古代北東北の旅
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1.古墳・古墳群 1/2 宮城県へ 2/2 岩手県) 

概要 1.古墳・古墳群 2.城柵 3.環状列石(縄文遺跡) 4.その他の遺跡など

2/2岩手県 角塚古墳 1/2宮城県 雷神山古墳
江釣子古墳群 観音塚古墳
熊堂古墳群 遠見塚古墳
藤沢狄古墳群 青塚古墳
浮島古墳群

南東北(宮城県)
では、北端の大崎平野まで、畿内王権(倭王権)と共通の古墳文化(墓制)が浸透していたが、北東北に入った北上盆地では、僅かに角塚古墳に前方後円墳を見つけるだけである。北東北に稲作技術が伝わったのは西日本にそう遅れてはいないが、弥生・古墳文化への移行よりはむしろ縄文文化の延長上(続縄文文化)の道が選ばれている。その理由は政治・経済・社会体制や対外関係の違いに求められている。

北上地方は、北からの文化(続縄文文化)と南からの文化(弥生・古墳文化)の狭間にある。5世紀築造の角塚古墳は明らかに畿内的であるが、それ以降にこの種の古墳は造られず一過性のものとなった。しかしながら、7〜9世紀には、独自の石室構造をもつ蝦夷塚(えぞづか)と呼ばれる古墳群が江釣子古墳群をはじめ北東北の各地に築かれる。蝦夷塚は伸展葬・玄室・封土という古墳構造より成っている。7〜9世紀という時代は、西日本での古墳造営はむしろ下火になったが、関東では横穴式石室を持つ前方後円墳や方墳、南東北では横穴墓(おうけつぼ)が盛んに造られた時代である。

     角塚古墳 (つのづかこふん) 胆沢郡胆沢町南都田     
墳丘長46m(総長49m以上)、後円部径30.4m・高4.9m、前方部幅20.4m、くびれ部幅13.6m、後円部三段、前方部二段(?)の前方後円墳。主軸は南北を指す。主体部は未発掘。葺石があり、載頭卵円形の周濠がある。円筒・朝顔形、蓋、動物、人物、家などの埴輪を出土。現時点では、5世紀〜6世紀初めの築造で、最北の前方後円墳である。出土品の埴輪は胆沢町文化創造センター内の郷土資料館で見ることができる。
畿内と同様な古墳造りが出来たという事は、古墳造りの技術集団が招かれたか移住したかであろう。現代のように、設計図を渡して孫受けさせるようなことは出来ない。関東(群馬・毛野)の集団あるいは渡来人集団の関わりも議論される。
国道397から見る後円部 墳頂の一本杉が目立つ。国指定史跡の標識、説明板がある。道路の反対側に古墳公園(休憩所)がある 古墳の概要
東側から 後円部の三段構成がよく分かる。広々とした平野の中にある 西側・周濠に相当する場所から
前方部の西南隅から 
前方部は削平されている
胆沢町文化創造センター 水沢市・江刺市・前沢町・胆沢町・衣川村が合併し「奥州市」となり、それぞれが区になっているが、まだ旧名を用いている場合が多い

     江釣子(えづりこ)古墳群 北上市北鬼柳   
旧江釣子村の五条丸・猫谷地・八幡の三支郡群と旧和賀村の長沼古墳群を併せて「江釣子古墳群」と称している。古くは、江戸時代から蝦夷塚(えぞづか)として知られていた。古墳時代末期(7世紀後半〜8世紀前半)築造の6〜15mの円墳群で、消滅したものを含め約20基あり、昭和26年(1951)から約75基が調査されている。
北上市立博物館「江釣子古墳群とその時代 (北上川流域の自然と文化シリ−ズ(19)」 1998 に分かりやすく詳細な解説がある。資料館の出土品見学と展示図録およびこのような解説書を求めることが今回の旅の収穫となる。

五条丸古墳群 史跡センター 公民館と共通の建物である。古墳めぐりが出来るように詳細地図のコピーをくれる。展示も面白く有益だ。五条丸古墳群の石室は、後に見る猫谷地古墳群のものと同様に、川原石小口積石室で、長さは2.7m〜4.95mと色々だが、幅は0.45m〜0.65mと一定している。床面は小砂利を敷き詰めたり、木炭を混ぜたりしたものが少なくない。
史跡センターでは出土品を見ることが出来る。蕨手刀(わらびてのかたな)は蝦夷塚にはつきもの。 史跡センター前には蝦夷塚を復現して見せている。
五条丸古墳群 道端に石積みが残っている。 五条丸古墳群 史跡センターから猫谷地へは標識が完備している。右に行くと江釣子民俗資料館に至る。
五条丸古墳群7号墳は庭先にある。 五条丸古墳群6号墳は墳丘が残っている。


民俗資料館の庭に4っつの墳丘が残る。畑の向こうが史跡センター。この一帯が五条丸古墳群で、多くの墳丘のない古墳が確認されている。
猫谷地古墳群 東北道脇に10号墳ともう一つの石積が残る。すぐ近くの2号墳も石積だけが残る。 猫谷地古墳群 最も墳丘が残っている地域には古墳見学道が作られている。左側に9基、右側に2基墳丘が残る。3号墳1号墳5号墳が大きい。
猫谷地古墳群 説明板も完備 猫谷地古墳群1号墳は石室が公開されていて代表的なもの。直径約12m、高さ約0.9mの不整形円墳。
猫谷地古墳群1号墳の石室:東西0.75m、南北3.55m、高さ1mの石室で、川原石小口積石室と称される。奥壁に立石があり、奥壁付近より頭蓋骨破片と歯、逆側の壁付近に小型壺が出土した。 猫谷地古墳群1号墳の石室:方形の逆側から見る。床面に石が整然と敷かれ、石室は仕切られている。横穴式石室を模倣した竪穴式石室で、古墳文化の伝播と北東北の独自性が理解できる。
八幡古墳群 発掘調査はされていないが、墳丘が残っているものが約8基ある。 猫谷地古墳群 林の中に墳丘らしきものを見つけた。古ぼけた碑が立てられていた。
長沼古墳群 和賀東中学校の校庭に保存されている。校庭外を含めて全体では数10基あるが、13基が調査された。 長沼古墳群 校庭の墳丘

     熊堂(くまどう)古墳群 花巻市上根子字熊堂   
熊野神社境内の説明板によると、「境内に7基、神社西側に9基が確認されている。さらに多くの古墳があると推定されている。直径10m・高1mの饅頭型で周溝もある。主体部は土壙もあるが、川原石により築かれた石室が一般的とされる。7世紀後半〜8世紀中葉の築造とされる。副葬品はガラス製の勾玉・管玉、水晶の切子玉類、和同開珎、蕨手刀、方頭太刀など豊富である。」
花巻南ICから大沢温泉・鉛温泉に行く県道に入り直の所にある。よく知った道だが、以前は「熊野神社があるな」くらいに思っていた。 熊野神社の境内に古墳が残っている。熊野神社は、坂上田村麻呂の時代に胆沢城と志波城(盛岡)との間に磐基駅として連絡所を作り、田村麻呂の信仰する熊野大権現を勧請した所との由来がある。。
境内の説明板 境内の7基の古墳は大切に保存されている。
復元された一方が開いた石室 復元された別の石室

     藤沢狄森(ふじさわえぞもり)古墳群 紫波郡矢巾町藤沢   
徳丹城跡にある矢巾町歴史民俗資料館で古墳の発掘・調査が展示・説明されている。
藤沢狄森古墳群は、発掘調査で60基以上の古墳が確認され、全体では300基を下らない。主体部と周りを囲む溝からなり、直径3〜10mのものがある。主体部には石敷きのものと穴だけのものがある。出土遺物として、玉・鉄器・土器・漆器などあり、質・量ともに豊富である。ガラス玉や渡金した直刀の刀装具など豪華なものもある。造営年代は7世紀中葉を中心とし8世紀には降らない。
近くには住宅街があるが、2〜3度尋ねて、「板碑の並んだところを入った所にある多分あれのことかな」とおばさん達が教えてくれた。 説明板があった。
見つけたのは、1号墳(県史跡)だけ 石碑も立っているが、付近の人は関心ないようだ。

     浮島(うきしま)古墳群 岩手郡岩手町土川   
大正12年に発見され、昭和32年14基の中4基が発掘調査された。直径10m前後で、周溝をもつ。主体部は方形の土壙であるが、粘土質の底部に炭素が含まれ木炭槨の可能性もある。これまでの出土品は直刀・鉄鏃・ガラス玉・土師器などで、7〜8世紀の築造とされる。人骨もみつかっている

西根ICよりR282を北へ、大更で岩手西根線に入る。西根町と岩手町の町境の低い峠にある。西に送仙山が見える。のどかな景色が連なる。墓域は道路から上り斜面になっていて、一帯は史跡公園となっている。
昼時に近くで作業していた人達が木影を求めて車で乗込み休息していた。
道路沿いに2号墳、奥に3号墳 5号墳
6号墳も道路沿いにある。 斜面の頂上付近はなだらかで広い。調査の進んだ11号墳はこの左手にあるが、封土はほぼ失われている。
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