ミステリ&SF感想vol.63

2003.05.30
『もうひとりのぼくの殺人』 『裁くのは誰か?』 『窒素固定世界』 『T型フォード殺人事件』 『バービーはなぜ殺される』


もうひとりのぼくの殺人 Murder through the Looking Glass  クレイグ・ライス
 1943年発表 (森 英俊訳 原書房)ネタバレ感想

[紹介]
 走る列車の中で目覚めたジェフリー・ブルーノは、何ともいいようのない恐怖を感じた。自分が列車に乗った記憶がまったくなかったからだ。そして彼のポケットの中には、「保険外交員ジョン・ブレイク」の名刺と、同じくブレイク宛の手紙が入っていた。だが、“ジョン・ブレイク”とは一体誰なのか? 困惑するブルーノがふと目にした新聞には、“ジョン・ブレイク”が殺人容疑で指名手配されたという記事と、他ならぬ自分自身の顔写真が掲載されていた。自分の中の“もうひとりの自分”が、殺人を犯してしまったというのか……?

[感想]

 『眠りをむさぼりすぎた男』に続いて、マイケル・ヴェニング名義で発表された作品です。こちらもまたかなり奇妙な状況で、主人公のブルーノは、知らない間に別人の名前で指名手配されてしまうという窮地に陥ってしまいます。しかし、まったく身に覚えがないにもかかわらず、自分の中の“ジョン・ブレイク”の存在をあっさりと受け入れてしまいそうになるブルーノの人のよさには冷や冷やさせられます。スリリングとまではいかないものの、独特の緊張感を保ったまま進行するストーリーは秀逸です。

 次々と変わる視点人物が、それぞれ唐突に回想を始めてしまうあたりは、やや読みにくく感じられてしまいますが、その分、登場人物たちの人となりや、それぞれが抱える思惑などが読者に伝わりやすくなっている面もあります。

 最後に明かされる事件の真相は、ひねりが加えられてはいるものの、さほど意外なものとはいえないでしょう。しかし、その後に待ち受ける皮肉な結末が、何ともいえない余韻をかもし出しています。前作と同様、魅力的な佳作というべきでしょう。

2003.05.20読了  [クレイグ・ライス]



裁くのは誰か? Acts of Mercy  ビル・プロンジーニ&バリー・N・マルツバーグ
 1977年発表 (高木直二訳 創元推理文庫256-02・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 任期終盤を迎えた合衆国大統領ニコラス・オーガスティンだったが、内政・外交ともに問題を抱える上に、ここへきて支持率が急落し、党内にも深刻な亀裂が生じていた。大統領夫人クレアは、大統領を取り巻く厳しい状況に、高まる不安を抑えきれなかった。その不安は、不幸にも的中してしまう。大統領の周辺に潜む裏切り者を粛清しようと、密かに機会をうかがっていた殺人者が、ついに動き始めたのだ。裏切り者に裁きを与えようとするのは、一体誰なのか……?

[感想]

 合衆国大統領を主役とした異色のミステリです。強大な権力と重い責任が集中する大統領という職務の厳しさ、周囲を取り巻く困難な状況、そして立場の違いによりずれを生じる側近たちの思惑など、特殊な舞台と登場人物たちが鮮やかに描かれ、印象深い作品に仕上がっています……というのは決して嘘ではないのですが……。

 この作品の真価はまったくそういうところではなく、唖然とさせられる結末にあります。一応伏線らしきものもあるとはいえ、フェアプレイなど眼中にないといわんばかりの豪快な真相には、衝撃を通り越して苦笑を禁じ得ません。結末の説得力を犠牲にしてひたすら意外性を追求した、評判通りの怪作です。サプライズさえあれば多少のことは許せる、という方にのみおすすめ。

2003.05.22読了  [プロンジーニ&マルツバーグ]



窒素固定世界 The Nitrogen Fix  ハル・クレメント
 1980年発表 (小隅 黎訳 創元推理文庫SF615-5・入手困難

[紹介]
 海は硝酸と化し、地表には窒素を酸化するミュータント植物が生い茂り、大気中には遊離酸素が存在せず、人は酸素マスクなしでは生きられない――未来の地球は地獄のような世界だった。娘のダナ、〈観察者{オブザーバー}のボーンズとともに、都市の住人との交易にやってきた〈放浪者{ノーマッド}〉の夫婦・イアリンとカーヴィは、科学の扱いをめぐって対立する人々の争いに巻き込まれていく。地球の環境をすっかり変えてしまったのは、一体何なのか……?

[感想]

 まずはご注意から。巻末の「訳者あとがき」では作中に登場するアイデアの大部分が解説されているので、本文より先に読んではいけません。また、カバーや扉のあらすじ紹介もできれば読まない方がいいでしょう。
 とはいえ、本文を読んでいるだけではややわかりにくい部分があるのも事実です。他の作品でもそうなのですが、どうもクレメントという作家は、登場人物の視点で物語を描くことに腐心するせいか、読者に対する説明(舞台などの)が少々不足しているような感があるのが残念です。

 さて、この作品ですが、まず大きく変貌してしまった未来の地球の姿が非常にユニークです。窒素の酸化が進んだことにより大気中の酸素がほとんど消費されてしまった世界は、いかにもクレメントらしい“異世界”。そして、作中に登場する様々な現象の描写は、かの名作『重力の使命』を彷彿とさせます。それだけに、舞台が序盤から明らかにされているのがもったいなく感じられます。例えば山田正紀の某作品のように、舞台を伏せておいて最後に明らかにする方が、より一層面白い作品になったのではないかと思うのですが……。

 物語は〈放浪者{ノーマッド}〉の夫婦・イアリンとカーヴィの冒険が中心となっていますが、それとともに、地球環境が変貌してしまった原因が少しずつ明らかになっていきます。ここで重要な役割を果たしているのが〈観察者{オブザーバー}・ボーンズの存在で、科学知識の多くを失い、科学を禁忌として扱う人々の中にあって、知識を得ることを最大の欲求とするその異質さは際立っています。特に、その知識欲の途方もなさが暗示されたラストは非常に印象的です。

 下の『バービーはなぜ殺される』と同じ1980年に発表されたとはとても思えない、(いい意味でも悪い意味でも)古典的な雰囲気を感じさせる作品です。

2003.05.23読了  [ハル・クレメント]



T型フォード殺人事件  広瀬 正
 1972年発表 (講談社ロマン・ブックス・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 台風の近づきつつある夜、隠居した元社長・泉の邸に七人の男女が集まった。その目的は、泉が来客の一人・疋田医師から譲り受けてレストアされたクラシックカー、T型フォードのお披露目だった。だが、その車には忌まわしい因縁があった。45年前――昭和2年のある朝、鍵のかかった密室状態の車の中で撲殺死体が発見されたのだ。犯人と目された人物の自白により事件は決着したのだが、泉は真犯人が使った密室トリックを見破ったと宣言し、一同による推理合戦が始まる。そして、トリック実演の最中に事件が……。

[感想]

 SFをメインに書いていた作家・広瀬正が残した唯一のミステリ長編です。広瀬正は、綿密な描写で過去の時代(特に昭和初期)を鮮やかに写し出し、ほのかにノスタルジーを感じさせる作風だったようですが、この作品でもその評に違わず、過去の事件が起きた大正末期〜昭和初期という時代、その風俗や人々の暮らしぶりが見事に描かれています。また、クラシックカーを媒介にして、過去の物語を無理なく組み込む手腕も見逃せません。

 ミステリとしては、まず推理合戦やトリック実演などの趣向が面白いところです。その密室トリック自体にはさほど新規なところがないとはいえ、作品全体が巧妙に組み立てられていて、まったく思わぬところでしてやられてしまいました。SF作家の余技などとは決していえない、非常によくできた作品であると思います。

 なお、「広瀬正・小説全集」(集英社文庫など)では、「殺そうとした」・「立体交差」という短編が併せて収録されています。

2003.05.26読了  [広瀬 正]



バービーはなぜ殺される The Barbie Murders  ジョン・ヴァーリイ
 1980年発表 (浅倉久志 他訳 創元SF文庫673-04・入手困難ネタバレ感想

[紹介と感想]
 SF作家J.ヴァーリイの第2短編集で、独自の未来史である〈八世界シリーズ〉の作品を6篇、月面都市の女刑事を主役とした〈バッハ刑事シリーズ〉の作品を2篇、そして非シリーズ1篇を収録しています。

 〈八世界シリーズ〉は、異星人の侵略により地球を追放された人類が、月や火星など八つの世界に移住し、それぞれに文明を築き上げた未来を描いています。クローニングや性転換、臓器移植、身体改造などが日常的に行われるようになり、人類の倫理が大きく変わっているのが特徴です。背景などの細かい部分については、長編『へびつかい座ホットライン』を先に読んでおいた方がわかりやすいかもしれません。

 いずれ劣らぬよくできた作品ばかりですが、特に「バービーはなぜ殺される」・「さようなら、ロビンソン・クルーソー」・「ブラックホールとロリポップ」・「ピクニック・オン・ニアサイド」あたりは傑作といっていいのではないでしょうか。


「バガテル」 Bagatelle (バッハ刑事シリーズ)
 「ぼくは爆弾だ」「あと四時間と五分十七秒で爆発するぞ」――ルナ・シティに出現したサイボーグ核爆弾。自治警察のアンナ=ルイーズ・バッハ署長は、爆弾処理専門家・バークスンを呼び寄せて、核爆弾に対処しようとするが……。
 “意思を持ち、しゃべる爆弾”というアイデアがユニークです。そして、その爆弾とバークスンとのやり取りは、スリリングかつ興味深いものです。

「びっくりハウス効果」 The Funhouse Effect (八世界シリーズ)
 彗星にエンジンを取り付けた宇宙船〈地獄の雪つぶて〉号は、最後の遊覧旅行のために太陽へと向かっていた。〈雪つぶて〉は、今回の旅の後で廃棄されることになっていたのだ。だが、船内では思わぬ事態が進行していた……。
 次々と起こるとんでもない事態に巻き込まれていく主人公ですが、その冒険がクライマックスに達した時、物語はがらりと姿を変えます。ラストの独白が印象的です。

「バービーはなぜ殺される」 The Barbie Murders (バッハ刑事シリーズ)
 統一教徒たちの居留地で起きた殺人事件。犯行時の映像はビデオに記録されていたものの、捜査を担当するアンナ=ルイーズ・バッハは頭を抱えてしまった。犯人も被害者も目撃者たちも、まったく同じ外見で個性を持たない統一教徒、通称“バービー”たちだったのだ……。
 きわめて特殊な設定が効果的なSFミステリです。“バービーの外見を定義し、その許容誤差を機械工学的に定めた本”なるものまで所持している、個人というものを否定する統一教徒たちの間で起きた殺人事件は、犯人特定の困難さと動機の不可解性という点で非常にユニークです。

「イークイノックスはいずこに」 Equinoctial (八世界シリーズ)
 共生者{シンブ}のイークイノックスとともに土星の環で暮らすパラメーターは、五つ子の出産を間近に控えていた。だが彼女は、土星のB環を赤く塗りつぶすことを教義とする宗教集団〈改造派〉につけ狙われ、やがて……。
 『へびつかい座ホットライン』にも登場している“リンガー”・パラメーターが主役となった作品です。人間が宇宙空間で暮らすために開発された人工生命〈共生者〉は、人間を取り巻いて生存に適した環境を作り出す自律的な宇宙服の一種ともいえるのですが、その機能はそれだけにとどまりません。それゆえに、悲劇が起こります。壮絶な描写が強い印象を残す作品です。

「マネキン人形」 Manikins
 バーバラは精神病院に収容されていた。彼女は、精神に異常を来して男性に対して極度の敵意を抱き、ついには殺人を犯してしまったのだ。だが、その彼女にインタビューを行ったイヴリンは、妄想にすぎないはずの、バーバラが発見した“事実”を知って……。
 読み進めていくうちに、妙に整合のとれた、かつ融通性のある“妄想”に引き込まれていきます。頭では、そんなことがあるはずがないと思いながら……。
 余談ですが、某メフィスト賞作家はこの作品を元ネタにしたのでしょうか?

「ビートニク・バイユー」 Beatnik Bayou (八世界シリーズ)
 ビートニク沼沢地{バイユー}で過ごしていたぼくたち――ぼく、デンバー、そして教師のキャセイとトリガー――の前に現れたのは、妊娠した女だった。彼女は偏執的にぼくたちにつきまとい、やがて“事件”が起きてしまった……。
 「さようなら、ロビンソン・クルーソー」「ピクニック・オン・ニアサイド」と並んで、“成長”をテーマとした作品ですが、いずれもある意味で無邪気なビルドゥングス・ロマンではなく、苦さを伴うモラトリアムの終了が描かれています。
 〈八世界シリーズ〉における教育問題については、『へびつかい座ホットライン』を先に読んでおかないとわかりにくい部分もあるかもしれませんが……。

「さようなら、ロビンソン・クルーソー」 Good-bye, Robinson Crusoe (八世界シリーズ)
 〈パシフィカ〉ディズニーランドの浜辺で、水陸両生の肉体で少年期を満喫するピリ。だが、ある日浜辺に姿を現した女性・リーとの出会いが、彼の満ち足りた日々に少しずつ変化を与えていく。そして……。
 無人島のロビンソン・クルーソーになりきってモラトリアムを楽しむ主人公。しかし、その日々にもやがて終わりが訪れます。何とも残酷な形で……。

「ブラックホールとロリポップ」 Lollipop and the Tar Baby (八世界シリーズ)
 「あなたは何?」「ブラックホールです」――冥王星よりも外側の宙域、母船から離れてただ独りでブラックホールを探し続けるザンジア。その彼女に、ラジオのスピーカーを通じて話しかけてきたブラックホールは、やがて恐るべき真実を告げる……。
 まず、“話しかけてくるブラックホール”という奇天烈なアイデアが秀逸です。一体どうしてそんなものが話しかけてくるのか、というところも非常に面白いのですが、ブラックホールとの会話を通じて進行していくザンジアの“狂気”とその結末も見どころです。

「ピクニック・オン・ニアサイド」 Picninc on Nearside (八世界シリーズ)
 母親と喧嘩したフォックスは、彼女に当てつけるかのように、友人のハロウとともに月の〈おもて側{ニアサイド}への無謀なピクニックを試みた。何十年も前に見捨てられたはずのその土地で、彼らは幽霊のような姿のレスター老人と出会った……。
 見捨てられた〈ニアサイド〉という土地を舞台とし、そこで暮らすレスター老人と主人公の子供たちとの交流を描くことで、ツボを押さえた叙情的な物語に仕上がっています。しかし、その交流もかりそめのものにすぎず、その裏に厳然たる世代間の隔たりが見え隠れしているところが、何ともいえないもの悲しさを感じさせます。

2003.05.28再読了  [ジョン・ヴァーリイ]


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