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 例えば、これは歴然と横たわる、自由形と平泳ぎの差、なんじゃなかろうか。
 水泳の花形、と言えばやっぱり自由形だし。
 よーいどん!して、どれだけ頑張って水を掻いても、平泳ぎは、自由形にスピードではどうしても勝てないわけで。
 そもそも今回は、同時によーいどん!じゃないというハンデつきなわけで。

 見ているだけで満足して、失ってから気付かされた恋。
 スタートラインに立つ前に終わってしまった恋。
 タイミングよろしく、ハート二つ分もくり抜かれてしまったわけで。

 カエルは、またもや制服姿のままプールサイドに腰掛けていた。足で、ばしゃばしゃと波を量産する。
 荒くなった波にいちいち反射する、太陽のプリズム攻撃がうっとおしかった。

 プールのど真ん中のコースでは、すーっと真っ直ぐな線が引かれていく。

 昨日、倒れたばかりだからあんまり無理はしちゃいけません。これは常識として。
(でも、やっぱりそこは明美先輩だから)
 こんな気持ちいい日に泳がない理由なんてない、って。
 さっき、ものすごいしかめっ面に向かって、説き伏せてた。
 ……わかった。って、全然分かってない顔で、副委員長が渋々応じてた。

 

 せっかく、人が悲劇のヒロインに浸っているってのに。

 キラ、キラ、と、さっきから、目障りなくらい一番近くの水面で、動くものがあった。
 スニーカー焼けした、アメンボもびっくりな細い足首を捕まえる。
 ビート板ごとひっくり返してやると、一際大きな波を起こして、転覆した。

「あのなー……」

 鼻に水が入ったのか、咳き込みながら、アメンボは盛大に顔をしかめる。
 ゴーグルをおでこに避難させて、一瞬、直射日光に眩しく目を細めた。

「お前、今日も泳がねえの?」
「あー、まあね」
「その……まだ、あれなの?」

 珍しく、アメンボがためらいがちに示すあれの、おなかの鈍い痛みは、もう4日目だから随分平気だ。
 だから、こんな気持ちのいい日に泳がない理由なんて、実は、カエルにもない。

 らしくない、と自分でも思う。
 いくら、ダブルで失恋したからって、こんなことでへこたれるとは。
 だって、こんなのはちっともカエルらしくない。まるで、これじゃ、女の子みたいで。
 ものすごくうっとおしかった。

 カエルは、水面から足を引き抜いて、膝におでこを押し付けるように座り直した。
 濡れるぞーというアメンボの忠告は無視した。

「パンツ見えるぞー」
「…………」

 これはさすがに無視できなくて、ひとりぼっちにしてくれない、共通点、クラスメイト・美化委員・水泳部員という三拍子男を睨みつけた。

「雨野、あんたうざいよ」

 辛らつな言葉だと言った本人ながら思ったのだけど、言われた本人は気にしたふうもない。

「ほんとにカオルはかわいくないな」
「悪かったな」
「いや、全然いいけど。オレは、カオルがちゃんと人間の女の子だったってわかって嬉しいんだもの」

 アメンボこと雨野は、さっきまで足に装着してたビート板に今はあごをのっけて。
 プールから、プールサイドに腰掛けたカエルことカオルを見てた。

 同じ水の仲間だからって、カエルにはアメンボのことはよくわかんない。
 うっとおしいとか、うざい、とまではさすがに思わないけど、面倒くさいぐらいには思えて。

「ああもう!」

 癇癪を起こして、髪の毛をぐしゃぐしゃとかき乱してから、カエルはがばっと、セーラー服を脱ぎ捨てた。
 目を真ん丸にしているアメンボにむかって、今度は足をするりと抜かしたスカートを放り投げる。

 ひらり、と青い空の中を舞って。
 濃紺の生地の向こう側を一瞬透かしたそれは、寸分の狂いもなく思春期の少年の頭の上に落ちてきた。

「うわあっ」

 という叫び声と、ばしゃーんっ、と水しぶきが上がるのがほぼ同時。
 真っ赤な顔をしたアメンボに、水面から上がってきたカエルがあかんべーをした。

 大方の予想を裏切って、カエルはスクール水着姿で。
 ああ、制服の下に着てたのね、と混乱する頭で、アメンボが思った。
 どんなときだって、プールに飛び込む準備は万端だ。

 カエルはカエルで。
 アメンボはアメンボで。
 明美先輩は明美先輩で。
 ヘビメガネ野郎は、……副委員長になったけれど。
 それで、いいじゃないか。と、カエルはプールに浸りながらしみじみと思った。

 だって、プールの夏はまだまだこれからなんだから。

 

 

 + + +

 プールサイドの向こう、フェンスを越えて。
 水泳部の部室の影を利用しながら、涼んでいた律は、メガネをしおり代わりに挟んで、読みかけの参考書を閉じた。
 人間じゃない生き物を見るように、歓声のあがるプールを見つめる。

(どうして女子ってプールに飛び込みたがるんだろう……)

 ぼやけた視界の中でまた一つ、世界の新しい定義を発見する。
 近くの木にとまったセミの鳴き声がじりじりとうるさい。
 ますます暑くなるだろう、夏の予感に眉をしかめてから、律は再び参考書を開いた。

 それぞれの夏はまだまだこれから。

 

 

 

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