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カンニバーレ その後(1)

事件発生:2001年3月
逮捕:2002年12月
裁判開始:2003年12月
判決: 2004年1月

ハンニバル・レクター博士と違い、実話。《気色悪い》ページです。趣味でないとおっしゃる方は飛ばして下さい。目次へ。映画のリストへ。

判決はこちら。

「ドイツの犯罪史上まれな事件」という触れ込みで事件発覚から約1年後カンニバーレ裁判が始まりました。この間約1年、メディアはセンセーションルな事件の割に静かでした。犯人は「性的な満足を得るための殺人」というあまり聞いたことのない罪状で告訴されました。弁護側は「要求された上で殺した」という罪状にしています。日本語では分かり難いですが、殺人(Mord)と言われる時の方が罪が重いです。「人肉を食べる」という罪はドイツにはありません。

12月始めに開かれた公判では、5時間に渡って被告が延々と普通の口調で語りました。「家族が次々に死んで行った・・・」というような話で、これは昨年発覚した事件とは関係が無く、この人物が犯罪に至るまでの経過です。 確信犯で、もう殺してしまっており、捕まってしまっており、じたばたしておらず、いやに落ち着いた人です。新聞は冷血漢とか、変態と決めつけてしまいたいのでしょうが、被告があまりにも悠々として静かに語るので、ジャーナリストの戸惑いが行間に感じられます。

本人曰く「どんどん身内が死にさびしく感じた、子供の時から誰か一生自分を去らない人が欲しかった、クラスメートを殺す事を夢に見ていた」などと、正常と異常の間を行ったり来たりしているような話が展開されます。本人の話を直接日本語に訳すと、井上さんのホームページの品位が地獄に堕ちてしまうのでやりません。かたぎの世界で難しい国家試験を受けて、上品な職種に数えられる法律家になった気の毒な裁判官は、体の1部をどうやって料理したかなどというえげつない話や、被害者が死んだ後どうやって死体をばらしたかなどというグロテスクな話を5時間ほど聞かされます。間に昼食があったのですが、この日の食欲はいずこへ・・・。後日証拠のえげつないビデオも見なければ行けないのだそうです。この男がインターネットにあからさまに具体的な希望を書いた広告を出したところ、本人の説明では毎年400通ほど反応があったとか。平均1日に1人以上。世界は常人の知らない所で異常になりつつあります。

新聞は参考のためとかで、人間が人間を食べる例を挙げています。飛行機事故で遭難した人が食料が尽きた時に死者の肉を食べたという話、未開の部族の風習などを挙げた後、現代人の行動をレポート。しかしどうもこの記事には普段のパパラッチ的貪欲さ、エネルギーがありません。私が参考にしているのは日本ならさしずめスポーツ系の新聞。普段は仰々しく思いっ切りスキャンダルを報道するような新聞ですが、この事件の記事を書いている記者は毒気に当てられたかのようです。男性なのかも知れません。この事件は男性に取っては女性以上のショックでしょう。さて、食べたくて食べたのではない事故遭難者は別にして、確信型のカンニバーレの動機はおおむね「死者の持つ特質を食べることによって自分に取り入れたい」という事なのだそうです。現代人のカンニバーレの多くは精神的に問題を抱えた人で、社会的に積極的でバリバリやって行く事に困難を感じている人というコメントが、新聞が呼んで来た心理学者のコメントとして載っています。

刑務所に入ってからのカンニバーレは友達ができ、静かに本を読んだり、他の囚人の読み書きを手伝ったり、メモワールを書いたりして過ごしており、捕まる前よりずっと幸せそうです(!?)。裁判に現われた時の写真でもにこやかでうれしそう。この様子を読んで私はますます正常と異常の境界線はどこにあるのだろうと考え込んでしまったのです。この男が人間を殺さず、食べずに現在と同じような行動を取れば、社会から受け入れられる「良い人」の見本みたいになってしまうのです。この男が「人を殺し、食べて、捕まり、務所送りにならなければ、現在の状態に至ることができなかった」というところに重大な歪みがあるのですが、晴れやかな顔を見て、男の言う事を聞いているとふらっと男の世界につり込まれてしまいそうになります。アンソニー・ホプキンス演じるハンニバル・レクター博士も、クラリスを魅了しかねないぐらいの言葉遣いに長けた魅力的な人物。トーマス・ハリスの作り出した人物にドイツの犯人が影響されたのか、こういう事をする人物はみなこういうタイプなのか・・・カバの常識人には判断のできない世界です。

この男とレクターの間に1つだけ決定的な差があります。レクターは独立心の強い自立した人物ですが、ドイツのカンニバーレは人に寄りかかりたがるタイプ。刑務所内の教会のミサに参加したり、他の囚人と一緒にいる事で心の平和を得、幸福を感じているとのこと。1人で生きて行くのは辛いと感じている人で、今はとても幸せそうです。それにしてもなぜこういう境地に殺人抜きで達する事ができなかったのかとつい思ってしまうのです。死刑の無いドイツではこの人はこれから一生税金で別荘に住まわせてもらい、生き続けるのです。今42才ですから、まだかなり先は長そう。本人がこれでいいと思っているようなので、精神病院へ送るか、刑務所に送るかという争いはなさそうです。来年のカーニバル(ケルン、2月)までに判決は出るのでしょうか。


その後

事件後1年未決囚だったカンニバーレの M 氏。被害者も加害者も本名など発表されていますが、一応被害者は B 氏、加害者は M 氏としておきましょう。2003年12月から裁判が始まり2004年1月判決が出ました。殺人罪で8年半。殺人にも色々ありますが、最悪の「計画的に殺す」のとは違い、やや軽い罪状です。確かに殺す計画は立てていますが、M 氏と B 氏は一緒に計画を立てているので、全く何も知らない人を犯人の側だけが勝手に計画して殺すのとは違います。

検察側は性的な満足を得るための殺人として終身刑を要求していました。弁護側は要求されての殺人、つまり食卓殺人、いえ、嘱託殺人で、判決はその間を取った形になります。これまでの1年は刑に加算され、お行儀がいいと減刑されて保釈になる可能性もあるので、5、6年すれば出て来そうです。あっけなく判決が出、意外に短期刑なので、あれっと思った人もいるようですが、事件があまりにも完璧なので、検察側も裁判長も手が出ないような面があります。B 氏が M 氏に依頼しての出来事だというのが疑いの余地もなく、M 氏の所には B 氏以外にも殺して食べてくれという依頼が何通も来ていたという証拠が出ています。M 氏は B 氏の苦痛を和らげるのを手伝っただけだと信じているらしく、裁判中の態度は普通の犯罪者とは全く違います。あまりにも堂々、晴れ晴れとしているので、ふっと M 氏のペースにはまりそうになります。

裁判中「精神的なバランスを欠いている人間が・・・」という事も考慮されています。被害者が自分の立場を正しく判断できる状況でなかったという意味です。普通の犯罪者とは趣きがかなり違いますが、被告人は病人扱いにはなっていません。被告側がそれを希望していなかったらしく、裁判を開始するにあたって裁判を受けるだけの判断能力はあるとみなされています。それに対して不服も申し立てていません。

検察側は判決に不服で控訴の見込み。弁護側は5年が最高の刑を希望していたのでこれまた控訴の予定。ここまで確信している被告を長く刑務所に送っても、短期間服役させてもあまり差はないですが、今後同じ事をする人を防ぐためという意味があるのかも知れません。

判決の直前メディアは好奇心一杯で報道していますが、気になったのは、弁護側の主張が通れば半年から5年程度の懲役。軽い場合は即時釈放で、すぐ職安が仕事を世話する事もできるなどと書いている点。M 氏は神も引き合いに出し「神が助けてくれるように祈っている」とのたまう。M 氏を助けなければ行けない教会の人も大変ですし、頼られた神は当惑している事でしょう。狂気などと言える物は見えず、本人は非常に静かで判決にも満足した様子。周囲が騒ぐのを笑顔で見ながらおとなしくしています。1年の間スター扱いで、メモワールも執筆の予定。「人を殺したのになぜ殺人事件として普通に扱わないんだろう」という疑問が私には最初から付きまといます。なぜ人を殺した後肉を食べたらスターになるんだろうと皆さんも不思議に思いませんか。

後記: 約1年半後、Antikörper という映画が公開されました。一方は実話のカンニバーレ事件、他方はフィクションの連続少年殺人事件ですが、犯人の落ち着きに周囲が戸惑っているところの描写はカンニバール事件によく似ています。

元の事件はこちら
2回戦はこちら。

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