**奈良・四国・九州の遺跡を巡る旅B 2009.11**
奈良 四国 豊前 肥後 筑豊

九州遺跡探訪ーB-B 筑前(筑豊)
ちくしの歴史博物館、大宰府・九州国立歴史棺、九州歴史博物館、
甘木歴史資料館、仙道古墳、王塚装飾古墳館、飯塚歴史資料館、立屋敷遺跡 
(福岡県)

旅のおわりは、遠賀川沿いに水巻町に出る。その前に前回7月の「九州の遺跡探訪」で訪れた筑紫野市周辺(ちくしの歴史博物館〜九州歴史博物館)を記載しておく。

筑紫野市(隈・西小田遺跡)を起点としての直線距離は凡そ、春日市(岡本遺跡)14km、朝倉市(平塚川添遺跡)11km、久留米市(祗園山古墳)16km、八女市(岩戸山古墳)24km、飯塚市(立岩遺跡)25km、神崎市(吉野ヶ里)27kmの距離にある。これらは全て、弥生中期には甕棺墓制が優勢な地域である。

伊都国・奴国の連合勢力が強かった弥生中期から後期にかけて、筑紫野の首長が奴国に属していたのかどうかは分らない。

古墳時代前期、定型化された前方後円墳は、ほぼ同時期に、豊前苅田町の石塚山古墳(筑紫野市から52km)から筑紫野市の原口古墳や、遥か西の唐津市・久里双水古墳(筑紫野市から53km)などに築造される。

6世紀(古墳後期)に名を残す八女を本拠とする筑紫君磐井の勢力は、中北部九州全域に広がっている。装飾壁画古墳の拡がりの地域と重なっている。磐井の勢力圏あるいは古墳・飛鳥時代の九州の主要勢力は、ヤマト王権・大和朝廷と最後に衝突した歴史を秘めている。

ちくしの市
 筑紫野市歴史博物館・ふるさと館ちくしの 福岡県筑紫野市二日市南1−9−1
筑紫野市には代表的な三つの遺跡がある。筑紫駅(西鉄天神大牟田線)南の隈・西小田遺跡(光ケ丘)遺跡は、弥生〜古墳時代を中心とした遺跡群で、第3地点で弥生中期の甕棺が約130基発見された。第13地点では中期後半の首長と見られる23号甕棺、第3地点では戦闘の跡が見られる被葬者の甕棺群の中に中期前半の首長墓が発見されている。他の二つは、JR二日市駅近くにある。二日市峰畑遺跡は、安政4年(1857)に前漢鏡と中細形銅剣を副葬した甕棺が発見されたもので、弥生中期後半の首長墓と想定されている。道場山遺跡は、中期後半〜後期初頭の甕棺112基が出土した墓地群であり、この地域にも首長が居たと想定されている。
ふるさと館ちくしの 展示室の入口
朝鮮半島系の後期無文土器、祭祀用の土器、西小田遺跡第7地点に一括埋納された23本の中細型銅戈(弥生中〜後期、鹿の絵がある)、原口古墳出土の三角縁神獣鏡(古墳時代前期)など興味深い展示で、写真撮影も許されたので、復習するに好都合だった。
末盧国、伊都国、奴国では、王墓と見られる甕棺には多数の前漢鏡や青銅武器、玉類が副葬されていた。隈・西小田遺跡でも、豪華な副葬品をもち、首長墓とみられる墓が見つけられている。隈・西小田地区第3地点では弥生中期の甕棺約130基が発見され、中期前半の甕棺から、細形銅剣と右腕にゴホウラ貝製の腕輪8個を装着した40才代と推定される男性の人骨が発見された。また、丘陵上にある24基の甕棺群よりなる第13地点では、その中の最頂部で、ひときわ大きな土抗をもつ中期後半の23号甕棺が発見され、35才前後の男性の人骨と重圏昭明鏡、鉄戈、鉄剣、ゴホウラ貝製の腕輪41個が納まっていた。弥生時代中期の前半から後半のこの地域の首長の存在を物語っている。(筑紫野市教育委員会発行「ちくしの散歩」を参考、「ちくしの散歩」は展示説明資料として館内で自由配布されている)
    
  (左)23号甕棺副葬の鉄剣、前漢鏡(重圏昭明鏡)、鉄戈   (中)貝輪(ゴホウラ)             (右)大型甕棺
 
弥生中期の鋳型(銅戈、銅矛)
隈・西小田地区遺跡の痕跡を求めて光ケ丘(住宅地になっている)を彷徨ってみたが、遺跡を示す説明板などは見つからなかった
原口古墳(筑紫野市大字武蔵字原口)は道幅の広い県道福岡・筑紫野線沿いにあったが、個人所有地で入ることは出来なかった。昭和46年に発掘調査されていて、全長約80m、後円部径約56m、前方部幅約25mで、前方部がわずかに開いた前方後円墳である。三角縁神獣鏡三面が出土しており、筑紫野市歴史博物館ではやや欠損のあるもの、東京国立博物館でも一面を見ることができる。赤塚古墳(大分・宇佐)のものと同じ鋳型で作られているのが興味深い。
 大宰府天満宮 福岡県太宰府市宰府4丁目7−1
祭神は菅原道真公、延喜19年(919)に創建、全国天満宮の総本社。当初は、「左遷され当地で没した菅原道真(845−903)の祟り」を鎮めるために建立されだが、後世には「学問の神」として祭られている。
楼門 本殿
 九州国立博物館 福岡県太宰府市石坂4−7−2
2005年10月に開館した。特別展が随時に催され、当日は「阿修羅展」が開かれていた。文化交流展示室「海の道、アジアの路」に考古学的な展示がある。展示室内の写真撮影は禁止。

              水城の築城の模型
「水城(みずき)」は、朝鮮半島からの攻撃を懸念して7世紀中頃に築かれた。大野市から大宰府市にかけて長さ1.2kmの長さがあり、博多湾側に幅60m、深さ4mの水を貯えた堀があった。
人で賑わうエントランス
 九州歴史博物館 福岡県太宰府市石坂4−7−1
九州全域の縄文時代から中世までの遺物が展示されている。写真撮影は禁止。興味深いものも多数ある。平成21年度考古基準資料企画展「西新町遺跡展ー韓と倭のクニグニとの接点ー」が開催されていた。西新町遺跡は、藤崎遺跡とともに福岡湾沿いの弥生時代の重要遺跡で、3・4世紀の東アジア・韓半島・倭国の交流の接点であった。「カマド」、「土器」、「ガラス小玉」、「鍛冶技術」などについての多彩な国際交流が見られる。
国立博物館のある丘の麓にあり、駐車場は満杯 石人や石像のレプリカが中庭にある

朝倉市
 甘木歴史資料館 福岡県朝倉市甘木216−2
平塚川添遺跡(現在、史跡公園として整備)の紹介などが興味深い。弥生後期には環濠集落を形成し、掘立柱の大型建物、ネズミ返しのついた高倉式倉庫などが発見され、鏡・勾玉・管玉など遺物も多い。筑後川沿いのこの地域も拠点集落のあるクニであった。
街中にある甘木歴史資料館は瀟洒な造り  甘木・朝倉地方の縄文文化
祭祀用の銅戈 甕棺墓制の隆盛を物語る
 
 仙道古墳 福岡県朝倉郡筑前町久光字仙道111-2

6世紀後半の二段構成の円墳。二重周濠をもち、複室の横穴式石室をもつ。石室壁面に幾何学模様の装飾が施されている。出土遺物は、石室からガラス小玉多数、管玉8点、棗(なつめ)玉3点、青銅製釧1点、墳丘から須恵器少量、墳丘と周濠から円筒埴輪、朝顔形円筒埴輪、柵形円筒埴輪、馬・人物・家などの形象埴輪が出土した。とくに陸橋脇の周濠から盾持武人埴輪のほぼ完形品が出土したことが注目されている。古墳公園として公開されている。装飾壁画古墳の一つ。
ガイダンス設備に附属した石室レプリカ
赤や緑で彩色した円文、同心円文、三角形文などが描かれている

飯塚市
飯塚市は、かつての炭鉱の町、筑前と豊前の中間の地として筑豊の中核都市(飯塚・直方・田川)の一つである。現在は福岡のベットタウン・エレクトロニクス産業の町に変遷している。穂波川と嘉麻川が合流し遠賀川となる嘉穂盆地の中心都市でもあり、西を三群山地で福岡市と、東を金国山地(あるいは英彦山山系)で田川市(あるいは豊前宇佐市)と、南を馬見山系で朝倉市と隔絶されている。このことは逆に言えば、古代の筑豊は、一山越えれば筑前・豊前・肥後との交流の要になり、「立岩(弥生)遺跡」や「王塚古墳」のような周辺文化と混交した遺跡が生まれた。これに加えて、北に開けた遠賀川による響灘からの海外文化流入が飯塚市周辺(嘉穂盆地)の文化を形作った。「立岩遺跡に北西九州の甕棺文化、王塚古墳に肥後の装飾古墳文化」の流入が見られる。
 王塚装飾古墳館 福岡県嘉穂郡桂川(けいせん)町寿命376
円形の建物の中央に王塚古墳石室の実物大のレプリカがある。それを取巻く周辺のブースに、「王塚古墳が作られた時代(ジオラマとこの地域の出土品)」、「王塚古墳の発見から現在に至る経過」、「装飾古墳全般の説明(塗布原料、全国の9つの装飾古墳の1/5模型と写真)」の展示がある。取り上げられている全国の9つの装飾古墳は、@石人山古墳(福岡)、A千金甲1号墳(熊本)、B日岡古墳(福岡)、Cチブサン古墳(熊本)、D竹原古墳(福岡)、E清戸迫76号横穴墓(福島)、F虎塚古墳(茨木)、G高松塚古墳(奈良)、H江西大墓(北朝鮮)であり、東アジアの壁画墓についての解説もある。
シリーズ「遺跡を学ぶ」010 柳沢一男「描かれた黄泉の世界 王塚古墳」、新泉社、2004.11 に石室・壁画の詳細が解説されている。
王塚装飾古墳館「CODIM OUZUKA]に石室壁画の写真・みとり図がある。九州国立博物館の王塚古墳データベースで壁画写真ほかをインタ^ネットで見ることが出来る。 
  全国に二つある特別史跡の一つ。(もう一つは高松塚古墳) 
展示室中央の実物大の復元模型は感動的だ!その複雑、華麗な黄泉の世界は美しい
 展示室の写真撮影が禁止なので、入場券が貴重
玄室入口(前室後壁)から見る壁画の世界
  
玄室入口の壁には、馬、蕨手文、双脚輪状文、連続三角文、同心円文などが施文されている。玄室内部に入って更に驚く。天井には全面にぎっしりと星(真っ赤な顔料上に黄色の珠文)が描かれている。

肥後北部に顕著な連続三角文と、肥後中南部に発達した盾や靫・太刀などの具象文が一つの壁画に統合したことを特徴とする。
岩戸山古墳の埋葬施設は王塚古墳以上の豪華な壁画かもしれない。(柳沢一男)

王塚装飾古墳館


エントランスは万華鏡
 王塚古墳 福岡県嘉穂郡桂川町寿命376
6世紀前葉に築造された前方後円墳。昭和9年(1934)に発見され、昭和12年(1937)には史蹟指定され、昭和29年(1954)に特別史蹟に指定された。昭和11年(1936)には京大考古学教室により調査され、小林行雄による精微な壁画模写図が残されている。本格的な発掘調査は昭和62年(1987)から桂川町教育委員会により行なわれ、墳長約86m、後円部径約56mで、盾形の周濠を持つ。墳丘は二段構成で、上段の墳丘斜面だけを葺石が覆う。上下段間にテラスがあり、埴輪が並べられていたと推定される。最も特徴的なのは、石屋形を備える横穴式石室を持ち、石室内に描かれた壁画である。


前方部は削平されていて、後円部を中心に復元された。



石室入口にある桂川町教育委員会の説明板より

古墳館からすぐ、墳丘への入口

復元された王塚古墳の後円部と石室入口
(右側に前方部)

石室入口から急な墓道を下り、幅広の羨道(前室)に入り、
玄室入口(左図A)から玄室に入る構造

説明板には、玄室の平面図(中央下)、上段に、玄室入口(左図中央下A)と玄室後壁(左図中央下B)と玄室前壁(左図中央下C)の壁画の様子、左右の下段に各種図文(騎馬・蕨手文・双脚輪状文・三角文・矢具(靫)・盾)が示されている

玄室内は、入口近くに石枕が二つ、奥には石屋形と呼ばれる一面を開け放した遺体安置施設がある

玄室入口の壁には騎馬5頭と図文が描かれ、
玄室内の全面に各種の図文が描かれている

 飯塚市歴史資料館 福岡県飯塚市柏の森959−1
立岩遺跡を中心に、飯塚地方の縄文から中世までの遺跡・遺物を展示してある。
飯塚市歴史資料館はJR九州新飯塚駅の西側、徒歩5分にある。 立岩遺跡出土品の展示室
立岩遺跡出土品展示室は中央に大きな甕棺を据え、周囲に興味深い出土品が分かり易く展示してある。

34号甕棺の人骨と副葬品

連弧文鏡と重圏文鏡

3号甕上棺と3号甕下棺


ゴホウラ製の貝輪
10号甕棺から出土の鉄器と鉄戈には鹿の模様(祭祀用)

旅のおわり
立屋敷遺跡 福岡県遠賀郡水巻町
すっかり暗くなった。水巻町歴史資料館にも寄りたかったが、遠賀川河口の芦屋町まで走って、今回の旅はこれで終り。
遠賀川右岸 前方は鹿児島本線と国道3号線遠賀川橋 弥生文化発祥の地

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