ガコガコと、一際大きな音を立てて洗濯機から水の流れ出す音がした。
むくっと布団が動いた。続けて、ゆっくりと先生が体を起こした。
台所の流し台の横で、ボールの角に卵をぶつけようとしていた手を止める。「おはようございます?」
こちらを向いた先生の顔は、まだ寝ぼけてるみたいだった。
ナオは内心苦笑しつつ、卵を割った。
ボールの中でかき混ぜて、塩と牛乳を加える。
冷蔵庫にうちと同じ銘柄の牛乳があって、そんなことが嬉しかった。
それでも、スクランブルエッグぐらいしか作れない自分の腕を呪わずにはいられないのだけれど。
温めて置いたフライパンの上に、バターの固まりを転がす。
突然、にゅっと後ろから二本の手が伸びてきて、羽交い絞めみたいにされた。
……誰の手かって考えるまでもないのだけれど。
「先生?」
振り向こうとして、それもできないことにびっくりする。びくともしない。
「……なに作ってるの?」
目覚めたばかりの、いつもより低い、囁くような声。
「スクランブルエッグ、です」
答えたら、ふーん。って、先生の息が、肌のすごく近くを通り抜けるのを感じた。
ほのかにアルコールのにおい。
「先生、お酒飲んでたんですか?」
「うん、昨日の夜、日高に掴まって……それであんまり寝れてなくて……」
語尾に向かって、声はだんだんやる気をなくしていった。
日高っていうのは代休でやってきた臨時の保健室の先生の名前だったような。
ことん、と肩に先生の頭が乗っかるのを感じた。
がっちり回されている腕のせいで、身動きがとれない。
フライパンの上でバターがこげていくのも、ただ見てるしかできない。
「あの、バターが……」
訴えると、片方の手が動いて、コンロの火を消した。
ほ、とナオが息をつくのと同時に、くるっと身体を回されて、今度は正面から抱きしめられた。
ワイシャツにはたくさんしわが付いていて。
着替えるのが面倒になるくらい、遅くまで飲んでたのかな、と思う。
油断してたせいなのか、先生の唇がおでこに触れて去っていくまで、反応するのも忘れてた。
「……なんか今日の先生は、大胆モードなんですか」
「うん、せっかくの夢だし。じゅうぶん楽しまないと」
ナオはまじまじと先生の顔を見上げる。
穏やかに笑うその顔のほっぺたをつまんで、しかめ顔に変えてやる。
「ナオ?」
「先生、牛乳飲んでください」
ひるんだ隙間に抜け出して、ナオはなみなみとコップにおいしい牛乳を注いで、渡した。
押され気味に受け取った牛乳。先生は一口飲んで、ナオを一度見やって、それから一気に飲み干した。
飲み終わったあと、思い切り渋い顔をした。
牛乳とアルコールの組み合わせはあんまりよくないのかもしれなかった。
「なんで、町田がここにいるんだ?」
正気を取り戻した声が言う。びっくりしていて。
先生のワイシャツに、赤っぽい小さな染みができているのを見つけた。
ナオは自分の唇に手を当てて、気恥ずかしくなってうつむいた。
その様子を、不思議そうに先生が見やる。
「待ち合わせの約束って10時じゃなかった?オレ、勘違いした?」
「ううん、鍵開いてたから……」
じゃなくて。
と、ナオは自分で自分を否定した。
恥ずかしいけど、そうじゃなくて。それだけじゃなくて。
「せっかくのクリスマスイブ、だから」
きょとん、と先生が固まった。
しわくちゃになったワイシャツのままで。寝癖の残ってる頭で。
まだ寝ぼけたままで。
「今日は先生とずっと一緒にいたくなって、だから」
だから、早く起こしちゃってごめんなさい。
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