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KAMWOOD SYNDROME
〜とある神林狂いの日常〜

■過去の日記02(`01年9/21〜10/31)

<ふりむけば……>
 三歩進んで二歩……いえ、五、六歩くらい後退しているカンジですね(^^;;)。
 ファイルサイズが40Kを越えたもので、過去の日記を別ファイルに分割し、いよいよ当コーナーのメインテーマ(だったのか?>自分)である「深井零とキリコ・キュービィの比較」の話題に突入したのもつかの間、表の日記で濃いハナシにはまっちゃったり、風邪をひいたり……で、早々に中断。そうこうするウチに、オシゴトが殺人的に忙しくなってしまって、「日記」というのもおこがましい更新ペースになってしまいました(^^;;)。
  というわけで、最初の2、3日分を除いて全然大したハナシはしていないのですが、ごくごくささやかなものであれ、「神林ネタ」に事欠かない毎日であったなぁ……と改めて呆れたり(^^;;) 。
kayako拝)

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月曜深夜0時過ぎのオフィスで…(10/31

 依頼のブツが外注から届くのを待つ間、退屈しのぎにGoogle検索。
 9月16日の付けの日記で「雪風 キリコ」で検索したら、ウチの雑記がTOPでヒットした…ってなことを書きましたが、その後、別 のページ(こちらの「キリコ」は、北陸の方のお祭りのアレで、「雪風」はそのものズバリの自然現象でしたが)にTOPの座を譲ったことは確認していたもので、そろそろこちらの日記でも訂正入れにゃ〜……ってなことを思いつつ、念のために、同じキーワードで再検索。
 果たして結果は……このコーナーが、しっかりTOPで引っかかりました(大笑)。
 あとは、ウチの雑記以外で「あのキリコ」と「あの雪風」でヒットしているのは、以前ご紹介したのと同じページと、某匿名掲示板。よーするに、このネタって、「そう思ってる人間は少なからずいるけれど、実際につっこんで語っているヤツは皆無に近い」という状態だということなのかしら……(^^;;;;)。
 思えば、わたしの場合、そもそも『ボトムズ』に対するスタンスからしてそうだからなぁ……ちょっとばかりジャンル替え(?)しても、世の中でのポジションは同じじゃん(苦笑)。

 ともあれ、「こりゃネタになるな」と、今日は午後11時半上がりの「定時(涙)」で帰宅できたもので、この一文を書きあげ、アップして、その後もう一度Googleで検索かけたら……あらら、今度は↑で書いた「雪風吹きすさぶ中のお祭り」のページがTOPだわ……もしかして、接続するサーバによって、結果が違うのか? まさか?>Google

 明日(もう今日だって)、また職場から試して見よう…


深夜残業&休出の日々に…(10/22)

 会社帰りにふと、反対方向の電車に乗って、そのまま失踪してしまいたくなったりして……(^^;;)。
 が、そこで思いとどまる第一の理由は、「ウチにはまだ読んでない神林本が…っ!」(笑)
 続いて、思い出す。「山手線じゃ反対方向乗っても意味ないじゃん(爆)」。
注:JR山手線は東京都内をぐるっと(約1時間3分ほどかけて)一周する路線なのです。>首都圏以外の方
  学生時代、帰宅途中でよく寝過ごして、めんどくさいからそのまま一周しちゃったことが何度も(^^;;)。

 …ヨタはさておき、本題。
  表の日記(…って、じゃ、こっちはウラか?)でも紹介した稲葉振一郎センセイの『ボトムズ』に関する小文。ここで言われている「自分が自分であることの肯定」を、さりげなく具現しているのが、ジツは神林作品なんじゃないかな……なんて思ったり。
 特に、先日読了した、『天国にそっくりな星』の主人公、解説の山岸真さんに「神林作品のだれもかなわないだろう」と言わしめた坂北天界(さかきた・てんかい)は、稲葉先生の文章が語るところの「超人」=「実はぜんぜんご大層なことじゃない、ごく普通の人」に、思いっきり当てはまります(^^;;)。
 誰が何を言おうが、自分にとっちゃ、今感じていることが現実。ここが植民したよその星だろうが、死後の世界だろうがかまうこっちゃない。恋人の玲美といいことができればそれで幸せ♪……っていう、「コイツ、アホちゃうか?」ってなくらいの脳天気男なんだけど、そのとことんテッテー的な(山岸氏曰く「ほとんど信念といえそうなレベルに達している」)までの脳天気ぶりがいっそ清々しくてカッコよい(*^^*)。
 確かSFマガジン99年7月号の神林長平特集でも、

 「踊っているのでないなら 踊らされているのだろうさ」(デビュー作「狐と踊れ」)のように、「誰かに操られているというおそれ」から始まった神林ワールドが、ここへ来て、「踊らされているなら、踊らにゃ損ソン♪」の境地に至った作品

 ……といった文脈でこの作品を取り上げていた…というような記憶があります。
 『天国〜』が書かれたのは、`93年。解説によれば、神林の長編デビュー十周年だそうで、正真正銘のデビュー作「狐と踊れ」からは、13年…かな。それだけの時間をかけて、「自分が自分であることの肯定」を掴んだ作家さんだからこそ、旧『雪風』〜『グッドラック』における零の激変を説得力を持って書けるんだろうな…と。
 あ、「説得力」というのは、あくまでもワタシにとって、です(^^;)。某匿名掲示板などでは、『グッドラック』については、「深井中尉が別人」「昔の方がイイ」「あんなの違う!」みたいな声もしばしば聞かれますし……もぉ、そういうところまで、零ってばキリコにそっくり(笑)。
 もっとも、天界や零に比べると、キリコはまだまだぜ〜んぜん腹のくくり方が足りんぞ〜〜とは思いますがね。
 まぁ、天界と零とキリコじゃ、それぞれ年齢が(推定)10歳ずつ(つまり、キリコの歳×2=天界の歳)も違うから、しょうがないんだけどさ(^^;;)。
 #零だって、天界に比べりゃまだまだ未熟者だと思ふ。

(02:00)


嗚呼、肩透かし…(涙)(10/20)

 今週こそ土日休めると思ったのに〜〜〜(T_T)(T_T)。納期延びるし〜(というか、元々無理して前倒させられていたものが、土壇場で元に戻っただけ……でも、前倒し合わせのために休出した日々は戻らない(T_T))、入れ替わりに来るはずだった別件の仕事とは並行作業になっちゃうし〜、ヘタすると来月半ばまでこんな状態かも……(号泣)。

 というような泣き言が言いたかったわけではなく(^^;;)、別口の肩透かしのハナシ。
 今月発売の『グイン・サーガ』新刊の巻末広告を眺めていたら、神林の『プリズム』が載っている!! 在庫切れだったはずなのに(ワタシはヤフオクで入手しました)、久々に増刷したの? ……と、ワクワクして、ハヤカワのサイトを覗いたら……やっぱり在庫ナシ(^^;;)。オトナはウソつきだ!!
 う〜ん、でも、マジで、これが在庫切れっておかしいよ〜(ぶー、ぶー)。徳間からの再刊じゃなくって、生粋の早川作品(SFマガジン連載)だし、星雲賞取ってるし……。『グイン』巻末の広告でも、「星雲賞受賞作」ってアオリつけて、『ダーティペア』とかと一緒に並べているのに……
 #それで「在庫ナシ」って結構恥ずかしくないか?>早川さん

 神林作品では、「機械(コンピュータ)に完璧に制御された未来都市」というネタが頻出しまして、連作短編集『プリズム』も、冒頭の一作は一応その系統なのですが……そこからあれよあれよと広がるイメージの奔流は、「SF」の枠では到底くくれません。文章のもたらす酩酊感は、「言葉」というよりも、むしろ絵画や音楽に近い。
  都市を管理する浮遊制御体から認識されない孤独な少年が、雨の中出会った不思議な生き物は……。自我に目覚めた機械ユニットが、処女生殖で天使として生まれ変わる。色の魔界から来た青の魔人が黒衣の未亡人に扮して人間界に降り立ち、ペンタグラム(五芒星)の瞳を持つ若者が緑の魔人と共に冒険する。「色」を操る職人が巻きこまれた殺人事件。彼を追う刑事。そしてラスト、「物語」と「現実」が一つに繋がる。
 最終話で、 ヘクサグラム(六芒星)が、「一つには重ならない二つの三角形」からなることに、改めて気づいたとき、何故か、『ボトムズ』で描かれた三角関係を連想しました。巻頭のエピグラム「あなたがいて わたしがいる」は、今年の夏の新刊に使わせてもらっちゃったし(^^;;;)。
 #作中での使用法とは逆の意味あいでだけど。
 マジで、わたし、もう一冊買ってもいいと思ってますので、早川さん、再刊お願い!!
 #ここで言ってもダメだって(^^;;;)。


今度こそ……(10/17)

 出るみたいですね。『永久帰還装置』。
 http://www.asahisonorama.co.jp/hp/bunko/bunko-2001-11.html

 11月中旬ということは、運が良ければ、ちょうどワタシの誕生日の頃に入手できる♪ 発行遅れてくれて、ラッキーだったかも(^^;;)。この10月中旬の忙しさを思えば、出ても買いに行けない、買えたとしても、読む時間が取れないって、ヘビの生殺し状態だったでしょうから……

 しかし……『キマイラ』ってまだ続いてたんかい(爆)。まぁ、菊地の『D』もまだ完結してないから、お互い様なんだろうけどさ(^^;;)。
 ……って、今も『グイン・サーガ』読んでるヤツが言うか〜!?


ふと気がついたら7days(10/16)

 日付の上では、一週間以上ご無沙汰しちゃいましたね。
 やはり、「後からまとめて書こう」なんて、夏休みの宿題みたいなこと企むもんじゃないって(^^;;)。>自分
  一応、あとで膨らませて書くつもりで、オシゴトの合間に一言二言「ネタの元」程度のことは毎日メモしてはいたんですけどね〜。今読み返すと、「神林ネタ」というにはかなり苦しいものもあるので、お蔵入りを決定(^^;)。 まぁ、面白い話に発展しそうなものは、またそのうち形を変えて登場するでしょうし……。

 とはいえ、貧乏性なワタシとしては、折角書いたものにまったく陽の目を見せないままというのもしのびないので、ここで「ネタ一覧」だけでも公開してしまいます。実際は、単語だけが羅列されていたり、書き出しの一文だけがあったりで、ホンマに「個人用メモ」の体裁なのですが、ある程度中身が想像できるような形に加工してみました(^^;;)。

10/9 山岸真氏(『祈りの海』ほか、グレッグ・イーガン作品の翻訳者)、神林作品文庫解説最多登板(4回)。
10/10 『パラサイト・イヴ』より面白い…(爆)。 瀬名秀明の『祈りの海』解説。
10/11 「ジャム人間」の選別でノーベル化学賞!?
10/12 げっ! 自分で100HIT踏んじゃった(^^;;;)。
10/13 『祈りの海』途中までの感想。
「貸金庫」イントロは『我語りて世界あり』? 身につまされる「キューティ」「誘拐」。タイムリー過ぎ!「百光年ダイアリー」。「過去」と「未来」の闘争って、『完璧な涙』?

 先週は相変わらず忙しくて、ゆっくり考えたり文章書く時間が取れなかったのと、ずっと『祈りの海』を読んでいたから、神林ネタをひねり出すのに苦労してたみたいですね(^^;;)。でも、イーガンの短編が神林作品と似ているところがあるというのは、多分、こじつけではないと思う(^^;;)。
 もっとも、先にこちらの意見を読んでいたから、ワタシの中にそういう先入観が刷り込まれていたのかも…という可能性は捨てがたいですが(^^;;)。


燃え尽きた……(10/8)

 日曜に11時まで(モチロン午後です)頑張ってオシゴトしたおかげで、なんとか今日はお休みです。 でも、なんか疲れすぎてるのか(?)いつものように爆睡もできずに、昼前には目覚めてしまった(^^;;)。
 お天気もパッとしないので、半覚醒の頭で本を読み、WEBを覗き、ちょこっと更新の案を練り、すぐに飽きてまたWEBを覗き、本を読み……と、ダラダラと1日を終えてしまいました。

 今日読んでいたのは、久々に神林作品以外の本でして……。会社帰りの古本市でGETした(^^;;)グレッグ・イーガン『祈りの海』(書評はこちら)。かなり面白いです。神林好きな人はきっとハマると思います。先に出た『宇宙消失』や『順列都市』みたいな上下巻の長編と違って、短編集だから読みやすいし……神林作品の解説でお馴染み(?)の山岸真さんの訳文もいいですよ〜。でも、細かい感想は、全部読んでから(^^;;)。

 で、今日の神林ネタは引き続き渋谷ブックファーストから。
 ここのSF単行本棚の品揃えがよろしいのは昨日の日記に書いたとおりですが、徳間の年2回発行の雑誌(?)「SF JAPAN」のバックナンバーも揃ってる! ここの日本SF新人賞の審査員に神林が加わっているという情報は前々から知っていたもので、講評部分を立ち読みしたら……面白いです。特に、今年(第2回)の受賞作『ペロー・ザ・キャット全仕事』の評がたまらない(笑)。「猫は猫だから猫なんです! (人間の引きこもりを正当化する言い訳に使うのは)猫に失礼です!」(要旨)。作品の「小説としてのうまさ」は充分に認めつつも、「猫」の扱いが気に入らなくていらっしゃるのね、センセイ(^^;;)。
 その他の作品への評も、去年の第1回のものも、「ああ、やっぱり、この人がアレとかコレとかソレとかを書いた人なのね」と納得しちゃう内容で、他人の小説への評を通して、(無意識に?)ご自身の小説観を語っていらっしゃるから、ちょっとしたエッセイやインタビュー記事を読んだ気分になりました。
 今年のSF大会席上でのインタビューによれば、審査員の仕事にエネルギー取られて小説書けなくなっちゃった…そうですが、さもありなんと頷けてしまったりして(^^;;)。同じく審査員に名を連ねる現役作家で、つい最近もこんな分厚い本(2段組682ページだそうな!)出してる山田正紀の講評は、わたしが山田作品を一作(『最後の敵』)しか読んでないのを差し引いても、ほとんど印象に残らなかったことを思うと……「小説書くエネルギー」と「他人の小説を審査するエネルギー」って、両立しないのものなのかも……なんて思ったり。


明日もお仕事(T_T)(T_T)(10/7)

 下で、
 >>ぜ〜ったい、起きられないって!

 なんて書いていたら、案の定寝坊しました(爆)。
 まぁ、それでも、一応「お手伝い」の義理は果たせたからよしとしよう(^^;;;)。ワタシの担当分の仕事は、日曜以降が本番だし〜。カイシャだって、休出手当て出すのが少なくて済むほうがいいだろうし〜

 というわけで、翌日に備えて早々に退社。帰りがけに、久々に渋谷でお買い物……はいいけど、なに〜、あの人ごみ〜? 駅や道がコミコミゴミゴミなのには今更驚きゃしないけど、ブックファーストの中まで人でいっぱいなんだもんな〜〜(-_-;;)。「出版不況」はどこの話だ?……って、みんな買わずに立ち読みしてるのか(爆)。
 で、ブックファースト。本日のワタシの目当ては、2Fの上りエスカレーター真正面のSF棚。4月の頭にここで『グッドラック』を買ったときにはあったんだけど、まだあるかどうか……あった!!

『魂の駆動体』波書房(1995.10)

 先日の日記でも取り上げたハヤカワ文庫版(2000.01)の元になった単行本です。渋谷のブックファーストが出来たのは、確か97年頃だったような記憶があるけれど、不思議とそれより昔に出た本がひょこっと置いてあったりするんですよね〜。こういう大手書店では、倉庫に眠っている本が結構あったりするのかしら? ちなみに、Amazonでは既に品切れ、bk1では、一応「2−3日内取り寄せ扱い」ですが、書影はないので、リンクは貼ってません(^^;;)。
  版元の波書房って、あまり聞いたことのない出版社ですが(検索したけど、オフィシャルサイトも作ってないみたい)、SF系では夢枕獏ちゃんとか、天野喜孝の画集とかも出してるようですね。
注:獏ちゃんや天野を「SF系」と言ってしまうのには抵抗があるけど、「オタク系」というと、また別の誤解をされそうなので、とりあえず「SF系」でくくります。(^^;;)

 もう、こと神林に関しては、「毒食らわば皿まで」といおうか、単行本と文庫本を両方揃えるという方針がわたしの中で定着しちゃってますね(^^;;)。
 まぁ、再刊されたものはどちらか1冊を持っていれば、無理してまでもう一方を入手しようとまでは思いませんが、目の前の書棚にあったり、WEBに手ごろな価格で出品されていたりしたら、まず躊躇せずにGETしちゃいます。
 特に、この『魂の駆動体』の単行本は、装丁が良いんですよ〜〜。ギュッと胸に抱えるのにちょうどよい大きさの厚さ(『グッドラック』や『ライトジーンの遺産』はちょい厚すぎ。ちなみに京極の『ルー=ガルー』みたいなのは論外(^^;;))。作中に登場する「リンゴ」を思わせる緑と赤の表紙。画面の大半は緑。生い茂るライトグリーンの草むらと、もっと深い色合いの緑の朽ち果てた機械(戦車?大砲?)。その中に隠れるように描かれた小さな赤いクルマ(ミニ?プレリュード?)。クルマの色に合わせた赤い腰巻き。本文の紙は眼にほんのりと優しい(気がする)淡いクリーム色。各章の数字には飾り罫。ノンブルやフッターの配置といい、表紙の著者名のフォントといい、よく見ると、すごく凝っているんですよね〜。
  「モノ」としては、絵本やある種の画集や写真集ほどにはアーティスティックになりすぎず、あくまでも「工業製品」の枠内に留まりながらも、精一杯「本という形」の意味を主張しているような、というか……わけわかんないですね(^^;;;)。要するに、文章系同人屋としては、装丁のお手本の一つにしたいような本、なのです。
 わたしの持っている神林の単行本は(まだ文庫化されていない)『グッドラック』を除いて、実は「まぁ、文庫も持ってるけど、古本で安いから買っておこう」という動機で買ってしまったものが大半なのですが(^^;;)、これだけは、既に文庫を持っていても、新刊で買っても惜しくないくらいに気に入っているのです。既に内容は文庫で読んでしまっているから、「また積読本を増やしてしまった…」という良心の呵責に苦しむ心配もないし(爆)。<なんか違うぞ〜!
 あ、中身の方も、文庫ではカットされた「作者あとがき」が入っているので、それなりにお得です〜。文庫は文庫で表紙イラストが可愛いし、解説ついてるし、何より持ち運び易いし〜で、そっちはそっちで持ってて嬉しいし(^^;;)。

 ……と、こうして書くと、わたしが非常な「愛書家」のように見えますが(え? 見えない?)、折角入手した本も、本棚にスペースがなくて、部屋に平積みしたままです(爆)。万一わたしが、何ぞ猟奇的な犯罪に走って、室内がマスコミに公開される羽目にでもなったら、「やっぱり……」って言われてしまうこと間違いなしな状態。やはり、せめてダンボールでもいいから、一つの箱に収めてあげねば……本格的に本棚に空きスペースを作るべく整理に乗り出したら、1年かかっても終わらないに決まってるから(号泣)。

(02:45)


ワタシの連休はどこ?(T_T)(10/6)

 巷は明日(というか今日ですね)から3連休ですが、わたしは休出決定。下手すると、3日間とも出勤かも〜〜(T_T)。
 しかも、明日は徹夜組のお手伝いもあるから、いつもと同じ時間に出勤予定。……ぜ〜ったい、起きられないって!

 と、嘆きつつも、帰宅途中、夜食のために立ち寄った午前0時過ぎのモスバーガーで『天国にそっくりな星』(光文社文庫刊・現在絶版)を読了。
 光文社文庫から出ている神林作品は全5作、すべて現在絶版・入手困難(一番最初の『太陽の汗』だけはハヤカワ文庫から再刊されたものの、やはり現在在庫切れ)……なので、わたしもそのほとんどをヤフオクやEasySeekで入手いたしました。が、この1冊だけは、家から自転車で20分のブックオフの100円コーナーで見つけちゃったんですよね(^^;;)。

 解説に曰く、神林作品中「最強」のキャラ…つまり、最も脳天気で、「おしあわせな」男が主人公の話だけあって、本自体との出会いまでも脳天気だったというべきか……。
 で、内容も、「一見お気楽に見えて実は非常に深遠、だけどやっぱり脳天気」な神林節が炸裂してました(^^;;)。話の天界…もとい、展開には「ん?」と首をかしげるところもあるんだけど、もう、全編に渡ってしゃべりまくる主人公の爆裂神林トークに流されちゃって、「わかった、もういい。キミの勝ちだ。好きになさい」って降参しちゃうというか……。
 きっとそのうち、セリフとか引用しまくって語ると思います(^^;;)。

(03:17)


少し休むんじゃなかったっけ?(^^;;)(10/5)

 いや、今日(10/4)は日付が変わる前に帰れたから、つい……(^^ゞ。
 でも、まだまだ風邪が抜けないので、話はごくごくライトに。

 二年前から予告されていた朝日ソノラマからの書き下ろし作品(『永久機関装置』だとか)が、ようやく十月に出るという話だったのに、朝日ソノラマのサイトには、それらしき予告がない……(T_T)。 まぁ、作者が脱稿しても、本になるまでにはイロイロなプロセスがあるから、一ヶ月や二ヶ月の遅れはよくあることなのでしょうが……

 一人の作家、一作の続き物にハマった時、既刊分を探し回って買いまくるというのはジツに楽しいものですが、「初めて新刊をリアルタイムで買う時」というのはまた特別な感慨がありますよね。
#ですよね?>本好きな方々
 神林の場合、その作品の大半はハヤカワ文庫から出ているのですが、奥付の日付や(新刊で出て以来、わたしが買うまでの数年間、売れ残っていたらしき本の)投げ込みチラシなどをみると、同じくハヤカワからの『グイン・サーガ』の新刊と同時期に出ているものが何冊もあるのですね。あちらの方とは、わたしは高校時代(当時、本伝が21巻くらいまで出ていたと思う)からのおつき合い(^^;;)ですから、ここ数年は季刊〜隔月刊ペースの『グイン』の新刊を店頭で手にしたとき、その同じ平台の上には、神林の本も積まれていた可能性が極めて高いわけです。
  それで思い出したのですが、八〇年代終わり頃、SFマガジン増刊の「Hi!」という、日本人作家のみの季刊誌が出てましてね〜。いのまたむつみさんが表紙を描いていらしたりして、今思えば、当時はコバルトや朝日ソノラマくらいしかなかったヤングアダルト系(もちろん当時はそんな言葉はなかった)に近い雰囲気の雑誌だったかも。
  まぁ、中身はやっぱり「ハヤカワ」で、わたしは『グイン』外伝を目当てに買っていたものの、それ以外の作品はほとんど読んでいませんでした(^^;;)。でも、確か、神林も「敵は海賊」を書いていたんじゃなかったかな。「開かずの本棚」をこじ開けて、発掘すれば、たぶん出てくると思うのですが……>Hi!

 今、こんなにも愛している対象と、もうずっと以前からすぐ近くで何度もすれ違っていたのに、何故か出会えないままに何年もが過ぎていた……なんてこと、世の中にはよくあるのでしょうか? そんなことを考えて、「めぐりあわせ」の不思議さに、ちと思いを馳せてしまったり……

 そういえば、わたしの場合、『ボトムズ』もそうだったっけな(^^;;)。

(01:23)


風邪をひいた(10/4)

 一昨日の午後発症し、残業の間に順調に悪化。今やドナルドダックのような声です。幸い発熱はないけど、鼻から脳漿が垂れてきそうで、ティッシュが手放せません(^^;;;)。 それでなくても、貧血と寝不足でアタマがボーっとしているのに〜〜。
 こういうときに、無理に書くと、脳みそユルユルであらぬことを口走っちゃいそうなので(それはそれで楽しいかしれんが)、この日記もしばしお休み(^^;;)。
  でも、ひとつだけ訂正。9/25付、零の「口癖」。「俺には関係ない」じゃなくって、「おれには関係ない」でした。零に限らず、神林キャラの一人称は大抵「おれ」なんですよね。「俺」ではなく(^^;;;)。
 間違えて書いたまま、10日近く放置してしまった……

 うう、また悪寒がするので、もう寝ます……

(01:18)


『雪風』映像を見た(9/30)

 深夜残業&休日出勤が多かったせいか、今月は接続時間に余裕があったので、以前ご紹介したサイトから予告編?をダウンロードしました。
 しかし、これ……ムービー自体のデータじゃなくって、SF大会会場にカメラ持ち込んで撮影したの??(^^;;;)
 「隠し撮り」というには堂々とリンク貼っているから、許可は一応取っているんだろうけど……ちょっとビックリでした。

 で、感想は……零が、無駄に美人でイヤ〜〜〜(T_T)(T_T)。 いや、先月号や今月号のSFマガジンで、一応スチールは見ていたから、覚悟はしていたんだけど……動くと、更に美人。可憐。しかも清楚な色気まで振りまいてる。ブッカー少佐と仲むつまじくお買い物するところなんざ、某台所用洗剤のCMみたい(爆)。「奥さんカワイイねえ〜、よーし、オマケしちゃうよ♪」と、思わず呟く自分がイヤだ(-_-;;)。
 ただ、ワタシの不満は、いわゆる「イメージが違う」っていうのとはちょっと違うんですよね。「深井零」というキャラクターから感じる様々な要素のうちの一つを「絵」にしたら、多分…いえ、きっと、この路線になると思う。あの、「雪風より、キミの方が、よっぽどシルフ(=風の妖精、転じて原作中では清楚な乙女の意にも使われている)だよ」って言いたくなるようなルックスは、零の脆さ、弱さ、甘さの「視覚化」だとすれば、「これ以上は望めないほどイメージぴったり」ではあるんですよ。
  でも、その反面、【恋人】に対する、いかにも男性的な(というと語弊があるけど)「身勝手さ」も、彼というキャラクターの重要なポイントだと思うので……。だから、ワタシとしては、外見はあくまでもナチュラルに男っぽい路線をイメージしていたのです(^^;;)。
#個人的な好みとしては5〜10年前の織田裕二。ちなみにMYブッカー少佐は渡辺謙。
 まぁ、「男クサイ外見に、夢見る少女のような繊細な内面」をアニメで表現するには、エピソードやシーンを積み重ねる必要がありそうですから、ある程度の尺がないと難しいでしょうね。だから、思い切って「内面重視」で行くのなら、あのキャラデザもありだろうなぁ……とか。

 「小説とは別物」って割り切っちゃえば、それはそれで充分期待できそう……かな。
 

(02:51)


ちょこっとお休み(9/27)

 突如として別口の更新にハマってしまったので、勝手ながらこちらの話題は週末まで少しSTOPします(^^;;)。

 「通勤の友」は、昨日『完璧な涙』を読了。
 「感情のない少年」が「運命の女」と巡り会い、「自意識を持った戦車」に時空を越えて追いかけ回される物語……と、「キリコとフィアナの物語」にこだわる人間としては、ちょっと気になる筋立てですね(^^;;)。
 わたしの感想としては、こちらのカップルの関係は、キリコとフィアナとは「似て非なるもの」ではありますが、どこが似ていて、どこが違うのかを厳密に考えていくと、結構面白いかも。
 わたしが、「あ、ここキリコっぽい」って感じたのは、ジツは主人公ではなく、「戦車」の方だったりして(爆)。

(22:09)


So what? It's not my business.(9/25)

 前回は、キリコと零の共通点として、「不遇な生い立ち〜周囲の人間から孤立した環境」というのを挙げましたが、これって、物語の主人公としては、特に珍しい環境でもないですね(^^;;)。 たいてい主人公なんてものは、話がスタートした時点で、その物語世界や作中の社会から何らかの抑圧を受ける状態──いわゆる「逆境」というヤツ──に置かれている(或いはいきなり突き落とされる)ものですし。
  ただ、その「逆境」の受け止め方や対応の仕方には、いくらかバリエーションがあると思うのです。「逆境」から這い上がるべく前向きに努力する。自分をその立場に追い込んだ相手への復讐に燃える。あるいは、ただひたすら逃げ回る……等々。
 で、零とキリコの場合はどうかというと……これも精神的な意味では逃避になるのかな。自分を傷つけたり煩わせたりする「外界」を自分の精神的な視界から閉め出す、具体的に言うと「周囲に対する無関心」でもって、「逆境」に対抗(というにはあまりに消極的な方法ですが)しているように見えるのです。
 モチロン、物語の冒頭でいきなりお尋ね者?になってしまったキリコと、精神的にはどうあれ、物理的・社会的には一応安定した身分の零とでは、当然、表面的な差違は多々あります。が、それはひとまず置くとして〜(^^;;)、とりあえず、零の方から先に見てみましょうか。

 零の上官のブッカー少佐が、自分の部下である特殊戦の面々を評して曰く:

「おだてられようが無表情、けなされようが無関心、泣きつかれようが冷酷、おどされようが冷徹、そんな戦士たちのこたえは聞かずと知れてる。『関係ないね』さ。」

■旧シリーズ第二話「騎士の価値を問うな」より

 まぁ、こういう特殊な(?)パーソナリティの持ち主でなくては、「友軍を見殺しにしてでも帰投せよ」なんて命令は果たせないのでしょうから、さもありなんというところでしょうか。元々の性格に加えて、日々の任務が本来の性向をいっそう強化するということもあるのかな。
 で、特殊戦──必ず帰還するところから、いくらかの揶揄をこめて「ブーメラン戦隊」と通称される──の一員たる零も、上記の評に違わず、「それがどうした、おれには関係ない」が口癖なんだそうです。
 #という設定の割に、本編ではこのセリフ、イマイチ登場回数が少なかったりして(^^;;)。
  むしろ『グッドラック』の方で「昔の零らしさ」の象徴として言われることの方が多かったような…
  >「おれには関係ない」

 ただ、わたしが見たところ、零は確かに、「無表情」「無関心」ではあっても、「冷徹」や「冷酷」からはほど遠い人間なんですけどね(^^;;)。実例の列挙はまた別の機会に譲りますが。
  でも、彼がそう言われてしまう理由も、なんとなくわかるんです。一言で言えば、「自分以外の人間に対してとことん無関心」だから。
  人間にとって、「他者への共感能力」というヤツは、文明を築き、社会を築くのに当たって必要不可欠なものだった(たぶん)。また「集団で生きる動物」という観点から見ても、「共感能力を持たない個体」っていうのは、群全体を危うくしかねない。だからそれを持たない(というより、持っていても使わない)人間、「他人の不幸」に共に泣くことをしない人間は、周囲の人間から「冷酷」「非情」といったレッテルが貼られ、排斥されるということなんでしょうね。
 でも、人口と情報が爆発的に増えた現代社会では、一人の人間に感じ取れる「世界」は大きく複雑になりすぎて、個人の「共感能力」ではとうに追いつけないものになっている。『雪風』の作中でも、地球に住む大半の人間にとって、ジャムの侵攻も、それに対するフェアリイ空軍(FAF)の戦いも、「共感」の枠外に置かれている様が描かれています(この辺りとても「リアル」だと思う(^^;;))。
  そして、そういう世界の中では、「共感」の範囲が極端に狭い人間が現れるのも、ある意味「必然」かもしれない。 「他者への共感の欠如」は、すさまじい情報の洪水、多様すぎる価値観が渦巻く現代社会の中での、「正気」を保つための、一種の生存のための本能と言えなくもない……っとお、中島梓の評論の受け売りみたいになってしまった(^^;;)
 こちらの資料によると、『雪風』シリーズの第1話「妖精の舞う空」がSFマガジン誌上に発表されたのは、79年の11月号──『ボトムズ』に先立つこと3年少し前──ですが、零のキャラクターは、非常に時代を先取りしていたんじゃないか……なんて、改めて感心したりして。

 …と、零の方の話だけで今日は時間切れですね(^^;;)。キリコについては、また明日…は無理そうだけど、明後日にでも書けるといいなぁ。

(02:39)


とりあえず、始めてみる……(9/23)

 ワタシが見た「キリコ・キュービィ」と「深井零」の類似点・共通点
1.根深い「疎外感」を抱えている
 これは基本中の基本というか、改めて言うまでもない大前提という気もしますが(^^;;)、やはり話の順序というものがありますから(笑)。それに、「疎外感」って一言で言っちゃえば簡単に聞こえるけど、それって、そもそもどういうものだろう?……なんてことも、改めて考えてみたいし。
 とはいえ、あくまでも、予定は未定(^^;;)。あまり欲張らずに、手近なところから始めましょう。

 ……というわけで、まずは両者の物語開始時点での境遇および前歴について。キリコちゃんについては、勝手ながら省略させていただくとして〜(^^;;)、こちらをご覧くださるほとんどの方には馴染みがないであろう深井零氏についてご紹介。
 #ようやく読者様の便宜に配慮する余裕が出てきたらしい(爆)。>自分
 舞台とストーリーのあらましは、こちらの解説(雑誌「幻想文学」の石堂藍氏のサイトISHIDORA'S PAGEより) や、こちらのレビュー(SFレビュアー冬樹蛉氏による)で……って、結局他人のフンドシかい!
 だって〜、なにしろ日本SF屈指の名作だけあって、WEB上でもプロアマ問わず良いレビューが既に数多く存在するんですもの。今更わたしが下手な要約してもお目汚しなだけじゃん(^^;;)。で、読者さまには既に大まかな知識があると仮定したところで(おい!)、強引にkayako的見方に入ります。
 彼について最も端的に語っているのは、旧シリーズ第一話「妖精の舞う空」のエピグラム(巻頭辞)でしょう。

様様なものを愛し、ほとんどに裏切られ、
多くを憎んだ。愛しの女にも去られ、彼は孤
独だった。いまや心の支えはただそれのみ、
物言わぬ、決して裏切ることのない精緻な機
械、天翔ける妖精、シルフィード、雪風。

*改行位置は原文ママ。
「孤独」や「機械」が泣き別れになっている理由は今もって不明(^^;;)。
単なる編集のポカなのかな?

 ただ、わたしとしては、これは「公式発表」というか「営業用キャッチコピー」として少々割り引いて受け取っております(^^;;)。確かに、作中でちらちらとほのめかされる彼の「過去」は、表面をなぞればその通りなのでしょうが、どうも(ワタシには)イマイチ額面通りには受け取れない。いわく言いがたいニュアンスやツッコミどころが見えちゃうんですよね〜〜。
 こちらをご覧になっている方々なら、「一般向け」にキリコが紹介されるとき、彼のお子ちゃまなところや、おまぬけな部分はカットされて、やたらとカッコよさげなキャラクターのように語られて、「いや、確かにその通りなんだけどね、でも……」って言いたくなった経験がありませんか? ワタシの目に映る零も、キリコ同様、「一言で表現したら大事な…かどうかはワカランが、オイシイ部分が欠落してしまう」キャラクターなんですよ(^^;;)。

 が、それはともかく。一般社会に適合できないはぐれ者が多いフェアリイ空軍の中でも、零が所属する特殊戦は更に「異端視」される存在です。まぁ、味方が全滅しても戦闘には参加せず、平然と帰投するところを目の当たりにしたら、そりゃ、大抵の人間はひくわな(^^;;)。見殺しにされた部隊の生き残りにすれば、敵である(正体不明の)ジャムよりも、同じ人間の姿をしながら、情の通じない特殊戦の方が憎いってこともあるだろうし……
 他の部隊から白眼視されているからと言って、特殊戦の人間同士では結束が固いかというと、そうでもない。その任務の性質上、ほとんど単機で出撃し、連携行動を取ったりすることはほとんどない。彼らの駆るスーパーシルフはパイロットとフライトオフィサの二人乗りですが、たとえ生死を共にする相棒と言えども、作戦が終わり機を降りてしまえば、プライベートな交流を持ったりという様子もほとんどなさそうです。
 つまり、彼は、「軍人」とは言っても組織に対する帰属意識がほとんどない、きわめて「一匹狼」的な立場に身を置いているわけです。

 さて、ここでいったん確認もかねて、キリコちゃんと比較してみましょうか。
 いわゆる「不遇な生い立ち」 に加えて、流れ流れて行き着いた先の「組織(軍隊)」でも、かくたる「居場所」を持てずにいる。キリコの場合は、本編の冒頭で、その「組織(軍隊)」からもいきなり放り出されちゃいますが(^^;;)、その前から既に「居場所がない」状態が続いていたように思います。
 レッドショルダーから突然転属させられ、わけもわからず参加させらたリド襲撃作戦の部隊。あのときも、思いっきり仲間はずれにされていましたが(笑)、その前の所属、レッドショルダー内での扱われ方は、OVA『野望のルーツ』の通 りですし、小説版によれば、RS以前の「名もなくありふれた装甲騎兵」時代も、上官からにらまれたり、リンチされたり……と、まぁ、常に「孤立無援」状態だったようですな。
 今気づいたのですが、キリコが「孤立」する理由の一つには、もしかしたら、「どんな激戦でもただ一人生き残る」ことも大きく影響しているのかも。 まぁ、キリコの場合は、戦闘に参加しない零や特殊戦の面々と異なり、ちゃんと戦って大怪我も負ってるわけですが、やはり、極限状態の中での「ただ一人の生き残り」というのは、周囲の人間の扱いにも何かしら「近寄りがたい」ものを感じさせるでしょうし、本人の精神にも何らかの影響も出るでしょうし……。

 零とキリコの置かれた境遇の類似点は以上の通りですが、それにも増して、その中での「本人の反応」というか「気の持ちよう」が、この二人は似ていると思うのです……が、その話はまた次回。

(0:40)


う、時間切れ……(T_T)(9/21)

 そろそろファイルサイズが大きくなってきたので、古い日記を別ファイルにを分離して、リンクを貼って……なんて作業していたら、またまたこんな時間。今日も、帰宅したのは0時回ってたからなぁ……(ため息)。
 というわけで、今日書く予定だった話はまた明日……って、こうして先延ばしばかりしていると、結局何もできないんじゃないかって焦っちゃいますが、最近、そういう状況になると、ふと思いだすのは……

 そう、今日は満足して終わりだ。明日できることは明日にすればいい。 もし明日という日がなかったとしても、それなら明日の苦労もないわけで、 それはそれでいいことではないか。なにも思い煩うことなどないのだ。

『魂の駆動体』(ハヤカワ文庫版 79ページ)

 人の手で運転する「クルマ」が、すべて全自動の「自動車」に取って代わられた近未来、喪われた「クルマ」を自分たちの力でつくろうとする老人たちの物語……たって、設計図作るのがせいぜいなんだけど(^^;;)、このじー様二人がやたらと楽しそうなんですよ〜〜(*^^*)。60過ぎても、心はメカフェチ小僧のままというか……ジツに無邪気でチャーミングなのです。この近未来のじー様ふたりと、もう一つ、遠未来の鳥人とアンドロイドという2組のコンビと一台の「クルマ」の物語が、次第に絡みあい……という展開も大好き。ホント、心に染みいる良い話です。
 上記のモノローグと似たような文章は、先日読了した『あなたの魂に安らぎあれ』にも登場していましたが、『魂〜』の10年近く前に書かれたものだけあって、微妙にニュアンスが違う(^^;;)。

 ソファに身を横たえる。あっけない。あっけない夢の崩壊だ。玄鬼は眠る。明日のことは明日考えよう。きょうの苦労はきょうだけでいい。明日の苦労まできょう背負いこむことなんかないんだ。

『あなたの魂に安らぎあれ』(ハヤカワ文庫版 321ページ)

 わたしとしては、「明日がこなかったら」という仮定にまで思いを巡らせながらも、なおも明るい、『魂の駆動体』の方が、よりスキかなぁ……。単に「楽観的」では言い切れない、突き抜けた透明感のある「達観」とでも言いましょうか。文章自体の良さもさりながら、年月を重ねてそう言えるようになった作者の「トシのとり方」がとてもステキだと思うのです。
 でも、『あな魂』の方も、この直後に続くフレーズにこめられた祈りの美しさが、やはり捨てがたい……

 わたしの魂に安らぎを。

 そしてすべての魂に安らぎあれ。

 おやすみなさい。良い夢を。

(02:02)


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