記事No | : 2120 |
タイトル | : 逆縁と日蓮聖人 |
投稿日 | : 2013/06/27(Thu) 09:47:48 |
投稿者 | : 桃青 |
「以上のようなこと、
(目連尊者の母は、目連尊者を仏にするために、わざと罪をつくって餓鬼道に落ちた。)
は、日蓮聖人も逆縁ということで言われています。」
と、上人はしきりに言われる。
当地の布教する立場のかたばかりの研究会でも、そのような意見が出ていると言う。
あれ?日蓮聖人は目連尊者の母についてそんなことを言われていたっけ??
日蓮聖人が逆縁について言っているのはここらあたりかと思われますが・・・。
「答えて云く方便品等には機をかがみて此の経を説くべしと見え不軽品には謗ずとも唯強いて之を説くべしと見え侍り一経の前後水火の如し、然るを天台大師会して云く「本已に善有るは釈迦小を以て之を将護し本未だ善有らざるは不軽大を以て之を強毒す」文文の心は本と善根ありて今生の内に得解すべき者の為には直に法華経を説くべし、然るに其の中に猶聞いて謗ずべき機あらば暫く権経をもてこしらえて後に法華経を説くべし、本と大の善根もなく今も法華経を信ずべからずなにとなくとも悪道に堕ちぬべき故に但押して法華経を説いて之を謗ぜしめて<逆縁>ともなせと会する文なり、此の釈の如きは末代には善無き者は多く善有る者は少し故に悪道に堕ちんこと疑い無し、同くは法華経を強いて説き聞かせて毒鼓の縁と成す可きか然らば法華経を説いて謗縁を結ぶべき、」
(『唱法華題目抄』<>は私がつけました。)
この文の主意は
法華経を説くということは、相手にもしかしたら仏法(法華経)を謗るという謗法をおこなわせるかもしれないが、それでも法華経を説きなさい。
ということでしょう。
これのどこをどう押したら、「仏縁を得させるために、わざと相手を怒らせ嫌がらせて謗法させてやるのだ。」という話しや
「目連尊者の母は目連尊者を仏にするためにわざと罪をつくったのだ。」「悪行をする者は、あなたを仏にするために悪行してあなたを苦しめているのです。」とか「あなたの身の上に起きる悪い出来ごとは、あなたを仏にするために起きるのです。」
という話になるのでしょか?
また、そんな話にしてしまっては、本来の仏法を正確に伝えることの困難さ、本来の法華経を正確に伝えることの困難さに真摯に向き合おうという心が忘れられてしまうですよ。