記事No | : 2124 |
タイトル | : 善知識 |
投稿日 | : 2013/06/27(Thu) 12:19:58 |
投稿者 | : 桃青 |
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> 逆縁というのと違い、善知識と捉えるべきでは?
> 「相模の守こそ善知識よ平左衛門こそダイバダッタよ」とかいうご遺文ありましたよね。
> 自分の敵や自分の今ある状況こそ成仏に導く善知識であるという捉え方は伝統的にありますよね。
> すごく納得いくし、自分もその考えで今まで乗切ってきましたが、
私も、「善知識」という捉え方なら納得です。
私自身は、困難や苦悩を「仏様から宿題を頂いた。」と、捉えて乗りきってきました。
解けた宿題もありますが、ずーっとそのままになっている宿題もあります
> はたして親の痴呆がその善知識になるのか?その辺りが課題ですよね?
母の認知症も私は仏様からいただいた宿題だと捉えています。
> 苦や困難に陥った時に状況を分析して、結果は仏にお任せして、やるべき事を今はすれば良いと、自分の行いに反省はすれど後悔はせず、というのが僕の対処法でしたが、痴呆という病気にそれが通じるのか?それはわかりません。
> それ以外の事はほとんど自分の怠慢やずるさが引き起こしているので納得できるのですけれどね。
認知症は、条件が揃えば誰でもなりうる病気です。
が、その条件とは何なのか、確かなところは現在のところは解明されていません。
なのに、世間では、認知症も生活習慣病と捉え、認知症になったのは自己責任といわんばかりの論調もあるのは気になるところです。