後の捜査活動中にも押収した品物に興味を持ち始めます。押収した犬を助けたことがきっかけになり、プレストンはどんどん抵抗勢力の側に引かれて行きます。

追われる側に入ってしまったプレストンは、親父と直談判すべく政府の本部に乗り込んで行きます。そこで見たものは・・・、とここでちらっとプリズナー No.6 的な要素も交え、クライマックスへ。探すと矛盾はどんどん出てくるストーリーですが、それでも健闘しています。監督の意図するところかどうかは分かりませんが、見終わって、人間は自由が大切だと言いながら自由を使いこなせていない、感情が大切だと言いながら、感情と向き合えないと痛感しました。何にせよ観客が見終わって何かを考えるのでしたら、作っただけの価値はあったと言えるかも知れません。上に書いたように、独裁政権を表わすシーンでもあまりきれいに作ってしまうと、批判の要素が分かり難く、勘違いした人がすばらしいと思ってしまう危険がありますが、これはあくまでも漫画、劇画、映画。

似たような不発弾はデーモンラヴァーにもありました。デーモンラヴァーはどうやらメキシコで実際に起きている残虐な女性連続殺人事件解明を世に訴えるために作ったようなふしがあるのですが、訴えたいはずの部分が不明確になってしまって、見た人には「こういう産業があるのだ」ということが伝わる程度で終わってしまいます。見終わって、まだメキシコの話に思い当たらなかった時期「良識ある俳優も出ているのに、いったい何やってんだろう」と感じたことがありました。ここまでやるのなら監督にあと一工夫望みたいところです。

あくの強い役で始めたエミリー・ワトソンはパンチ・ドランク・ラブ以来清楚な役に向かい始め、リベリオンでも非常に象徴的なきれいな顔を見せています。 お人形さんのようなパッチリした青い目、ブロンド、色白で、そこへはっきり分かる真紅の口紅。かつてアン・フランシスを見た時のような西洋的な美しさです。日本には梶芽衣子と藤圭子がいるんだぞ、と対抗意識は燃やさない、燃やさない。ワトソンは燃えてしまうけれど。あっ、ばらしちゃった。

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