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クライング・フリーマン /
Crying Freeman /
Crying Freeman - Der Sohn des Drachen /
Crying Freeman: los paraísos perdidos /
Los paraísos perdidos /
O Dragão /
O Combate - Lágrimas do Guerreiro

Christophe Gans

Kanada/F/J/USA 1995 102 Min. 劇映画

出演者

Mark Dacascos
(火野村窯/クライング・フリーマン - 陶芸家/ヒットマン)

Byron Mann
(黄徳源 - フリーマンの目付け兼アシスタント)

Julie Condra
(Emu O'Hara - 画家、判事の娘)

Tchéky Karyo
(新田 - 刑事、やくざと近過ぎる関係)

Rae Dawn Chong
(Forge - 刑事)

マコ岩松
(島崎秋堂 - 警察と協力体制に入るやくざ白真会の親分)

加藤雅也
(花田竜二 - 白真会の下部やくざの親分)

島田陽子
(花田君江 - 花田竜二の妻)

見た時期:2012年7月

1996年ファンタ参加作品

要注意: ネタばれあり!

見る予定の人は退散して下さい。目次へ。映画のリストへ。

★ 元ネタ、監督

もともとのネタは漫画で文章を書いた小池一夫と絵を描いた池上遼一の手によります。その次はアニメで、シリーズ化されたようです。ドイツにはこのアニメを知っている人、見た人もいます。次は香港の映画化でなぜか同じ年に2本作られました。そして3度目の試みがこの実写版クライング・フリーマンです。私の漫画、アニメ知識は非常に限られているので違う意見も多々あると思いますが、どことなく殺し屋 1 と共通する面を感じました。大きく違うのは 1 の人生の背景が殺し屋 1 では観客の想像に任されていたのに対し、クライング・フリーマンの人生の背景は作品中に具体的に描写される点です。私はあくまでも自分が見た映画だけを元に話しているので、漫画を全部読んだ人やアニメを見た人が知っている背景を私だけが知らないということは十分考えられます。そういう前提で両者を比べると、2人とも(1 、火野村窯)本来は善人。そして不幸な出来事を経てか、何かしらの複雑な事情を経て日本一の殺し屋に育ってしまうところが共通しています。元々が善人なので人を殺す時自分の心に大きな葛藤が起きます。そして両者とも背後にやくざや逃げがたい組織がついているため、フリーマンと呼ばれても不自由人の立場にいます。

という点に注目すると、日本発の話に限らず外国の映画にもちらほら似たような作品があります。そういう作品を1本だけたまに見るとそういうものかと納得しますが、何本か見てしまうと妙な気がします。「人殺しを生業としている人に同情しろと言うのかね、君」という気持ちになってしまうのです。そりゃ、こんなハードな職業に就いている人にはそれなりの事情があってもおかしくありません。まして、子供の時にどこかからさらわれて来た設定になっていれば、つい「子供には罪は無い」などと言いたくなってしまいます。しかし「ちょっと待てよ」です。そういう人間に需要がある世界はやはりどこかおかしいです。

監督はクライング・フリーマンが長編デビューですので、当時はその先がどういう風になるか観客にも本人にも予想がつかなかったと思われます。6年後に続いたジェヴォーダンの獣、その5年後に続いたサイレントヒルはいずれもファンタに参加しています。また、長編デビューの前のオムニバス ネクロノミカン(現在リンク切れ中、間もなく正常化します)の最初のエピソードザ・ドラウンドもいかにもファンタという作品。1993年制作で、1994年(現在リンク切れ中、間もなく正常化します)と2001年のファンタに参加しています。ということなので、現在企画中の豪華キャストの La belle & la bête も来るのではないかと思います。

★ ダカスコス

私がクライング・フリーマンに注目したのは主演のマーク・ダカスコスがハンブルクに住んでいた人で、ジェヴォーダンの獣で準主演を取り、見事なアクションを見せたからです。生まれはハワイですが、各国に親戚を持つ人で、知られているだけでも日本、中国、アイルランド、スペイン、フィリピンといった国と血縁関係があります。ハンブルクに長く住んでいましたが、ドイツの生活はあまり快適ではなかったようです。

両親が格闘技の専門家だったのでアクション・スターにならずとも何かしらの形でスポーツを志すのは必然だったと言えるでしょう。父親と一緒にハンブルクでも格闘技の学校をやっていて、黒帯を取っています。欧州選手権にも参加し、優勝。様々な血縁関係の中、ドイツ語が話せ、英語でも仕事ができる事は分かっています。フランス映画にも出ていますが、台詞のほとんど無い作品だったので、フランス語ができるかは分かりません。中国語は大学時代に勉強。日本語はきちんと台詞をこなせているとのこと。発音のトレーナーがついたかも知れませんが、母方が日本人なので、家族に教えてもらっていたのかも知れません。

映画界に入るきっかけは運。演技を学校で一応勉強していますが、それだけでスターになれる世界ではありません。ある日誰かにスカウトされ、短時間でテレビの主演を取っています。劇映画では3本長編を作ったガンス監督の作品のうち2本で主演、準主演を貰っています。クライング・フリーマンで彼が偶然守ることになる女性は私生活でも奥方。クライング・フリーマンが知り合うきっかけだったそうです。

★ 良い所とダメな所

ファンタに参加している人が1度は見ないと行けない作品の1つに数えられています。ようやく見る機会ができました。

どういう評価をしたらいいのか迷っているところです。良い面と首をかしげる面が同居していて、主演のダカスコスが大成しなかった理由が分かるような気もします。ジェット・リーにおいしい所を持って行かれたと言うか、出るのが少し早過ぎたというか、ベストのタイミングを逃した作品と言えるかも知れません。一部のマニアには漫画はまじめに重要視されていましたが、そういう人たちを除くと日本の漫画が切望される時代がまだ来ておらず、これからという頃です。ブームの基礎がこれからできて行くという頃の作品の1つで、クライング・フリーマンの頃にはまだ一般にはたかが漫画という風潮があったように思います。最近は日本のみならずハリウッドでもいいネタを思いつかない時は漫画界を覗いて見るのが当たり前になっていますが、その先駆けだったと言えるでしょう。ただ、フランスは日本といい勝負の漫画王国。自国の漫画文化もかなり発展していますが、日本の事情も結構良く知られており、監督には漫画アレルギーが無いのかも知れません。

元のネタが漫画なので荒唐無稽なシーンやプロットが出て来るのは当然と言えましょう。漫画だからしょうがないと目をつぶるのではなく、そういう所を楽しむことができます。雰囲気的にはマトリックスすらここからヒントを得たのかなと思えるシーンもあります。監督が全体に寒そうなトーンを出そうとしているのが伺え、主人公の悲劇的な面を上手く演出しています。今から数えると15年以上前の制作なので、アクション・シーンにダサい所が無いとは言えませんが、当時見たとしたらクールに感じただろうと思えるシーンが多いです。妙にメロドラマ風なのは作者がそう望んで書いたこと。下手をするとすばらしいアクションに対して興醒めになる危険があると思いますが、2人の主人公はオーバーアクションにならず、感情を抑えたような表情。やり過ぎの手前で止めています。

アクションは漫画なので適当に派手で、主人公が空中を飛ぶようなシーンをスローモーションにしています。武器は CSI:マイアミのキャリー・デュケインが大喜びしそうなぐらい色々出て来ます。マトリックスヒートクライング・フリーマンを掛け合わせてさらに二乗したと聞いても驚きません。

ずっこけるのはその先。日本の文化としてへんてこりんな物が時々出て来ます。時代考証と同じようにお国柄考証にももう少し気を配ってくれたらと思います。そして引いてしまうのは北海道の田舎に引っ込んでいる主人公の家の周囲に変な像や仏像があること。これを典型的な日本家屋と思われてしまっては困るなあと思いながら見ていたら、ショーダウンが近い時に何と仏様が見ている目の前でやくざが殺戮を始めるのです。こんなの「あり〜???」

先日も全体としておもしろくまとめてあるけれど宗教の像をおちょくっているロシアの作品をご紹介しましたが、自分がその宗教を多少知っている時ちょっとためらいを感じます。まして仏様と言えば人殺しは好まないわけで、穏やかな顔をしてじっと見ている仏様の前で殺戮というのはちょっとそぐわない感じがします。その辺をけろっとスルーしているのですが、それが原作によるものなのか、ガンス監督の独断なのかは確かめられませんでした。

そういう目で見ると主人公がやくざに囚われ、拷問や刺青を受けるシーンでもシバか阿修羅に似た像が出て来て、そこに主人公が全裸で縛られているので、自分が同じ宗教で無い人でも「そんなのあり〜???」と思ってしまいます。例えばキリストやマリアの像に主人公が全裸で括り付けられ、拷問を受けるシーンなんか欧米で撮れるでしょうか。そんな事を始めようと考える前に「やらない」という気持ちになるのではと思います。このシーンも原作がそうなっているのか、ガンス監督の演出なのかは分かりませんが、特に宗教に深入りしていない私でも引いてしまいました。

今刺青をタトゥーと称して、やれファッションだ、いや犯罪者に近い者しかやらないものだと議論が起きていますが、欧州でも元々は刺青は荒っぽい職業の人たちの間で広がっていた事で、役人や会社員などの間ではほとんど見られない事でした。クライング・フリーマンでも、刺青を入れられてしまうことが火野村に取ってはうれしくない状況になるというスタンスで描かれています。この作品あるいは原作が作られた頃はそういう考え方が主流だったと言えます。私はドイツでも広がっているタトゥーに職業上の境界線とは違う問題点を見ています。というのは広い範囲にタトゥーを入れるとそこに重度の火傷をした人と同じような問題が起きるという話を聞いたからです。自分が皮膚のトラブルを抱えた時にちょっと調べていたら、刺青をした部分の肌も重度の火傷と同じように気をつけなければ行けないといった記事を目にしたのです。ま、全身刺青の人が裸で太陽の下で長時間何かをするという事はそう多く無いので大丈夫なのかも知れませんが。

決定的にこの作品をマイナーにしてしまったのが日本の国際派女優と言われている島田陽子。芸能界の人は時々名前が変わるので現在どの漢字を使っているのか分かりませんが、テレビ・ドラマ将軍 Shogun でハリウッドに進出した人です。渡欧して暫く私が日本人だと分かると大勢の人が「将軍 Shogun を見たか」と聞いて来ました。皆がドラマに感銘を受けていたようです。中には島田の役名も知っていて、同じ名前の日本人だと話しかけられる回数がもっと多かったと思います。概要を聞いて引いてしまった作品ですが、欧州では鎖国時代の日本を青い目の外国人が歩き回るという設定がエキゾティックに思えたらしく、出島の事などを学校で習っている日本人には「ありえねぇ〜」という話がまかり通り、とても受けていました。

その島田陽子がクライング・フリーマンを下品にしてしまい、ダカスコスがジェット・リーのようなブレークをできなかった理由ではないかとすら思えて来ました。極道の妻というのは確かに現実の世界では犯罪者の妻ですが、映画の世界にはそれなりの美学があり、スッと粋に着物を着こなし、ちょっとした事には動じないもの。当時いくらか批判的に見ていたルーシー・リウが演じたやくざの方がまだ日本の極道の世界を表現しようとの努力が感じられました。リウの様子は細かい所にはクレームをつけられますが、彼女はやくざがどういうものかということと、やくざの世界の女という立場については一通り頭に入れて演じていたように見えました。彼女が優れていたのか、彼女の役作りに資料や情報を提供したスタッフが良かったのかは分かりませんが、凛とした姿は彼女の方が一段上でした。

刑事をハニー・トラップにかけるのが島田の役割。台詞は良くできていて、はめられた刑事が「どうせ親分の女を強姦したという濡れ衣を着せられるのなら、しっかり楽しませてもらおう」と居直るシーンがチェッキー・カリヨが他で演じている悪役と上手く合います。

こういうあばずれ役は清純派女優に取っては大変な挑戦なのかも知れませんが、例えばモニカ・ベルッチなどは顔色一つ変えずしれっと演じて見せ、他の作品では罠にかけたりかけられた加害者や被害者暴漢に襲われる被害者など、下手人の役と被害者の役を上手に使い分けています。どの役でも女優自身の品位は落とさず、あくまでも役を演じている事はしっかり観客に伝えています。国際的な大女優と言われる人はそこの使い分けがしっかりしています。私生活もこんな調子だろうと観客に思われてしまってはイメージ作戦の失敗です。島田はその辺の分け方が下手で、クライング・フリーマンに出て来たままの人ではないかと思われかねない危なっかしい演技力です。私はお嬢さん役的な面しか見たことがなかったので、彼女の演技力の巾は知りません。なので、クライング・フリーマンも役柄をしっかり見極めて演じたのかも知れませんが、立ち居振る舞いや顔の表情からはそういう風には見えませんでした。かかるが故に映画の品位が落ちてしまい、作品全体では損をしたのではないかと思います。チェッキー・カリヨも共演者としてやや損をしたのではないかと余計な心配までしてしまいました。

映画なので下品の極みのような役もあれば、鬼婆のようなどう見ても好感を持てない役もあるでしょう。中には私生活をちらつかせながら観客動員力をあてにする作戦もあるのでしょうが、クライング・フリーマンの島田の役は誰か他の人に当てた方が良かったのではないかと思いました。それでも良い所はあるもので、彼女の胸がシリコン製ではないらしいところは褒めましょう。整形天国のハリウッドですが、私は自然100%を支持します。

★ あらすじ

漫画は結構長く、アニメも多くの部分をカバーしているようですが、実写のクライング・フリーマンはそのさわりの部分のエピソードのようで、ショーダウンを見る限り続編が作れるかも知れないと思わせます。

冒頭はやくざとやくざを殺しに来るヒットマンの対決。人気のない場所だったのですが、たまたま女流画家が絵を描いていて、彼女の目の前でやくざが殺されてしまい、彼女は生き証人になってしまいます。警察から尋問を受けやくざからも狙われる身になってしまいます。特にそこでやくざを殺していたヒットマンからは1番狙われる立場。

ところがそのヒットマンは何を思ったか彼女を殺さず、再会して恋人関係になってしまいます。画家は殺した直後にヒットマンの目に涙が浮かぶのを見ていました。それがタイトルになっています。

話はやくざ同士の抗争に発展し、警察も絡んで来ます。大きなやくざ組織に二世ボスを作らないという規則があり、我が子を作り、その子に組織を譲り渡す事はご法度となっていました。ところが規則を破った男がいたため、ヒットマンに殺されてしまったのです。父親で大ボスが警察と協力関係に入り、情報提供をしながら相手の組織をつぶそうと目論むのですが、協力が始まったとたんに暗殺されてしまいます。女流画家が事件の1つを目撃している事は警察にもやくざにも分かっているため彼女は危険な立場になります。本来彼女を殺す立場の火野村は彼女を守る側に立ってしまい、組織の中で揉め事になります。

という具合に殺し殺されという話が進み、火野村と画家は危ない橋を渡りながら自分たちが死んだことにして、警察とやくざの視界から消えることを画策。ということで最後続編を作る可能性を残しながらショーダウン。

★ 火野村窯の秘密

火野村窯は元々は成功しつつあった若手陶芸家。ところが展覧会に来ていた客の1人がヒットマンに狙われ会場で殺されてしまいます。被害者が死の直前持っていたフィルムを作品の1つに隠すのを目撃し、火野村は男の死後そのフィルムを現像してみます。するとそこにはひどい拷問のシーンが写っていました。それがきっかけでやくざから狙われる身になる火野村。誘拐されて麻薬をかがされ、針で拷問を受けながらやくざに従うように調教されてしまいます。その結果生まれたのが腕利きのヒットマン。それからの人生はやくざから命令されるままに世界中で人を殺して回るヒットマン。

しかし元々物静かな陶芸家だった火野村には内なる葛藤が起き、人を殺すたびに涙を流すようになります。それまでお目付け役兼アシスタントをつけられ、人殺しばかりやっていた火野村ですが、女流画家との出会いが転機になり、呪縛から抜け出そうとします。画家と陶芸家、芸術で相通じるものがあったのでしょうか。足抜けが成功して終わるのがこの実写3作目、他の2作とはシリーズになっていないクライング・フリーマン

★ 続編はできるか

私の現在の予想ではノーです。監督は毎回全く違う作品を撮っています。次回作はヴァンサン・カッセルとジェラール・デパルデュー 主演の美女と野獣のような話。野獣がカッセルで、デパルデューは野獣の舅。私はコクトーの作品を見ていますが、現在ヘルボーイの監督デル・トロも同じ企画を進行中。キャストを見る限りデル・トロが子供版、ガンスが大人版なのではないかと思います。

ということなので当分ガンス監督はクライング・フリーマンの続編を作る暇が無いと思います。

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