本筋その1 冬の朝は、あんまり得意じゃない。
眠気まなこをこすりながら、踏み外さないように慎重に、階段をくだる。
キッチンの冷蔵庫の前にたどり着く。そっと中身をのぞく。
お目当ては、右のポケットに収まっていた。
おいしい牛乳を取り出して空のグラスへと注ぐ。
おいしいというのは形容詞じゃなくて固有名詞の一部なんだそうで。
一口含んで、舌の上で確かめてみる。
寒いのと眠いのは採点から差し引かなきゃと思ったんだけど、上手くいかなかった。
目を覚ますのには牛乳が最適だ、と、小さい頃から教えられてきたので。
ひとまずその効果があれば十分、ということにしておく。
ミシ、ミシ、と、背後の階段から忍ぶ音が聞こえてきた。
おやと思って壁の時計に目をやると、まだ6時前で。
キッチンに現れた真っ白なダッフルコート。
まだパジャマのままの自分を省みて、足元のフローリングから冷たさが染みてきた。
「……オミ?早いね」
「うん。今日学校行くから。そっちは?」
「ええと、ちょっと、お出かけで」
気まずそうに肩をすぼめるのを見たら、謝ってあげたくなった。
どうやら、予定外な存在になってしまったらしく。
どうしようと泳いでいた視線が、ふと右手で止まるのに気がついた。
「ああはい。どうぞ」
新しいグラスになみなみと白い液体を注ぐ。
ありがと、とグラスを受け取って口に付けるや否や、一気に飲み干してしまった。
「おいしー」
と、本当においしそうに言う。
手の中の、おいしい牛乳というラベルの文字がやけに自己主張してきた。
ぽんぽんと両頬を手で軽く叩いて気合を入れている。
いつも。
あの小さくて細い身体のどこに吸い込まれていくんだろう、と不思議に思う。
「……ナオが制服以外でそんな短いスカートはくなんて、珍しいね」
指摘してみたら、ナオが慌てて身をかがめた。
短めのダッフルコートの下から覗く、膝上丈のプリーツスカート。
剥き出しの膝を挟んで、長めのソックス。
格好を上から下まで見終えてやっと、今日が何の日なのか思い出した。
一年中で一番、真っ白なダッフルコートで短めのスカートがよく似合う日だった。
「変かな」
「ううん、似合ってる」
「そうかな」
照れ笑いをするのが、また可愛いらしかった。
相手はどんな人かな、と思った。
「あ、ナオまだ時間ある?ちょっと待っててよ」
うん?と、洗面台のほうから疑問形の返事を受け取る。
玄関で、ブーツを履くのに手間取る時間も計算にいれて。
まだ寝室から出てこない両親には最低限の敬意を払いつつ、でもできるかぎりのスピードで、階段を駆け上がる。
二階の自分の部屋へ。
学校鞄の底を探って、まだ開けられていない包みを一つ取り出す。
「目、閉じて」
ブーツを履き終えて待っていたナオに、笑いながら命令する。
「なに?」
言われるままにナオが目を閉じる。なんのためらいもなく。
(まつげが長いな)
なんてそこで、気が付く。
左手を、頬から顎にかけて添えるようにして、固定して。
右手で、ゆっくりと唇のラインをたどる。淡いピンク色が浮かび上がる。
それが唇に触れた途端、ナオの目がぱちりと開かれた。
先手を打って、動かないで。と注意をする。
「はい、もういいよ」
ナオは恐る恐る自分の唇に指を持っていって、それから盛大に顔をしかめた。
どうやらお気に召さなかったらしく。
「……変……」
「じゃないよ」
ぬぐいとってしまいそうな勢いだったので、慌てて手首を掴んで制止する。
「ちゃんと可愛いから。このまま、いってらっしゃい」
目に力を込めて言い聞かせる。安心できるように、にっこり笑ってみせる。
ナオはしぶしぶながら頷いた。
ついでに、提げていた鞄の中に、その淡いピンク色の口紅を放り込んでやった。
「備えあれば憂いなしって言うから。いちおうね」
ナオが小首を傾げる。さらに疑わしそうに眉を寄せて。
「プレゼント」
と、付け足したら、やっと笑顔になった。
じゃあ行ってきます、と、音をたてないようにゆっくりドアが開かれた。
外はすっかり明るくて、ちらりと見えた空は眩しい青色をしていた。
「メリークリスマス、おねーちゃん」
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