ミステリ&SF感想vol.71

2003.09.03
『兄の殺人者』 『焦熱期』 『花の下にて春死なむ』 『勇者にふられた姫君』 『忍法忠臣蔵』



兄の殺人者 My Brother's Killer  D.M.ディヴァイン
 1961年発表 (野中千恵子訳 現代教養文庫3041・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 兄のオリバーらとともに事務所を営む事務弁護士のサイモン・バーネットは、ある夜、兄に電話で事務所へ呼び出された。折りからの深い霧に迷い、ようやくたどり着いたサイモンを待っていたのは、無惨に殺された兄の死体だった。そして、捜査を進めた警察は、オリバーがいやらしいゆすり屋だったと断定し、恐喝を受けていたサイモンの知人を容疑者として逮捕したのだ。兄の名誉のために、そして知人のために、独自の調査に乗り出すサイモンだったが……。

[感想]

 A.クリスティが“極めて面白い犯罪小説”と絶賛した、D.M.ディヴァインのデビュー作です。まずは何といっても、登場人物が非常に魅力的なところが見逃せません。事件によって大きな打撃を受け、さらに様々な苦悩を抱えながらも、懸命にそれに対処しようとする主人公・サイモンはもとより、他の登場人物たちもそれぞれに奥行きをもって描かれており、全体としてよくできた物語になっています。

 ミステリとしては、中心となるトリックはさほどでもないのですが、その魅力的な登場人物たちをうまく生かしたプロットが秀逸です。動機に関わりがあると思われる恐喝事件が捜査の中心となるのですが、登場人物たちはその余波を受けて様々な姿を垣間見せます。それに伴って、サイモンの疑惑の対象も二転三転し、うまく読者を引き込んでいくことになります。

 人間関係の激動を乗り越え、サイモンが最後に到達する真相は、意外性という点では物足りないものの十分に納得できるもので、まずまずといっていいでしょう。そして何よりも、事件が決着した後のラストの一言がすばらしく、作品の印象を高めています。

2003.08.21読了  [D.M.ディヴァイン]



焦熱期 Fire Time  ポール・アンダースン
 1974年発表 (関口幸男訳 ハヤカワ文庫SF536・入手困難

[紹介]
 アヌ・ベル・エアという3つの太陽を持ち、およそ1000年ごとのアヌの大接近により焦土と化す惑星・イシュタル。そのたびに、半人半馬の姿を持つイシュタル人の文明は崩壊の危機に瀕してきた。だが今回は、イシュタルに駐在する地球人科学者たちが、文明を存続させるために援助をしようとしているところだった。しかし、突如勃発した地球とナクサ星との戦争が、事態を一変させてしまう。しかも、〈焦熱期〉が近づいて気候が激変し始める中、イシュタル辺境の蛮族たちが蜂起したのだ……。

[感想]

 H.クレメントに捧げられているこの作品は、クレメントの代表作(『重力の使命』など)と同様に、特殊な設定に基づく魅力的な異世界を舞台にしたSFです。が、あくまでも自然科学的な興味に重点を置いたクレメントの作品に対して、アンダースンのアプローチはやや社会科学寄りというべきでしょうか。

 作中では、イシュタル人文明の危機という形で特殊な世界の設定がうまく生かされていますし、イシュタル人をはじめとしたユニークな生命形態(その中には、イシュタル人とまったく起源を異にするものさえ含まれています)も魅力的です。しかし、物語の中心はあくまでも危機に瀕したイシュタル文明をめぐる軋轢で、文明の中心である〈統轄領〉、辺境から中央へと侵攻する蛮族、文明存続のために〈統轄領〉に肩入れしようとする地球人科学者、そして悪化する戦局と科学者による突き上げとの間で板挟みになる軍部という4者が、それぞれの立場からの“正義”を実現しようとしています。

 解説で指摘されているように、この作品が書かれた背景にベトナム戦争が影を落としているのは間違いないでしょう。さらにいえば、それぞれの“正義”が衝突した果ての、主人公たちの最後の選択も含めて、いかにもアメリカ的な価値観が前面に押し出されているように思えます。そのあたりがどうしても受け入れがたく、残念に感じられてしまいます。

2003.08.24読了  [ポール・アンダースン]



花の下にて春死なむ  北森 鴻
 1998年発表 (講談社)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 三軒茶屋でひっそりと営まれているビアバー〈香菜里家{かなりや}を舞台に、マスターの工藤が常連客から話を聞いて謎を解くという、安楽椅子探偵形式の連作短編集です。人間ドラマを絡めた“日常の謎”系統の作品が並んでいますが、複数の謎の組合せや展開などに工夫が凝らされているところも見逃すべきではないでしょう。なお、いわゆる〈連鎖式〉の作品とはいえないものの、最初と最後のエピソードには直接の関連があります。
 後に『桜宵』(講談社)という続編が刊行されているほか、『凶笑面』などシリーズ外の作品にも〈香菜里家〉が登場しています。

「花の下にて春死なむ」
 孤独な死を迎えた老俳人・片岡草魚。彼は戸籍を持っておらず、その過去は一切不明だった。草魚と親交のあったフリーライターの七緒は、遺された日記を手がかりに彼の故郷を探し求める……。
 七緒が掘り起こす、草魚の過去に隠された秘密も印象的ですが、もう一つの事件との絡み方が非常に秀逸です。

「家族写真」
 工藤が取り出した新聞記事のコピー。そこに記されていたのは、地下鉄の駅文庫にある時代小説の本に挟み込まれた、モノクロの家族写真の謎だった。〈香菜里家〉の客たちはそれぞれに頭をひねるが……。
 ある意味で、かなり異色の作品です。最後に明らかになる意外な構図が見事。

「終の棲み家」
 報道写真の賞を取り、個展を開くまでになったカメラマンの妻木。だが、その宣伝ポスターが一斉に剥がされてしまった。ポスターにあしらわれていたのは、受賞作「終の棲み家」の1枚。一体誰が、なぜ……?
 印象的な発端、(やや)意外な展開、そしてあまりにも見事な結末と、何もいうことはありません。

「殺人者の赤い手」
 〈香菜里家〉の近所で起きた殺人事件。不審な人物を目撃した子供は、その“赤い手”だけを覚えていた。その証言は、奇しくも三軒茶屋周辺でのみ広まる“赤い手の殺人者”の都市伝説に酷似していたのだが……。
 殺人事件が中心かと思いきや、都市伝説の方に話がシフトしていくのが面白いところです。ただ、最後のオチは少々物足りなく感じられます。

「七皿は多すぎる」
 〈香菜里家〉の常連客・東山が聞きつけてきた奇妙な話。回転寿司店で3日続けて鮪の皿ばかり、7枚、8枚、7枚と食べ続ける男がいたというのだ。その怪しい行動の裏には、何が隠されているのか……?
 H.ケメルマン「九マイルは遠すぎる」をもじった題名や、登場する謎そのものの魅力に比べて、解決はかなり力不足。竜頭蛇尾という印象は拭えません……と思っていたら、最後には意外な展開が待っていました。とはいえ、やはり不満が残るのは確かですが。

「魚の交わり」
 七緒が書いた草魚の記事を目にした読者から、手紙が送られてきた。亡くなった叔母のノートに、草魚の作と思われる俳句が書かれていたというのだ。だが、彼女が住んでいた土地に草魚がいたはずはなかった……。
 「花の下にて春死なむ」の後日談です。一見不可解な手がかりが組み合わされ、収斂する瞬間が鮮やかです。そして、その後に残る余韻も何ともいえません。

2003.08.26再読了  [北森 鴻]



勇者にふられた姫君 The Undesired Princess and The Enchanted Bunny  L.スプレイグ・ディ・キャンプ&デイヴィッド・ドレイク
 1996年刊 (関口幸男訳 ハヤカワ文庫FT218・入手困難

[紹介と感想]
 L.S.ディ・キャンプのユーモラスなファンタジー「勇者にふられた姫君」に、そのディ・キャンプに捧げられたD.ドレイクの短編「兎にされた姫君」を併録して日本で独自に刊行された一冊です。収録された2作品は、どちらも甲乙つけがたい、楽しめる作品となっています。

「勇者にふられた姫君」 The Undesired Princess L.スプレイグ・ディ・キャンプ
 MIT出身の技師にして経営者ロリン・ホウバートは、怪しげな老人に拉致され、奇妙に単純化された異世界に連れてこられた。ロリンは勇者として、怪物に襲われそうになっている姫君を救わなければならないというのだ。気が進まないながらも、屁理屈を駆使して見事に怪物を撃退したロリンだったが、さらに次から次へと苦難が降りかかってきて……。
***
 「訳者あとがき」にも書かれているとおり、F.プラットとの合作〈ハロルド・シェイ・シリーズ〉に通じるユーモラスな雰囲気のファンタジーです。
 舞台となるのは、二値画像のように単純な状態にカリカチュアライズされた世界で、薄っぺらさを通り越して異彩を放っています。その中にあって、理屈っぽさのために勇者として選ばれた主人公のロリンは、戸惑いながらも屁理屈を駆使して苦難を切り抜けていくのですが、それが新たな苦難を招き、ずるずると深みにはまっていってしまう様子が笑いを誘います。そのまま、行き着くところまで行ってしまう終盤に至るまで、非常によくできた快作です。

「兎にされた姫君―L.スプレイグ・ディ・キャンプに捧ぐ」 The Enchanted Bunny - Homage to L. Sprague de Camp デイヴィッド・ドレイク
 元上院議員の回顧録の代筆という仕事に嫌気がさしていたジョー・ジョンソンは、旅行中にいつの間にか異世界に入り込んでいた。そこで魔法使いに間違われたジョーは、デレンドル王子を助けて竜退治に挑む羽目になってしまう。しかも、宮廷にいた“本物”の魔法使い・エゼキエルにはライバルと目されてしまい……。
***
 「勇者にふられた姫君」によく似た作品で、こちらは舞台こそオーソドックスなファンタジーに近いものの、異世界に放り込まれた主人公が意外な形で苦難を切り抜けていくという展開や、登場人物の配置などがかなり共通しています。
 主人公のジョーは、竜を退治するために鉄砲や爆弾を作ろうとするのですが、あやふやな知識のためにどれもうまくいいきません。このあたりのドタバタは、特に面白いものに仕上がっています。終盤の、ややご都合主義とも思える展開は気になりますが、コンパクトにまとまった佳作といえるでしょう。

2003.08.29読了  [L.スプレイグ・ディ・キャンプ&デイヴィッド・ドレイク]



忍法忠臣蔵  山田風太郎
 1962年発表 (講談社文庫 や5-8)

[紹介]
 大奥で騒ぎを起こして出奔した伊賀者・無明綱太郎は、ひょんなことから上杉家の家老である千坂兵部の食客となった。忠義と女に嫌気がさし、無為の日々を送る綱太郎だったが、浅野内匠頭による吉良上野介への刃傷沙汰をきっかけとした争いに巻き込まれていく。上野介への仇討の機をうかがう赤穂浪士に対して、上野介の実子である上杉綱憲は忍者・能登組十人衆を送り込んで対抗しようとするが、家老の兵部はこれをよしとせず、十人衆による浪士暗殺の阻止と、能登くノ一六人衆を使った浪士の骨抜きを綱太郎に依頼したのだった……。

[感想]

 山田風太郎による“反・忠臣蔵”ともいうべき作品です。「忠臣蔵」はいうまでもなく、断絶の憂き目に遭った浅野家の家臣たちが、主君の無念を晴らすために吉良上野介を討った事件を題材としたもので、いわゆる“判官びいき”と組み合わせることで“忠義”を前面に押し出した物語といえるでしょう。よりによってこの「忠臣蔵」を下敷きに、“忠義”を否定する物語を作り上げてしまうのが作者の一筋縄ではいかないところです。その主役となる“忠義”を嫌う男・無明綱太郎は、この時代の価値観の中にあっては完全に浮き上がっていますが、そのニヒリスティックな振る舞いには大奥での騒動が影を落としており、多少なりとも共感しやすくなっているように思います。いずれにせよ、相反する“忠義”のバッティングによる相対化といった比較的穏健な手法を採用するのではなく、作中の時代を考えれば異端としか思えないアンチテーゼを正面からぶつけているところに、作者の強い意気込みが感じられます。

 このように意欲的な作品ではあるのですが、残念ながら不満に感じられる部分もあります。例えば、仇討の阻止どころか浪士たちの数も(47人までしか)減らせないという史実の縛りがあるために、忍者たちの戦いはさしたる戦略的な効果を上げることができず、その結果として忍法勝負そのものはやや脇へと押しやられ、「忠臣蔵」の主役である浪士たちの苦悩や、大石内蔵助の“怪物”ぶりに光が当たってしまっているのが皮肉です。

 それでも、物語そのものは非常に面白いものに仕上がっています。浪士たちを骨抜きにしようとする六人のくノ一の手管はそれぞれによく考えられていますし、千坂兵部や大石内蔵助の深謀遠慮も見どころです。そして、仇討を阻止できないという史実を逆手に取った、無明綱太郎にとっての結末は圧巻といわざるを得ません。完全無欠とはいかないものの、十分によくできた作品であることは間違いないでしょう。

2003.08.29読了  [山田風太郎]


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