ここの背景画像はまりまりさんの「いろいろ素材」からお借りしました。
マリア・アントニアの私室 |
マリア・アントニアの欠点は、未熟、軽率、散漫、目先の快楽ばかり求め、先のことを考えることができない、面倒臭がり、集中力がない、等であり、長所は、善良で親切、明朗快活、純真、優雅等でした。
フランス宮廷は知性のある王太子妃を望んでいるのではなく、上品で明るい王太子妃を望んでいたので、マリア・アントニアはとりあえず、その希望にかなってました。しかしながら、マリア・テレジアはこれで娘の将来は安泰だ、等と幻想を抱くことはできません。母はこのおてんば娘を少しでも立派な娘にしようと、お輿入れの前の2ヶ月間、娘を自分の寝室に寝かせ、フランス王妃になるとはどういうことかを事細かに諭しました。
それだけではまだ不安なのか、マリアツェルという所に巡礼に連れていき、神の力にも頼りました。
それでも心配でたまりません。悪い予感がするのです。妻として王太子妃として異国の地で過ごす際の心得書をこまごまと書いて、毎月必ずそれを読み返すようにと誓わせました。
世界中がマリア・アントニアの幸運を祝っているときに、老いた母のみがまだ微かにも現れていない暗雲を予感し、娘の行く末を心底心配していたのです。
ベルヴェデーレ宮殿 |
1770年4月の朝、ヴェルサイユに旅立つ数日前のことです。ハプスブルク家の伝統に則って、大公女は女帝、皇帝、大臣全員の前に姿を現し、母方父方の継承権を厳かに放棄しました。
その晩、首都ウィーンのベルヴェデーレ宮殿で大規模な祝宴が行われました。
この祝宴に出されたお料理の一覧が当時のフランクフルト新聞に掲載されました。
料理は全部で31種類、ケーキは112種類、温かい飲み物が8種類、冷たい飲み物が19種類、ワインが12種類(さらに詳しく知りたい方はこちら→)。
ヨーゼフ皇帝主宰のこの祝宴には4000人の客が招かれ、宮殿に入りきれなかったため、ガーデン・パーティになりました。
14歳の マリア・アントニア |
この他にもいくつかの祝宴と代理結婚式を挙げて、マリア・アントニアはいよいよ旅立ちました。
娘のことが心配でならないマリア・テレジアは、マリア・アントニアに命じてルイ15世に手紙を書かせます。その後で、自分もこのように書き添えました。
何かあってもまだ14歳の娘なのだから大目に見てあげてください。でも、この子は善良な心根を持っています。偉大な両国の幸せな結びつきの印として、どうか、お願いします。
H15.11.30.UP
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