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1999年11月


30(火)
昨日、小泉喜美子『血の季節』(文春文庫)を読み終わった。うつろな気分で読み進み、気付いたら終わってて、申し訳なかったな…。後半、「現実的なこと」と「ありえないこと」の間で揺さぶられるのが心地よい。どっちで止まるのかっていう期待とともに。

この間、ジム・ジャームッシュの『ゴースト・ドッグ』をみてきました。葉隠好きの殺し屋という設定に合わせ、映画をみる前に、三島由紀夫『葉隠入門』(新潮文庫)を読んでみたものの、あんまり面白くない。ストイックで良いところも、あるにはあるにせよ。映画の中では、それらの文句が随所で引用されている。芥川龍之介の「羅生門」も小道具として出てきました。

見終わってみると、内容の割に、やけに落ち着いた感じが残る。前半は、断続的に10秒くらい寝ました。物語が動き出してからはまあまあで、印象は終わりに行くほど良くなってきた。フランス語しか話せないアイスクリーム屋さんとのやり取り(成り立っている…)は楽しい(これ、微妙に伏線になっていると思った)。うまいなあというシーンがいくつかあれば満足できるたちなので、「弾の入ってないピストルでグラッ」でOKです。あと、ラストの構図が好きでした。

気が付いたら本を買ってた。江國香織『すみれの花の砂糖づけ』(理論社)は、金曜日。

・柴田よしき『RED RAIN』(ハルキ文庫)→上記『血の季節』を読んだので、「吸血鬼つながり」で読もうかな、と。
・ジュール・ヴェルヌ『ミステリアス・アイランド』(上下)(集英社文庫)→人から聞いて面白そうだと思った。でも、『海底二万里』読んでなかったな…。
・杉浦日向子とソ連『ソバ屋で憩う』(新潮文庫)→買うように言われた。
・カズオ・イシグロ『女たちの遠い夏』(ちくま文庫)→最初の1パラグラフがするっと読めたので。『日の名残り』がとても好き。
・ヴァージニア・ウルフ『ヴァージニア・ウルフ短篇集』(ちくま文庫)→短編苦手なんだけど、解説読んでいたら良さそうなので。で、『女たちの遠い夏』の訳者 小野寺健氏、これにも入っている「キュー植物園」を訳している。『20世紀イギリス短篇編(上)』(岩波文庫)。
・小嵐九八郎『せつない手紙』(ちくま新書)→手書きのにも惹かれた。
・京極夏彦『百器徒然袋−雨』(講談社ノベルス)→買っておく。

以下は、昨日「湧書館」で。

・清水紘子『来て見てシリア』(凱風社)→ヨルダンは2,3年前ビザまで取ったのに行くのをあきらめました。シリアでもいいです。
・岸田理生『1999年の夏休み』(角川ルビー文庫)→なんで私の目の前に現われてくれたのか?呼ばれた? 映画の写真が随所に。

「かなりな確率で泣くであろうと自分で予測できる映画」を誰とみに行くか、について。明日。

そんなこと言われると、更新を意味もなく遅い時間にしたくなるなあ〜。昨日も更新してたんです。日記のところに(休)と入れてた↓


29(月)
Tmiさん箱よりごそごそ取り出して読む。両方とも漫画です。

東宮千子『涙がこぼれないように』(冬水社)。絵はあまりうまくないけど、そこはかとなくチクチクする。

今市子『あしながおじさん達の行方』(1)(芳文社)。自分を援助してくれた「5人のあしながおじさん」の秘密。私の好きな(今やハッキリと自覚)「奇妙な生活」話。何も言うことはない、今市子、最高! 続きを早く読みたいっ。どんどんいってくれ!


28(日)
コダックDYNAの携帯ストラップあります。DYNA3本入パックに付いてました。ちょっと変でいい感じ。でも付けるものを持ってない。

携帯電話の必要性の一つ、もっと早く私をつかまえることができただろう、と。しかしまあ、今回の場合、言うなればドタキャンの連絡。待つ側だったら一向に構わないのだけど、自分が遅れた場合、"その場で"相手に連絡できるなら、幾分気は楽だろうなと。公衆電話は減ったと感じるので、待ち合わせ場所からかなり遠く離れないと電話にたどり着けないので。ただ、電話を持っていると、それに甘えそうな気もする。やっぱり持たないほうがいいのかも。

前の会社での後輩の家へ遊びに行く。バスに乗ったのだけど、これが苦手で。前乗り/後乗り、料金の支払い方、いろいろクリアすべきことが多くってドキドキするのです。ぴったりした金額の小銭を持っていれば嬉しいけど、おつりが必要な場合、「両替してから払う」のか「千円を入れれば、おつりだけ出てくる」のか、バスに乗った瞬間に表示を見て判断しなくちゃいけないのが、なんとも緊張を求められる。最初に番号の付いた紙を取って乗る場合も、降りる時には一体いくらになるのか、小銭を眺めつつ乗っていたりして、落ち着かない。

彼女は大学の後輩でもあったので、大学の思い出話で盛り上がる。

創立者の遺言で砂利道は残すってやつが、とうとう舗装されたらしい(靴のかかとに傷を付けて歩いていたあの苦労は、遺言ならばしょうがないと思っていたのになんでよもう)。

「チャペルをトイレだと思ってた友達いたよ」「私も1回しか入ったことない。ちょうどそういう大きさで地味なんだよね」

「お墓参りした?」「してない」「私、したって言ったら親に怒られた」

「一応クリスマスツリーがあるのにどうしてニュースにならないんだろう?」「あんなところまで行かないんじゃない?」

小泉喜美子『血の季節』(文春文庫)がもう少しで終わります。こたつ初日。


27(土)
そういえば先週、牧野修『偏執の芳香』(アスペクト)を読み終わっていた。ソシュールがもっとがんがん出てくるのかと期待しすぎてしまった(のがいけないのか)。

寒くなるからと覚悟をしていたら結構暖か、なのに、夜遅くなってから空気がいきなり冷えた。

携帯電話の必要性を2度感じた。髪の毛がもう少し平凡な長さだったらと思った。歩くのがもっと好きになった。

どの1日も平等に長さは同じなのだと感じ、同時に、過ぎてゆく時間の長さはその制約の中で伸び縮みするのではないかと思った。楽しい時は早く過ぎ、そうでない時はそれなりに、というやつです。

げぇっ、おそるべし……。←が、この一行で今日の日記もデフォルトになったはずです、よね。


26(金)
>いま goo で検索したらその字幕は例の水田菜穂氏によるものだ
とわかった『美少年の恋』。そういう偶然(?)もあるんだなあ。"愛ある"検索ありがとうっ。「もちろん "愛です"」だって! うむむ、「もちろん」っていい言葉だ。


25(木)
こんばんは、くずもちです。ウワバミ?

東京に出張に来ている永井さんと約1年ぶりにお会いしました。お茶しながら近況報告。あれ、そういえば、永井さんは、吸っているのがわからないような煙草の吸いかたしてました。すごいです。

のぞむさんが頑張って『美少年の恋』のVCDに挑戦、どうもありがとうございます。これ、美少年観賞っていうより、ストーリーに絡む日本語訳が良かったってのが絶対あると感じた。いつかきっと日本語訳付でみられると信じる。だから無理しないで、どうぞ適当に。きめ細やかなリンクをありがとう、"それって愛ですか?"(一度使ってみたかった このフレーズ) →答えは上記に

『ときメモ2』限定版は、あきらめてました。いいやもう、普通版をしばらくしたら買うわ……。これ、(1)のほうでは、根つめすぎて熱出したくらい、はまったんですけど(バカ)、知り合いの男の人2人くらいに聞いたら、「つまらないからすぐやめた」って言われてしまった。


24(水)
ここ1週間ばかり、左目が変なので、目医者に行って来た。さかさまつげが角膜を傷つけていたのだそうで、2本抜かれてしまった。貴重なまつげが…。

『ウェイクアップ!ネッド』@銀座テアトル西友。水曜日は千円デイとあって、めちゃ混み。だめだ、この話、全然ノれなかった。隣の隣に過剰に反応して笑う人がいて、もうそれが気になってしょうがない。どう考えても笑いすぎてる。うるさい。自分より酔ってる人を見ると醒めちゃうみたいに、自分の笑いが持ってかれちゃったようだった。が、それが楽しめなかった理由だなんてあまりにも人のせいなので、ちょっと考えてみた。そもそも、「自分たちが故人のかわりにお金を得る理由」に、必然性を感じなくって、それでだめだったのかもしれない。故人の遺志はそうだろう、なんて言われても、なの。

『グレン・グールド 27歳の記憶』@同上、レイトショー。こっちのほうがもっと混んでいて、通路に座布団出てました。グレン・グールドのピアノを弾く動く姿を一度は見てみたかったので見られて嬉しい。椅子は低く、手はぺたんと、足を組んで、さらら〜っと弾いてしまう。バッハで歌う歌う!「ピアノを弾いているときに歌っている」というのは、本当だったのです。それも、ろうろうと、気持ち良さそうに、かなり大きな声で。なるほど、これだけ大きな声で歌ってしまうと、録音技師が苦労したというのもうなづけます。ドビュッシー「月の光」を即興で編曲して弾いたやつが面白かった。もっとずっと聴いていたい。頭の中を曲がぐるぐる。

江國香織『すみれの花の砂糖づけ』(理論社)出ていました。詩集だし、どうしようかなあと思ってましたが、あっさりした装丁だし、中身も悪くない感じなので、買います。


23(火)
明日、映画をみに行く予定だったみなちゃんと、やっと連絡がついた。この間会った時の別れ際、「今度、映画みに行こうよ」と言ったら、「○っ○ー(私のこと)とみるんだったらこれしかない」と彼女の心に浮かんだのが、『ウェイクアップ!ネッド』。私たち、枯れた老人好きなのです。「できれば同じ劇場でやっている『グレン・グールド』も一緒にみたいなあ」とリクエストして、2本続けてみることに。

Planar85/f1.4の凄さに改めてひれ伏した。

原田知世「you&me」『a day of my life』
→辛島美登里「交差点」『12k』
→八木さおり「ハートと二人」『MOON&LOVE』
→野田幹子「揺れる」
→小泉今日子「二人」『バラードクラシックス』
→矢野顕子・佐野元春「自転車でおいで」『グラノーラ』

などと、ほぼ女性の声ばかり聴いて、ぼーっとしてました。斉藤由貴の「予感」があったら、かなり完璧。

「アフタヌーンティー」:有楽町西武のも、むかーし行ったことあるけど、フレンチトーストがあったなんて! 品川駅のは行く機会あるといいな。このごろ、歳のせいか甘いものが入らなくって、ぬれもちならぬ、くずもちくらいでいい。"ナイーヴな憂鬱をぶっ飛ばせ"


22(月)
また髪に関する夢をみた。いつも切ってくれている人がお店を移ってしまったので探し、やっと見つけるという展開。電話かけたり、道を歩いている夢の記憶。

香港映画について結構載っているというのと、『御法度』の記事を読んだら映画をみたくなるよ! とTmiさんに言われて中身も見ずに「CREA」を買った。私に読ませたい記事があるって、もしかしてこれですかっ!?>スティーブン・フォン(顔はp.63参照)とカレン・モクが付き合っている@「香港←→日本電影界人間曼荼羅」(p.124)//でも、いいです。2月に『ジェネックス・コップ』で姿を見られるってわかったしー。

しかし、ジジ・リョンとイーキンの組み合わせって、似合いすぎる。

保坂和志『プレーンソング/草の上の朝食』(講談社文庫)を読み終わる。

"ASAP","FYI","PLS"などは使っていたけど、"RSVP"(11/19)は知らなかったです。


21(日)
好きな髪型になって、鏡を見ている夢を見た。鏡の中の髪ばかりみてて、似合っていたのか、覚えてない。

散歩にTを持っていく。

近くに川がある。なにか考えごとする時に、こういう場所があるといいな、というのも、今のところを選んだ理由の一つだったはず。でも、近くにあると案外寄らないもので、それでも本当に行きたい時に手の届く範囲にあるというのは、いいことなのかもしれない。

などとしんみり考えていたわけではなく、つまり、あまりのポカポカ陽気に誘われたってだけ。川に沿って歩いてみる。ススキに阻まれて、岸までは近づけないとあきらめていたら、道を発見、降りてみる。座ってじっと陽に当たる。鴨が着水したり浮かんでたりする。電車が遠くに見える。水は浅くて澄んでいて、鍋の蓋とお玉が沈んでた。水の流れは近くでは穏やかなのに、少し遠くを見ていると自分がその中にいるみたいで変な感じ。

久しぶりに、ちゃんとぼーっとしてた、ような気がする。

『ポーラX』は……、カラックスの映画だと言われなければ、カラックスだってわからないように感じた。なんでそこで音楽使うのだ〜と思ったり。役者さんたちに魅力を感じなかったのも大きい。登場人物たちに感情移入できなくても、役者の魅力でみちゃう場合もあるから、今回の私にそれがなかったのはつらかった。カラックスは、原作である『ピエール』を愛読してたというけれど、やはり、愛するものを自分の表現に置き換えて形にするのは、とても難しいことじゃないかと思った。

スターバックスには、そういえば入ったことないなぁ。キャラメルマキアート、おいしそうな名前(エスプレッソにキャラメル風味のミルクってことかなあ)。新宿の小田急サザンタワー(?)の中のアフタヌーンティーには、随分スウィーツが多いね。この間は、お腹いっぱいで試せなかった。アフタヌーンティーは、店舗によって置いてあるものが微妙に違うので、ついつい寄ってみたくなります。

ご協力ありがとうございました。「煙草アンケート」、集計しました

<問>訳せ。

愛 活在心上
不是時間可輕易打斷
就算是交會時短
記憶會超越歳月邊彊
愛 活在心上
不受誰的決定改變方向
■眞愛過 這就是答案

■→ニンベンに尓。"ウォ・アイ・ニ"のニだよね。

なんとなく意味は伝わってくるね…。『美少年の恋』最終場面。


20(土)
スケート。レッスンが終わった後、珍しく真面目にインスリーの練習をやっていたら、"ヒップホップダンサー"が、食べるしぐさをしながら私に向かってにやっと笑う。本当は寄らないつもりだったのに! にやにや笑いに誘われて、久しぶりにティーヌンへ。おすそわけっこして食べる。

左目が眠そうに見えるみたい。確かにちょっと重たい。ものもらいほど痛くはない。

3日続けてきれいな夕焼けを見た。曇っているのに月もきれい。いい気分。でもそれだけ。嬉しくはない。さみしい。昔ほど上を向いて歩かなくなった。夜、空を見い見い歩くのが好きだったんですが。

読んでいるのは、保坂和志『プレーンソング/草の上の朝食』(講談社文庫)。


19(金)
「ぬれせん」は知っていましたが、「ぬれもち」は知りませんでした(名付け親も本当にあるのか知らないそうです)。"ぬれもちさん"のほうが良ければ、すぐにでもまた呼び方変えます。

では、甘食(アマショク)は?

アンケート、まだ受付中。よろしくです。


18(木)
気持ちは届いたわよ。というわけで、3日の"Y嬢"を"なおこさん"に直しました。タイトルもいいんだこれが。

プリントを頼んでいた写真を取りにいったら、「さんびゃく〜円です」と言われたので、「えっ?」とレジの表示を凝視してたら、「撮れてなかったんです」だって。やっぱり……。撮り終わって、フィルムを巻き上げてる時に、やけに早く手応えがなくなって、あれっ? と思ってたんでした。最初から巻かれてなかったのかも。手動でのありがちな失敗。でも、昔すぎて、何を撮ったのか忘れてるから別にいいや。

『君のいた永遠』は、丁寧なつくりで良いらしい。「丁寧なつくり」って言われると、すごく弱い。弱いです。

永井さんの日記(舌の根も乾かぬうちに・2)(11/17)を読んで思った。「煙草に興味を持った時期に」、煙草をかっこよく吸う女性に巡りあう機会がなかった、というのは、要因の一つかも。


17(水)
歯医者。前回調べた結果、虫歯はなんと、ありませんでした。今回からは歯石除去。これは確か痛いはずなんだけど、眠かったせいか感覚が麻痺しちゃってて全然大丈夫。横になっているだけでもう幸せ。半分寝てたかもしれない。時々ちくちくーと痛むのがまた妙に心地よくって(変)、1時間があっという間でした。

ストレス解消法はなに? って聞かれたので「小沢健二の『LIFE』をかけながら一緒に歌う」「早く寝る」と答えた。でも、これだけじゃないと、さっき思った。ごはんを作る過程で、だんだん気持ちが落ち着いてくる。ごはんができあがって、「いただきます」と声に出して言って、もぐもぐ食べて、「ごちそうさま」とこれまた声に出して言い、片づける。こういう、「一人でできちゃう円環運動」みたいのが、自分の中でちんまり落ち着いて、ほっとすることに気付いた。

「嫌いなことをちゃんとしました」っていう自己満足が、働いてるんだと思う。それで、「ちゃんとしてる私って偉い」とか「ちゃんとできるじゃない」なんて思って、気持ちが落ち着くのかもしれない。

「ちゃんと」ってのがポイントです。

というわけで、私のストレス解消法に「嫌いなことをする」(ちょっと極端)を加えます。

煙草アンケート。「すってもいいけど、イメージが!」というのが来た。げらげら。それと、昨日の「すっちゃだめです、イメージが!」、どちらも誰なのかわからないので、少しのヒントを頼りに、それぞれに「あらぬ疑いメール」を送ってみた。


16(火)
今冬、初マフラー。

『ポーラX』をみに。7:30からの回、混雑はしていなかったです。感想。わかりにくいのかと思ったら、そんなことはない。ストーリーはちゃんとわかる。けれど、謎はある。が、それについて考えてはいけない。「一言で言うなら、世間知らずな金持ちのボンボンが、後先考えなく行動した結果破滅しちゃう話じゃない」と言ったら、「それを言ったらおしまいだよ〜」と笑われて、「でも私はすごく気に入った!」とのことでした。つまり、二人でみて、評価分かれました。

でも、確かに、そういう"身も蓋もないストーリー"を、ああいうふうに仕上げたってだけでも、かなりすごいことなのだと思う。謎については深く考えず、目に映ったものをそのまま眺める。で、心の中で何か感じたんだったら、それで良いのかも(ありきたりな意見)。

ところで、パルコのとこの「アフタヌーンティー」のテラス席って、2、3席除いてラブラブ仕様(カフェ仕様ともいうか…)なのね! 「アフタヌーンティー」であんなのは、初めて見た。いやになっちゃうなー、もう〜。初めてミルクカラメル(ホット)を頼んでみたけど、おいしかったです。どうでもいい?

保坂和志『季節の記憶』(中公文庫)を読み終えた。登場人物が考えているので、私もちょこっと考えてみたりするんだけど、それはこちらの勝手であって、物語は私に何も要求してこないのが良い。なんてなんて楽な、気持ちの良い物語なんだ。続きも読もう。

集まりが悪いので、一週間続く予定の煙草アンケート。会ったことない人も日記からのイメージで可です。結果(割合)は、"集まれば"発表します。お名前とアドレスは入力しないとわからないようになっています(ほんとだってば)。「すっちゃだめです、イメージが!」と送って下さったのはどなただろう? 人によってイメージっていろいろなのかな。わりと似かよっていると思っているんだけど。

えっと! 昨日の段階では正解を載せていたのですが、誘導尋問みたいになるので消しました。正解は約一週間後。


15(月)
あーあ、私も小沢健二はえらいっ,ぶははははって言いたいよ、もうー。『LIFE』かけて歌ってても、あまり元気になれない。

さて、「ぴあ」を買って眺めている。Tmiさんが『御法度』と言っていたのが気になってみてみたら、あ、これは確かにみてみたい。でも、すっごく混みそう。12月くらいから公開されるもので、気になったのはこんな。

『ゴージャス』→スー・チーが出るのでみたいけど、ジャッキー・チェンが嫌いなので困った。究極の選択。
『アナとオットー』→"17年間"てのに惹かれた。
『ナビィの恋』→ご老人びいきだから。
『一瞬の夢』→香港映画だし、ユーロスペースだなあと。

『八月のクリスマス』は、盛岡と大阪のみの上映みたいです……。ミニシアターパラダイスも参考に。

煙草アンケート開始。


14(日)
のぞむさんへ。『ボーイ・ミーツ・ガール』。エンドロールをみていたら、イルフォードの白黒フィルムを使っているとわかったので(イルフォードは印画紙で有名なのだと思っていた)……。ただ、それだけなのです。ちなみに、『汚れた血』と『ポンヌフの恋人』は、フジフィルムのようです。

くそお、22歳かあ。

文字よりも、音楽のほうに、感情を動かされるようです。なんでもないところに波風を立てられてしまったり、落ち着くつもりが落ち着かなくなったり、悲しくないつもりなのに悲しくなったり、困った困った。


13(土)
久しぶりにスケート。別の先生に習っているおじさんと、ロッカー付近でバッタリ出会い、"つい"("ついに"かも)「こんにちは〜」と挨拶。顔だけは(多分お互い)知っているんだけど、挨拶するのは初めて。すると、「今日外は寒い?」と聞かれた。「いえ、すごく暖かいですよ〜」と、天気話が展開、妙な盛り上がりを見せる。共通の話題がないところでの天気の話というのは、基本の基本かも、でも、正しい。話題にしやすい気候で良かった。

新しく習ったことは、なかなか覚えられないし、いまだにちゃんと覚えてない技もある。基本的に運動神経がないということを、こういうところで再認識してしまう。あーあ。リンクの上で立って話を聞いているうちに、寒くて寒くてしょうがなくなってきた。なんだか気分も乗らないし、レッスン終わって一周だけしてさっさと上がってしまった。ティーヌンにも寄らず。食欲がない。

高島屋のエスカレーターで、サンタを見かけた。トナカイに引きずられてた。というか、支えられてた。小学校2年くらいまで、サンタは本当にいると思ってた。目が覚めたら枕元にプレゼントがあった時のときめきったら!

駅のホームでコントラバスを持った人を見た。今度何か楽器を習うのだったら、チェロかコントラバスがいいな。

並んで歩く時、座る時もそうだけど、自分の左に人がいると落ち着かなく、右に人がいるほうが安心する。いつからそうなってしまったんだろう。ならば、電車で寝てしまう時に、右に寄っかかりそうなもの。でも、左に傾いている。


12(金)
出ない漢字に苦労中。

その辺にある本をつかんで家を出た。保坂和志『季節の記憶』(中公文庫)、途中まで読んで中断してたのでちょうどいい。「ピザは離ればなれにならないと食べられないから好きじゃないな」。最近疑問に思ってた言葉が説明されてたりして、呼ばれた本なのかもしれないと思う。


11(木)
伊藤卓・藤木弘子編『香港電影バラエティブック』(草思社)を買った。スー・チーのインタビュー("全自作を語る"付)と、"『ぼくたちはここにいる』から『美少年の恋』への四年間 進化する香港の同志電影"という記事が充実していたので、つい。『美少年の恋』の監督ヨウ・ファンのことなどにも詳しい。でも、それ以外にも、きれいな女優さんのビデオガイドとして使える記事があったり、中身が濃くて良いです。

Mneさんと、渋谷ジァンジァンで待ち合わせる。渋谷はもう、ユーロスペース、シネマライズ、ジァンジァンに行くルートしかわからないと言っても過言ではない。それも、機械的に覚えているので応用が利かない。一人で歩いていると、ああもう早く着きたい!ってそればかり思ってしまう。どきどきする。慣れない。ジァンジァンを出て、ごはん食べようと、Mneさんに連れられて歩いていると、「いったいここはどこ?」状態。もう、全然つかめない。

さて、東京シェイクスピア・カンパニーの『アントニーとクレオパトラ』、これは、すごく真っ当でした。「アントニーとクレオパトラ」の話を知らずに、まっさらな状態でみたんですけど、う〜ん、真っ当すぎて疲れちゃった。それなりに、感想を言い合う。Mneさんの話を聞いていたら、平田オリザの『ソウル市民』がみたくなった。

で! で! 『美少年の恋』のVCDをもらってしまった! 「請求して下さい」って言ったのに、「なによ水くさい、あげるわ〜」だって〜。きゃあ。香港に行ったときに、ちょうどHMVで平積みになっていたので買ってきたそうです。おまけに、「スティーブン・フォンが頭のおかしい詩人の役をする映画のVCDを探してみる」だの、「彼が出しているCDを見つけてくる」だの、なんかもうもうもう! というわけで私、結局は、スティーブン・フォンを微妙に追いかけているんでした。人の力を借りて。

中を開けてみると、ライナーノーツのところに、知りたかったあの最後の"詩"が記されていました。

漢字変換する気力はないので、明日。

昨日、鈴木布美子『レオス・カラックス』(筑摩書房)を読み終わりました。橋だけがセットだと思っていたのに、違ったんですね……。ある意味壮絶。


10(水)
(休)


9(火)
Nさんに教えてもらっていた、鈴木布美子『レオス・カラックス』(筑摩書房)を読み始める。ロベール・ブレッソン『白夜』と『たぶん悪魔が』についての言及があり、帰りに早速、新宿TSUTATAで再確認するも、三種類置いてある中にはなかった。ちなみに、カラックスのビデオは、三部作、全部貸し出し中。

『白夜』は十七歳でパリに出てきたときに初めて見て、それ以来ずっと心に残っている映画だ。それから彼の『たぶん悪魔が』も忘れられない。これはブレッソンのもっとも美しい映画であると同時に、おそらくフランス映画の歴史のなかでも最も美しい映画だと思う。(p.11)

この本での対話を読んでいると、『ポンヌフの恋人』を再度みたくなる。スクリーンで。しっかし、書き抜きしたり、付箋はりたくなるような「対話」ですね、これ。かっこよすぎ。

くくー、赤面するコメントありがとうございます。しかししかし、この際だから言ってしまうと、自分の思い通りの髪型できるんだったら、こういうふうにはしてないです。どうするかって、そりゃもう、風になびく、みどりの黒髪、絶対ストレートに決まってます。雑誌の髪型特集なんて「ふん、どうせどうせ」って横目で眺めて悲しくなるし、「やっぱり女の子は髪が長いほうがいいよね〜」と、"長い髪の"私に向かって言った言葉が引き金になって、バッサリ切ったこともある(今より前のショート時代)。正しく屈折してます。

↓この先生は、髪が長かった頃を知っているのだけど、ベリーショートで参上した日には、女は髪を短くしちゃだめだ論(バイクのヘルメットをパッと取ると長い髪がバサッというのがいいのだ云々)を展開。わかってるって! 好きでしてるんじゃねぇや。だから、余計くやしいっての。はははー、言ってさっぱりした。

欲しいパーツは、長いまつげ、印象的で大きな目、サラサラの髪。

というわけで、なかなか素直に反応できないのですが、これはほめてくれているのだと勝手に信じて、勝手に喜んでおこうっと。そして、切ってくれている人(の技)に、改めて感謝しよう。

髪を切りたての私は、栗です。長かった時には、"チャーリー(ブラウン)"とか"タンタン"とか言われてたのに、今はそう言われない、今のがちゃんと短いのになんでよ?


8(月)
笹塚の事故のあったところには、交通整理の人が2人出ていた。先生に、「先週来なくて良かったなー、でも、大丈夫だったかって連絡くれないのなー」と言われてしまった。「いや、大丈夫だろうと思って…(タヨリノナイノハヨイタヨリトイウジャナイデスカ)」と言葉を濁すも、私の気の利かないところ、いや、冷たいところって、こういうところなんだろうね。

11日(木)に、東京シェイクスピア・カンパニーの「アントニーとクレオパトラ」@渋谷ジァンジァンに行ってきます。奥泉光の奥さん、江戸馨が関わっている劇団。

鈴木清剛『男の子女の子』(河出書房新社)を読み終わる。途中まで面白く読んでいて、少し失速しつつもまあまあかな、と思って本を置いた。あとにはもう何も書くことが浮かんでこない。

気持ちはわかるがいやがらせのような和菓子をもらい、ノックアウト!


7(日)
散歩した帰りに、洋なしのワインにシードルがプラスされているという、洋なしMixのシードルを見つけたので買って帰る。期間限定のスターキングデリシャスのも。洋なしのは、なんかちょっと薬っぽくて、う〜ん、でしたが、スターキングデリシャスのは本当においしい。しかし、飲んだら寒くなってしまった。そろそろこたつを出そうかなあ。あんかはもう出しました。

え、こんなに短く切ったんですか。負けないぞ〜。


6(土)
手紙をもらった。手紙というよりは、新聞(あるいは広告?)みたいなのの余白に文字が書かれている。その人は、4階か5階に住んでいて、そこからの風景を眺めながらその手紙を書いたことが私には何故かわかってる。とても気持ちの伝わる手紙で、何度も読み返していた。目が覚めて夢だと知った時には驚いて、手紙がないのが信じられなくて、妙に感傷的な気分になり涙が浮かんできた。その時はまだ、夢の中の感情を引きずりつつ、目覚めきれてない状態だったのだろう。この手紙の一行目だけは絶対忘れないだろうと思っていたはずなのに、朝から今までの間にスッパリ忘れちゃった。夢ってどうしてこういうふうにできているんだろう。

これってやっぱり、『美少年の恋』を引きずってるってことだ。その日に体験したことや、思ったことが結構夢に出てきやすいようで、面白い。夢に見てから、「ふーん、そんなに心に残ってたのか」とも思う。

出勤。4日に楽しんだ分、しょうがあるまい。スー・チー(シュウ・ケイ)をみたいと思って、帰りに『色情男女』を借りてきた。他には、レスリー・チャン(この人が主役)とカレン・モク。ラウ・チンワンも出てました。ポルノ映画づくりの話。スー・チーが、前半はぶっとびキャラクターなのが、だんだん考えるようになって、表情まで変わってゆくのが良い。もっとコンパクトにテンポ良くして欲しいとは思ったけど、スー・チーのキュートさに免じて許す。彼女は、えーっと、なんかのウーロン茶のCMに出ていたことあります。彫刻か陶芸だかしていて、涙ひとつぶ流すやつ。

ちなみに新宿TSUTAYAでは、ロベール・ブレッソンのコーナーに『抵抗』はありませんでした。他に3種類置いてありましたが。

rは、ルルーの『黄色い部屋の謎』を読み終わったようだ。途中に、「どう?」と聞いた時に、「**が怪しい」と言うので、「どうして?」と聞くと、「なんとなくだけど、でも、絶対そうだ」と言う。結局それは当たってしまったわけ。突き当たりの廊下の件は「そんなもんかなあ」で、密室のほうは「全然わからなかった」とのこと。ルールタビーユの、続編にも続く秘密(っていうかわかっちゃうけど)が、結構気に入ったらしい。続編も読むそうです。


5(金)
電車に乗っている時に、車庫入れしている車が見えた。ただいま、ちょうど2分の停車時間中。発車するまでにできればえらい、と勝手に決めて、じっと見つめる。時間内に完了。かく言う私、車の免許は一生持たないでしょう。持たないほうがいいでしょう。バイクもしかり。スピード出せそうにないし、よそ見してガシャンってやりそう。なのに、「BRUTUS」の最新号を買ってしまった。

三色パンを買ったら、1つめがジャム。(ジャムは好きなんだけど)ジャムパンは昔っから嫌いなので、「普通、三色パンって、クリーム、チョコ、あん、じゃないの〜?」と思うも、次を試してみると、味違いのジャム。も、もしや〜と思って3つめを割ってみると、やっぱりジャム。ジャムの三色パンなんて。かなしすぎる。つぶあんとこしあんじゃあ、こしあんよね(昔は断然つぶあんだった。得した気がするから)。

気に入っている保育園がある。子供たちが、とにかくあまりに楽しそうに遊んでいるので、いいなあ、私も遊んで欲しいなあと思ってしまう。子供として。梅雨の季節になると、大人の背丈くらいある、巨大なてるてる坊主が出現するのだ!

単純作業の仕事をしたので、手だけに働いてもらい、頭は昨日の映画のことを考えていた。頭の中でハミングしたり、好きな場面を浮かべてみたり、"漢詩"を思い出そうとしたり。夕方、きれいな夕焼けに、なんてタイムリー、と思う。

ジェットが、自分が会いたいと思ってた人に初めてちゃんと会えるって思った時に、"(自分が)夕日にきれいにうつるようにして、好ましい印象を与えたかった"という場面があったわけ。

こういう気分を引きずってると、何か音楽が欲しくなるんですが、ピタッとくるものない。サントラ欲しいなあ。半ばあきらめ、小沢健二の「天使たちのシーン」にする。わりと静かで落ち着いていて単調なのが、長く続く(13分位ある)のが良い。1曲リピートにして、えんえんと繰りかえす。


4(木)
Nさんと一緒に、『美少年の恋』をみに渋谷パンテオンへ。12:00開演なので、1時間前から並ぼうともくろんでいたが(立ち見が怖かったので)、会場に着いてびっくり。階段には既に長蛇の列。1Fからのその列は、えんえんと続き、6Fまで登ったろうか。座って、話をしながら、ひたすら待つ。

予定の12:00より、少し早めに開場。入ってみると、中が広いせいか普通に席に座れた。パンフはないだろうなあ、とロビーをうろうろする。50部限定のポスターは、\2,000-もするし、なによりはるところもないので、買わなかった。スティーブン・フォンのインタビューが載っていた、「香港RAPID」というペーパーを買った。

開演時間になると、なんと舞台挨拶。ヨン・ファン監督と、サム役のダニエル・ウー、それに、アチン役の人も。夏の「レズビアン&ゲイ映画祭」のときにも、監督とダニエル・ウーは舞台挨拶に来ていたし、アンケートも配られていて、日本での劇場公開はかなり期待できるのかもしれない。って、してほしいのですけど!

前回とはまた違ったところが印象に残った。脚本いいなあ(監督が脚本もやっている)。訳も良いってことか。アチンが一番かわいそうだよね、ってのは、Nさんと一致した意見。やっぱり最後は、ちょびっと泣いてしまいました。それにしても、物語が終わったあとの、あの"漢詩"が気になって仕方がない。あれをちゃんと手元に残るものとして持っていたい。だから劇場公開して、それを載せたパンフ作って!

99/07/18 1度目感想00/04/03 3度目感想

Nさんには、列には並ばせるわ、食事後、さらにお茶にまで連れ回してしまうわで、長い間お付き合いいただいてしまった。ほんとにどうもありがとう。デートみたいな気分で緊張しちゃった。でも、ぜひまた遊びましょう。

さて、読んでと言えば何でも読んでくれるrに、島田荘司の『占星術殺人事件』『斜め屋敷の犯罪』『御手洗潔の挨拶』を続けて読んでもらった。ちなみにrは、森博嗣のあのシリーズと、京極夏彦は全部読んでいる。で、どう? と聞いてみたら、「まあまあ」。「"数字錠"泣けない?」って聞いても、「うーん、そうだねー」である。あれこれ聞いてみると、「見取り図を見るのは面倒くさい」「別にフェアじゃなくていい」「挑戦されても困る」ということでした。ちなみに今は、ルルーの『黄色い部屋の謎』を読んでもらってます。

この間、伊藤さん日記(9/26)で言及されたことがあった「プッチーニ」を初めて見た。1個100円だった。かぼちゃのミニチュアみたい。切ってしまうより、このまま丸ごとゆでてしまいたい、かわいらしさ。名前が「プッチモニ」に似てる……。

笹塚駅の近くで交通事故があったようで。ここ、毎週渡っているところだ、と思うと、かなりどきっとする…。


3(水)
昨日の夜に、今市子『百鬼夜行抄』(6)(朝日ソノラマ)を読んで、それから何時間寝たのだか。気分が落ち込むような一日のすごし方。

そういえば、金縛りにあったことは一度もないし、妙なものをみたこともないなあ。ある意味、かなりなのんきくんなのだろう。

KUWAKOさんとこの日記(11/3)で知ったこと。「現代詩手帖」が尾形亀之助の特集らしい。私も詩集を持ってます。江國香織が言及してたからなんですけど、なんか変わってて面白いよね。「それで?」ってのが、確かにある。現代詩文庫#1005『尾形亀之助詩集』(思潮社)の中の、"話(小説)−或ひは「小さな運動場」"は、最高。笑える。しかし、詩集を買うのって、どうしてだか恥ずかしいなあ。

私も起きたら3時で、これってどう考えても「アフタヌーンティー的生活」じゃないよ(お茶の時間だけど)……、>なおこさん。うぅ、自分で書いていて情けないわ。


2(火)
昨日のダッシュのせいで、筋肉痛。

4日休みます、と改めて言っておく。上司2人に、「どこかに行くの?」と聞かれたので、「いえ、東京国際映画祭に行くんです」と答えると、「なにをみるの?」と聞かれてしまった。「誤解されそうな題名なのでいいです……」と遠慮しつつも、隠しておくほうがおかしいじゃんと思って、「『美少年の恋』ですっ。香港映画」と答えたまでは良かった。

が。フォローするつもりで、「夏にレズビアン&ゲイ映画祭でみて良かったので、もう一度みようと思ってっ」と、まくしたててしまったら、なんだか一瞬顔が固まっていた(ように思えてならない)。でも、すかさず、「香港の映画ってハリウッドにも進出してたりするんだよねえ」と、気を遣ってくれたりした。あああああ。

でも、本当は、題名まんまの映画です。はああああ。

これ、全てが広東語じゃなくて、(たしか)一部が北京語なのです(サムの家での家族の会話だったか)。中国に返還後につくられたというのが考慮されてのことらしい。

Tmiさんから、ダンボール箱が届く。定期便(?)です。彼女のみつくろった本がわんさか入ってる。彼女、この間の休日に、4年ぶりくらいに登山靴(2万円)とリュック(1万円)を引っ張り出して山登りをしてきたらしいのだけど、なんでそんなのを持ってるの? と聞いたら、高村薫の『マークスの山』を読んで、だって〜。画面の前で大笑い。充分変わってるってば。大笑いさせた罰に日記のネタにします、と宣言済。

近藤史恵『アンハッピードッグズ』(中央公論新社)を一気に読んでしまってた。これは、私にとっては、強烈な印象というよりは、あとから効いてくるタイプのように思える。じわじわじんわり、あれこれ考えてしまう。

ポリンキーを買ったら、中からシールが! なんか良くわかんないけど、スミレとベルモントの巻。"何枚かに1枚、ぼくたちのカードシールが入っているよ!"


1(月)
駅に着いた時、定期を忘れたことに気付く。お財布の中には60円(!)しかない。う〜、遅刻だ〜、とダッシュで戻るも、電車が3分遅れていたおかげで間に合った。3分は大きい。電車の乗り換えもOK、お茶もいれられるし、ラーメンもできる。

本を読んではいる。

たくさん読んでいる時は日記があまり書けないことが多く、その逆、日記に書くことが多い時は、あまり読んでないように思う、と以前書いた記憶がある。今は、そのどちらでもなく、なんだか何を取り入れるのも面倒で、何を表現するのも面倒。

取り入れるにも表現するにも、意味が入ってくるでしょう。意味を読み取ったり、意味を伝えたりしようとする過程がある。そういうことが、疲れるみたい。だから、あまり意味があらわれないようなものを目に映すとか、ながら聴くとか。ぼーっとねっころがるとか、本当に寝てしまうとか、そういうことがしたい。

あー、こういう時に外国に行って、音楽にしか聞こえない言葉の中にいると、楽ちんなんだろうなあ。


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