映画のページ

イーオン・フラックス /
Æon Flux

Karyn Kusama

2005 USA 93 Min. 劇映画

出演者

Charlize Theron
(Æon Flux - 反政府組織のメンバー)

Amelia Warner
(Una Flux - イーオンの妹)

Frances McDormand
(Handler - 反政府組織のリーダー)

Marton Csokas
(Trevor Goodchild - ブレーニアの国家元首)

Jonny Lee Miller
(Oren Goodchild - トレバーの弟)

Sophie Okonedo
(Sithandra - イーオンと一緒に戦う反政府組織のメンバー)

Pete Postlethwaite
(Keeper - 飛行船の男)

Caroline Chikezie
(Freya - トレバーの部下)

Thomas Huber (科学者)

Ralph Herforth (庭師)

Stuart Townsend (Monican)
Nikolai Kinski (Claudius)

見た時期:2006年

ストーリーの説明あり

見る予定の人は退散して下さい。目次へ。映画のリストへ。

前回ちょっとミニマリスムの話をしましたが、イーオン・フラックスは細かい説明をスパっと切って、「こういう状況から始めるから受け入れろ!」と強引に通す手法です。トゥモロー・ワールドのように中途半端でないので、観客は与えられた設定に乗り、そこから話に入って行けます。現実味はほとんどゼロで、リベリオンに近いかも知れません。

時々ドイツ人の名前が出演者に見えますが、撮影がベルリンだったので、一部出演者を現地調達したのかも知れません。私も時々行く場所が舞台になっていて、ベルリンの観光映画とも言えます。スタイルはちょっとドイツのバウハウス(デザインのスタイル)に似ています。

野外の撮影にベルリンの建物がいくつか使われていますが、スタジオ撮影はベルリンのちょっと外れ、ブランデンブルク州のバベルスベルクというドイツ版ハリウッドのスタジオで作られています。ドイツ版ハリウッドと言っても、ああいう芸能人をたくさん抱えた華やかな雰囲気の場所ではなく、学生や新人が入り乱れ、どちらかと言えば裏方、技術系の人ががんばっている所です。

韓国系アメリカ人が考え出したアニメを日系の監督が俳優を使って映画化。この監督は滅多に映画を撮らない人で、私はデビュー作ガールファイトイーオン・フラックスの両方を見ました。こうもスタイルの違う作品を両方とも佳作と言えるレベルに持って行ったので、能力は評価しています。

セロンはちょっと前に太ってモンスターを撮った後、瞬く間に痩せ、イーオン・フラックスではガリガリと言ってもいいぐらいすらっとしていました。彼女は元々バレー・ダンサーを目指していた人で、ほっそりというのは本人に取っては違和感はないのでしょう。イーオン・フラックスではアクロバット的なアクションを見せてくれますが、バレーをやっていたことが役に立っているようです。

最近のSFはお先真っ暗スタイルが多く、人類がほとんどもう滅亡しているか、間もなく滅亡というテーマが多いです。さらに良く出るテーマは専制君主と監視社会イーオン・フラックスもそういう作品の1つ。「またか・・・」です。しかしバウハウスのスタイルを取り入れるなど個性を出そうという努力はしています。私はバウハウス(美術館)の近くに住んでいるということもあり、このスタイルはわりと好きです。

主人公には思わせぶりな名前がついていて、キリスト教にちなんでいたり、他の宗教にちなんでいることがあります。原作がアニメなので、そちらの主人公を創造する時についた名前でしょう。ギリシャ語にまでさかのぼることもあります。イーオンというのもギリシャ語なのだそうで、永遠とか世紀など時間に関係するいくつかの解釈があります。別な人たちは真の神という使い方もします。含みを持たせるのが好きなようで、妹の名前はウナ、トレバーたちの苗字はグッドチャイルドなのだそうです。まあ、色々考えるのもいいですが、あまり凝り過ぎても、欧州圏外の人に真意が伝わるかどうかは保証の限りではありません。

近未来と言っても間もなく手の届くような近さ。2011年にビールスで人類の98%とか99%という途方もない数の人が死んでしまいます。この手の話は例えば28日後・・・を先に見ておくと、「ああいう風な時期を乗り越えて最後に残った1%か2%の人々だ」と、分かり易くなります。

こんな所に突っ込みを入れては行けないんだろうけれど、人類の98%が死んでしまうとすると、一体誰が死体処理とかその後のインフラ確保、食料調達などをやったんだろうと思ってしまいます。こういうところにポカーっと穴が空いているストーリーも時々あります。そういう観点から見ると28日後・・・は非常に現実的でした。

2010年になってつい突っ込みを入れたくなってしまいます。物語の事件にあと1年に迫ったものの人類は滅亡しそうにありませんが、偶蹄類の動物なら98%滅亡しかねないという病気が流行っています。そのまんま放っておくと大変だというので九州の知事がろくに眠らずに対策に追われていますが、どういうわけか全国を管轄としている人たちがゆっくり動くために、その県の偶蹄類はイーオン・フラックス28週後・・・状態です。

子供の時に羊など動物に親しんだことがあり、ドイツの田舎にはそこいら中に羊、牛、豚がいて、ベルリンの町には猪も出るというお国柄。なのでドイツに似たような病気が発生してかなりの数の動物が殺処分された時も心が痛みました。今度は私も渡欧前に遊びに行った事のある地域で大量に処分が決まり、農家の涙が伝わって来ます。私もニュースを見ながらちょっと泣いてしまいました。飼っている動物に名前までつけて家族のように育てている人に取ってはつらいです。

2010年5月

イーオン・フラックスの現在というのは2415年ということになっています。ですからほとんどの人が朽ち果てたとしても、随分前の話。2011年の困難を乗り越えて生き残ったのは500万人。このぐらいの人がいれば、取り敢えず工業都市も作れるのかも知れません。救世主はグッドチャイルド。彼が開発したワクチンが僅かに残った人の命を救ったのです。それでもまだ生存している人を探し、ワクチンを与え、安全圏というのを作り、そこへ連れて行くのは大変だったろうと思います。あるいはそんな危険な事をして生存者を探し歩かず、ワクチンの発明者の周囲にいた人だけを助けてしまったのでしょうか。それから400年あまり・・・。

生存者はブレーニアという都市を作り、完全に政府からコントロールされた安全な世界で生きています。国を支配しているのはグッドチャイルドの末裔。グッドチャイルド系の人たちと、学者で専制的な人たちが国政を牛耳っています。これに反対して反政府活動をする人たちがいて、モニカンと名乗っています。リーダーはハンドラーと呼ばれる女性。・・・とまあ最近ご紹介したトゥモロー・ワールドともいくらかかぶります。

なぜか分かりませんが西洋の映画には何かに反対して抵抗運動、時には破壊活動をするという図式が良く出ます。日本では理由の如何に関わらず殺傷事件が起きると、立派な抵抗運動であっても賛同者を見つけるチャンスは激減してしまいます。メンタリティーが違うということなのでしょうか。

現在の国家元首はトレバー・グッドチャイルド。絶対的な権限を持っている人ということなのですが、彼も、彼の兄弟も、同じような権限を持っている他の人たちもなぜかあまり威厳が感じられません。演出の失敗でしょうか。ひんやりとしたモダンなデザインの簡素な部屋、簡素な家具などで工夫は見られるのですが、こういうシーンにはスターウォーズとは言わないまでも、ある種の重みが必要ではないか・・・などと思ってしまいました。逆にこういうスタイルにしたというところが斬新なのかも知れませんけれどね。

イーオンには幸せな生活をしている妹ウナがいたのですが、反政府活動をしたということで殺されてしまいます。ウナはそんな活動はしていなかったので、イーオンはカチン。 反政府組織に加わり、リーダーの指令に従い、トレバー暗殺に向かいます。この反政府組織はトゥモロー・ワールドのような収拾のつかない人たちでなく、しっかりとした組織を持ち、メンバーは体が鍛えられていて、ちょっとの困難ではめげません。暗殺用の訓練を受けていて、言わば未来社会のヒットマン。主演のセロンは軽業を見せてくれます。彼女の同僚は人体改造をして、足にも手をつけたということになっています。四足ならぬ、四つ手です。ところがいざ殺すという段になって、イーオンはトレバーが自分に近い人に思えてしまい、暗殺に失敗します。トレバーの方にはイーオンに見覚えがあり、2人は以前は敵対関係ではなかったのかも知れない・・・ってなことになって来ます。

ブレーニアはビールスから身を守るという理由で外界から閉ざされた世界。周囲に壁を巡らし、中に住んでいる人は始終監視されています。その上、昨日までいた人が突然消えるということがありますが、誰に聞いても答は帰って来ません。というか、そんな事を聞いたら自分が危ない・・・。

こういった状況にかぶる国が現実にいくつかありましたが、主演のセロンの出身が南アフリカというのも意味深です。彼女は1人ハリウッドでがんばっていた時、故郷に応援してくれる人がいてうれしいと大統領に感謝していましたが、大統領には近い人のようです。南アフリカがある意味で長い間外界から遮断されていたのでこういうストーリーの作品を選んだのかも知れません。

自分の国の国民を徹底監視しなければならない国というのは不幸です。多分これは自分と違う意見を持つ人と一緒にやって行けない無能さを示しているのでしょう。人の生活を四六時中監視するという作業は、その監視を受け持つ人員が必要で人件費もかかり、非常に無駄な作業でもあります。オープンな社会を作り、不満を率直に語れるような環境を作った方が早いし、長続きすると思うのですが、現在は各国がこういう監視体制を好んでいる様子です。いくらカメラやマイクでその人を監視しても真意というのはつかみ難いもの。暫く一緒に話をしたり一緒に何かをやった方がずっとすんなり分かります。しかし現代ではそういう人間関係の原点からやり直そうという提案をする人は少ないようですね。

私にはこの問題の原点に崩壊した家族関係、そしてそのため他人を信用する能力が育たず、友人関係を築けない人たちがあるように思えます。意外と簡単な所に問題の原点、そしてその解決法が潜んでいるように思えるのです。どこにも絆を作れないまま社会に出て就職し、出世して、果ては国を動かすような高い地位についても、根強い人間に対する不信感が残ってしまう。すると監視しなければという発想になるのではと感じる時があります。そのおかげで色々なSF小説や映画が創れ、出版社や映画会社は儲かるわけですが。

ごく僅かながら、国の父と呼ばれる人が国民を信頼し、教育に力を入れ、信頼関係を維持している国があります。社会の中で人が孤立しておらず、国民はそれなりに幸福感を持って暮らしているそうです。アフリカに1つ、アジアに1つ。監視は警察とか国家権力で行われるのではなく、家族や近所の人が気配りをするという形で行われています。5人組のような形の密告制度ではなく、長屋風な関係だったり、学校の先生が生徒に不公平が起きないように気を配ったりです。こういう事は1千万都市などでは難しく、比較的小さな国、そして農村などにまだ多くの人が住んでいる国の方が実現し易いです。 イーオン・フラックスはそういった信頼関係が長い間忘れられ、監視、拉致、沈黙、恐れの悪循環が安全を守るはずの壁の内側で起きているという設定になっています。ああ、しんど。

撮影の舞台に選ばれたベルリンも長い間本当の壁に囲まれていましたが、イーオン・フラックスとは状況が逆です。壁を作ったのは東ドイツですが、自分たちを外界から遮断するためではありませんでした。実際東ドイツは東側の国とは盛んに交流しています。東の人が壁を作ったのは、経済の格差が大きくなり過ぎて、自国の労働者がお金のある方に流れてしまうのを止めるためでした。で、囲われてしまったのはベルリンの西側に住んでいた人たち。私も9年ほど壁の内側で(!?)過ごしました。自分たちの方から孤立を選んでいる国は現在は欧州でない所にあるようです。壁を作るところまでエスカレートしていませんが、イーオン・フラックスに象徴的に出て来るような話が現実にもあるようです。

また、心の内側に作る壁もあります。外は危ない、混沌としている、自分たちは一緒に寄り合って、身を守らなければ行けないという意識です。ビールスがはびこっているという風にしてしまえば敢えて外へ出ようとする人は出ないはず。この内なる壁を打破するためにラストに象徴的な壁打破のシーンを持って来たのでしょう。

さて、トレバーとイーオンが出会ってから話は全然違う方向に進み始めます。2人はできちゃったのです。などと下品な言葉を使っては行けませんが、突然そういう事になってしまうのです。その裏には因縁話があって・・・。いずれにしろこれで敵と味方の定義が変わってしまいます。兄弟の仲も怪しくなり、人類滅亡を防ぐためにあるクローン工場破壊の話も怪しくなって来ます。

結局イーオンとトレバーは仕切り直しで、自分たちが何をやっているのかを考え直さなければ行けなくなってしまいます。その上そんなことになったため、これまで仲間だったはずの人からは追いかけられる・・・。

最後はめでたしになるのですが、このいかにもというスタイルのSFのストーリーの方が、しっかり気合を入れて作ったはずのトゥモロー・ワールドより見終わってすっきりしました。《たかが漫画》の方が、《立派な小説》より話が分かり易く、はっきりしたエンディングにしてあったので、《現実はそう上手くは行かない方が普通》と分かっていても、腹が立ちませんでした。以前ハリウッドはハッピーエンドばかりやると愚痴っていたのですが、最近はお先真っ暗エンディングが多過ぎて、ちょっとげんなり。適当に混ぜてくれませんかねえ。

私が引いてしまうのは周囲を全部敵だということにして自分たちがまとまるという姿勢。宗教にもありますし、国の政策にも時々そういうのを見かけます。せっかくよそとの交流が上手く行きそうだという時に、バーンと何かが起き、結局それまでの苦労が水の泡という話が現実には時々あります。中には暗殺という手段まで使われることがあります。以前はそういう話は映画だけでしたが、ここ10年ほどの間に現実が映画に追いつき、追い越しかねないことになっています。

自分たちがまとまるというのは反対ではありません。伝統文化を一定の人たちの間で守ることでアイデンティティーを持てる環境を作るのでしたら、それには賛成。しかしそのために周囲を敵視しなくてもやって行けるのではないかと思うのです。そんなのんきな事を言っている場合ではないか。でも、うちではケーキはトルテと呼んで、こういう風にして作る、あなたの所はパイを作るのか、ってな具合に、自分たちのやり方をキープしながら他の人と仲良くできないものでしょうかね。

ふとそんな事を考えさせてくれる作品でした。

この後どこへいきますか?     次の記事へ     前の記事へ     目次     映画のリスト     映画以外の話題     暴走機関車映画の表紙     暴走機関車のホームページ