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犯罪生物学者

副題 検死官のユーモア 
− スカルペッタよりは愉快だ

出会った時期:2003年11月

ベネケ氏は警察に雇われる公務員という身分ではなく、どうやらフリーランス的な立場のよう。そのためか自分でお金を稼がなければいけないらしく色々な方面で活躍しています。一般に納得が行くのは執筆活動。何度か本を出しており、よく売れているようです。私もこの記事を書いた後、もう1度ベルリンで講演とサイン会に行ったことがあり、計2度会いました。

もう1つはテレビ出演。最近はアメリカと提携した検死官の活躍をレポートする実話番組のドイツ側の専門家として出演しています。このテレビ・シリーズはアメリカで起きた殺人事件を扱い、主としてアメリカ人の被害者、家族、周囲の人、警官、アメリカ人の検死官、弁護士などで構成されていますが、時々ドイツからも専門家が出て来て解説します。そこに頻繁に出て来るのがベネケ青年。

もう結構な年になっていますが、未だに少年のようなスタンスで、パンク・バンドを持っていたり、冗談政党(正式に登録されているので、投票する気になれば1票入れることができる。プロテストのために白票を入れる習慣が無いドイツではこういう政党があると、受け皿になる)に入っていたり、おもしろい人です。

話術にも長け、愉快な話を何時間でも聞いていられる人ですが、真面目な面もあり、少ない予算の中後継者を育てる努力もしています。いつの日かこういう人たちがアメリカのテレビ・シリーズ CSI のようにちゃんと雇われればいいですが。いずれにしろ彼のおかげでこの方面に興味を持つ若い人が増えたことは確かです。

一生のうちに数回しか有名人のサインを貰おうなどと考えた事がなかったのですが、どういうわけか貰いたいと思った時は貰えてしまうという幸運児。今回はマーク・ベネケという犯罪生物学者からじきじきの言葉をいただきました。

マーク・ベネケ、どこの誰じゃ?とすぐ聞かれそうですが、業界では有名で、巷では一部ドイツなどで知られており、時々講演をする人です。出版された本には「世界で1番有名な犯罪生物学者」と書いてあります。私も講演の会場で知り合いました。正直言ってそれまで何も知らなかったのですが・・・。

この人はドイツでは Kriminalbiologe とか Forensischer Entomologe という名前の職業で知られています。Kriminalbiologe というのは直訳すると《犯罪生物学者》。Forensischer Entomologe と言うともっと専門的で、《検死昆虫学者》。何も死んだ昆虫を検死するのを専門にしているわけではありません。死んだ人間にわく蛆虫や、死んだ人間にたかる虫の分析を専門としています。死んだ昆虫自体の分析も仕事の一部ですが、その前提として死人の分析があります。ファンタを見て育ったような人ですな。

ある専門書店から「引越し祝いに講演会を催す」という宣伝が舞い込み、おもしろそうだというので行ってみました。なにしろテーマが Mordmethoden。ドイツ語ですが、真中でちょん切って英語に置き換えてみると想像がつくでしょう。《人をあやめる方法》です。これまでジェフリー・ディーヴァー、パトリシア・コーンウェル、マイクル・コナリーなどで知っていた話を、現実の世界で行う人で、ドイツ人ですが、外国でも活躍しています。専門書を書く傍ら、一般の人にもおもしろおかしく事件を語ってくれます。サインを貰う時に70年代にできたミステリー・クラブのメンバーで、仲間は今でも健在だと言ったらたいそう喜んでくれました。

今日は映画は脇に置いて、この人の講演について書きましょう。まだ若い男性で、少年っぽいしぐさ、人の心をすぐとらえる語り口。その語り口が愉快です。マジの話を冗談めかして楽しくおかしく語り、笑いが絶えません。色々な写真を見せてくれましたが、「他の人が悪臭や残酷な様子に顔をしかめているところで、ただ1人うれしそうにしているのが僕」と言って自己紹介するのです。私たちのように長い間推理小説を読み続けていると、この商売をやるにはかなり太い神経が必要と分かっていますが、それでもこれまで私が知っていたのは全て小説の世界。ベネケは本物の死体を隅々まで検査するのです。ユーモアがなくては長く続きません。この人が検死官と称して映画やテレビに出て来ても、人は彼の話を冗談だと思ってマジに取らないかも知れません。それほど話し方は愉快です。

彼のキャラクターをさらにユーモラスにしているのが、北ドイツ風のアクセント。ケルンの人で、この州はラインラント(=ラインの地)といいます。この地区は方言の分布が非常に複雑で、ラインの扇と呼ばれています。扇の中心部のように細かく細く方言の地域が分裂していて、その細い部分が一部は南ドイツの影響を強く受けているかと思うと、ちょっと先の地区では北ドイツの影響を受けています。この人のアクセントは北ドイツ的で、私はあわや北の出身かと思うところでした。この北のアクセントがボディー・ランゲージと一緒になり、恐ろしい話や、とんでもなく困った話をする時でも、まるで漫談を聞いているようになってしまうのです。そしてこの地域の人は神経もドンと据わっていて、大変な話があってもあたふたしないのです。ベネケのユーモアが北のアクセントとメンタリティーによるもなのか、職業柄ストレスをユーモアで吹き飛ばしているのかは分かりませんでした。ドイツでもクインシーというテレビ番組は有名だったらしく、彼はドイツのクインシーと呼ばれていました。しかし私にはベネケの方がクインシーよりよっぽど愉快に思えました。

英語はかなり達者で、アメリカ各地で同業者と協力したという話が至る所に飛び出しました。アメリカとドイツの(そしておそらく欧州との)大きな違いは、「欧州では弁護士がどんな大芝居を打っても、証拠が黒を示していたら被告にはあまりチャンスがない。アメリカでは弁護士が一発大芝居をかましたら、無罪になることがある」という点。O.J.シンプソンがいい例です。同業者との協力はアメリカに限らず豊富で、この日も時間一杯しゃべりっぱなしでした。ボタンを押せばいくらでもおもしろいエピソードが飛び出すロボットのようです。家でテレビの前に座っているよりこの人の話を聞いている方がずっとおもしろいです。

さて、この人、何が専門かと言うと昆虫。それで講演中には最近大統領から表彰されたジャン・レノーの DVD (クリムゾン・リバー  深紅の衝撃 続編制作中)やジョディー・フォスターの写真が飛び出しました。レノーの映画では冒頭タイトルが映るシーンが出て来て、何種類の昆虫が画面に現われたかを観客が数えるクイズになっていたのですが、照明の具合が悪く画面が見難くお流れ。ジョディー・フォスターの写真は羊たちの沈黙で、彼女が事件の始めの方でクロフォードに言われて、研修生なのに検死に参加するシーン。ここで専門家の一言。あそこでフォスターなど捜査官が鼻の下にベポラップを塗るのは与太話だそうです。他の推理小説で、関係者が死体を確認するシーンにも同じような事が書いてありましたが、ベネケの話ですと、あんな物を鼻の下に塗ると却っていろんな匂いと混ざって大変な事になり、吐き気をもよおすそうです。

観客の1人が休み時間に質問をしたようで、その答としてベネケは「これが自分の叔母だったら」とか考えると、捜査官でも気持ちが悪くなって吐き気を催すと言っていました。「これはキャラクターを持った人物ではなく、捜査上の証拠の1つだ」という風に頭を切り換えないとだめなのでしょう。ベネケの神経はかなり太いようで、他の人がマスクをしていても、彼は普通の姿、他の人が分厚いゴム手袋をはめていても、彼は薄手の物を使用。自分の職業にかなりプロフェッショナルな関心を抱いており、子供っぽい好奇心と職業意識がうまい具合に混ざり、探偵顔負けの発見をするようです。また「死体の検査はひどい悪臭に悩まされるだろう」と聞いた人がいたのですが、「最初にミミズの解剖をやる。その時に平気だったら、次はネズミ。それも平気だったら、次は子豚といった具合に段階が上がって行くだけの事さ」とのたまう。なるほど、中世の高地ドイツ語を習ったら、次は古代の高地ドイツ語、次は中世の低地ドイツ語、古代の低地ドイツ語、ゴート語、アイスランド語とエスカレートしていき、やがてオタクになるのと同じです。

この日は数種類の事件を選び、それについて集中的に解説していました。前半かなり長い間ドイツ人の子供連続殺人鬼ユルゲン・バーチュの話がありました。子供を専門に狙い、サディストでホモセクシュアルだった人物です。ベネケがこの3つの言葉をぺろっと発言したので、最初驚きました。現在のベルリンは、「ホモセクシュアルだ」、「それがどうした」という社会に変わっています。しかし犯罪が起こった時期にはドイツにはまだホモセクシュアルな行動を禁止する法律があったのだそうです。1966年19才で逮捕されるまでの4年間に4人の子供を殺し、5人目が殺される前に逮捕されています。バーチュ事件の問題は殺人自体より、その後の彼の取り扱いだったようです。証拠はわりと簡単にみつかり、全件に渡ってほとんど100%近く罪状を認めています。(後記: 前回お知らせしたカンニバ−レも罪は素直に認めています。)病気なのか犯罪者なのかという問題と、彼が殺しを始めた時未成年だった点が事をややこしくしています。人を魅了する術にたけ、求婚する女性が殺到するような面があり(後記: カンニバーレにもファンレターが来ています。いったい誰の頭がおかしいのか1度じっくり考えてみる必要がありそうです)、人に好かれますが、殺された子供に対する同情心や迷いは全く無く、人間的な感情がスパっと抜けていたのだそうです。それが教育、環境ででき上がった性格なのか、先天的な異常があったのかの判断が難しいわけです。結局彼は精神病院のような施設に収容されました。ところが入った先が人員不足で、必要な治療は受けていません。どういうわけか本人も希望して去勢手術をすることになり、1976年手術中に麻酔の事故で死亡しています。本人はこの手術が治療に役立つかも知れないと考えていたふしがあります。

次にコロンビアの子供連続殺人ガラビート事件。こちらは犠牲者が200人と並外れています。被告は死刑にならず、長期刑で服役中です。一般人にも最近は知られて来ていますが、この手の犯人の目的はセックスではなく、力を誇示することにあります。それが成人の自分より明かに弱い子供に向けられるのです。ベネケはこの種の犯人には同情心や痛みを感ずる能力が欠如していると強調していました。

その後また休憩があり、話は続きます。2つの有名な事件を扱った後は日常よく起こる出来事。立件される場合もあれば立件されない場合もあり、犯罪である場合もあれば、犯罪でない場合もあるというケースです。ベネケの専門は昆虫。特に蛆虫やさなぎなど。という意味では羊たちの沈黙の写真が出て来るのも分かります。専門書に詳しい事が書いてあるようですが、死体に蛆虫やハエがたかる場合の時間経過などに非常に詳しく、「・・・の虫が現われ得る気温、天候、時間経過」などで死亡推定時刻を限定したり、体についた虫の種類、あるいはついているはずなのについていなかったなどの状況から、死亡時期の状況を限定したりと、まさに推理小説の世界です・・・と言っては行けません。推理小説はこの専門知識を文学に生かしたのですから、犯罪生物学の方が先だったのです。 ミステリー・クラブの人間には常識ですが、ベネケにも「そこに無い物を怪しむ」のが重要な鍵だという認識があり、そういうケースも紹介してくれました。

名前がついたりしない地味なケースでは、例えば死亡した老女の死体を見て変だと思った事件があります。上半身の肌、肉に比べ下半身の肌、肉がひどく荒れているのです。調査の結果これは下の世話を受けず放置された老人だという結論。アメリカなどでは告訴される場合もあるそうですが、ドイツでは「1度家庭訪問が遅れただけ」ということで立件されませんでした。反対に息子と同居していた老女のケースでは立件されたそうです。死体が一見酷い状態でも、証言の半分ぐらいは検死の結果と一致するのです。これだけですとドイツでは事件にはなりません。ところが喉にあった痣が怪しいとなり、「母親は座ってテレビを見ていた」という息子の証言はガセだと判明。殺人ではありませんが、病院へ連れて行くなり、人を呼ぶなりの報告する義務を怠ったという点で立件。そのほか、家で死んだドラッグの中毒者を(自宅を捜索されたくないため)外へ運び出して捨てたのがばれたなど、一般的な事件の解説もありました。

アメリカで起きたミステリーも趣きが違いますがおもしろいです。死体が床に転がっているのですが、天井に近い喚起口の所におびただしい血痕が残っているのです。血液型の検査によると間違いなく被害者の血。しかしどうやって何メートルも上の、部屋の端っこの喚起口に血が飛んだのかという謎です。これは結局1人の注意深い検査官のしぶとさのおかげで解決。「この血は被害者が殺される時に体から部屋の隅に飛んだものではない」という結論。殺人事件で血飛沫が飛ぶ時は一定の方向と距離が決まっていて、このケースのように遠くには飛びません。そして壁についていた血痕の方向はさまざま。一定方向ではありません。で、虫が怪しいということになりました。被害者が死んだ後で罪の無い昆虫が多数部屋で飛び交い、死体の血が足や羽について、その虫がよそに止まった時についた血痕なのですから、一見どうでもいいような話です。ところが弁護側がこれを利用して、「被告にはこんな所へ血を飛ばす能力は無かった」などという話が展開されると、下手をすると無罪釈放。「この血痕は下で起きた犯罪とは関係がない」となると、この血飛沫は殺人の証拠からはずされますから、被告人は当分お天道様をまともに見る機会が無くなります。

こういった調子でベネケは派手な事件と地味な事件を上手に混ぜ、ユーモアをふんだんにちりばめ午後8時に始まった講演はあっという間に11時過ぎ。私が家に戻ったのは0時ちょっと前でした。

日本の科学捜査も世界に誇っていいレベルですが、ドイツの犯罪生物学者も捨て置けません。で、疑問が浮かびます。こういうすばらしい技術があるのになぜ未解決の事件がこうも多いのか。結局人手不足なのでしょう。事件の数の方が多くて、警察はとても追いつけないのです。そしてベネケのように昆虫を専門にする人のほかに、例えば犯行に使われた武器、手口の分析とか、肌の崩れ具合を専門にする人や、胃の中の食事のこなれ方、死亡する前にかかっていた病気を死体の状況分析の時に考慮する人など、多くの専門分野に分かれてしまうという点も事件の数に追いつけない理由でしょう。その上係官が必ずしも現場に居合わせるかどうか分からないのです。ベネケも「たまたまそこにいたから」解決できたケースがあると言っています。係官の所には自分が現場に行っていなくても山のように分析する品が送られて来ます。最近友人の好意で読む機会のあったマイクル・コナリーの作品にも注意深い元FBIプロファイラーが登場し、現役の刑事が見逃している事をあっという間に発見して読者を感心させてくれましたが、たまたまこのプロファイラーがいなかったら、この発見は無いわけで、そうすると冒頭の殺人事件が解明できず、その前の殺人の動機、犯人などは分からずじまいになります。この作品には付録のようにさらに、FBIが事務所に座ったまま、長距離電話に出、2、3質問しただけで「この件は殺人とは無関係だ」と決定できたケースまでついていました。

ディーバーなどが現場検証の様子を詳しく書くのは、「研究が進んで、検査でここまで分かってしまうから下手に人は殺さない方がいいぞ」という意味合いがあるのでしょうが、完全犯罪クラブのように裏をかいて、全身をレインコートのようなもので覆ってしまう犯人も出て来ます。いたちごっこです。そしてプロのヒットマンなどは、現場の事はあまり構わず、逃亡経路の方に力を入れ、犯行に使った武器など証拠品はその辺に放り出してすぐ現場からトンズラしてしまいます。国外に逃げられたら、各国の警察も苦労します。これまで小説ばかり読んでいたのですが、この日は現実の話を知ることができ、おもしろかったです。が、ちょっと落胆してしまうのは、警察や、警察に依頼される学者などが、知能犯の持ち込む謎でなく、予算カットや人手不足という全然違う問題、警察という機関の経営上の問題で前を阻まれているという現実。ドイツや日本では弁護士のパーフォーマンスで科学分析が無視されないだけいいですが。

大分前にドイツで起きたカンニバーレ事件を報告しましたが、ベネケが登場してもおかしくない事件でした。ベネケのような人は縁の下の力持ですから、普段はマスコミに登場しません。今裁判中のカンニバーレはあっけらかんとやった事を自分で証言し、被害者が生きて被告と一緒に最後の食事をしているシーンから、加害者が被害者の体をばらしているところまで映っている証拠のビデオまで持ち込んでいるので、ベネケの出る幕は一見少ないようではありますが、どんなトリックがあるか分からないので、地元の検死官はやはり一通り検査をするでしょう。事実は小説より胸糞悪く、鳥肌が立ちます。やはり犯罪は小説の中だけにしておくのが平和でいいです。

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