4年生(10期生) |
其の弐
高橋 祐介 今年も昨年に続き、この題名。これと言って書くべき内容も見あたらないので、思考の垂れ流し状態になる(であろう)本文章、本当に「どうでもよいこと」になりそうである。なお、実は元ネタの『フルーツバスケット』(高屋奈月)では既にこの小題は使ってないのだが、あまり気にしないこととする(自己完結)。 私は本を読むことが、とても好きである。小説然り、また漫画も然りである。ということで、今回は私の好きな漫画についていくつか書きたいと思う。但し、類型の分け方、内容説明等は、あくまで私個人の主観的なものであるので、その点はご容赦いただきたい。 ○現代問題直視型 沈黙の艦隊(全32巻)/かわぐちかいじ 原潜、核兵器、国家、戦争、真の平和。人類最大のテーマを描いた漫画。日米共謀により極秘裏に建造された、日本初の原子力潜水艦「シーバット」。その艦長海江田四郎は、試験航海中に反乱逃亡。独立国「やまと」を宣言する。軍事漫画として戦闘シーンなどのミリタリー的面白さがありつつも、(平和)思想を深く考えさせられるほど現代の問題を直視している。かく言う私もこの本で出てくる「世界一国家」の思想にかなり影響を受けた一人である。バイブル的存在(笑)。 ジパング(1〜16巻)/かわぐちかいじ 演習に向かう途中だった自衛隊所属のイージス護衛艦「みらい」が太平洋戦争の真っ只中に放り込まれ、歴史に関わっていく様を描いた漫画。今の自分たちを守ろうとする「みらい」副長(艦長代理)角松洋介二等海佐と「未来」を知り、その「未来」を憂う帝国海軍草加拓海少佐。自衛隊の存在意義をも問う。単なる漫画ではなく、現代における問題に注目した漫画でもある。現在「週刊モーニング」に連載中。最近アニメ化され、テレビでも放送中。 ○少女漫画 フルーツバスケット(1〜15巻)/高屋奈月 「お茶の間ほのぼの系コミカル学園ラブラブちょっと不思議物語」漫画。主人公本田透が同居することになった同級生の男子草摩由希とその一族には重大な秘密が…。「花とゆめコミックス」にて連載中。 めだかの学校(1〜5巻)/森ゆきえ 4コマ漫画。ギャグ。私立田中中学校での学園生活を描く。校長(担任)の顔が魚、という斬新な(奇抜な)キャラクターにより、この漫画の「ドタバタ」具合が一層増している。「りぼん」にて連載。 ○娯楽系漫画 魁!クロマティ高校(1〜11巻)/野中英二 シュール系ギャグ漫画。主人公(??)神山が通い始めた高校、クロマティ高校での生活を描く。モヒカンや御曹司、覆面犯罪者、ゴリラ、ロボットなど、個性の強い(?)各種キャラクターが登場。実は主人公が一番地味?「週刊少年マガジン」で連載中。 サボテンキャンパス(全 11巻)/みずしなしんじ4コマ漫画。千葉の幕張地区のとある大学に通う学生柏明日香とその友達たちの学生生活を面白おかしく描いた漫画。登場人物が基本的に千葉県内の地名をもとにした名前であり、その生活も千葉からなかなか出られない不条理さをコミカルに描いている。 あずまんが大王(全 4巻)/あずまきよひこ4コマ漫画。女子高生5人全員がメインキャラ。日常の学園生活を送る女子高生達の不思議な世界観を描く。ほのぼの系の笑いが出てくる。 ケロロ軍曹( 1〜9巻)/吉崎観音さりげない時事ネタ、ガンダムネタ、その他各種ネタが織り込まれた漫画。地球侵略を企むカエル型宇宙人・ケロロ軍曹とその仲間達の地球での日常を描く。「月刊少年エース」で連載中。 スペースアルプス伝説(全1巻)/田丸浩史 「学園スラップスティックラブコメデスメタル空手登山」漫画。掲載雑誌が廃刊になり、その後続編を付け加えて発売された「アルプス伝説」の完全版。とにかく面白い。死ぬほど笑える。言葉回しが実に妙を得ている。まさに名作(笑)。既に絶版(多分)の漫画なので、読みたい方は高橋まで。お貸しします。 本当はもっと書きたいものもあるのだが、紙面に限りがあるのでこれくらいでやめておく。 最後に。漫画は最高です! 以上
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田中 美佳 とにかくまんがが好き。まんがを読むのが好き。まんがだったら、とりあえず読んでみる。かなり小さい頃からまんがは好きだったが、むしろ、最近の方がよく読んでいるような気がする。 最近気に入っているのは、「MONSTER」と「百鬼夜行抄」。どちらも、そんなに新しいまんがではないけれど、絵も整っているし、セリフ回しもグッと来る。「MONSTER」は、すでに完結しているが、「百鬼夜行抄」はまだまだ続いているので楽しみである。新しいまんがでは、まだ一巻しか出ていないが、「PLUTO」が気になっている。原作は、手塚治虫の「鉄腕アトム・史上最大のロボット」だが、全然違う感じで、二巻が出るのが待ち遠しい。 私は、食べ物の好き嫌いが激しく、食べ物にはあんまり関心がないので、その分の関心とお金は全部まんがに行っているといっても過言ではない。ゼミの中には知っている人もいるが、ほとんどの魚介類と、ほとんどの野菜と、鶏肉と兎が食べられない。ついでに、コーヒーとチョコレートも嫌い。そして、その分を勉強に向けるでもなく、まんがに向けているわけである。 そろそろまんがも卒業しなくちゃ、と思いつつ、少しも卒業できそうにない。これを書いている時も、まんがが読みたくてしょうがない。ある意味まんが中毒に陥りつつある。 それから、犬が好き。犬に目がない。犬に目がないという表現は間違っているかもしれないが、犬を見ると無条件に反応してしまう。犬がふさふさ歩いているだけで、どこまでも目で追ってしまう。小型犬もかわいいけれど、中型犬より大きい犬を見ると、きゅんとくる。 うちでは、中型犬を一匹飼っている。ばかでどうしようもない。でも、犬というだけで可愛くてしょうがない。ばかでばかで、かわいい。かわいくてかわいくて、ばかである。彼(犬)は、最近スズメに向かって吠えるのにはまっている。
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永井 裕 今まで、甲斐ゼミは独特の論文指導を行ってきた。しかし、それをそのまま維持することには疑問を覚える。 まず、本ゼミではゼミ生が問題を作成する。これは、実際に国家試験を受験する学生であればこそ自分の弱点から試験に出る問題を予想しうるという理由による。それには私も一理あると思う。 しかし、実践して1年分の問題を確保することは困難を極める。今までも、作成作業は必ずしも順調に進んできたわけではない。そもそも法曹関係者が司法試験用問題を作成するのにどれだけの推敲を行っているだろうか。昨年の各ロースクールの入学試験問題でさえ、ゼミの基準では質を満たさないもの数多い。各ロースクールには一流の先生方がいるはずである。その先生方が推敲しても作成できない良質の問題を、どうして我々ゼミ生が容易に作成できようか。 ただ、問題作成作業が実力向上に繋がって来たことも否定できない。ゼミの経過をたどると、前期では皆が懸命に問題を作成しようと努力し、後期になると力尽きている。そして、前期では実力向上に大いに貢献しているが、後期では負担にしかなっていない。 私が思うに、万が一に備え予め問題を用意しておくべきではないだろうか。国家試験の過去問でもよいし、ゼミの過去問でもよい。その上で現ゼミ生の問題作成が間に合えば差し替えればよい。 次に、本ゼミでは論文において端から詰める形式を義務付けている。これは、本番で書きすぎにより行数の足らなくなる万一に備えるためという理由による。確かに私も一理あると思う。 しかし、その書き方には読みにくさという最大の欠点がある。そのため、若い指導者の多くはその書き方を好まない。本番の試験においても裁量点がある。万一の行数不足のために常に裁量点のマイナスを甘んじなければならないとするのは、あまりに融通に欠ける。 ただ、意味のない改行が大きな危険性を秘めていることも否定できない。多く書いたと誤信する可能性も大きい。文章を圧縮することに対して注意が払えなくもなりうる。 だが、それらは程度の問題ともいえる。意味のない改行に注意を払いつつ、文章を圧縮することに常に注意することに気をつければ、答案構成の際に分量と調整の上選択を認めてもよいのではないか。 次に、本ゼミでは論文において一行問題への転換を義務付けている。これは、本番における出題者の意図に的確に答え、満点を獲得するという目的による。それは私ももっともだと思う。 しかし、ゼミ生のレベルで、確実に満点答案が書けるだろうか。予め予想できたとしても、用意することさえ困難を極めるはずである。さらに、満点答案の技術のみを磨くことは、諸刃の剣である。皆が書くことであれば、たとえ完全な正解でなくとも加点事由にはなる。にもかかわらず満点答案のみにこだわれば、正解を外せば加点さえももらえない。 ただし、満点答案の訓練は無駄ではない。世間に出回っている加点答案には意味がなかったり改行が多かったりして、圧縮の余地のあるものも多い。満点答案の存在を知っていることにより、裁量で減点にならない程度に圧縮し、付記する余地も出てくる。 私が思うに、ゼミ生は満点答案と加点答案の双方を書けるように努力し、確実に満点が取れると確信した時のみ満点答案を書き、そうでなければ加点答案で逃げることも手段の一つだと思う。より良い手段は、加点答案を圧縮した上で、満点答案に近くなるよう付記することである。このような手段選択の機会をも、ゼミで指導すべきではないか。 以上、大学入学時から今までかけてたどり着いた私なりの結論によって、ゼミの論文指導のあり方について提言させて頂く。もちろん私としてもこれが終着点とは思っていない。さらに詳細を詰め、誤りがあれば修正するつもりなので、助言して頂ければ有り難い。
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松下 和也 言語は人々のコミュニケーションを担い、個人の自我の意識を支える大きな役割を担っている。近代国家においては、言語は人々の生活や意識の基盤として重要な役割を果たしてきた。一方で、人類はその歴史の中で,古くから言語の違いを超えて貿易や交流を行い,外交や通商,文化などのさまざまな分野で関係を築いてきた。 近年、国際社会は国境を超越したひとつの社会としての性格を強めている。地球環境や国際平和、難民救出など、人類共通の課題に対し、各国が連携して解決に当たることの重要性が高まっており、経済でも国家間による相互依存の親密な関係と国際競争の激化が共に進行するなど、様々な問題と取り組みが世界全体で進行している。また、地方や民間団体、NGO、さらには個人が国際関係の主体として活動する状況も生じている。交通輸送手段や情報通信ネットワークの急進的な発達に伴い、人間・物資・情報の国境を越えた往来も飛躍的に増大している。 この構造変化の中で、言語が担う役割にも大きな変化が生じている。 英語は実質的に、世界において共通語として情報交流を担う機能を果たしている。現在,多くの国際機関で英語を公用語としており,また,インターネット上の情報も英語が高い割合を占めている。国内でも、普通に外国人と接する機会は多くなった。今や英会話または英語教育は世界のコミュニケーションにおいて必要不可欠な存在である。 しかし、なぜ英語が世界における共通語として認識されるようになったか? 言語人口の上では中国語が世界で一番多い。だが、公用語の存在を言及する上で、絶対多数原理によって公用語が認識されることはまず無い。国際語として英語が公用化として構築された原因は、英語を母用語とするイギリス、アメリカの強大なる軍事的・政治的な力によるものであろう。 イギリス、アメリカはその歴史の上で、植民地政策によってたくさんの国々を征服し、かつ、英語を公用語にするため、(この場合、植民地における支配国による公用語教育は、主に貿易や流通などの円滑、促進性を有利にするものであり、と同時に支配国自身の国権力を増大させるイメージをも含んでいたのではないか、と私は考える。)植民地に元来あった言語をすべて排除させ、英語教育を浸透させていった。 こういった植民地政策において、母国語を捨てさせられ、侵略国の言語を学ぶことを余儀なくされた事例は、他のヨーロッパ諸国や、ナチスドイツ、そして日本も第二次世界大戦中に日本語を強制的に学ばせた経緯がある。いまでも、高齢の中国人や朝鮮人で、日本語を話す人がいることが、苦い歴史の爪痕として残っている。 第二次世界大戦後、アメリカは民主主義の代表的な存在となり、冷戦終結後も他国を凌駕する圧倒的な軍事性・政治性を備え今日に至っている。その圧倒的な軍事・政治力が英語の発展を強力に促進させたと考えられる。 確かに今日のような緊密な関係が要求される国際社会の場面において、言語間の問題で行動に支障をきたすのは大変思わしくないことである。だからと言って、自国の母国語より、英語教育ばかりに力を注ぎ込むのは、いささか問題ではないか。なぜなら母国語には、その国々の国民性や社会性が大きく反映され、それが国家原動力を生み出し、結果、現在の国際関係を緊密に連携しあえる社会が形成されたと考えられるからである。つまり、地球に存在する個々の言語は,それを母語とする民族や集団の思想や文化を担うものであり,人類共通の財産でもある。様々な言語が担う価値観や思考方法などの多様性が人類の文化の総体を豊かに作り出すのであり,それらの多様性は,個々の価値観が持つものの見方や考え方の限界を補完し,一元的な思考に陥る危険性を回避する力を持つ。現在,英語が世界の共通言語とされているが,特定の一言語が人類の文化の多様性を担うことはできない。したがって,地球社会としての性格を強めている今日の世界においても,様々な言語の存在によって人類の有する多様性が生かされていくべきである。付け加えれば,世界の中に複数の言語を使える人が増えていくことは,人類が持つ多様な価値観や考え方等が,より広く理解され生かされていくことにつながると言える。母国語を話すことをしなくなる、世界において言語が一つしか存在しなくなったとき、今までのような急進的な国際社会の発展は見られなくなると考えられる。やはり、母国語を第一に認識し、「使える共通言語」としての「英語」を学習、使用することが、これからの国際社会をより発展させていく上で重要になってくるのではないか、私は思っている。 このように、言語に対する私自身の見方を述べてきたわけだが、国際社会においても、母語尊重の意識の高まりや,少数言語を保護する政策の実施など,個々の言語を大切にしようとする考えに立った動きが世界の各地で見られる。ユネスコでは多言語・多文化尊重の考えに立ち、無形文化遺産保護のための国際条約が採択された。EUでは通訳・翻訳に膨大な経費を掛けつつ11言語を公用語とする体制を維持している。また,国民の識字率の向上や自国内での公用語の普及を政策の大きな課題として努力を続けている国もある。このように,世界の言語状況は,各国・各言語などの事情に応じて多元的に展開しているが,総じて個々の言語や文化を尊重し,それらを共に生かし合える世界を作ろうとする考えや動きが高まっていると言える。 以上のような国際社会と言語の動向の中で,諸外国においては外国語教育を強化し人々が多言語を使う能力を身に付ける傾向が生じている。我が国においても国際化時代における日本人の言語能力を総合的に考える視点に立って,母国語としての日本語の教育と,外国語の教育を一層充実させていくことが望まれるだろう。
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山田 奈美子 今回は自分の住んでいる所の話でもしてみようかと思う。昨年は私なりに面白味のみを追及した話だった。今年はああこいつは政経だったと(多少でも!)思っていただける話を目指す予定である。ただ、私の感想が多くなりそうだし、いつものように独断と偏見がてんこもりであることは、あらかじめ言っておかなければならない。 私が住んでいるのは西東京市という所である。南には聞いたことがある人もいるであろう武蔵野市で、東には練馬区、北は埼玉県朝霞市である。東京では北の方ではあるが、そんなに西でもないのに西東京市なんて中途半端な名前なのは、田無市と保谷市が合併してできた市だからである。 私は保谷市の方に5歳の時に武蔵野市から引っ越してきた。さてこの保谷市、ものすごいところであった。 まず、引っ越してきてすぐに知りあいになった人から、「なぜ武蔵野市からこんな所に引っ越してきたのか?」と、冗談ではなく本気で、驚かれた。他にも、最寄り駅となった西武柳沢駅をはじめて見た私が「これはなに?」と尋ねたとか(決して、私は駅を見たことがなかった訳ではない。)、その駅のそばの踏み切りにはいまだに警備員が常駐していたりするのである。また、昔あったレンズの会社とか○○乳業の工場には逃げられているし、知名度もおそろしく低い。 こんな保谷市であるが、隣の田無市とは縁が深かったらしい。明治23年ごろから合併の話が浮かんでは消えていたとか。田無市はわりと(?)まともな市なので、なんでこんな所と合併したのかいまだによくわからない。 私は合併なんて話には全く興味がなかったので、任意の合併協議会が平成10年にできていたなんてことも知らなかった。翌年の地域振興券(こんなのありましたね。)が保谷と田無両方で使えたということで、そろそろ合併するのかなということを思ったくらいだ。 ちなみに、地域振興券をもらえるのは昭和58年1月生まれ以降の人間ということだったので、私はちゃっかり頂いた。2万円ありがとう。 平成11年には法定の合併協議会ができ(ていたらしい)、興味のない私にも興味をもたせてくれる出来事があった。それは平成12年7月30日に合併に関する住民投票が行われたことであった。名前は投票形式による住民意向調査ということだったが、満18歳以上の全市民が対象でしっかりお金をかけてやっていた。 しかしこの満18歳以上というのが問題で、具体的には昭和57年7月31日生まれ以前の市民に投票権があったので、私は投票することができなかった。高校の友達で投票できる人に不平を言ったら、地域振興券もらえたのだから文句をいうなといわれた。すいません。 とにかく投票はできなかったが、投票する内容は賛成か反対かということと、新しい市の名称はどれがいいかというものだった。 新しい市の名称はなんであんなにもおもしろくないものだろうか。新しい市の名称には5つの候補があがっていたが、それは「けやき野市」「北多摩市」「ひばり市」 となんともおぞましい、つまらないものばかりが連なり、「西東京市」が大変まともに見えた。 投票率が44.17%では市民の真意を本当に問えているのかはなはだ疑問であるが、両市ともなんとか賛成が上回り、名称も西東京市が一番で(ひばり市が第二位だった…)、そんな住民の意思を尊重していただき(?)平成13年1月21日に新市「西東京市」が誕生した。 私にとって合併してよかったこと、または困ったことと言えば、この頃は大学入試のため願書を書かなければいけなかったので、住所を保谷市と書くのか西東京市と書くのか迷ったことと、東京都西東京市と書くときについ東京都西東京都と書いてしまっていたことくらいだろうか。 だって西がついていてもついてなくても、東京といえば都じゃないですか。3年もたてばすっかりなじんでしまいましたけどね。 振り返ってみれば、15年くらいの間にいろいろなことがあった。引っ越してきた頃は家の周りは草がぼうぼうで道路は穴だらけだったが、今はそれなりにまともになってきた。互いに新しい名前にもなったことだし、互いにこれからも進化していきましょうねときれいにまとめたつもりになって話を終わりたい。 あいかわらず文章がつまらなく、最後まで読んでいただき感謝しております。
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3年生(11期生) |
伊藤 寿彦 東京で一人暮らしをはじめて、早くも3年が経とうとしています。もともと収集癖があった私の部屋は「一人暮らしの寂しさ」も相まっていろいろなものがコレクションされています。法律の本がたくさんある事は当然ながら、フリーマーケットで格安で買った「かつて、三越の重役宅にあったという大きな黒檀製のライオン」、壁一面のミニカー、果てはコインアルバムいっぱいのギザ十(昭和26年から33年まで製造されたヘリに溝が刻まれた十円玉)の全年代、など、ある人は私の部屋に来て「おもちゃ箱のようだ」と言ったほどです。 今日は、その「伊藤コレクション」の中でも、今一番、力を入れて集めている「Concorde」にまつわる品々について書きたいと思います。 「Concorde(コンコルド)」とは「協調」を意味し、イギリスとフランスが 60年代に共同で開発した超音速旅客機です。全長62.19m、全幅25.56m、重量92080kg のその航空機は、実際の定期航路に就航し、人を乗せて、音の速さの2倍で世界の空を飛んでいたのです。 そして、その姿も空気抵抗を極限まで減らした結果生まれた美しいフォルムで、「大きな鉄の矢」のようです。 男なら誰でもこの手の乗り物には少なからず興味を抱くのではないでしょうか。さて、この「コンコルド」前述の通り「飛んでいた」のです。即ち過去形、今は世界中のどこにも飛んでいません。エールフランスは2003年5月に、英国航空は同年10月に運行を停止してしまったのです。残念ながら、人類は今現在、超音速での旅行を楽しむ事はできないのです。 しかし、私の部屋にはそのコンコルドにまつわる品々が壁につけられた飾り棚にコレクションされ、往年のその勇姿に思いをめぐらす事が出来ます。 2003年に運行を停止した英国航空、エールフランスの機体、ごく短期間に定期航路についていたシンガポール航空の機体、試作機、計画だけで終わってしまったパンナム航空の機体、幻のブラニフ航空の機体等の模型、航空会社のステッカー、70年代に作られたと思われる「コンコルドの描かれたレトロな児童用の筆箱」なんてのもあります。 まさにA型の私を象徴するように規則正しく陳列されたそれらは「伊藤コレクション」のなかでも一際異彩を放つ存在です。 ゼミ誌に書くにしてはいささか、「マニアックなコレクターの自慢話」になってしまいましたが、今夜もコンコルドを磨くためにそろそろ筆をおきたいと思います。
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粕谷 亮太 今年のゼミ誌に私の文章を掲載するのはやめようか、と一度私は思いました。しかし、やめようと思って、やめてしまうのは簡単なことです。ゼミ誌担当の方が、粕谷君の文章を掲載してあげようといってくれていましたし、そのためにずっと待っていてくれていましたので、私は応えなければならないと考えました。 正直に言うと、今の私は情けないです。大学1年の頃の私であれば、今の私を見て間違いなく軽蔑することだろうと思ったりします。そのように何度思ったか知れません。それでも、「今の貴方が普通であって、大学1年の貴方の方が異常であったのだ。」と励ましてくれた同期の友人方もいます。大変に励まされました。また、私の勉強に破綻が生じてしまっても私を見捨てずに励まして下さった先輩もいます。ありがとうございます。 私が司法試験受験勉強を完全にやめてしまったことに気づいている方々もいることだろうと思います。ただ、単にやめたいから、やめたのではないことだけはこの場を借りて皆に伝えたいのです。(あの頃の私は、本当に必死に勉強をしていた、と今でも自分の心の中では思っています。「これまであれだけ勉強したからには・・・」ということです。異を唱える人がいてくれてもかまいませんが・・・)ちなみに、この場を借りて爆弾発言をしておきます。夏合宿において、私が酔いつぶれるほど酒を飲んだのは、もうこれで司法試験受験とはおさらば、という意味もあったのです。司法試験に合格するまでは酒を飲まないことに決めていた私が飲んだのですから。(私がヘベレケに酔っ払うまで酒を飲んでいた姿に驚いた方は多いでしょう。)昔年の勢いは、今ではいささか衰えてしまっているかもしれません。しかし、司法試験受験者に負けないほどの意志を持って、今でも勉強に励もうとしているのも確かです。あの頃よりも、1日1日の内容が濃いです。それは、司法試験受験勉強時代に築き上げてきた『努力』が少しずつ実に成っているからだと思うのです。今では司法試験受験時代に興味すら抱かなかった分野の知識、考え方を様々な本との出会いによって得ることができるようになりました。(ただ、司法試験合格へ向けて勉強に立ち向かっていく先輩や同期の友人方を考えると、自分が情けなくなってきたりします。戦いの途中で退却したのは確かですから。)司法試験受験勉強時代は(六法に関する)法律学の専門書を中心に読んでいましたが、今では様々な本を読むようになりました。 一 「法医学について赤石英教授は、『法医学とは、法律に関係のある医学的な問題を研究し、応用する学問であり、具体的問題を対象として社会活動をしなければならない』と教育なされた。つまり、象牙の塔に籠もって研究するだけではなく、実際に起こった具体的な問題について、『法医学の側からそれを鑑定したり、あるいは問題点を指摘することによって社会活動をする』という点を強調している。」(押田茂実「死人に口あり」p236) 二 「電車に乗ってサラリーマンを見ると、疲れている顔が目立ちます。多分あれは『夢』が無いのでしょう。人間は苦労していても『夢』に向かっている苦労なら、くたびれた顔にはなりません。苦労が多いから辛いんじゃない。夢が無いから辛いのです。」(EH株式会社最高経営責任者深江今朝夫「苦労が多いから辛いんじゃない、『夢』がないから辛いんだ」p58) 三 「(旧)大和銀行(現、りそな銀行)事件は平成12年9月20日に大阪地裁で、取締役ニューヨーク支店長に約663億円の支払い義務を認める判決がなされて注目を浴びた。 この事件については、その後、持株会社成立の直前である平成13年12月11日に、大阪高裁で裁判上の和解が成立した。持株会社が成立すると、原告株主は、持株会社の株主となり、当該会社の株主ではなくなり、訴え却下とせざるを得ない可能性が高いため、裁判所から強い和解勧告があったようである。和解金額は、合計で2億5000万円であり、取締役の普段の報酬を基準にして、1年分くらいというようなことで計算したとのことである。最低責任限度額(代表取締役が6年分、代表権の無い社内取締役が4年分)と比較すると低い額に止まっている。 このことも理由としてか、新聞によれば、持株会社の別の株主が、平成14年4月15日、『上記和解は手ぬるく違法。その違法性を理由として当該会社(子会社)の旧経営陣相手の株主代表訴訟を提起しないサボタージュは、持株会社株主に対する違法行為である。』等として別の株主代表訴訟を提起したとのことである。」(「税務事例研究Vol.69」p48) 四 「管理・スタッフ業務の効率化を進めるためには、本社のミッションや機能の見直しから着手する。企業活動の求心力となる戦略企画機能を強化する一方で、様々な間接的サポート業務を提供するシェアード=サービスについては、徹底した経済合理性を追求する。業務の廃止、自動化、簡素化、標準化、集約化、移管といった方策の組み合わせによって、抜本的な効率化やコスト削減が実現できる。(遠藤功(えんどういさお)「MBAオペレーション戦略」p140) 五 「POSシステムは単品を単位とする小売商のマーチャンダイジングのための商品管理システムである。EOSは単品を単位とする受発注のための商品管理システムである。共に単品を単位とする商品管理システムであり、運用業務の内容や取り払われる情報の内容に共通するものが多い。したがって両者を、JANコードを共通のキーとして情報ネットワークに統合して管理運用できれば、小売商にとっては重複する業務作業を合理化でき、さらに高度の総合単品管理システムが構築できる。」(久保村隆祐「商学通論四訂版」p203) 六 「成果主義的人事の難しさは、3点に集約できるであろう。第1点は、組織の中での能力の適正利用の難しさ、第2点は、能力がもたらす組織への貢献の測定の難しさ、第3点は、(第2点から生まれてくるのだが、)貢献の評価への納得性確保の難しさ。」(伊丹敬之(いたみひろゆき)・加護野忠男「ゼミナール経営学入門第3版」p317) 七 「富士通の『成果主義』導入が無惨な失敗に終わったことは、もはや誰にも否定できないだろう。私(著者)は、1度は富士通の社員だっただけに、このことが残念でたまらない。同期はもちろん、入社早々に辞めていった社員の事を思うと、なぜ、早急に手が打たれなかったのか、今でも胸が痛む。結局、自分(著者)も富士通に見切りをつけた。それは一言で言えば、会社に『未来』が無いと感じたからだ。人間はなぜ働くのかと聞かれれば、それは『未来』のためだろう。『未来』が約束されていないなら、どんなシステムであろうと、人間は見切りをつける。この点を考えると、『年功制度』であろうと『成果主義』であろうと、結局は同じだ。だから、「どちらの方が優れているか」という議論は虚しい。 「ニンジンをぶら下げれば馬は走るが、果たして人間も同じだろうか?」という質問を考えれば分かりやすい。その答えは、今となっては簡単だ。『成果主義』で、以前よりたくさんのお金がもらえるからといって、それだけでは人間は働かない。また、『年功制度』で地位や身分が保証されているからといって、それだけでも人間は働かない。 人間が働くということは、そんなことではない。別に、たくさんのお金が欲しいわけではない。一生、安泰な身分が保証されていなくてもいい。そんなことより、昨日より今日、今日より明日と続いていく中で、働いてよかったという充実感が欲しいのだ。毎日毎日が虚しければ、働く気など起こらない。だから、いつも『未来』が開かれていなければならない。『未来』に希望さえあれば、多少のことなら我慢できる。辛い労働だって、人間はちゃんとこなす。」(城繁幸(じょうしげゆき)「内側から見た富士通 「成果主義」の崩壊p185」 本の紹介もかねて、今の私が読んでいる本はこのようなものだという事を読者に伝えておきます。
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正田 智恵子 正直なところネタが浮かばなかったので、勝手に好きな音楽を語らせていただきます。 まずは、Bzとcoccoの話を・・・・・ Bzは大好きです。スピード感のある曲とバラード系の曲のどちらを歌ってもバランスが取れているところが気に入っている理由だと思います。好きな曲はマイナーなところで「one」、「あいかわらずなボクら」です。分からない人が多いと思いますが・・・ 次は、coccoを・・・ ええと、知っている方の印象は怖いで統一されると思います。確かに怖いです。 でも、「カウントダウン」は私もダメですのであまり危険視しないでいただけるとありがたいと思います。coccoは甘い歌の中にもピリリとひどく現実的な歌詞があるところが魅力的だと私は思っていて、「もくまおう」がお気に入りです。 あと、Bonnie Pinkもcoccoと同じ理由で聞いています。 最近好きになったのはレミオロメンとアジカンですね。レミオロメンはツタヤで試聴して、あまりにも好みだったので珍しく衝動買いをしました。そのとき聞いた曲は「3月9日」という曲でしばらくはその1曲をずっとリピートしていた記憶があります。 その後買った「朝顔」というアルバムでは、「電話」、「日めくりカレンダー」が特に良かったです。 そして、今大人気のアジカンですが、最初友人に勧められて手にしました。 あまり有名なものに走らない私ですが、あの爽快なテンポがかなり気に入ってます。 「遥か彼方」や「リライト」、「君の街まで」が大好きで「君の街まで」は今携帯の着うたに登録中です。 最後に、かなりマニアックな線で攻め(?)ます。 宮部みゆきさんが好きな方は知っていると思うのですが、「Ico」という小説はゲームを元に彼女が書いています。彼女が小説を書く前にPS2でそのゲームをプレイしました。 角の生えた生け贄の少年が霧の城に囚われていた少女の手を引きその城を脱出する脱出アドベンチャーなのですが、怖がりの私はそのゲームの静寂さや敵である影が少女を連れ去ってしまうという設定が非常に怖いのです。 1度クリアして以来怖くてプレイしていませんが、クリアしたときに流れた音楽があまりにも魅力的だったので、サントラを後に買ってしまいました。 その曲は「You were There」という曲でロンドンの聖歌隊の少年が歌っています。ボーイソプラノは中性的な声の質ですごく儚い感じに仕上がるらしいので、彼を選んだらしいのですが・・・ 儚い感じの音楽が好きな方はぜひ聞いてみてください、本当におススメです。 えぇ、これで終わりです、オチなんてありませんとも。
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〜私のなかの一冊〜
芳賀 千恵子 『白い巨塔』。これはちょうど、昨年のゼミ合宿の頃にかけて放送されていたドラマである。私はすっかり、このドラマにはまってしまった。(ゼミ合宿の飲み会の合間にもみんなで見ました。そういえば、本当はシロアリ駆除の話ではありません。不適切な説明ですみませんでした。きっと、お分かりだったと思いますが・・・!?) 原作は山崎豊子。ドラマは原作とは多少異なる。でも、私は、どちらも好きである。なぜなら、活字を通して作者が思い描く白い巨塔があり、役者が演じることで表現できる白い巨塔があると思うからである。 白い巨塔は、大学病院を舞台に、権力・名誉をめぐる教授選挙。そして医療裁判が話題となる。この話は、法学部の学生にもためになる一作であると思う。しかし、それ以上にこの話に奥深さを感じた。それは、この話が人間の本質を問うているからかもしれない。権力、野心、名誉。医療技術、インフォームドコンセント。患者、医者。原告、被告。対立するに局面に立たされる人間たち。そこには様々な考え、思いが描かれている。そして、“負の遺産”と言われるアウシュビッも登場する。実に深く、また多彩な角度から人間の生き様を描いている作品だと思った。 ドラマを見た後で、原作が読みたくなった。すると、作者のあとがきにこの作品を書くにあたっての苦悩が綴られていた。医療裁判の判決をめぐる問題である。いまでこそ、医療現場においてインフォームドコンセント、カルテ開示などと言われるようになった。だが、執筆をしていた時代には、医療裁判で被告側の病院が敗訴するというストーリは批判の的であった。作者自身もかなり迷ったらしい。だが、人間の生命、人間の本当の良心を伝えたいという強い思いから、多くの批判を振り切り被告敗訴の決断をした、と書かれていた。もちろんこれは、あくまでフィクション。小説である。勝訴、敗訴は作者の専らの自由。だが、それを出版し公にすることで、社会に本当に大きな影響を与えるのだと思った。書店に並べば、数知れない本の中の一冊に過ぎない。しかし、その一冊に注ぎ込まれた作者の努力、思いがこれほどまでにあるのだと初めて知った気がする。 もう何年も前に書かれた白い巨塔。でも、この作品は現代社会に通じるものが多くあると思う。医療。裁判。そして、人間。 感想は人それぞれだと思う。でも、私にとっては、久しぶりに感動し、涙が止まらない一作になった。 おしまい。
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浜崎 昌之 今年、プロ野球についての話題が大きなニュースとなっているので、今回、そのことについて少し書いてみようと思います。 今年、プロ野球は大きな分岐点にぶつかったといえます。それは、球団の合併ということです。今まで、数十年にわたって、12球団で行われてきたものが、11球団になるという異常な事態に陥り、そして、新規参入する球団が現れるという、かつてない事態が起こってしまいました。これは、果たしてこれでよいのか、今までの伝統を崩してしまっていいのか、という点に問題があり、数多くの意見がありました。自分自身の考えとしては、これも時代の変化としてやむをえないものだと思います。それは、プロ野球の球団といえども、ひとつの仕事であって、娯楽とは違うからです。もっとも、球団の合併については、選手会を始めとして、多くのファンが反対しました。これは、やはり、今までどおりの伝統を守り、選手の解雇を防ぐためだったと思います。そして、選手会は、「5年10年先のことを考えた。」として、ストライキを行使するにいたってしまいました。 確かに、選手会側の言い分は正当であると思うし、ある意味ではやむをえないことだったかもしれないとは思います。ただ、果たしてストライキをしてしまうことが、それが「最善」の方法であるのかは、もっともっと考えるべきだったと思います。それは、やはり、球団経営は仕事であり、仕事である以上、できる限り経営状態を良いものにしていかなければならないからなのです。今回の場合は、ファンの大勢がストライキに賛成してくれたことから、結果的にはマスコミ等で報道された程度の収まったといえます。ただ、海外においては、同様の場合に、ファン離れにつながったという事実があるのです。もしも、そんなことになってしまったら、球団は今以上に赤字となり、多くの球団が潰れてしまうような自体が起こりかねません。そうなれば、ストライキを何のためにやっているのかわからなくなると思います。 このように考えると、選手会のストライキについても完全に正当とはいえないかもしれません。今現在は、何か正しい決断なのかはわからないと思います。ただ、究極的には、ファン・選手・球団があってのプロ野球だと思います。今後は、この3者の協議によって、特に親密な関係となって、更なる発展を期待したいと思います。
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古谷 圭 自分は、朝の寝起きは非常に悪い。そして頭がボーっとしたまま学校に行った場合の、講義などは最悪である。なぜなら、内容を頭に入れなければならないのに入りづらいし、かつ、そんな日は決まって睡魔との闘いが待っている。また、休日に寝だめをしても、なんか疲れが取れていないような気がしたりする。こんな悪循環を断ち切るには、睡眠について考える必要がある。 人間にとって何時間寝るのがベストなのか?自分はいつも家を出るぎりぎりの時間まで寝ている。理由は簡単である。多く寝た方が良いと思っているからだ。しかし、一般には、6時間寝るのがベストであると、言われているらしい。又、3時間でも十分であるとか、ちょっと疲れた時は9時間が良いというのもある。 なぜ、このような時間がでてくるのか?これらに共通しているのは、3の倍数の時間であるということ。なぜ3の倍数が良いのか。それは、人が朝目覚めるまでにレム睡眠とノンレム睡眠が約90分〜100分のサイクルで交互に、かつ規則的に繰り返している。この一回のサイクルが3時間かかるため、3の倍数の時間で起きるのが良いとされる。では、レム睡眠の“レム”とはどのような意味か?レム睡眠のレム(REM)とは、睡眠時、閉じたまぶたの下で眼球が急速に動くこと=Rapid Eye Movementの略である。この状態の眠りがレム睡眠。体は活動を休止しているのに、脳は浅い睡眠状態で、夢を見ている。 次にノンレム睡眠についてであるが、“ノンレム”という字のごとく、眼球運動が見られない状態の眠りです。深く安らかな眠りといわれ、大脳に休息を与える睡眠と考えられている。ノンレム睡眠時に夢を見るか否かについては研究者の間でも、意見が分かれるところがあるらしい。レム睡眠で体の休息をし、ノンレム睡眠で大脳の休息をするのである。深いノンレム睡眠は、大脳が発達した鳥類や哺乳類などの高等動物にだけ見られるため、進化した眠りといわれることがあります。 逆に、レム睡眠は、大脳皮質が発達していない魚類や、爬虫類、両生類などの変温動物にも見られることから、エネルギーを保存し、疲労を回復させる原始的な眠りといわれることがある。 体に良い睡眠時間はこのサイクルが終わるときに起きるのが一番良い。これから自分は、充実した時間を過ごすために、このサイクルに合わせて睡眠をとるようにと考えた。
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細川 真代
家の中を片付けた。倉庫に保管してあった多くのものを自宅に持ち帰り、新たな収納スペースを無理やり造りだし、片付ける。その最中、本が大量に私の部屋へ運び込まれた。全て自分の本、というわけではないが、九割は私のものである。そのため誰に対しても文句は言えないのだが、部屋中に積み上げられた本は、どこから手をつけて良いのか全くわからない状態だった。 二日間は、ベッドまでの通路を確保しただけで、手をつけなかった。途方に暮れていたのである。しかし、それではいつまでも解決しないので、目に付くとこから整理を始めてみた。が、驚くくらいはかどらない。懐かしさのあまり読み始めてしまうのだ。絵本の類は特にひどく、全文を読んでしまう。それぞれは薄いのだが、冊数があるだけに時間がかかる。結局一日中絵本と向き合ってるだけで、ちっとも片付いていないのだ。 数日経つと、さすがに部屋の状況に嫌気が差してくる。そこで、とりあえず屋根裏の物置に本棚を作る事にした。発泡スチロールのブロックに、板を乗せるだけの簡単なものだ。そこへ、とにかくしまう。部屋の本棚に残したい本以外は全て運び出した。 ところが、結局整理ははかどらない。屋根裏にこもり、一日中本を読む。ついつい手に取った本を開いてしまう。部屋が綺麗になっただけで、本は片付かないのだ。 夏から始めた片付けは、冬を間近に控えた現在も終わりそうもない。たまには屋根裏に行くが、結局読むだけで終わってしまう。 屋根裏は、今では私の過去を閉じ込めた空間になっている。たまにそこに行き、いろいろ振り返ってみたりしているわけだ。どこに何があるのか把握しているため、現状に不満はないので、もしかしたら今後片付くことはないのかもしれないが、良くも悪くも、今の私に欠かせない空間になっていることは間違いない。
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渡邊 佳孝 家の近くに川があって、川沿いにある中学校へはいつも泳いで行っていた。そのせいか、川を見ているとけっこう落ち着く。大学に行くときも電車の窓から何回か川が見える。 曇りの日は川も暗くにごった感じになっていて、晴れの日は空よりも青くなっている。この晴れの日の川がよくて、草とかの緑が映っているともっといい。 どうして空よりも青いのか知らないけど、科学的に説明できるのかもしれないけど、そんなことはどうでもよくて、川が青くなっていればそれでいい。 見て、いいなぁ〜これ〜って思えれば、それで充分なのかもしれない。なんで空よりも青くなるのか知ったら、知る前よりもつまらなくなるかもしれない。 だから、ここで話の流れが変わっても、論理的につながっていなくても、いいのかもしれない。
たまに、冷蔵庫の牛乳が切れて、スーパーに買い物に行くとき、 牛乳だけ買うのは悔しいから、ほかに何かもうひとつ買っていく。 この前もアレを買ってきて、たしかこのへんに・・・ あれ?干しぶどうがない。
こうやってゼミ誌をやっている時にもあの人のギャグが脳裏をよぎる。 「どぅーん!」
そろそろおなかがすいてきたみたいだから、ラーメン屋の話でもしようと思うけど、 「お客様、何か足りない物でもございますか?」 「のーりーぶぅ〜」 終わりだぶぅ〜。
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2年生(12期生) |
此島
大地
今、映画「 Shall We Dance?」がアメリカでリメイク上映されて話題をよんでいる。残念ながらその内容はまだ日本で公開されてないので詳しくは分からないが、噂では日本版とほぼ内容は同じとのこと。 この映画、ごく普通のサラリーマンがひょんなことがきっかけで社交ダンスを始め、戸惑いながらも徐々にのめりこんでいく様をえがいた作品であるが、そののめりこんでいく様はこの映画の売りである。 その姿はあまりにも滑稽すぎて、普通の人からすれば映画ならではの「誇張」と思われるかもしれない。いくらダンスにはまったからとは言え、駅のホームや会社でダンスのステップを踏んだり、公園で夜な夜な練習するなんてことはそうそうあるもんじゃない。これは映画を面白くするための「冗談」に過ぎないだろうと思った方も多いだろう。 しかし、それは「誇張」でも「冗談」でもなかったのだ。ダンスにはその魔力があった。私が大学に入り、友達に誘われて行ったサークル。自分でありながら自分でなくなれる感覚。自分に酔い、音楽と共にすべてを忘れ、世界と一体化できる快感がそこにはあった。この快感に一度とらわれたら最後。あとはもう「ダンスバカ」への道まっしぐらである。ダンスバカになると世の中すべてがダンスになってしまう。聞こえる音はすべてダンスに結び付けられ、考えることと言えばいかにカッコ良く踊るか、駅でステップを踏むだけじゃ飽き足らず道を歩きながらでも踊りだす。一般人から見ればどっからどうみても危険人物である。しかしもうダンスバカは人目を気にしたりしない。身体が麻薬のようにダンスを求めてしまう。自分ではどうにも抑えられなくなってしまうのである。 このように一般人の目から見たら奇人変人のダンスバカであるが、他の人からどう思われていようと本人はいたって幸せである。なんの変哲もない日常が踊るだけで非日常、自分じゃない自分になれるのだ。こんなに楽しいことは無い。 今の日本、複雑になりすぎた人間関係や、社会に苦しみ病んでいる人間がたくさんいる。私はそんな人こそダンスをするべきだと思っている。ダンスこそがこの病める日本の救世主であることを信じているし、すべての日本人がダンスの魅力に気づいて欲しいと願っている。 あなたは今の生活に満足していますか?ダンスなんて・・・と馬鹿にせず、一度やってみてはいかがでしょうか。必ず新しい自分を発見できることでしょう。
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河野 通雅 1、 私の趣味は@読書とA音楽鑑賞である。こうやって書くといかにもありがちで、陳腐でさえある。しかし、それでもなかなか好みの合う人はいないものである。ここでは以下私が最近好きな物を書いていこうと思う。ひとりよがりな感じになってしまうのに対してはご勘弁下さい。 2、 まず、本について。グイン・サーガが好きです。どんな本かというと異常なまでに馬鹿長いファンタジー小説です。現在97巻+外伝19巻。終わる見込みなし。作者様の健康と長寿を祈り申し上げる次第です。他に小説ではSFが好きです。ブラッドベリなんか最高です。もっと真面目なものでは遺伝子に関するものが好きです。リチャード・ドーキンス氏の利己的な遺伝子はもはや私のバイブルです。無論ご多分にもれず私も漫画は大好きです。皆様オススメの本がありましたら是非教えて下さい。最近私は活字中毒が悪化して困っております。寝る前に活字を見ないと安心して寝られません。最近の私の睡眠薬代わりは商法の基本書で驚く程よく効きます。 3、 次に音楽について。この音楽の好みがあまり人と合わず寂しい思いをしています。まず邦楽はほとんどダメです。理由は不明。あまり好きになれない。R&Bやヒップホップも嗜む程度。よって私が聞くのはほとんどロック系だけです。クラシックも好きだけど。ロックと言ってもいろいろありますが私が好きなのは大別すると@UKロックとAラウドロックBプログレです。@はBEATLESの流れをくむヌル〜い感じの音楽。オアシスとかが有名でしょうか。Aはとにかくうるさい。ベース音がお腹に響くような音楽。なにが有名なのかも良くわかりません。Bは電子音が入っている音楽。キングクリムゾンなんかがステキ。 4、 最後に映画も良く観ます。好きな監督はスタンリー・キューブリック。時計仕掛けのオレンジとかロリータの監督です。特に好きな映画のジャンルはソリッドシチュエーションスリラー。極端な状況を与えられた主人公がいかにその状況から逃れるかを描くスリラーらしいです。たとえばキューブとか。で、そんなのが最近公開されているSAW(ソウ)。観ました。あれはとてもよかったです。最初から最後まですごい緊張感でした。ネタバレになるので内容にはふれませんがおすすめです。他にはかなり昔のものになりますがメメントも好きです。 5、 結びとして、こんなに偏った人間ですがどうぞよろしくお願いします。
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歳の経験談
後藤 清隆 近頃、ヨン様のお陰か、韓国などアジアに旅行に行く人が増えたらしい。しかしそれでも、欧米などの国々に旅行する人は多い。僕自身、アジアにあまり興味が湧かない(なぜかはわからないが・・・)のだが、欧米にはどこの国にも行ってみたいと思っている。欧米には、日本にないものがある気がするからである。 中学3年(15歳)の時、オーストラリアにホームステイしたことがある。当時、まだ外国について何も知らなかった僕は多くのことに驚かされたのを覚えている。 そこへ行ってまず驚いたことが、とにかく何をするにも“ YES”か“NO”をハッキリさせるということだ。日本のように一歩引いて・・・1 、お客に行ってお茶を飲むかと勧められ、まず「結構です」と言い、2 、家主が「そんなことおっしゃらずに・・・」と言ったら、3 、ためらいがちに「それではお言葉に甘えて・・・」とお茶を頂く・・・なんてことは到底考えられないだろう。オーストラリアでは・・・ 1 、「コーヒー飲む?」2 、「いや、結構です・・・」3 、「あっ、そう。」これで終了だ。実際初めのうちは、慣れずに何度もコーヒーを飲み損ねた・・・。 それから、誰とでも仲良くするという当然のことにも驚かされた。スーパーマーケットに行って、何やらホストマザーがレジの所で僕の見知らぬ女の人と夕食のおかずの会話をしていたので、「知り合い?」と聞くと、「全く知らないわよ。」と平然と答えたのである。そんなことは良くある話らしい。そして家族同士もとにかく仲が良い。素晴らしいことだ。“人類みな兄弟”とはこのことであると実感した。 これと関連し、家族も大好きなのだが、そもそも自国(オーストラリア)のことが大好きなのだということも感じた。とても熱くオーストラリアについて語られたのを覚えている。だからこそ他国の人と仲良くし、他国のことを愛せるのだと感じた。 ・・・と色々偉そうに語ってはみたが、僕が海外に行った経験はこの 1度しかない。したがって、僕の1度きりの経験上でのことでしかないため日本以外は全てこうだ!!!なんて全く思っていない。しかも、先日も日本の代表的な街である京都に旅行してきたばかりである。しかし、オーストラリアも大好きなことに変わりはない。格好良く言えば、「世界には様々な国があり、どの国も独自の文化を持っているため、どの国も素晴らしい」とでもまとまるのであろうが、自分はそんな格好良い言葉で国を語れるような大物ではない。要するに、どちらも好きなものは好きという風にしか僕には表現できないのかもしれない。最後に・・・日本最高!!!(笑) もっと日本について詳しくならなければ・・・
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田 名奈子 私が日本大学法学部に入学してから1年8ヶ月が経とうとしています。私が学校生活で大切にしていることは、友達との出会いや交流です。今ではたくさんの友達ができ、毎日楽しく学校生活を送っています。サークルに入っている子もいれば、アルバイトに励んでいる子もいたりと、いろいろな話を聞くことができて面白いです。みんな何かしら打ち込んでいることがあり、友達と話をすることはいい刺激になります。また、私は1年の前期から行政科研究室に在籍していて、同じ夢を持つ同期や先輩たち、指導して下さる先生方と出会えたことも自分にとって大きな宝物となっています。情報を共有しあい、切磋琢磨していける仲間がいることはとても素晴らしいと思います。研究室では、勉強のことだけでなく、悩みも相談できるいい仲間に出会えました。 あっという間に1年が過ぎ、あっという間に2年の前期が終わり、あっという間に夏休みも終わって後期が始まり、あっという間にゼミナールの試験が始まってしまいました。今思い返してみても本当に時間が経つのは早いです。今は甲斐ゼミに入ることができ、これからまた新しい出会いが待っているのかと思い期待で胸が膨らんでいます。私は公務員試験に向けてこれからもっともっと頑張っていかなければなりません。それぞれの夢に向かって、一緒に頑張っていけたらと思います。 いっしょに咲こう 僕たちは笑おう また秋に飛んで行けるように 僕たちは 空を飛ぶ花になる 青空へ 少しずつ自由に でこぼこ道や かたい道でも 一緒に咲こう ここで花になろう (蒲公英‐たんぽぽ‐)
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林 健司 今年一年を振りかえってみると世界中ではいろいろなことが起こった。日本でもいろいろなことが起こり、中でも多数の大型台風の上陸や浅間山噴火や新潟中越地震などなど・・・。自然の猛威をあらためて知ることとなった。あまり明るいニュースはなく、むしろ暗い二ュースの方が多かったように思える。明るいニュースといったらスポーツに関することぐらいしかない。 そんな中で数少ない明るいニュースを思い出してみると、アテネオリンピックを思い出す。金メダルラッシュとなり日本にとっては素晴らしい結果を残した夏の大会となった。その中でも自分の中では体操男子の団体と競泳女子 800メートル自由形が印象に残っている。体操のダイナミックかつ正確な演技は力強く、そして美しく見ていてとても引き付けられた。他の国の選手が次々とプレッシャーの中で失敗していく中で、最後に演技した日本の選手は大変なプレッシャーの中で次々と成功させていき、最後の選手が着地を見事に決め、金メダルを獲得した瞬間は、ガッツポーズをしてしまったほどだ。もう一つ印象に残ったのは、競泳女子 800メートル自由形である。この種目で金メダルを獲るとゆうことがいかにすごいことかとゆうことをわかる人はもしかすると多くないかもしれないが、すごいことである。あまり注目はされていなかったかもしれないが、粘って粘っての最後に抜いて金メダルを獲った。これには驚きと感動を憶えた。ぜんぜん獲ると思っていなかった選手が金メダルを獲った姿を目の当たりにして、人知れずしてきた努力があったのだと感じた。アテネオリンピックで一つ残念なことはドーピング問題である。金メダルを追い求めるあまりドーピングしてしまうとゆうことがたびたび起こってしまうがやはりどんな理由があろうともスポーツはフェアでなければ意味がない。せめてスポーツだけでもフェアにやってほしい・・・。 アテネオリンピック以外でもイチローの世界記録達成や日本人発の NBAプレーヤーとなった田臥勇太などの活躍があるが、何かを成し遂げたり、それに向かっていっている人たちを見ると、その人たちに対して同じ日本人として尊敬するとともに誇りにも思う。スポーツを見ると熱くなり、それと同時に前向きになれている自分がそこにいるような気がする。
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向 善雄 私は仙台市郊外の岩沼市というところの出身です。基本的に田舎です。その証拠に近くに仙台空港があります。家から数十メートル先には田んぼが広がっており、春にはカエルの大合唱、夏にはホタルが見られ(でもここ数年探さないと見られない) 、秋、稲刈り後にはわらの匂いが漂う、季節感があるのどかな街です。そんな街は交通の便がいいわけありません。駅まで車で10分ほどかかるし、ちょっとした買い物にも車を使います。ですから車は一家に一台というより、一人に一台といった感じです。地元民はたいてい18歳になると車の免許を取ります。身近に車に接しているため友人の間では車好きも多く、私もその一人です。この間、車に関して面白い番組をやっていたので紹介したいと思います。深夜のCBSドキュメントという番組なんですが、こんな話しでした。 現在アメリカでは大型SUVの販売が好調である。これにはれっきとした仕掛け人が存在する。元心理学者で現在、経営コンサルタントをしているジョンソン博士その人である。大手自動車メーカーの開発者はこぞって博士のもとに相談に行く「次にどんな車が売れるか?」と。博士はこれまで培ってきた心理学の見地から独自の答えを導き出す。それは・・・「他の車を圧倒する大きな車が売れる」と。メーカーの人間は反論する「それだと燃費が悪く、小回りもきかないし、それに駐車スペースをとるから売れませんよ」しかし博士はこう言い切る「売れる。なぜなら今アメリカで戦争が起きているからだ」と。 ここでいう戦争とはイラク戦争のことではありません。博士の話しによると、今のアメリカは、高度に発達した資本主義の下において一般市民の間に勝ち組、負け組みがはっきり存在し、そのどちらにも属さない中間組が必死になって勝ち組の仲間入りしようとしているのだそうです。その状況が戦争そのものだと博士は言います。そんな中間組の人たちは不特定多数の出入りする場所(道路なんかまさにその典型)において常に臨戦態勢にあり、他者(他車)を圧倒・威圧する車を本能的・直感的に欲するのだそうです。博士は笑いながらこうも言いました「ルーフに機関銃を取り付ければもっと売り上げが伸びる」。 番組の最後のコメントはこうでした「博士の述べていることが事実かどうかわからないが、博士は顧問料でお城みたいな豪邸に住み、大型SUVの販売が好調であるのは事実である」。 うーん、すべての人がそうであるわけがないし、ちょっと極端だと思いますが、確かに一理あるようにも思います。そしてこれは車社会だけの、アメリカだけの話ではないように思います。そういえば最近、日本でも勝ち組・負け組(あと、負け犬)なんて言葉も聞くようになりましたし。確かに競争において切磋琢磨することは大切だと思いますが、それが行過ぎて常に臨戦態勢の人たちばっかりの世の中って・・・いやですね。
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