記事No | : 2122 |
タイトル | : Re^2: 逆縁、目連尊者の母 |
投稿日 | : 2013/06/27(Thu) 11:22:33 |
投稿者 | : 桃青 |
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> 狭義で解釈すれば、不軽菩薩に石をぶつけたり仏を謗ったわけでもないから違うけど仏の教えに背いたと捉えれば、そうも言えないか?と思いましたが、「自らを犠牲にして地獄へ」ということ事態、そこには既に化他の心があり、逆縁ではありませんね。
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その一、単純思考。
「目連尊者の母が仏の教えに背いたのは、目連尊者を成仏させるため。」
某M教の「アダムが神に背いたのは、人間に神と等しくなる機会を与えるため。」というのと似たような発想ですね。
その2、逆縁についての変な解釈
「罪をおかした目連尊者の母は目連尊者を仏にしたことで自分も仏に成った。
目連尊者の母は仏に背いて餓鬼道に落ちたから仏になった。つまり逆縁。」
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> まあ小乗の徒であった目連尊者が本仏の教えに近づいたと!(*^^)v
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そうだろうと思います。
だからといって、「そのために目連尊者のお母さんはわざと餓鬼道に落ちたのだ。」というのはどうみても変でしょう。
結局、目連尊者もお母さんも仏になるわけですが、仏になった御二人をみて
「あの二人は、お母さんが欲出して仏の言葉に背いたからこそ、仏になったんだよね。目連さん、お母さんが欲張りなひとで良かったね!」
「いや、お母さんは、目連さんに大乗の教えを覚らせるためにわざと欲張りの振りをしていた菩薩なのだ。お釈迦さまもわざと入滅された。と法華経に書いてある。」
と話が飛躍するのは宗教にありがちな思考停止じゃないでしょうか。