古代北東北の旅
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3.環状列石(縄文遺跡) 1/2 岩手県 2/2 青森・秋田県へ) 

概要 1.古墳・古墳群 2.城柵 3.環状列石(縄文遺跡) 4.その他の遺跡など

岩手県 樺山遺跡 北上市立博物館
湯舟沢遺跡 滝沢村埋蔵文化財センター
御所野縄文公園 御所野縄文博物館

青森県 小牧野遺跡
秋田県 大湯環状列石 大湯サクルストーン館
伊勢堂袋遺跡


ここでは、「配石(組石)」とは複数個の石を一纏めに配置したもので、立石が有る無しにかかわらないものとする。「環状列石」とは幾つかの配石(組石)を環状に並べたものをいうが、弧状または直線状に並べたものも同等に扱う。

岩手県の環状列石は、他に立石遺跡(花巻市)、門前遺跡(陸前高田市)にある。

岩手県で訪れた配石遺構は、環状列石(サークルストーン)という形をとる前の初期的な形を持つ。遺跡の復元は、発掘調査後に埋戻し、元位置に似た石または加工した石を配石した。将来技術が進んだ時に、もう一度検証して貰おうとの配慮からである。環状列石の完成形と発掘した生の姿は、次項の青森・秋田県の遺跡で見る。
配石遺構は墓地説と祭祀遺構の二説があるが、配石の下に土壙(墓穴)がみつかることが多く、祭祀を伴った墓地と解される。

     樺山(かばやま) 岩手県北上市稲瀬村 
縄文中期の集落遺跡で、その北西斜面に配石遺構を伴っている。配石(組石)は昭和25年に郷土史家により発見され、数回の発掘調査後、昭和52年に国史跡に指定、平成7年、「樺山歴史の広場」として公開された。配石は立石を伴わないものを含めて約30ケ所見つかっている。立石は畑の耕作時に引き抜かれた可能性もある。典型的には、立石は丸みのある細長い花崗岩(奥羽山系の川原石)で、周囲の葺石は安山岩の自然礫(国見山周辺の山石)である。まだ20%の発掘で今後が期待される。
遺跡内にガイダンスがあるが、北上市立博物館にも樺山遺跡に関する展示説明があり、同館発刊の「北上川流域の自然と文化シリーズ(6)縄文人の祈りー樺山・八天・九年橋ーに解説がある。九年橋遺跡は北上川と和賀川の合流点に、八天遺跡は5kmほど上流の地にある。この辺りが縄文時代より文化を担っていたことが分かる。

樺山遺跡へのアクセス

樺山歴史の広場は丘陵上にある。西方の道から
「縄文館」はガイダンスになっており、発掘調査の写真、組石のレプリカ、遺跡紹介のビデオを見ることが出来る


中心に立石があるものとないもの、立石が偏在するものなどがある。立石周囲の葺石は死者の霊魂を封じ込める呪術行為であるとも言われている。
丘の斜面に配石遺構が広がる。住居と離れて墓域を定めているのは、住居内または周辺に墓を作った場合より新しい墓制である。配石内の配置は雑然としていて、他の配石が放射状や円状に配置される場合より時代が古いとも言われている。埋葬地区が離れ離れになっているのは、血縁関係で分割されたのとの説もある。
墓域のある低地帯の周囲は平野が広がってる。
立石に人面(?)が刻まれている 立石に石皿が使われているのもある。
東の台地上から 北西の斜面下に配石遺構が散らばる。その向こうに縄文館、遥か遠くに北上川に架かる新幹線の鉄橋が見える。 東の台地上に竪穴住居があり復元されている。
道路を挟んだ台地上の南東広場に、甕棺墓が3基見つかっていて、そのうち2基が住居内にあった。縄文時代に甕棺を住居内に置く事は、そう不思議なことではない。乳幼児の墓あるいは特別な霊の埋葬と考えられる。 復元住居広場の南に林があり、この林の中で新しく甕棺墓が見つかっている。

     湯舟沢(ゆぶねざわ)遺跡 岩手県岩手郡滝沢村字湯船沢  
平成2年に発見され、平成10年に公開された。縄文時代後期に100年ほどの期間で作られ、集落の移動に伴って埋められたと推定される。環状に近い列石で、東西15m、南北20mの楕円形内に広がる。直線状・列状・弧状に配石(組石)が配置される。配石下に幾つかの土壙(墓穴)も見つけ出されている。発掘調査後埋め戻され(深さ1m〜3m)、配石(組石)は元の形状に似た823ケの安山岩で実物大に復元されている。遺跡背後の谷地山(やちやま)は、標高600m前後の山で、自然崇拝・神名備としての性格があるようだ。岩手山を囲んでは、この遺跡のほかに北麓に釜石環状列石(縄文晩期)、諸葛川右岸の仏沢V遺跡に配石遺構(縄文前期)が検出されている。

湯船沢遺跡へのアクセス

 滝沢村埋蔵文化財センター 「縄文ふれあひ館」
K主任主査
にセンター内と野外の環状列石を懇切丁寧に説明して頂いた。遺跡の詳細と想像される縄文人の生活・考えなど現場を受持つ方ならではの話が聞けた。発掘した生の状況が分かる遺跡として、小牧野遺跡と伊勢堂袋遺跡を薦めてくれた。
地表に出ている(右側)は構成する石の一部であることを説明し、実際に使用された石は大きいことを示す。 幾つかの配石の下が発掘され、土坑や埋葬された土偶が出土した。

西(埋蔵文化財センター側)から北の方角を見る。北西から南東に組石が走る2本の直線状列石。手前右に円形状に石が密集。その後方に弧状の列石が見える。列石への墓道も見つけられている。

住居や建物遺構はこの地にはみつけられていない。近隣から墓道を通り墓参りに来たと推定出来る


       湯舟沢の配石は散文的で美しい
東から西を見る。湯船沢環状列石と三角錐の谷地山(やちやま) 谷地山の方角は西方にあり、天体運行と関係しているとする説もある。
よく見ると1ブロックの配石が区別できる。 これも1ブロック
シンプルな配石 少し複雑な配石
中心に立石のある豪華なもの 平板を基調としている
大きな裂石で囲った平板石を中心とする。

     御所野(ごしょの)縄文公園 岩手県二戸郡一戸町岩館字御所野 
平成14年に御所野縄文公園として公開された。縄文時代中期後半の遺跡で、65,000uの敷地に600棟以上の竪穴住居が見つかっている。中央広場の周りに三つの集落がある。中央広場に面した村に、配石遺構とその周囲に掘立柱建物跡がある。平成8年の発掘調査で、西の村では保存状態の良い焼失住居も発見された。
  
        御所野縄文公園へのアクセス

数年前に「奥州33観音巡礼」の時に立寄ったことがあるが、今回は配石遺構と博物館の「鼻曲がり土面」(蒔前遺跡出土)に焦点を合わせた。「鼻曲がり土面」は期待に応える見事さで、展示されている「火とまつり」コーナーにある他の亀ヶ岡土器類も見事であった。

御所野縄文公園の入口 ”きききの吊橋”がつづく

きききの吊橋で水場遺構(湿地)を渡り、
「御所野縄文博物館」に出る。
広い縄文公園  手前左から東むら、中央むら、奥右が西むらと名付けられている。 竪穴住居が東むらと西むらに復元されている。
東むら外にある焼失実験の跡 西むらにある復元した焼失住居
掘立柱建物に囲まれて配石遺構がある。 配石下に土壙も見つけられている。 手前の配石の立石は石皿 石皿の使用は樺山遺跡でも見られた。 食物霊あるいは食物を扱った人の霊への感謝と祈りが想像される。
簡素な平石の配石 二つの配石墓か、一つの大きな墓か?

掘立柱建物は配石のすぐ傍にある。 大きな石で配石している
中央に平石 周囲に細長い石 大きな石(立石?)を含めての小円を模っているのか

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