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 本筋その+3/おまけその3a3b

 

 
 
 本筋その3

 音を立てないように、そっとドアを開ける。
 ぱたん、と閉じて、やっとひと息つけた。
 外から持ち込んだ空気の残りが白くなって消えた。

「おかえり」
「きゃあっ」
 口から心臓が飛び出そうになった。
 おそるおそる視線を上げていったら、まず素足が見えて、パジャマが見えて。
 口の前に縦に添えられた、人差し指が見えた。

「オミ?早いね……」
 ほぼ24時間前と同じ台詞。
 臣は歯ブラシを口に加えたままにっこりと笑って、そのままキッチンへと消えて行く。
「た、ただいま」
 小声で。なんとかそれだけは言うのには成功して、ナオはブーツを勢いよく脱ぎ捨てた。
 がたがたっと派手な音を二回立てて落ちた。
「……あ」
 臣が呆れた顔をして振り返った。

 時計を見るとまだ6時前だったりして。
 なんとなくそのままキッチンにいて。テーブルのイスを引いて腰掛ける。
 本当は今すぐにでも部屋に行って、ベッドにもぐりこんでしまいたい、んだけど。
 朝から冷たい空気に触れたせいなのか、身体はすっかりお目覚めモードで。
 どうも眠れそうになかった。

「おいしい牛乳はいかがですか」
 パックのラベルを指差しながら臣が聞いてくる。
「嬉しいです。いただきます」
「あー。ホットにしますか?」
「冷たいままでいいです」

 空のグラスになみなみと、おいしい牛乳が注がれる。
 だんだん上がっていく白い線をぼんやりとながめているうちに、余計なこととか、色々、思い出してしまう。
 昨日のこととか。これからのこととか。
 うわぁとなって飲み干して。慌ててなかったことにした。 

 くすくすと笑いながら、臣が手前のイスに座った。

「そういえば、友達の家でクリスマス会やってるうちに、盛り上がってシャンペンなんて飲んで、酔っぱらっちゃったからそのまま泊まることにした、って母さんたちには伝えておいたけど、よかった?」

 一瞬頭がハテナになる。
 やっぱり脳みそのほうは寝ぼけてるのか、一気に理解するのは難しい。
 そのせいで、臣に心配そうな顔をさせてしまったり。

「ごめん。やっぱオレ、お節介やきすぎた?」
「ううん全然!……ありがとう。私、実はなんて言おうかってすごく困ってた」
 ならよかったって。なんでもない風に笑ってみせる。
(この弟は)
 自分と血が繋がってるにしては色々出来すぎている。気がしたりする、ときどき。
 それで、比べて落ち込んだりする、ときどき。

「あ、そうだ」
 ナオは鞄から小さな緑色の包みを取り出して、テーブルの上に、手を伸ばしてできるだけ臣のそばに、置いた。

「これって……本?」
「メリークリスマス。口紅のお返しに。なんにしようか迷ったんだけど」

 包みの中から出てきたのは、最新刊が出たばかりの史実に基づいたシリーズ小説のセットで。
 臣は、電車通学だから文庫本のほうがいい、とか。
 あえて言うなら世界史が苦手、とか。部屋の本棚にはなかった、とか。
 すみずみまでチェックしたつもり、だったんだけど、いちおう。
 本を手に取ったまま黙っている臣を見ているうちに、しゅわしゅわと自信がしぼんでいく。
 やっぱりもっと無難なものにすればよかったかな。

「これってナオが選んだ?」
「ううん、選んでもらった。……知り合いの人に。面白いし、世界史の勉強にもなるからって」
「で、なんでこの本なの?」
「ユリウス・カエサルがカッコイイから。……っていうのは表向きの言い訳で。本当はハードカバーのほうをあげたかったんだけど。今月お財布の中身が厳しいのが裏向きの言い訳で。ごめんね」
 拝むようにして手を合わせたら、くすくす、と空気が揺れるのが分かった。
 くすぐったい感じの、臣の笑い声。
「ありがと。実は前から気になってたんだ、このシリーズ」
「ほんと?よかった」
 臣が笑ってくれたので、ほっとした。
 半身半疑だったけど、やっぱり先生はちゃんと先生なんだな。って、心のすみで感心する。
 ついでにまた、余計なこととか色々思い出しそうになったので、ナオは慌てて次の話題を探した。

「あ、メリークリスマスのメリーの意味って知ってる?」

 唐突な問いかけに。
 臣の、男の子にしては大きめの目が見開かれた。

「メリーってエムイーアールアールワイの?」
 なんて、わざわざスペルの確認までしたりする。
「え?うん」
「merryで、メリー。形容詞。意味は、陽気な、快活な、お祭り気分の、浮かれた?」
 臣の口から答えがさらさらと出てきたので、ナオは普通にびっくりした。
「イギリスだと、ハッピークリスマスって言う?」
 ナオは呆然としながら、ただこくりと頷く。
(この弟は)
 確かに、自分と、頭の出来を比べるのもずいぶん前にやめたんだけど。
 でも、明らかに。
 びっくりしてる度合いが、臣のほうがはるかに大きいように見えるのはなんでだろう。

 臣はグラスから牛乳を一口、二口と飲んで、それから頬杖をついて少し考えるふうにした。
 じぃっとまっすぐ見つめられて、少し焦る。
「オミー?」
 ごまかすように手を振ったら、唐突にイスから立ち上がって、冷蔵庫を開けて、おいしい牛乳をしまって。
 そのままキッチンを出て行こうとしたので、ナオは慌てて、オミ?と呼びかけた。
 臣は振り返って、口を開きかけて、そこで一瞬宙を仰いで迷ったように見えた。
 言うべきか言わざるべきか。 

「ナオ。口紅、自分でちゃんとぬり直せた?」
「え。……え?」

(どういう意味だろう)
 ナオが首をかしげると、臣は両肩の力を抜いて、笑った。
 つられて笑いたくなるような、不思議な引力ある。
 なんでもない、と言った臣は、もういつもの臣だった。

 

 

  * * *

 階段を、音をたてないようにゆっくりとのぼる。
 たったいま眠りにおちたはずの姉の部屋の前を通るときには、特別に気を遣って。
 たどりついた自分の部屋で。
 もらった本と、鞄の中から取り出した本を、見比べた。
 本棚に並べてみると、同じ背表紙が二種類ずつ見事に揃った。
 思わず、顔から笑みがこぼれる。

「……メリーマスター、だったわけか」

 臣は小さく呟いた。

 

 

 

 

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